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本当はエロい「かぐや姫の物語」。かぐや姫が持つ超常能力の数々を紐解く!?

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高畑監督がお亡くなりになり、先日5月18日に金曜ロードショーで「かぐや姫の物語」が放映されました。それに伴い、「火垂るの墓」に続き岡田斗司夫さんが解説をされていましたのでご紹介します。

視聴者の反応

肯定的な感想

  1. 精一杯生きたかぐや姫と、爺婆の別れが切ない
  2. 現代もなお、女という役割を押し付けられた女性へのメッセージに泣いた
  3. なんだかわからないけど、泣ける

否定的な感想

  1. すごいとは思うけど、正直面白くない
  2. 登場する男が全員クズ
  3. なんだかわからないけど、気に入らない

ほとんどの人がこれに当てはまる感想を持っており、よくできた映画だけどオリンピックの体操選手がでんぐり返ししたみたいな出来で、ものすごいコストと労力を費やして完璧なただのでんぐり返しをしてみせるという貴重な作品だ。という表現が感想に集約されているという。

かぐや姫は実はエロい

火垂るの墓と比べて見ると、火垂るの墓は反戦映画ではないと高畑監督が名言しているにも関わらず、大部分の人は戦争の愚かさや虚しさを描いた、戦火に巻き込まれた兄妹がかわいそうで泣けるという感想を持っている。対してかぐや姫の物語は、女性問題の描き方と絵本が動いたような作画が見事すぎてテーマだと勘違いされているという。

では「かぐや姫の物語」とはどんな作品なんだろうか。実はかなりエロい話だという。最初におじいさんが竹林からかぐや姫を見つけてきた時は、すごく小さな姫君だった。だが、家に連れて帰ってそれをおばあさんに見せると赤ん坊になる。おじいさんがおっぱいをもらおうと橋を渡ろうとすると、おばあさんのおっぱいがいきなり出るようになる。子供を産んでいない、産めない女性が突然おっぱいが出るようになるというのは、民話や神話ではよくある話なんだそうだ。

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1つ目の奇跡は、かぐや姫が竹の中から生まれたこと。2つ目は、手のひらの中で成長して赤ん坊になったこと。3つ目がおばあさんのおっぱいが突然出るようになったこと。さらにおっぱいを吸ったかぐや姫が急激に大きくなったということ。

この赤ん坊がおっぱいを吸うというシーンは自然で、見ている方も違和感を感じないのだが、この赤ん坊がおっぱいを吸って成長するというシーンはミスリードになっているという。実は以後、かぐや姫はセックスを暗示する場面でのみ大きく成長するという特徴がある。

例えば、この次にかぐや姫が大きくなったのは、カエルを追いかけている時だ。這い這いもおぼつかないかぐや姫が、カエルを追いかけオスのカエルがメスのカエルに乗っかっている所を見る。すると次のシーンでは、かぐや姫が加速してカエルを追いかけているシーンになる。

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このカエルが重なるというシーンは、セックスをしているのではなく抱接しているのだという。これは、オスのカエルがメスのカエルの上に乗っかってお腹を刺激することでメスのカエルに卵を産ませている。その卵にオスのカエルが精子をかけることによって繁殖しようとしている。これを見た瞬間にカエルを捕まえようとしたかぐや姫が、今までできていなかった這い這いをして追いかけはじめる。

これを見ていた村の子供たちが、急に大きくなったかぐや姫を見て「たけのこ」みたいなやつだとかぐや姫をたけのこと呼び始める。村の男の子供たちから呼びかけられることでまた成長するかぐや姫。以降、かぐや姫の周りには男の子供たちしか出てこない。かぐや姫は、常に男達に囲まれたサークルの姫のような状態で育っていく。男と接する、男と交わることによってかぐや姫は成長する様子が次々と描かれていく。

その後、おじいさんとたけのこ狩りに出かけたかぐや姫は、猪に襲われて危ないところを捨丸に助けられる。捨丸に抱きかかえられて藪に落ちるとあっという間に大きくなっている。この成長には捨丸も驚く描写がされている。こうした一連の流れから、後にかぐや姫があの頃に帰りたい、山の中にみんなと一緒に。と願うみんなとは、男の子ばっかりの世界だということがわかるんだという。

女性問題を訴える人たちが、かぐや姫というのは男社会の中で女がどんなに抑圧されたのかを表現しているという風に言っているが、それはわかりやすく描いている部分にすぎない。高畑監督が同時にわかりにくく描いているのが、後のかぐや姫がどんなに男ばかりを相手にしている女なのかということ。とにかくかぐや姫の作品中で女性が故意に外されて描かれているシーンが多いのだという。

次に成長を見せるのが水浴びのシーン。こっちへ来いよと呼ぶ男の子たちは全裸だ。するとかぐや姫は、全裸になって水の中に飛び込む。驚いた男の子たちがかぐや姫を見ていると、水の中から出てきたかぐや姫は少女へと成長していた。男に裸を見せると成長してしまったのだ。

カエルの抱接を見て成長、おじいさんと男の子に交互に名前を呼ばれて成長、捨丸に抱かれて成長、村の男の子に裸を見られて成長する。言い逃れができないほど、極めてエロティックな、性的な話なんです。

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そして起こるのがキジ事件。捨丸がキジを捕まえて殺してしまう。そこへ走り寄るかぐや姫は、岩から捨丸に抱き抱えられながら落ちていく。この時に捨丸に胸を触られたかぐや姫は、また成長を見せる。気になる男と接触するとさらに成長を見せるということで、かぐや姫というのは男から欲望の対象にされたと後半は見えがちなのだが、最初からそういう世界にいる存在だったということがちゃんと描かれているという。

超常現象

かぐや姫は元々おとぎ話のため、不思議なことが色々起きても当たり前だとついつい考えてしまう。だが映画の中で超常現象あるパターンに沿って出現するという。

タケノコ(かぐや姫)の特殊能力

  1. セックスと成長
  2. 魅了(チャーム)。男性にのみ
  3. 怪力・疾走
  4. 演奏・機織り
  5. 透明化
  6. 飛翔

月からの超常現象

  1. 転生
  2. 金や衣
  3. 幸運
  4. 時間巻き戻し
  5. 蘇生

以上のことが作品中で描かれている超常現象。

かぐや姫に出てくる男たちはクズばかりと言われているが、これはかぐや姫がチャームという能力を持っているので、周囲の男の行動や判断を全て歪ませてしまうのだという。かぐや姫は、周りの人間の人間関係や欲望を歪ませる能力を持っている。この能力は、かぐや姫のせいではなく、制御ができない。

例えば、腋からマタタビの匂いを発している人間がいたとしよう。するとその人の腋は常にネコたちに狙われることなる。ネコに付きまとわれた人はネコのことを嫌いになってしまうだろう。これは、人が悪いわけでもネコが悪いわけでもない。

同じようにかぐや姫のチャームの能力には、人類は逆らえないという設定にこのアニメではなっている。理性が強ければ避けられるという風な描かれ方はされていない。かぐや姫の姿を見たり、演奏の音を聴いたりするとチャームの魔法にかかってしまうのだ。

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このチャームの魔法を証明するシーンがある。1時間8分55秒のカットでこのワンカットで20秒、まったく同じのように見えるシーンがある。動きのないように見えるこのシーンだが、実は蝶々が飛んでいる。この蝶々が何かと言うと、日本の古典に詳しい方はご存知の通り吾妻鏡に出てくる怪異が人を化かす時に出てくる象徴的な表現なのだ。それを高畑監督は、日本人ならわかるだろっと20秒間蝶々が飛んでいたら、それでこの男たちが今、魔法にかかっているという状態が説明できたと考えていたという。

この瞬間5人の貴族たちは、かぐや姫のチャームの魔法にかかっている。もちろん噂を聞いてかぐや姫のところに駆けつけたのは単なるスケベ心なのだが、チャームにかけられた以後は、かぐや姫に無理難題を押し付けられて3年間、財力、体力、時間を費やさせられた被害者なのだ。

おじいさんがかぐや姫の望みを押し殺して、通俗的な女の幸せを押し付けている。だからおじいさんもクズだという人もいるが、おじいさんのかぐや姫に対する愛情というのもかぐや姫の幻術の1つ。だから、おばあさんにはかからない。おばあさんには、かぐや姫のチャームの魔法がかからないから、彼女とナチュラルに接することができたのだ。チャームの魔法で知能も下がったおじいさんは、自分の思いついた稚拙な方法でしかかぐや姫の幸せを願えなくなっているという。

作品中では、かぐや姫のチャームの魔法が女性にかかることはなく、村人、家庭教師、女中たちも一貫してかぐや姫と普通に接している。

結果として、かぐや姫のチャームの魔法から捨丸だけは助かっている。かぐや姫はチャームの魔法で捨丸をたらし込み一緒に逃げようとする。だが空を飛んでいる最中に月からの光を受けてかぐや姫は墜落する。すると捨丸は、記憶はあるのにそんな時間はなかったかのように時間が巻き戻された状態で目を覚ます。捨丸は月の光により助けられたのだ。

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次に怪力・疾走。これは作画の見事さや、かぐや姫の心情にシンクロしすぎて見逃しているという。顔を強引に見ようとした貴族に怒ったかぐや姫は、貝合わせの貝を素手で壊してしまう。絵コンテには、割れるはずのない貝が割れると書いてあり、人間の手では割れないものを割ってしまう怪力を発揮したことになる。

その後、服を脱ぎながら家を出る時もふすまを2枚吹っ飛ばしているので、見逃してしまうのだが、3枚目は厳重に貫木がかかった扉を突破しているのだ。明らかに人間の力ではない超常の力で山の中へ走っていく。

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最初は普通に走っているかぐや姫が、次第に前かがみになり最後は四つん這いで走っているのが描かれている。一連の流れで見ればかぐや姫の疾走という風に見てしまうが、コマ単位で見るとかぐや姫は四つん這いで走っている、つまりこの時は獣になっている。人類ではないとは言わないが、人狼的な動きをしている。かぐや姫が本気になったら人間では壊せないものを壊して、人間では走れないような距離を四足で走る能力があるということを表しているという。

演奏・機織りについて。家庭教師からずっと教えられていた琴の演奏も嫌がってやらなかった。ところが目の前におじいさんが来ると急にうまく演奏する。周りに男の目があると急に演奏能力が上がるのだ。ところが、機織りだけはいつまで経ってもうまくならない。なぜかというと機織りの時は、近くにいるのがおばあさんだから。このように男がいる時にだけ上がる能力をかぐや姫は多数持っている。

透明化について。家まで会いに来る帝。帝が出てくるシーンには必ずトンボが飛んでいる。トンボというのはアキツシマ、つまり日本の古い言い方で日本の象徴であると同時に、トンボが交尾している形に日本列島が出来上がったという古事記の記述があるので、帝はセックスする気満々でここに来てますよというのを象徴するのにトンボを飛ばしているという。

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後ろから帝に抱きつかれて、嫌がるあまり透明になって逃げるかぐや姫。透明になって逃げるポイントは、帝が誤ってもうしないと言うと実体化したこと。つまり、かぐや姫は透明化の能力を自分で意識して使いこなせるということ。本当はか弱い女ではなく、地球人にはないような能力をたくさん持っているスーパーガールなのだ。こんなすごい能力を持っていながら自分のことを幸せにできなかった女のコというのを描こうとしているという。

最後に飛翔。捨丸と再会した時に空を飛んだ飛翔。捨丸と地面スレスレを飛んでいる時にお地蔵様のような道祖神を拝んでいるおじいさんがいたのだが、そのおじいさんからは2人の姿は見えていないなど、色んな特殊能力があるのがわかる。

月からの超常能力だが、転生というのは、月から降りてきた方法だ。おじいさんに与えていたお金や衣は、かぐや姫を育てていたお礼なのだが、おじいさんは半年ぐらいで都に大きな屋敷を建ててかぐや姫を連れて行き、家庭教師をつけて貴族たちと見合いをさせることに成功している。おそらく、おじいさんにも実力以上の何かの能力が授けられていると考えられる。

幸運もそうだ。半年足らずで貴族の仲間入りが出来たのも、ラックの魔法のようなものがおじいさんにかかっていたと思われる。時間巻き戻しと蘇生は、捨丸に会いに行った時に、捨丸は帰ってこないと言われがっかりした時に走り疲れて雪の中に倒れるかぐや姫。するとそこに月から何か飛んできて、気が付くと服が元に戻っていて、元いた所で寝ているというシーン。

これも捨丸に会いに行ったのが夢だったのかどうか、おとぎ話だからわからないように描いているのかと思ってしまう。かぐや姫は昼間雪の中で倒れたのに、背景に月が出ているのは一晩経ったからではない。ふっと倒れる⇒姫の周りを和製ティンカーベルが踊りだす(時間が戻っている)と絵コンテに描かれている。つまり時間の巻き戻り現象がここで起こっている。実は、かぐや姫はここで一度凍死しているという。

凍死して目が覚めたら、強制的に生き返らされて(蘇生)自分の部屋の中で目覚める。時間が戻されただけではなく、蘇生までされているという。これがどういうことかと言うと、かぐや姫というのは死ねない体なのだ。月の人たちは不老不死なので、自分で死にたいと思わないと死ねない。だがかぐや姫が自分で死にたいと思うと、それがSOS信号になって月から迎えが来てしまうという装置になっている。

それまでは事故でも死ねない不老不死の体なのだ。たくさんの怪しい能力を持ち、見るものを幻惑させるので、捨丸、貴族、帝がみんなクズだというのは、間違いだという。それはかぐや姫の持つ超常能力のせいなのだ。だが、超常能力はかぐや姫自身も被害者で、そんな力を持っているかぐや姫は、周りを不幸にするから罪を償ったらすぐに月に戻ってこいという月からのメッセージなのだ。

話の構造

月の側からすれば、姫が帰ってくるのは当たり前のこと。だがそれを月の側ではなく、かぐや姫の主観だけで描いてしまう。そのかぐや姫は、視野が狭くてわがままな女のコとして描かれているので、私たちには、話の主流(月側の立場)が見えなくなってしまっているという。

原作は竹取の翁の物語でおじいさんが主役の物語。それがかぐや姫の物語にされたというのが最大のポイント。おじいさんが主役の話を女のコを主役にしてしまった。元々は竹の中に赤ん坊がいて、その娘を育てたけどその娘が月に帰ってしまった。残される側の寂しさや切なさを本来描いていた。

この枠組みは、貴種流離譚という神様や英雄が生まれ故郷を追放されて彷徨い、試練を乗り越えたり、罪を償った結果、尊い存在になって元の国へ戻るという世界中にある物語の類型の一種。

かぐや姫というのは、より良い神になるために地上で苦労をして罪を償い、天上に帰る必要があるのだ。おじいさんというのは、その場に居合わせてたまたま姫に心を惹かれてしまい、尽くそうとした結果悲しい目にあうというのが民話的な構造だ。

しかし高畑監督は、かぐや姫の方を主役にした大転換を行った。これは「おもひでぽろぽろ」のリベンジで、テレビの中の東京に憧れて東京に出てきた女のコが、また田舎に戻るみたいな話という風に考えると竹取物語をどれだけダイナミックに変えようとしたのかがわかる。同時に天空の城ラピュタの構造のアレンジでもあるという。パズーがおじいさんでシータがかぐや姫。シータを主役した天空の城ラピュタというのを考えてみるとこうなる。

シータかぐやが天から降ってきて、何があっても守ると決意したパズー翁。だがシータは、ムスカ帝やドーラ一家貴族たちにさらわれてしまう。そして遂にシータは1人ラピュタに帰っていく。ラピュタの光を受けたシータは、パズー翁にやさしい言葉をかけることなく帰っていくだった。

おまけに高畑監督は、登場人物の誰にも感情移入しない作家なんだという。登場人物の誰かに自分の本音や信念を語らせたりしないのだ。見ている人にも、登場人物にあまり感情移入しないで欲しいという作家だという。なので、キャラが発しているセリフにテーマを探してはいけない。

かぐや姫の物語に限らず、火垂るの墓にしてもおもひでぽろぽろにしても、高畑アニメというのは、このレベルで研究しないとあまり面白くない。だから見たけど、あまり面白くなかったというのは、私たちがジブリの宮崎アニメに慣れているから。宮崎アニメというのは見たら面白い、面白いことに対して監督が責任を持ってくれる。でも高畑監督は、面白いことには責任を持たない。そうではなく本物であることに責任を持っているので、ディズニーランドとゴシック建築の差があるのだ。どっちが好きかなのだが、ディズニーランドのつもりで神社に行っても面白くないわけだ。でも私たちは、ついついアニメってそんなもんだって考えてしまう。そこがわからないから、表層に出てくるテーマやセリフのみで高畑アニメを見てしまうと、どうしても中途半端な面白さに見えてしまうという。

さらにかぐや姫は魔法少女まどかマギカの大アレンジであるということを見つけたという岡田さん。この面白そうな話は有料でした。いつもながら残念です。

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