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【都市伝説】伊能忠敬は日本地図を作成しただけじゃない!35億稼いだ男!?

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しくじり先生でオリラジの中田さんが、日本地図を作成したことで有名な江戸時代後期の測量家・伊能忠敬について独自解説されてたのが面白かったのでまとめてみました。

日本地図を作った男 伊能忠敬

NOと言えない伊能の才能と苦悩

千葉の漁師の息子として生まれた忠敬の幼少期の名前は三治郎と言い、苗字も伊能ではなかった。子供の頃から天文学に興味を持っており、天文学者になるのが夢で計算もでき頭が良かったため、となり村の富豪・伊能家から跡取りとして望まれて婿入りすることになり伊能という名字になったのだ。

伊能家は、米の売買と酒造りを商売にしていた。ここで忠敬は商才を発揮し、もともと地元での取引だけをしていたものを川を利用して、江戸まで商品を輸送しより高く米を売って利益を得ることに成功する。この成功をきっかけに需要と供給の大切さを知った忠敬は、金や土地を貸し出す金融業を始める。そうして築いた財産はなんと35億円

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その後、その業績を認められた忠敬は佐原村の村長に推される。しかし、ここで日本に大事件が起こる。それは、天明の大飢饉だ。浅間山が噴火し大凶作に陥ることになる。死者が全国で90万人を超えた日本の歴史上最大級の飢饉と言われる。

そんな中、忠敬が村長となった村は死者がゼロだったという。なぜ死者がゼロだったのか?それは忠敬が大飢饉を予測して米を仕入れていたためだったのだ。なぜ、忠敬にそんなことができたのか?

忠敬は、商売を成功させるため需要と供給の予測を日々しており昨今の天候不順から全国的に不作になるのでは?と予測していたのだ。そこで全国から米を買い集め備蓄していた。そんな時に浅間山が噴火し、飢饉に陥ったため村の人々に米を配り回ったのだ。

この功績が幕府に認められて忠敬は名字帯刀を許される武士となった。ところが、成功を収めた忠敬は地位もお金も投げ打って50歳の時に単身江戸へ上京し、幕府直轄の天文学者・高橋至時(たかはしよしとき)に弟子入りする。

日本一周男のセカンドライフ

天文学者になって宇宙の秘密を解き明かしたいという夢を持っていた忠敬。特にこの時知りたい宇宙の秘密は、地球の大きさだった。この時、地球が球体であることは知られており大きさを測るには緯度1度の距離を正確に知る必要があった。(緯度1度の距離×360=地球の大きさ)

そこで忠敬が思いついた方法が、完全に同じ歩幅で歩き計測するという方法だった。だが江戸は人が多く正確に計測するのは困難だった。そこで人の少ない地方で計測しようとしたのだが、それも各所にある関所に阻まれるため難しかった。

そんな時、師匠である高橋至時がロシアの侵略を恐れて蝦夷方面の地図が欲しいと考えていた幕府に進言し、忠敬が日本地図作成のために各地を自由に行き来できるようにしてもらえたのだ。

つまり、忠敬は幕府から命令されて地図を作った男ではなく、地球の大きさを知るための手段として地図を作った男なのだ。こうして20年にも渡る忠敬の日本地図作成の旅が始まった。

伊能忠敬 測量の旅日記51冊まとめ

  • 北海道まで行くのにほぼ全額自腹ってどういうこと?事件
  • 伊能さん測量の話なんて聞いてないからここは通せないよ、帰ってよ事件
  • さっきから何度言えばわかるんだ!私はスパイなんかじゃない!事件
  • 伊能さんの測量の態度、最近デカくないですか?幕府はどう思いますかね?事件
  • いつ死んでもおかしくない伊能さんが元気で高橋先生がお亡くなりになるなんて事件
  • 測量隊に新メンバー加入で大幅増員ってどういうことですか?事件

と言った面白そうな事件が起こっているので興味のある方は調べてみたらどうでしょうか。

波乱の地図作りに全てを注ぎ73歳で生涯を終えた伊能忠敬。

彼は知りたかった地球の大きさを39,852キロだと導き出した。(実際の大きさとの誤差は約150キロ)伊能忠敬の地図が評価されている理由、それは天文学の知識が取り入れられた日本で最初の地図だからなのだ。そのため、伊能が残した測量器具や地図は国宝に指定されている。