政府からの発注によってロッキード・マーティン社とレイセオン社では、米軍のためのエクソスケルトン(パワードスーツ)を開発中だ。これを着用すれば、歩行や走行の際の負担を減らし、重い物も軽々と持ち上げることができる。
現代版スーパーマンとなれるこのマシンは、空を飛ぶことこそできないが、更に開発が進めば人と機械との関係は、驚くほど進化することとなる。しかし、この素晴らしい技術を古代の人類がかつて持っていた可能性はないのだろうか。
誰もが神のような力を持てる
エクソスケルトンとよく似た技術が遠い昔に、例えばピラミッドの建設などに使われたとして、何の変哲もない人間がマシンを装備した途端に神のような力を得て重い石を軽々持ち上げてしまうのだ。それを見ていた人々は、神の力だと驚き崇めただろう。ただ機械の操作ができるというだけで。つまり、古代の神々は神のような力を発揮できる科学技術を持っているに過ぎなかったのではないか。
元来、人間には知性や強さ、特別な力を得ることで体と精神を極限にまで高めたいとする願望が備わっているのだろう。その理由は長い間、人類よりも優れた者たちに魅了されてきたからかもしれない。その者たちが人間ではないなら、別世界から来た神、或いは宇宙人に違いないのだ。
テクノロジーは暴走したり悪用されたりするもの
しかし、科学の発展によって恐ろしい結末が待っているのかもしれない。何の変哲もないありふれた者が、上り詰めて支配者や神になろうとする物語は数多く存在する。こうした者は、大抵道を誤って滅ぶ。物語が風化してしまえば、時代を超えて同じ話が語り継がれている。これは、権力は腐敗するものだから力を求めるにあたっては慎重になるべきという教訓なのかもしれない。
現在の人類が推し進めた科学の全てが最先端だと言えるのだろうか。我々のDNAには、超人的な力を得たいという願望が埋め込まれているのだろうか。人間は、かつて地球に住んだ者たちにいよいよ追いつこうとしているのかもしれない。それらは本当に神だったのか?太古の昔に人間の祖先となった異星人だったのか。現代の我々より、何千年も進んだ技術や能力を持っていたのではないだろうか。時が経ち科学技術が進歩すれば疑問は解明されるだろう。もしくは、異星人が戻った時に全てが明かされるのかもしれない。