嘘か本当か分からない話

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幽霊船の真実はコナン・ドイルの創作だった!?海の伝説は謎に満ちている!

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幽霊船の話は、何世紀にも渡り人々を惹きつけてきた。呪われた者の魂が操る無人の船、乗組員全員がこつ然と消えたメアリー・セレスト号。広い海は墓場など比べ物にならないほど謎の現象に満ちている。果たして幽霊船は実在するのだろうか?

難破船ローヌ号

海の歴史は怪談に彩られている。死んだ人間が操る幽霊船の伝説、乗組員全員が謎の蒸発を遂げたまま波間を漂い続ける船の話などだ。昔から海には、船に住み着く幽霊の話が絶えない。その舞台の多くは海底に沈んだ船、難破船だ。海底に沈む難破船の数は、300万隻とも言われている。乗員は永遠に眠っているのか?それとも…

カリブ海の有名な難破船ローヌ号では、犠牲者の叫びが聞こえるそうだ。ローヌ号はイギリスの郵便船だった。ごく初期の鉄製汽船で、乗員と郵便物を乗せてイギリスとカリブ海を往復していた。

1867年10月29日、ヴァージン諸島付近で急に気圧が下がり巨大な嵐が発生する。嵐は勢いを増し、他の船は次々と避難していった。しかし、船長は頑丈なローヌ号なら大丈夫だろうと船を進めた。その時、突然雲が晴れた。船の真上にあったのは、台風の目だったのだ。普通の暴風雨ではないと危険な状況を察知した船長は、乗客に向かって体を寝台に縛るように命令した。これは揺れによるケガを防ぐため当時、一般的に取られていた方法だ。しかし、それが悲劇を招いた。

海は荒れ狂い巨大な波が船を襲う。水に触れた高温のボイラーが爆発!船は真っ二つに折れて沈んだ。乗客は寝台に体を縛ったせいで身動きがとれず、嵐の海に引きずり込まれていった。乗客乗員124人が命を落とし、生存者は23人だけだった。

それ以来、ローヌ号はソルト島沖の海底に沈んでいる。ここを観光で訪れるダイバーたちは、ローヌ号から奇妙な気配やうめき声を聞いたという。その理由は、死者の怒りに触れるようなことをしたからなのだろうか?

人間は、水中の音を聞き分けるのが苦手だ。耳が水中で音を聞くようにできていないし、水の中は雑音を多い。どんなベテランのダイバーも海中の音を聞き分けることはできない。音の正体は一体なんだったのか?

海生哺乳類、特に大型のクジラは激しい音を出す。毎年、この海域を訪れるザトウクジラ、その歌は驚くほど複雑だ。ダイバーたちも知っているだろうが、その日は特に近くで聞こえ、不気味に感じたのかもしれない。クジラが見えない場所にいたとしたら、突然説明のつかない音を聞くことになるのだ。

クジラの歌声以外の可能性を考えてみよう。ヴァージン諸島は活断層の上にあり、1年に400回ほど地震が起きる。潜っている最中に地震が起き、船がきしんだのかもしれない。自然の音と心理的な要素、そして音響効果が死者たちの声を作り上げたのかもしれない。

しかし、こうした恐ろしい声や奇妙な現象は海の伝説に共通するものだ。科学では説明のつかない謎があるのだろうか?

人間が航海を始めて以来、幽霊船や海の底から現れる怪物の話は後を絶たない。大いなる海の前では、船など無力だ。打ち寄せる波は危険と悲劇をはらんでいる。気象衛星もGPSもなかった頃、船乗りはふしぎな現象の説明を伝説に求めた。

ホメロスの「オデュッセイア」には、船を飲み込むカリュブディスや船乗りを捕らえて食べるスキュラが登場する。未知の海域は、地図上で〝ドラゴン注意〟とされた。海の怪物の伝説は、19世紀にも健在だった。海は謎の多い場所で、宇宙よりも知られていないのだ。

幽霊船メアリー・セレスト号

危険な海に立ち向かうため、船乗りは縁起をかついた。命に関わるジンクスは、今でも信じられている。海に共通する教えは1つ、〝海の力を敬え〟だ。なぜなら人間と海を隔てるのは船ひとつだからだ。大海原で2隻の船が出会った場合、危険な状況を共有する者同士、あいさつを交わす。だからこそ遭遇して何より恐ろしいのが無人の船、幽霊船だ。

おそらく歴史上、最も不気味で有名な幽霊船は、メアリー・セレスト号だ。1872年、デイ・グラシア号はジブラルタル沖を帆走していた。その時、船長のムーアハウスが8キロ前方に帆船を発見する。点ほどに見える船に彼らは近づいていった。

それは不気味な船だった。帆はずたずたになっていて、舵は自由に回っている。甲板のコンパスは壊れていたという。見つかった地図が示す目的地はアゾレス諸島だった。発見地点から500~600キロも離れた場所だ。

人の気配はなく、何百と積まれた酒樽は手付かずのまま。乗組員の雨具や私物も残されていた。調理室には食事が用意されていて、いれたてのお茶も残っていたという。おそらく、乗組員たちはすぐに船に戻るつもりだったのだろう。船を見捨てるのであれば、舵を固定するなどの措置をとったはずだ。

デイ・グラシア号は、この船を港へ曳航していった。幽霊船の噂は瞬く間に広まった。何が起こったのか?ブリッグス船長夫妻とその幼い娘、そして7人の乗組員はこつ然と姿を消した。乗っていた人が全員、行方不明になった船が海を漂っていたのだ。想像は無限に広がる…。

ムーアハウス船長は、船を港まで曳航した報酬を要求した。当局は彼を疑い、無人の船を偶然見つけたという話を怪しんだ。話はジブラルタルの検事総長の耳にも入った。船の状態があまりにもよかったために、彼も不信を抱いた。そして、2隻の乗組員が共謀して報奨金の搾取を狙ったのだと推察した。

検事総長は公聴会を開いたが、詐欺の証拠は見つからなかった。公聴会の様子は、連日報道され奇妙な詳細を明らかにした。いわく〝船長室で血まみれの剣が発見され、血痕もあった〟と。不正を暴くために始まった調査は、犯人をめぐる大推理に発展した。

乗組員の暴動?だが争った形跡はない。世間が噂で持ちきりになる中、ある話が投稿された。ジェイ・ハバクック・ジェフソンの証言だ。この暴露話の著者ジェフソンは、メアリー・セレスト号の乗客とされた。ジェフソンによると船は呪われていて、邪悪な乗客が乗員や船長たちを脅し、ついには殺害したというのだ。

証言は反響を呼び、謎への答えが出たかと思われた。だが実際はどうだろう?初航海に出た直後に船長が重病になり引き返したという不気味な船ではあったようだ。結局、船長は助からなかったという。次の所有者ブリッグスも呪われていたという。近い親戚はみんな、海で非業の死を遂げていたのだ。給料は高いのに乗船を拒む船乗りもいたという。呪われた船だと考えたからだ。

乗客乗員の謎の蒸発に捜査当局は困惑し、大衆は興奮した。他殺も疑われた。血の付いた剣や手すりの血痕がその根拠とされたのだ。だがサビなのか血なのかはわからず、手すりの血も魚をさばいた時に付いたのかもしれない。では失踪の原因とは何だったのだろうか?

ジェフソンの証言の信ぴょう性はどれほどだろう?驚くべき話の内容にイギリスとアメリカの政府は、公式にジェフソンを探し始める。だが、彼は架空の人物だったのだ。創作したのは、若きコナン・ドイル。後のシャーロック・ホームズの生みの親だ。ドイルは匿名の投稿で世間を騒がせ、その評判を後に利用しようと思ったのだろう。すべてはつくり話だったのだ。ジェフソンという乗客も殺人事件も、いれたてのお茶の話もだ。

しかし謎は残る。北大西洋を無人で漂っていたメアリー・セレスト号。船長一家と乗組員に何が起きたのだろう?積み荷にひみつがあるという。調査員が興味深い記録を残していた。酒樽が5つほど割れてアルコールが漏れていたというのだ。長年、このアルコールは酒だと思われてきた。しかし、貨物の大半は工業地域で積み込まれている。そこで作られるのは酒ではなく、ホルムアルデヒドやエタノールのような有害物質だったのだ。

アゾレス諸島付近で嵐にあったメアリー・セレスト号、乗組員たちは船室に避難した。ところが揺れで樽が割れ、有害物質が流出、有毒ガスが立ち込める。嵐が去ると乗組員たちは甲板に出た。そして、救命ボートに退避し換気が済むのを待った。だが、帆をたたみ忘れていたため、風が吹き始めると船は勢いよく帆走を始めた。ボートは追いつけない…。大勢を乗せたボートは曳航されていてもスムーズに進めないのだ。ロープはボートの重みに耐えられず切れてしまい、広い海の真ん中で全員がボートに乗り離れる船を眺めていただろう。船が発見される頃には有毒ガスも消えていた…。

メアリー・セレスト号、ローヌ号、海の伝説は冒険と危険、そして謎に満ちている。しかし、よく調べてみればその伝説は霧のように実態がないものだった!?信じるか信じないかは、あなた次第です。