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【都市伝説】実は奇祭だった!?天神祭の謎に迫る!

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大阪夏の風物詩、天神祭。鉾流神事にはじまり、勇壮な催太鼓、陸渡御、船渡御、ギャル神輿、クライマックスに花火まで実に盛りだくさんのイベントの数々。ひとつの祭りでこれほどまでに沢山の行事があるのは、他に類を見ない。

天神祭は、菅原道真公を祀った大阪天満宮の祭りとして知られているが、天神祭だけでなく全国各地で行われている道真を祀った祭りはどれも多種多様。福岡では、木でできた鳥を次々に交換し(福岡・太宰府天満宮)、山形では化物が酒を振舞う(山形・鶴岡天満宮)。同じ人物を祀るのにどうしてこれほどまでに多様な祭りが生まれたのか?そこには菅原道真の波乱万丈な人生が深く関係していた。

道真公の怨霊

今から1100年前の平安時代。子供の頃から学問に秀でていた道真は、天皇の覚えもめでたく当時としては異例の大出世を果たす。周囲の人々からも慕われていたのだが…。権力闘争に巻き込まれ無実の罪で太宰府へ左遷、そのまま無念の死を迎える。異例の大出世からの悲劇の転落、その怨念は人々を恐怖に陥れた。

京の都は天変地異に見舞われ、疫病が大流行。さらに宮中に雷が直撃、大臣ら6人が犠牲になった。死して尚、怒り狂う道真。その鎮魂の地として選ばれたのが雷の神様を祀っていた北野だった。この地で雷の神様と合体した道真は天神様と呼ばれ崇められることになる(道真の怨霊+雷神=天神)。

道真を祀れば祟りが止む。そう評判になり各地に天満宮が建てられた。そして、彼の波乱万丈な人生を象徴するかのように様々な祭りが誕生していく。

左遷への哀れみから生まれた太宰府天満宮の「鷽替え神事(うそかえしんじ)」。木でできた鷽という鳥を取り替えることで、不幸を幸運に取り替え、なかったことにする祭りだ。

人々に慕われた道真を偲んだのが、鶴岡天満宮の「化けもの祭り」。かつて左遷される道真に人々が変装して会いに行き、酒を振舞ったことを再現している。その他にも牛好きだったことから、生きた子牛が当たるくじ引き(山口・防府天満宮)がある。

道真公へのおもてなし

そして大阪天神祭。一体なぜこれほどまでに盛りだくさんのお祭りとなったのか?それは平安時代のこと。京都でたくさんの人が道真の怨霊によって死んだことを知っていた大阪の人々は、中途半端なことをして道真公の逆鱗に触れたらたまらないと過剰なまでに気を使った。

大阪は広いので、道真公にどこかで休憩してもらわないといけないと大阪の人々は考えた。しかし、道真公の休憩所、御旅所を勝手に決めて怒らせるわけにはいかない。そこで生み出されたのが、鉾流し神事。木でできた鉾を水に流すことで、道真公自身に場所を決めてもらおうとした。

さらにほんの少しの距離でも、歩いてもらうのは恐れ多い。こうして生まれたのが陸から岸部まで神輿で道真公を運ぶ陸渡御。川岸から船で御旅所までお渡しするのが船渡御。もちろん船上での接待も忘れない。江戸時代には祭りのクライマックスを飾る奉納花火もスタートする。

こうして天下の台所とも呼ばれた商人の町・大阪らしくありとあらゆるおもてなしが付け加えられていき、天神祭は日本三大祭りに数えられるほど壮大な祭りにまで発展した。