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【都市伝説】気になる祭りのルーツを解き明かす!関西祭ミステリー!だんじり祭は祇園祭のマネだった!?

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日本各地で行われているお祭りは実に多種多様。その数はなんと30万!これは世界的にも希な多さ。日本はお祭り大国なのだ。祭りと聞けば血が騒ぐ、祭りとなれば心が躍る、祭りに多くの人が集まるようになった原点には一つの祭りがあった。それが葵祭。国内外から多くの観光客が集まる京都三大祭りの1つだ。

祭りの原点

平安時代、当初は朝廷の遣いや斎王と呼ばれる女性が上賀茂、下鴨神社にお参りするただの儀式だった。娯楽の少なかった当時、あまりに華麗な行列に沿道の人々は目を奪われた。すると噂が噂を呼び、遠方から葵祭目当てに人がやって来るように。やがて行列はただの儀式からパフォーマンスへと変化していく。いつしか祭りのメインストリートには、行列を見るための観客席、桟敷が作られるまでに。こうして葵祭は、当初の目的を外れ見せる祭りとして発展。これを手本に観客たちが全国に広めたのが賑やかな日本の祭りなのだ。

祇園祭

須佐之男(スサノオ)。古事記でヤマタノオロチを退治した荒ぶる神。彼を祀る祭りの中でも一番有名なのが、日本三大祭りの1つ祇園祭。7月の一ヶ月間に渡って繰り広げられるこのお祭りは、古都に夏の訪れを知らせる風物詩。山鉾巡行では33基の山や鉾が都大路を巡る。

その始まりは平安時代にまで遡る。当時、都では疫病が大流行していた。疫病は非業の死を遂げた人々の悪霊の祟りだと恐れられていた。そこで考えたのは長い武器「矛」を立てること。古来日本では尖ったものに魂が宿るとされていた。矛を立てることで国中の疫病や災難を集め強力な神・須佐之男の力で退治してもらおうと考えたのだ。山鉾はそんな悪霊をおびき寄せる「悪霊ホイホイ」としてスタートしていたのだ。当初は厄払いのための地味なものだったが、やがて町人たちが祇園祭に参加するようになると町同士が競うように。山鉾はより豪華で賑やかなものに作り替えられていく。現在の豪華絢爛な山鉾は神様を喜ばせるためのもの。言わば、ライブステージなのだ。

岸和田だんじり祭

実は祇園祭を元に生まれたのが岸和田だんじり祭。江戸時代に岸和田の人々が高価な山鉾に変わって使ったのが荷物を入れる長持に車輪をつけたもの。だんじりは、祇園祭に憧れた人たちの知恵と工夫の産物だったのだ。やがて岸和田の漁師町の人々の気性と相まってだんじりは勇壮な祭りになっていったという。

福男選び

恵比寿さまが主役と祭りと言えば、西宮神社で1月の恒例行事となっている福男選び。人々は本殿への230メートルを全力で駆け抜ける。なぜ、男たちは1番を目指して全力で駆けるのだろうか?

江戸時代の西宮。古来、西宮神社の周辺では十日恵比寿前日の夜、忌籠もり(いごもり)と言って家に閉じこもって身を清め参拝に備えるという習慣があった。そして夜が明けると一斉に家を飛び出し、神社に向かってダッシュ!一番最初にお参りすることで誰からも参拝を受けていない溜まった福を恵比寿さまから少しでも多くもらおうとしたのだ。多くの福をもらえば、自分の家族や周囲にも福を分け与えられる。福男はそんな福を集めると共に福を与えられる人。言わば神の代わりなのだ。

福男だけではない、福の詰まった蘇民袋を裸の男たちが奪い合う岩手・黒石寺蘇民祭など日本中に存在する競う祭りは、将来を導き福をもたらす神の代わりを選ぶものなのだ。

阿波踊り

400年以上の歴史がある徳島県の阿波踊り。日本で規模が最も大きい盆踊り大会で踊り手はなんと10万人以上。阿波踊りに限らず、夏祭りに欠かせない盆踊り、その始まりは平安時代のある人物にある。

当時の一般庶民は教養もなく、字を読み書きできない人がほとんど。どうしたらお経が読めなくても先祖の供養ができるのか、僧侶は思い悩んでいた。そこで僧侶が考えついたのが、念仏を歌と踊りをつけて唱えること。難しい言葉を覚えなくても皆で一緒に踊るだけ、このリズムとダンス付きの念仏「踊り念仏」が大ヒット!室町時代になるとお盆にご先祖さまが帰ってくるという思想と重なって、盆踊りとして夏祭りに欠かせないイベントになっていったのだ。この僧侶の名が空也(くうや)。盆踊りのルーツなのだ。