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明治維新が5分で理解できるように日本を会社に例えてみた!

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千年以上続く老舗商社・日之本商事。経営権は東京本社の江戸社長が握り、創業者の帝会長は、京都で隠遁生活を送っていた。ところが…

明治維新 もし日本が1つの会社だったら

黒船来航

ある日、アメリカの貿易会社から強引な契約を迫られる。

江戸社長「もう少し待ってください。契約を結ぶには会長の許可が必要なんですよ」

アメリカ貿易会社「うちと手を組まないとどうなるか知りませんよ?」

江戸社長「まさか…(ひょっとしてあの会社のようになってしまうのか)」

それは隣にある中国系のライバル会社のこと。イギリスの商社と摩擦を起こし会社を乗っ取られそうになっている。

歴史メモ

南京条約(1842年):清(中国)はイギリスとアヘンの売買で戦争。香港をとられ不平等な条約を結ばされる。

 

アメリカはその驚異から守ってやるという。腰が引けた江戸社長は、あろうことか会長の許しもなくアメリカと契約を結んでしまった。しかし、その契約内容は一方的なもの。輸入にかかるの税金は払ってもらえず、不良品でも文句は言わないというものだった。

歴史メモ

日米修好通商条約(1858年):日本は輸入品に税金をかけられず、外国人が罪を犯しても裁くこともできない

 

それを知った社員たちは、会長に無断で契約を結んだ江戸社長に対して不満が噴出。直接抗議する者まで現れた。これを収めるために江戸社長は、大リストラを決行!取引に反対した社員を次々に切ったのだ。

歴史メモ

安政の大獄(1858年):幕府の大老・井伊直弼は自分に盾つき外国人を打ち払えと意気込む攘夷派を大量に処刑

 

すると社長の側近が強姦に襲われる事件が発生。アメリカの企業が乗り込んできたことが、血で血を洗う内部抗争に発展していく。

歴史メモ

桜田門外の変(1860年):大獄の報復によって井伊直弼を暗殺。徳川幕府の威信が揺らぎ始める。

 

この事件をきっかけに騒動は地方の支社にも飛び火する。山口の支社長・長州は早くから江戸社長の限界を感じ、帝会長を表舞台に引っ張り出そうと考えていた。そこでもう放っておけないと判断した長州は、会長の元を訪れて帝会長の復帰を願い出た。しかし、会長は首を縦には振らなかった。

このことが江戸社長の耳に入ると、長州への怒りを募らせた社長は一人の男を呼び出した。それは鹿児島の支社長・薩摩だった。社長の命を受けた薩摩は、長州を会社から追い出してしまう。実は、薩摩と長州はどちらも外国との取引には反対だった。だが江戸社長に対しての意見が食い違い対立してしまったのだ。この件で長州は薩摩に深い恨みを抱くようになる。

歴史メモ

八月十八日の政変(1863年):薩摩を中心とした徳川派が天皇派の長州を一部の公家と共に京都から追放

攘夷運動の加速

それから、薩摩は江戸社長から長州への対応を再三指示されることになる。始末書を書かせろ、給料を返させろ、損害賠償金を取ってこいなど。薩摩は長州の後始末のために何度も山口へ。長州のあまりの扱いにやがて薩摩は、社長に対して不信感が芽生えていった。そこへ現れたのが、元高知支社社員で今はフリーランスの坂本だった。

元々、外国との取引には反対だった薩摩と長州、それを知っていた坂本が2人を説得。坂本の粘りが功を奏し、2人は江戸社長を辞任させるため助け合うことを約束する。

歴史メモ

薩長同盟締結(1866年):坂本龍馬の仲立ちで薩摩と長州が手を結び、軍事的に助け合うことを約束。

 

薩摩と長州が強大な勢力となったことが社内に広まり、それはやがて他の支社にも影響を及ぼす。高知支社長の土佐は、薩摩に江戸社長が辞任するように説得しようかと連絡を入れていた。土佐は、江戸社長の時代はもう続かないと判断、薩摩と長州の動きに乗り遅れまいとしたのだ。

本社を訪れた土佐は江戸社長に、「会長との権力争いに敗れたら、社長は経営に口を挟むことができなくなる。そのためにも先に経営権を会長に返すべき」と進言する。それこそが会社のためになる勇気ある決断だと言い放ったのだ。

数日後…本社の会議室に全支社の責任者が集められた。そこで社長は、自身が辞任することをみんなに告げる。こうして江戸社長は辞任。帝会長を中心とした新体制に生まれ変わっていく。しかしこの後、さらに泥沼化した内部抗争に発展していく。

歴史メモ

大政奉還(1867年):15代徳川慶喜が政権を朝廷に返上、260年続いた江戸幕府が幕を下ろす。