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【都市伝説】ピラミッド建設の時期は通説とは大きく違う!クフ王の墓説はデタラメだった!?

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エジプト・ギザ。ここナイル川の西岸に世界七不思議の1つと言われる大ピラミッドが建っている。このピラミッドに関しては、紀元前2500年ごろにクフ王の墓として建てられたという説が広く受け入れられている。

だが、大ピラミッドの建造年代とクフ王との関連性については、1837年5月にイギリスの探検家、リチャード・バイスが発見した証拠のみに基づいている。

ピラミッドの謎

クフ王の名前を表す象形文字

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バイス大佐は、爆薬を使ってピラミッド内部の壁を爆破し隠された複数の部屋の中に入った。そして、最上部の部屋の天井にクフ王の名前を表す象形文字が書かれているのを見つけたと言われている。

エジプト学者たちはそれを証拠にして、大ピラミッドはクフ王の墓でその同時代の紀元前2500年ごろに建てられたものだと推測している。石には炭素年代測定法が使えず、クフ王の名前を表す象形文字以外は何も記されていないことから、この年代に異論を唱えるものは少ない。だがバイス大佐の個人的な日記の中にあった新証拠によって、彼の発見が疑問視されている。バイス大佐が自らクフ王の名前を書いたと考える者もいる。

バイス大佐の日記を調査するとその中に矛盾があったという。王の名前を探していた彼は、ある夜の日記に象形文字のようなものはないと記していたのだ。ところが3年後に発行された著書には、発見したと書いている。

矛盾する証拠が明らかになった後、2014年ドレスデン大学の2人の学生がクフ王の名前を書くのに使われた塗料のサンプルを採取し分析を依頼していたことがわかった。サンプルの量が少なすぎた為、放射性炭素年代測定はできなかったが衝撃的な結果が出たという。その顔料は、建造時の石灰岩の上ではなく修復後の漆喰の上にあったものだったのだ。この発見は、ピラミッドの建設当初ではなく後の時代に王の名が書かれたことを示している。

バイス大佐は、大ピラミッドの真実を明らかにしようと莫大な資金を投入して調査を行った。何も発見できないことに焦り、クフ王の名前を表す象形文字を真似てピラミッドの壁に書いたのだろうか。そしてそれによって不正確な建造年代が通説になったのか。興味深いことにギザ大地にある建造物の年代には、他にも矛盾する証拠がある。

通説によるエジプト学者たちの思い込み

1858年に発見された目録碑版という紀元前7世紀の石版には、クフ王によってスフィンクス像などの修復工事が行われたことが記されている。クフ王の息子が建てたとされるスフィンクスをどうしてクフ王が修復できるのだろうか。クフ王の時代、スフィンクスはすでに古かったということになる。

ギザにある遺跡全体の年代が誤っているのだろうか。地質学者が雨による侵食跡をもとにスフィンクスは紀元前1万500年ごろに建てられたものだと推定し、エジプト学者の間に波紋が広がった。提示された証拠を見ないうちから、そんなの古くはないとエジプト学者たちは騒ぎ立てた。科学的な調査に基づく証拠にも関わらず通説に合わない情報は受け入れようとしなかったのだ。

スフィンクスのように大ピラミッドもエジプト学者たちの許容範囲を超えるほど古い時代に建てられたのかもしれない。