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【神社ミステリー】伊勢神宮が三重県にあるわけとは!?大和朝廷の侵略が出雲大社を生み出した!?

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初詣、お宮参り、七五三、日本人にとって欠かせないのが神社。日常の中には、常に神々との繋がりがある。現在、日本にある神社の数はおよそ80000社。立派な社殿を持つ神社はもちろん街中にも小さな祠があり様々な神が祀られている。

神社ミステリー

古くから日本人は、八百万の神々を信仰してきた。しかし、我々日本人は神社のことをほとんど知らない。例えば、住吉大社は第一から第四までの4つの本宮があり、それぞれに違う神が祀られている。その中で安産祈願をするのであれば、神功皇后が祀られている第四本宮にお参りするのが正解なのだ。

神宮と大社の違いとは

また一口に神社と言っても伊勢神宮や出雲大社のように、神宮、大社と呼ばれる神社がある。実は、この2つには他の一般的な神社との大きな違いがある。まず神宮とは、皇室に縁のある神、歴代天皇を祀る神社のこと。かつては、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮のみが神宮を名乗っていたが、平安時代に香取神宮、鹿島神宮、明治時代以降に平安神宮、橿原神宮などが相次いで創建された。

そんな天皇家との繋がりが強い神宮に対し、大社とは地域の信仰の中心となる土着の神を祀る神社。かつては、出雲大社のことだけを指していたが、今では春日大社、諏訪大社などもよく知られている。神社の呼び名の違いとは祀られている神様の違いなのだ。

では八百万(やおよろず)と言われる日本の神、実際にはどれだけの数が存在するのか?神々について記されている古事記と日本書紀、これら神話に登場する天照大神、素戔嗚尊と言った神の数は合わせて327柱。だが神社に祀られている神は、神話に登場する神だけではない。

例えば、天神さんの相性で親しまれている太宰府天満宮。天満宮や天神神社、ここに祀られているのは菅原道真。死後に祀られて神になったパターンだが、人を神として祀る神社は数多い。戦国時代の武将や東郷平八郎と言った軍人も祀られ、戦没者を祀る靖国神社では全ての英霊に神の呼称がつけられている。これらを神として考えると靖国神社だけで246万柱の神が存在する。

誰を神として祀ろうと自由で、誰に許可を得る必要もない。日本の神は常に増え続けている。そんな知っているようで知らない神社の謎に迫ります。

伊勢神宮はなぜ三重県にあるのか?

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お伊勢さんの名で親しまれ毎年800万人近くの参拝者が訪れる伊勢神宮。祀られているのは、天皇の祖先であり日本人の総氏神とされる天照大神。天照大神を祀る内宮と豊受大神宮を祀る外宮が有名だが、それぞれの別宮、摂社、末社などを合わせると125もの社があり全体を指して伊勢神宮である。

そんな誰もが知る伊勢神宮に大きなミステリーがある。それはなぜ、京都や奈良ではなく三重にあるのか?都があった奈良や京都、さらに日本の中心である東京からはなお遠い。そんな三重になぜ日本の神社の頂点と言われる伊勢神宮があるのか?その謎を解き明かすカギは天照大神にある。

そもそも天照大神は高天原(たかまがはら)という神の国にいる。代わりに天照大神の孫であるニニギノミコトが降臨すると、剣、玉と共に天照大神の魂が宿る鏡が初代天皇と言われる神武天皇に伝えられた。これがいわゆる三種の神器で、代々天皇が受け継いでいる宝物だ。

だがある時、事件が起こる。天照大神は、初め天皇の住む宮中に祀られていた。しかし崇神天皇の時代、国中に疫病が飢饉が流行し多くの人々が命を落とした。疫病や飢饉が起こるのは、天照大神の力が強すぎるためと考えた崇神天皇は、娘である豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)を神の使いとし天照大神を宮中から出すことにした。

日本書紀によると天照大神は初め「倭の笠縫邑」に祀られたとある。笠縫邑(かさぬいむら)とは、今の奈良県桜井市のあたり。ところが、災いが治まることはなく次の天皇の代になっても神の安住の地を探す旅は終わらなかった。その長い旅路が日本書紀に綴られている。

奈良から滋賀、岐阜へと各地を渡り歩いた倭姫命(やまとひめのみこと)が長い旅路の果てたどり着いたのが伊勢だった。穏やかに流れる五十鈴川のほとりで天照大神がこう告げた。「ここは常世の波が打ち寄せる美しい国。ここに居りましょう」

常世とは海の彼方に存在する理想郷のこと。こうして自然に恵まれ食物も豊富だった伊勢が安住の地となった。この時、倭姫命が建てた小さな祠が伊勢神宮の始まりとされている。

伊勢神宮が、奈良や京都から離れたことには大きな意味があるという。それは大陸から渡来した仏教と大きく交わらなかったこと。大和から離れたことで仏教という大波に飲み込まれることがなかったのだ。古代から続く神道を今に受け継ぐ伊勢神宮、その純粋な信仰の姿は、伊勢にあるからこそ守られてきたのかもしれない。

出雲と大和のミステリー

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日本中の神様が集う神々の故郷、島根県出雲。この地にある日本を代表する神社が出雲大社。大きなしめ縄に24メートルという破格の高さを誇る本殿、その創りは他の神社とは一線を画す。祀られているのは大国主(おおくにぬし)、天上の神ではなく土着の神であり、古事記には国造りを行ったとある。

この大国主、実は関西に縁がある。そのカギを握るのが奈良県桜井市にある大神神社。本殿がなく、祈りを捧げるのは神社の後ろにある三輪山に住む大物主(おおものぬし)。山自体が御神体で日本最古とも言われるこの神社がある場所には以前、出雲という地域があったという。そして島根から数百キロ離れたこの土地に出雲族が住んでいたことがわかっている。出雲大社の成り立ちには、出雲と大和にまつわる古代の歴史ミステリーが隠されている!?

国造りを始めたものの、なかなかうまく行かず悩んでいた大国主。そこに海を照らしながらやって来る神があった。それが幸魂奇魂(さきたまくしたま)だった。幸魂奇魂は自分を祀ってくれるのであれば、国造りに協力すると言い三輪山に住むことを望んだ。

大国主の分身のような存在となった幸魂奇魂は、三輪山に住むことを許されて大物主という名で三輪山に祀られることになった。協力を得て国造りに成功した大国主。ところがそこに天照大神の使いが現れこう告げる。「日本国は、我の子孫が支配するべきである。国を譲りなさい。」

突然現れて国を譲れと言う天照大神に対し、初めは抵抗していた大国主。しかし、次第にその大きな力に敗れ自分を祀る宮殿を建ててくれることを条件に国を譲った。この時、建立されたのが出雲大社。実はこの神話は未だに解明されていない。

この神話は、古代のある歴史を裏付けているとも言われいる。それは、大和朝廷の出雲族への侵略支配説。元々国を治めていたのは出雲族だったが、そこに現れた大和朝廷が力を持ってそれを征服したという説だ。これがもし真実ならばその時、出雲族は根絶されることはなく出雲に住むことを許された。そして両国の繋がりを示す証として奈良の大神神社が残されたというストーリーも浮かび上がってくる。

多くの謎を秘め、全貌が解明されていない出雲と大和の歴史。しかし他と一線を画す出雲大社の荘厳な造り、今も続く考古学的な発見から古代の出雲に相当高度な文明があったことは明らかになっている。神社はまさに歴史の生き証人とも言える存在なのかもしれない。