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【都市伝説】日本人だけが知らない!?驚愕ミステリー東海道五十三次の真実!

摩訶不思議!?浮世絵ミステリー

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2017年ロンドンの大英博物館で長い行列ができた。それが「葛飾北斎展」。1999年には、アメリカの雑誌「ライフ」がこの1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人を発表。リンカーンやエジソンとならび日本人で唯一、葛飾北斎がランクインした。

 西洋の巨匠たちによる模写

海外で人気の高い浮世絵。しかし、それは今に始まったことではない。おそよ150年も前にヨーロッパで大ブームとなっていた。あの天才ゴッホもこんな作品を残している。

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ゴッホ作「雨の大橋」1887年(左)。実はこの絵にそっくりな浮世絵がある。それが歌川広重が江戸後期に描いた「大はし あたけの夕立」1857年(右)。ゴッホは、浮世絵ならではの描写に感銘し模写していたのだ。

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さらに花魁の浮世絵をそのままコピーしたものも存在している。(左:ゴッホ作 右:渓斎英泉作「雲龍打掛の花魁」1830年頃)。

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他にも浮世絵の創始者とされる菱川師宣の「見返り美人図」(右)。これをモチーフにあの「睡蓮」で有名なモネは「ラ・ジャポネーズ」(左)という作品を描き上げている。向きは逆だが、ポーズも構図も全く同じ。モネもまた浮世絵の魅力にハマっていたのだ。

このように西洋の巨匠たちがリスペクトした浮世絵。それは世界に誇る日本独自の芸術。しかし、日本人はその魅力に気づいていない。それを知れば浮世絵はもっと楽しいものになる。

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例えば、歌川国芳が描いた「東都三ツ股の図」。隅田川の河口部を描写した情緒あふれる1枚。だがよく見てみるとあの東京スカイツリーが!しかも形がそっくりなだけでなく、実は建っているのも同じ場所。この絵は1830年頃に描かれたもので、もちろんスカイツリーは存在しない。国芳は未来のスカイツリーの登場を予知していたのかもしれない…。浮世絵には日本人が知らない謎がたくさん隠されている。

驚愕ミステリー 東海道五十三次の真実

江戸時代後期に活躍した浮世絵師、歌川広重。「東海道五十三次」は彼の代表作となっている。江戸と京の都を結ぶ東海道の宿場町を生き生きと繊細かつ大胆に描写、海外でも人気が高い。特に鮮やかな青い色は広重ブルーと呼ばれ、世界中の人々を魅了している。旅のガイドブックとしても人気だったこのシリーズには、多くの仕掛けが施されている。

東海道五十三次 日本橋

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旅のスタート地点である日本橋。商人や大名行列が行き交う朝の賑わいが絵にされている。ところが絵の右下だけは、妙にひっそりとした空間になっている。そこにいるのは2匹の犬だけ。しかも顔はなく後ろ姿、賑わう日本橋で犬は何をしているのか?

商人たちの左上、何かが描かれた札が並んでいる。反対側の犬の上にも同じようなものが…。これらは一体何を意味しているのか?実はこの右側の土地は、今では考えられない使われ方をしていた。それが、罪人の晒し場。ここで重罪人の処刑も行われ、その首が晒されていたという。

当時、人が集まる所は幕府のお触書を掲げる「高札場」と罪人の晒し場に利用されていた。広重は、犬の後ろ姿だけを描くことでその場所の意味を暗示したのだ。

東海道五十三次 戸塚

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これは6番目の宿場「戸塚」。広重は上のような2種類の絵を残している。上の絵と下の絵、よく見ると馬の所の人の動きが違って描かれている。登場人物の同じ絵を広重は、なぜ1人だけ動きを変えて書き直したのか?その謎を解く鍵は、このお店の看板「こめや」にある。そこにはこんな事情が!

江戸時代の経済は、米の値段そのものに影響されていた。米屋の下で馬から降りる絵は、米の値段が下がることを連想させるというクレームが入ったのだ。こうして旅人が馬に乗ろうとしている絵に書き直されたのだった。さらによく見ると相場の上がり下がりをイメージさせる山が板張りで隠されている。米相場が平穏であることを暗示したのだ。

東海道五十三次 蒲原 夜之雪

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深々と降る雪の情景を描いた「蒲原 夜之雪」。人影もまばらな夜の街道を描写した傑作と言われている。だが、この絵には大きな謎が!実は蒲原(かんばら)は、現在の静岡にあり気候は温暖で大雪が降ることはまずない。なのになぜ広重は、まるで雪国のように描いたのだろうか?

そこにはこの地に伝わる悲しい恋の物語が隠されていた。主人公は、若かりし頃の源義経。京都・鞍馬から逃げ出し、岩手の平泉で身を隠すことに。その道中、義経は浄瑠璃という女性と恋に落ちる。しかし、義経は逃げ出した身、姫を置き1人先を急いだ。ところが蒲原まで来た時、病に倒れてしまう。すると義経の目の前に現れたのは、神のお告げによって駆けつけた浄瑠璃姫だった。彼女の必死の看病で命を救われた義経は、姫に自分が愛用していた笛「薄墨」を授けて再会を誓った。しかし、義経との密会を知って怒った母親が姫を幽閉。悲嘆に暮れた姫は、川に身を投じ自ら命を絶ってしまったという。

この話を聞いた広重は、蒲原の絵にメッセージを込めたのだった。雪の降らない蒲原を義経が向かった平泉のように雪深く、そして再会の誓いの証だった「薄墨」をイメージし墨絵のような色合いにしたのだ。五十三次の中で蒲原は唯一、色目を抑えた夜に雪が降る場面となっている。

浮世絵にはまだまだ多くの謎が隠されている…

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