一線を超えたとか超えないとかゲスいスキャンダルで世を騒がせる政治家たち。しかし、明治時代にはそんな週刊文春、週刊新潮に負けない不倫スキャンダルで国民を騒然とさせた政治家がいた。しかも、こともあろうかその人は現役総理大臣だった。
総理大臣の不倫というセンセーショナルなスキャンダルを報じたのが、萬朝報(よろずちょうほう)。明治時代、数々の権力者のスキャンダルを執拗なまでに追求した日本におけるゴシップ誌の先駆け。記事の中で住所まで晒すその手口は文春砲も真っ青の破壊力。
伊藤博文のスキャンダル
そんな明治時代のゴシップ誌の餌食となったのが、初代内閣総理大臣・伊藤博文。
時は明治18年。伊藤博文(当時45歳)。海外事情に詳しく優れたリーダーシップが認められた伊藤博文。だが裏の顔は、女性がなにより大好きなゲス総理だった。
当時、博文には東京、大阪、広島と全国各地に何人も愛人がおり、面倒を見ている芸者の元へ出張の度に訪れたのだ。それをいち早く報じたのが、当時の権力者が恐れ慄いたゴシップ誌萬朝報の記者。ここから日本が震え上がる文春砲ならぬ萬砲が繰り出される。
当時、博文が特に可愛がっていたのが自宅で大工として雇っていた田村半助の娘・喜勢子。そんな愛人に豪邸をまるごと一軒プレゼント。しかも場所は高級住宅地・麻布。間接的にも国民の税金から支払いなど許すまじと、ゴシップ誌萬朝報が怒りの鉄槌!なんとその愛人の名前も豪邸の住所までも記事に記載。
天皇の忠告にも耳を貸さない女好き
その事態を重く見て動いたのが、明治天皇。
「伊藤よ、女遊びはたしなめてはどうか?」
という天皇の重き忠告に対して伊藤は
「私は財産や豪邸など要りませんぬ。ただ、公務の間に芸者の相手をするのが何よりも好きなのです。」
と答え、女遊びの何が悪いと開き直る始末…
しかし、この記事の影響か博文の愛人・喜勢子が病死。さすがの女好きに博文もこれで懲りたと思いきや、さらにとんでもない女性問題が報じられる。
愛人の妹2人も愛人にした
喜勢子の死後、博文はまず喜勢子の妹・つね子を愛人に。さらにつね子が亡くなると父に莫大な金品を与えて、その妹の雪子までも愛人になるように要求したのだ。しかも雪子は当時まだ16歳という若さ。
萬朝報が“父親に金をチラつかせて美人姉妹を次々に愛人する総理”と報じたことで、国民全員の知るところとなったのだ。