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【ヤンキー伝説】不良が最も輝いてた時代!?変形制服や憧れていたアイドルの変遷がこれだ!

不良が最も輝いてた時代

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世間に牙を剥き、己のアンデンティティを追求した反逆者たち。不良という存在は時代そのものを映している。今、世を席巻しているのは、ゆとり教育が生んだモンスター・マイドルヤンキーだ。ケンカしない、交通違反しない、親不孝しない三無主義を掲げて不良の概念を覆した。

バブル崩壊で価値観を見失った日本には、欧米のスラム街同様に都市型不良がいた。渋谷、池袋などを荒廃させたチーマーやカラーギャング。だがさらに遡ると巨大な後ろ姿が見えてくる。日本現代史の中で最も長く不良の代名詞として君臨したヤンキーだ。

1985年の映画『ビーバップ・ハイスクール』は、不良が最も輝いていた時代の伊吹を伝えている。10代のあなたには新しく、20代のあなたには古めかしい、30代のあなたには懐かしい世界を探求する。

 ファッションから見るヤンキー時代の輝き

不良が不良として自己主張する時、最も手近なアイテムは制服だ。いかに規制を踏みにじり不良らしさを出すかに誰もが心血を注いでいた。当時の制服へのこだわりが『ビーバップ・ハイスクール』に描かれている。

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シャバ僧(しゃばぞう)とは真っ当な世間に属する一般学生を指す。ヤンキーには自分がシャバ僧だと思われることを激しく忌み嫌う習性があった。そのために彼らは制服にもリノベーションを施している。真っ当な世間に牙を剥く最大の武器は変形制服だ。標準型学生服認証マークを嘲笑うかのような変形制服。

例えば、ボンタンと呼ばれた学生ズボンは、太ければ太いほど不良の格が高いとされた。ドカン型は標準型に比べ、わたりも裾も倍以上、膝だけが膨らんでいるバナナ型、裾だけスリムなボンスリ型も愛好された。

上着についても標準より丈が20cm以上長い長ランやベルボーイのような短ラン。この他、もやはロングコートとも言えるような洋ランなども人気を誇った。変形制服のチョイスで不良としての格を確認し合い、ブランドが格付けを左右した地域もある。

最底辺、兵隊ヤンキーが身につけたのは、変形制服の定番、ジョニーケイやブラックワン。その上に位置する幹部クラスは、『ビーバップ・ハイスクール』でトオルやヒロシが着用し人気に火が付いたYAHVAN(ヤーバン)を好んだ。では、頂点に立つ番格クラスはどのブランドを愛用したのか?それは仕立て。特注のオーダーメイドでオンリーワンを作るのだ。ヤンキー界のヒエラルキーを映し出していた変形制服。彼らは格付けを崩さぬよう自身に見合うブランドやデザインをカタログから慎重に選び出していた。

ここでピラミッド構造を下支えしていた無数の隠れヤンキーについても触れておこう。そう「ヤンキー憧れ」たちである。ヤンキーになる気合も根性もなく、ヤンキーとシャバ僧の狭間を漂っていた両生類と言ってもいい。

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変形制服に手を出せなかった彼らは、ヤンキーへの憧れを標準制服に忍ばせた。裏ボタンだ。学ランの裏側につける装飾のボタン。これなら上位ヤンキーや教師にも目をつけられずヤンキー気分が味わえる。お馴染みの「夜露死苦」をはじめ、「喧嘩上等」など裏ボタンには優れて詩的な四文字熟語などが刻まれた。

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けれども万が一、自身のスペックを超えた小物や服装が露見するとあの制裁が待っていた。昭和の日本を震撼させた「テルのボンタン狩り」である。これはヤンキー界の秩序を守り、生態系を維持するための行為と言っていい。猿山の間引きと同じ意味を持っていた。

ちなみにこの「ボンタン狩り」はその後、「ドラクエ狩り」「エアマックス狩り」「オヤジ狩り」へと加速していく。

厳密な序列は、女ヤンキーの制服にも伺える。スカート丈は格が上がれば上がるほど長かった。そこには歴史的背景がある。丈の長い制服スカートのルーツは「ズベ公」にあるという。ズボラなやつを指す「ズベ公」は、かつて世間から疎まれた不良少女の代名詞だった。突っ張ることでしか自己主張できなかったそのDNAは、80年代の不良少女たちに受け継がれる。彼女たちは流行りだしたミニスカートに背を向け、スカート丈を長くして時代に歯向かった。これもまた先人に敬意を払うヤンキーたちの美点ではないだろうか。

アイドルから見るヤンキー時代の輝き

知らぬ間に独自のマーケットに成長したヤンキーたちの世界は、その影響力をエンターテインメント業界にも及ぼすようになる。若者はアイドルなしには生きていけない。ヤンキーはしかし、アイドルの在り方さえも変える力を持ち始めた。

先駆けとなったアイドルがいる。70年代を駆け抜けた歌姫・山口百恵だ。アイドル時代の到来を決定づけた花の中三トリオ。この時、アイドルとは汚れを知らない清純さとイコールだった。そんな処女神話から百恵が一歩踏み出した時、怒涛のようなヤンキーパワーが背中を押した。この現象を表現する言葉を探すのは難しい…強いて言うなら「アイドル逆ロンダリング」。

訳ありの汚れた金を洗浄するマネーロンダリングに対して、アイドル逆ロンダリングとは、清純派があえてイメージを汚し不良のイメージを身にまとう行為を指す。『ひと夏の経験』で不良化への可能性を見出した百恵は、阿木燿子、宇崎竜童のコンビに自ら楽曲を依頼。レコジャケを託された篠山紀信も百恵の笑顔を封印。こうして暗く生意気に逆ロンダリングされた百恵にヤンキーたちは深い共感を覚え、神格化していったのである。

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侮れない購買力を持つヤンキーたちを意識して業界は二の矢、三の矢を放つ。いとうまい子や杉浦幸など次々と逆ロンダリングされた。そこから真のポスト百恵が現れる。中森明菜だ。デビューからわずか2曲目で一気に逆ロンダリングに舵を切った明菜は、当時事件報道などで一般的だった未成年の呼称をタイトルにヤンキーたちを恍惚とさせた。

ドラマにおいてもスケバン刑事、セーラー服反逆同盟などで、初々しいアイドルが次々に逆ロンダリング。けれどその多くは持久力に欠け、結局清純派路線へ帰っていった。ところが80年代終わり、ヤンキーたちの心を再び鷲掴みにするアイドルが登場する。その磁力は、コンサート会場に暴走族を惹きつけ、そのヘアースタイルは女ヤンキーたちを美容院に走らせた。工藤静香だ。

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なぜおニャン子クラブ出身の工藤が、かくもヤンキーを熱狂させたのか?実はそこには必然があった。おニャン子クラブの看板番組「夕やけニャンニャン」は夕方5時からの放送。その時間帯テレビの前にいたのは、純粋なアイドルオタクか、部活に縁のないヤンキーだけだったのだ。ここで見逃せないのは静香信仰が女ヤンキーにも広がった点だろう。

80年代初頭の女ヤンキーは、硬派を気取るが故に根は案外清純だった。片思いの男に夜なべして作った巾着袋をプレゼントしたり、交換日記に夢中になるのがせいぜい。静香の見せる強さに彼女たちは、女の自立を予感した。夢を重ねたと言ってもいい。だがこの頃、逆ロンダリングの流れはすでに終わろうとしていた。ヤンキーたちが静香を祭り上げた情熱は、消える間際、ひときわ大きく燃え上がえるロウソクの炎に似ていたと言っていいだろう。

ヤンキーアイドル誕生

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驚くべきことにヤンキーは、秋元康的方法論を換骨奪胎し仲間内からアイドルを生み出す道を選んだ。それが「今、会いに行けるヤンキーアイドル」だ。

ヤンキーのバイブル雑誌、ヤングオートやティーンズロードには、投稿写真コーナーがあった。そのコーナーから今で言う読者モデルのように脚光を浴びる女ヤンキーやレディースが続出。彼女たちは毎週末、たまり場のサービスエリアや埠頭にいるため、行けば会える。その身近さで人気が炸裂した。

ついには、「今、会いに行けるヤンキーアイドル」のVHSビデオまで発売される。ヤンキーたちが選んだ女ヤンキーアイドルのリアリティが収録されている。勢ぞろいしたレディースアイドルの面々は、誰もが気取りを捨てた自然体(棒読み)。一般的には、みんな無名なので自己紹介コーナーは欠かせない。

こうしたムーブメントから突出したアイドルグループが誕生する。その名は「大宮マドンナレーシング」。メンバーはアツコ、ケイコ、ウメの3人。ヤンキー雑誌に写真が掲載され、JJお嬢様的ルックスが注目を集めた。彼女たちは暴走族とは一線を画す走り屋「グラチャン族」。グラチャン族とは富士スピードウェイで開催のオートレースを改造車で観に行く集団を指す。白とピンク、クレージュカラーのダイハツミラで峠を流す姿は、男ヤンキーのみならず女ヤンキーからも熱く指示された。

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