嘘か本当か分からない話

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大阪、摩訶不思議な寺社ランキング!大阪人が驚く知られざるドラマとは!?

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右目だけが赤いお地蔵様。何もかもが金で統一された神社。白い被り物を被った怪しげな集団。多くの寺や神社が集まる京都には、変わった神社仏閣が多数存在する。だが実は、大阪は京都よりも寺の数が多いお寺王国。摩訶不思議な神社が京都以上に溢れている。

大阪、摩訶不思議な寺社ランキング

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例えば、大阪上本町駅から北へ徒歩10分。悪縁を断つ寺・鎌八幡と書かれた看板がある。ここは、真言宗・円珠庵、通称・鎌八幡(かまはちまん)。奥には大きな木が立っている。近づいてみるとしめ縄が巻かれた木におびただしい数の鎌。一体なぜ?

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今から400年前に起きた大阪冬の陣。20万の大軍を率いて大阪城を取り囲んだ徳川家康を豊臣秀頼軍が打ち破った。その合戦の前にこの霊木を訪れた豊臣側の武将がいた。それが真田幸村。最前線のこの地に陣を構えていた。

霊木に鎌を打てば、悪縁を断ち切れると昔からの言い伝えがあると聞いた幸村は、戦いの悪縁を断ち切り戦に勝てるようにと祈願した。幸村の願いは神に届き、大阪冬の陣で見事敵を打ち負かすことができたのだ。この出来事以来、この地では幸村にあやかり多くの人が鎌を打ち込み祈願するようになった。霊木は今も人々の祈りの鎌を一身に受け続けている。

第6位 ビルの前に立つナゾの鳥居

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大阪随一のオフィス街・淀屋橋。このビルのジャングルの中に不自然に立ちはだかる石造りの鳥居。一体なぜこんな場所に鳥居が立っているのか?周囲を探してみるとビルの裏には神社。この鳥居は、この御霊神社のもの。

江戸時代、現在のビルの場所には宝城寺という寺が建っていた。しかし、明治に入ると江戸時代まで神社と寺は同じ敷地に共存していたのを分離する、神仏分離令が出された。これにより、寺を無くそうという気運が一気に高まり、全国各地の寺が政府によって壊されたり、土地を没収されたりした。

御霊神社の神主は、この土地まで神社があったことを後世に伝えたいと敷地の端にこの鳥居を建てたのだという。そう、あの不自然な位置に建っているのは、国に対するせめてもの抵抗の証だったのだ。それから150年、その間にこの土地の権利者は国から個人へ何人も移り変わってきた。しかし、誰もこの鳥居を壊そうとはせず、今ではこのビルの守り神としてその役目を果たしている。

第5位 梅田のど真ん中にオンリーワンの神社

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大阪北エリアの中心地・梅田。HEP FIVEから徒歩30秒の所に小さな社がある。その名は歯神社。ここは、その名の通り日本で唯一の歯の神社。社の下の方を見て見てると、しめ縄がかけられた石がある。なで石と呼ばれ、なでて歯の痛い所を触ると痛みが和らぐと信じられている。なぜ都会の真ん中に歯の神様がいるのか?

それは江戸時代中期、村には大きな石があり、田畑を守る神様の御神体として大切にされていた。しかし、ある時に大雨が降って川が氾濫。当時の梅田は、海抜0メートルの低湿地を埋め立てて一面を田んぼにした場所。そのため、大雨が降ると川が氾濫し頻繁に村が水没の危機に見舞われた。

この時、御神体の巨石が大水を防いでくれた。つまり歯止めになったことから、歯痛止めの神様と崇められるようになった。この石は、今も社の下から梅田の街を見守っている。

そして現在、毎年6月4日に歯神社では例大祭が行われている。歯医者や歯科技工士、歯ブラシメーカーの関係者などが集まり、歯の健康を祈願する。梅田のど真ん中で連年と神事は、今に伝わっているのだ。

第4位 大企業ばかりに愛される神社

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地下鉄・西長堀駅から徒歩3分、大阪市立中央図書館の裏にその神社はある。土佐稲荷神社、一見どこにでもありそうな神社だが…。境内を囲む玉垣を見ると、日本を代表する大企業の名が贅沢すぎるほどに並んでいる。一体なぜなのか?

江戸時代、この辺りには土佐藩の大阪藩邸や蔵屋敷があった。明治維新を迎え財政難に苦しむ藩の状況は、日に日に厳しい状況へと向かっていた。

「政府はじきに藩の事業を禁止するつもりらしい。廃藩置県を前に手を打たねば我らは終わりだ」

「それなら藩を民間の海運会社にしたらどうでしょう」

「確かにそれは妙案。だがうまくいくだろうか?この藩邸も借金の担保になっているし、お前が代表になってやってくれ」

「私がですか(;゚Д゚)!」

才能を買われ事業を任されたこの男が、藩の借金を肩代わりし蔵屋敷とその土地の中にあった神社を引き継いだ。決して成功が約束されたものではなかった。男は蔵屋敷で暮らしながら、神社に毎日祈りを捧げた。やがてその願いは届き、事業は見事軌道に乗る。この時、男がつけた会社の名前が三菱商会。そう、この男こそ岩崎弥太郎。日本を代表する三菱グループの創始者だ。

事業が成功したのは、神社のおかげだと岩崎弥太郎によって残されたのが土佐稲荷神社。この神社の玉垣に刻まれているのは、三菱グループの企業名。今や商社、インフラ、金融、自動車、食品、不動産、コンビニあらゆる分野に進出し売上総額は50兆円を超えるまでに成長した三菱グループ発祥の地。

その証拠として神社を見渡せば、屋根の飾りや賽銭箱、灯篭の他、お守りにまでありとあらゆる所にスリーダイヤのマークが埋め込まれている。その名立たる企業のトップたちが、今でもこの聖地へお参りしに訪れるのだ。

第3位 くぐれない鳥居

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JR環状線・玉造駅から徒歩10分にある玉造稲荷神社。発祥は弥生時代と伝わる歴史の深い神社で、大阪城ができた後はその守り神として崇められている。そんな神社の境内には、誰もくぐれない鳥居がある。

この鳥居はかつてこの神社で使われていたもの。しかし、阪神淡路大震災で損傷を受けたため、取り外された。現在、神社には新しい鳥居が建てられているため、損傷した鳥居は必要ないにも関わらず大切に保存されている。一体なぜ?

1603年、大阪城の守り神であるこの神社と深い繋がりのある人物が、鳥居を寄贈する。その人物とは、豊臣家最期の当主・豊臣秀頼だ。秀吉像は全国各地にあるが、秀頼像があるのは日本でここだけ。秀頼と言えば、母・淀殿に甘やかされ頼りない印象を持たれがちだが、それは後に徳川方が作り上げたイメージ。実際は、身長190cmを超える堂々とした体格で聡明な人物だったと記録が残っており、家康は将来性を恐れていた。そのため幕府は、大阪夏の陣で豊臣軍に勝利すると秀頼とその子孫を根絶やしにした。

それでも大阪の人々は、豊臣への恩義を決して忘れはしなかった。だからこそ秀頼の死後400年が経ち、たとえ使い物にならなくなったとしても、秀頼が寄贈した鳥居を大事に保存しているのだ。

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秀頼への恩義は他の所にも残されている。鳥居の横に建てられた社・胞衣塚(よなづか)大明神には、秀頼が生まれた時の胎盤を祀っている。出来たのは1983年と比較的最近、なんと秀頼の胎盤は江戸、明治、大正、昭和と豊臣に恩義を感じる人々の下を転々としながら守り抜かれてきたという。大阪庶民の太閤さんへの想いは決して奪われはしないことをこの神社は教えてくれているのだ。

第2位 聖地を守る張り子の虎

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大阪ビジネス街の中心地・道修町、そのビルの隙間にある少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)。境内に入ってみると本殿の中心、一番重要な場所に置かれているのは張り子の虎。なぜ張り子の虎をここまで大事にしているのか?

江戸時代、幕府が薬の原料を扱う薬問屋を集めて以来、道修町は薬の町として知られるようになった。1822年、大阪でコレラが大流行し大勢の死者が出た。そこで道修町の薬商人たちは協力し、虎の頭蓋骨など10種類の和漢薬を調合した薬を作った。

その薬は、薬の原材料に使われた虎の頭蓋骨とかけて、少彦名神社の張り子の虎のお守りと一緒に配られた。するとその効果が大評判!やがて張り子の虎は神格化され、少彦名神社の代名詞となった。以来、製薬会社にとって道修町に会社を構えるということが、ステータスになるほどここは、製薬会社にとって聖地となった。

現在、名立たる製薬メーカーが軒を連ねている。また毎年11月に行われる神農祭には、製薬会社関係者を始め、全国から5万人もの参拝者が足を運ぶ。そして、参拝者はみんな日頃の健康を願い、少彦名神社の張り子の虎を買い求めるのだ。

第1位 お堂の周りに大量のしゃもじ

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大阪随一の飲み屋街・曽根崎のビルの谷間に法清寺(ほうせいじ)というお寺がある。境内に入ってみると昔ながらのお屋敷、そして小さなお堂がある。そのお堂をよく見てみると大量のしゃもじが…。一体なぜ?

この寺は、通称かしく寺。ここにはある悲しい女の物語が隠されている。時は江戸時代、曽根崎の遊女だったかしくは、その美しさで武家に身請けされ慎ましく暮らしていた。かしくは普段おとなしい女だったが、だた一つ欠点があった。

「かしく、また飲んどるんか?もう飲まんて約束したやろ?」

「ちょっとだけやない、うるさいな」

「お前、せっかく自由の身になれたっちゅうのにいい加減にせんと旦那様にも怒られるで」

「あの人はどうせ、ここには来ぉへんよ、ほっといて」

普段は美しく優しい自慢の妹だった兄も、かしくの酒癖の悪さだけは悩みの種だった。そしてある日事件は起きた。

「お前は昼間から飲みおって、ええ加減にせえよ!」

「ちょっと返してよ」

酒に酔った勢いで兄を殺してしまったかしく。そのまま捕らえられ死罪となってしまった。連行されるかしく。

「さっさと歩け!」

「哀れな女の最期の頼みを聞いとくれよ」

「なんだ?」

「油揚げを1枚おくれ」

「油揚げ?そんな物が欲しいのか、いいだろう」

「女は最期まできれいでいたいんどす」

油揚げの油で髪を整えたかしく。死の間際でも美しくあったその姿に人々は魅了されたという。兄殺しの罪が許されることはなかったが、かしくは人々に愛されながら亡くなった。

やがてかしくの墓では、あることが噂されるようになる。「墓石を削って飲むと禁酒できるようになる」この噂はたちまち広がり酒に悩む多くの人が、かしくの墓を削りに訪れた。おかげでお堂の中に祀られているかしくの墓はボロボロ。墓になって尚、身を削られるかしくを哀れんだ住職は、飲酒に悩む人々に墓石代わりにあるものを授けるようになった。それがしゃもじだった。

お酒はお米でできているから、またしゃもじでご飯をすくうことから、苦しみから救う意味があると言われている。今でも酒絶ちを願う多くの人が全国からこの寺に足を運び、そのしゃもじに想いを込め、かしく様にお祈りするのだ。

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