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【都市伝説】エリート文豪・永井荷風のゲスすぎる女遊びと禁断の趣味が耽美な作品を生み出していた!?

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父は内務省の官僚というエリートの家で育った永井荷風は、19歳で作家デビュー、出版した小説は10本以上が映画化され晩年は、その功績が認められ文化勲章を受章した。

そんな永井荷風は、多くの名言を残したことでも知られている。

「世間のつまらぬ不平や不愉快を忘れるには、学問に遊ぶのが第一の方法である」

勉強することが一番嫌なことを忘れられるという名言を残した。しかし、裏の顔は学問よりも女が好きなゲス作家だった!

永井荷風のゲスっぷり

私生活では1912年(大正元年)、父親の勧めで材木商を営む大会社の令嬢と見合い結婚をしたのだが、新婚にも関わらず遊女と浮気三昧。そして翌年、父親が亡くなると父親が決めた結婚相手と離婚し、贔屓にしていた新橋の芸妓・八重次(やえ)と再婚する。

しかし、永井の女遊びはとどまるところを知らず、再婚した妻・八重次とはわずか半年で離婚したばかりか、「僕は自分のやりたいことはドンドンやって楽しむ。楽しんだことは後で後悔しない。」と自らの浮気を肯定した。

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それを裏付ける写真がこちら。そこには芸者に囲まれ満面の笑みを浮かべるゲス作家の姿が(笑)。この後、エリート作家・永井は女遊びのためにとんでもないものまで造ってしまう。

それは熱を上げていた麹町の芸者・歌へのプレゼント。なんと永井自らが遊郭のオーナーになってしまったのだ。そして残した名言が…

「どんな女でもいいのだ。私を有頂天にさせてくれるならどんな女でもいいのだ」

ゲスの極みというか、ここまで堂々と言われると憧れさえ抱いてしまう(笑)

永井荷風が行き着いた禁断の趣味

さらに永井はもう一つの恐ろしい裏の顔を持っていた。自らが経営する遊郭の押入れに小さな穴を開けて、連日やってくる客の行為をのぞき見していたのだ。しかも覗いて自分が満足したか否かで料金を変えていたという。

実は永井は、作品のために自分の目で確認しないと一行も文章を書かなかったそうだ。永井の耽美な小説の数々は、こうした奇癖の産物だと言われている。

今の時代でも私生活など関係なく、残した作品を評価されて文化勲章をもらうことはできるのでしょうかね?