天皇陛下の御意向を受け、天皇の退位が平成31年4月30日に決まった。同時に30年続いた「平成」が終わり新しい元号になる。次の元号はどうなるのか?世間の関心を集めているが、私たちは元号のことをほとんど知らない。
そもそも元号が誕生したのは、古代中国。時の皇帝・武帝が「建元」という元号を定めたのが始まり。目的は皇帝が自らの力を世に示すこと。以後、ベトナム、朝鮮半島などの王朝でも用いられるようになり、日本で初めて使われたのは645年の「大化」。あの大化の改新の時だった。
以来、歴史の目盛役として1300年以上使われてきた元号は247個。当然のように漢字2文字と思われているが、過去の元号を見てみると4文字の時代もあった。また、改元は天皇が変わるタイミングで行われるというのもつい最近のこと。明治になるまでは、様々な理由でコロコロ変えられていた。
例えば、大地震や大火事、疫病などの災害が起きた時、空に彗星が現れた時など、元号を変えることで災いを断ち切り新たな方向性を示そうとした。他にも珍しい白い雉が献上されると「白雉(650年~)」、赤い雉が献上されると「朱鳥(686年~)」など、とにかくちょっとした出来事で改元されていたのだ。元号を決めているのは誰なのか?ルールはあるのか?元号の疑問を解き明かす!?
知られざる元号物語
元号に込められた想い
「いらっしゃい」
ここは歴史好きのママが営むスナック元号。ホステスたちはみんな歴女、夜な夜な歴史好きが集まり歴史談義に花を咲かせている。
「すいません、初めてで1人なんですけど…」
「若いお客さんなんて大歓迎よ、こちらへどうぞ。初めましてママの大化です。若い子も紹介するわね、応仁ちゃん」
「はじめまして、応仁です」
「応仁!?」
「うちの子の名前はね、全部元号なの!あっちの子は一番最近入った平成ちゃん」
「それにしても応仁って、凄い名前ですね」
「元号ってね、それぞれに願いが込められた素晴らしい名前なのよ」
大化から始まった日本の元号は全部で247個だが、これらは全て天皇自身が考えたわけではない。元号を考案してきたのは、文章博士(もんじょうはかせ)と呼ばれた学者たち。朝廷の下で漢文の解釈などを行う役職で、文字や文献のスペシャリスト。
元号の出典は全て中国の古典。数ある文献の中から漢字を組み合わせ、その時時の願いを元号にした。例えば室町時代、足利幕府に対する反乱が相次ぐようになったことから元号を応仁へ。人々への思いやりによって世を治める…そんな願いが込められていたが思いは届かず応仁の乱が勃発、戦国時代の幕開けとなってしまった。
また隆盛を極めようとしていた織田信長が、世の中が静かになることが天下の正しい道という意味を込めて変えさせた元号が天正。その後、本能寺の変で信長は死んでしまったが、跡を継いだ秀吉によって世の中は静まった。このように元号には当時の人々の願いが込められているのだ。
「へぇー、ちゃんと願いが込められているんだ」
「今まで247の元号に使われた漢字は504個。でも重複している漢字も多いから実際には72文字しか使われてないのよ」
「じゃあ、次の元号も予想できそうですね!」
ちなみにこれまでの元号に最も多く使われた漢字は「永」で29回。次いで「元」「天」が27回、「治」が21回となっているが、時代によってよく使われた漢字もある。奈良時代には「亀」「宝」など吉兆を表す漢字が多く、平安時代は「平」「和」など平静の世を願う漢字がよく採用されている。ちなみに平成の「成」は平成になって初めて採用されたものだ。
元号が明治になったわけ
「元号を知るとねぇ、その時代の人たちの思いが見えてくるのよ。ロマンチックだと思わない?」
「そうですね。明治なんて思いが詰まってそうですよね。明るく治めるみたいな」
「意味はあってるけど…明治に決まったのには、ちょっと変わった経緯があるのよ」
明治を考案したのは、元福井藩主・松平春嶽。幕末の四賢人の1人と謳われた春嶽に新元号の発案が委ねられた。だが…
「これは困ったことになったぞ」
「どうなされました?」
「今までの元号は全て天皇が決めてきたもの。わしなぞが一存で決めれば必ず反発されるであろう」
新たな時代の幕開けを担う大仕事に春嶽は不安を抱いていた。そこで彼は、前代未聞のアイデアを思いついた。
「どうなされますか?殿」
「いいことを思いつたぞ、くじ引きじゃ!くじ引きにするのじゃ」
くじ引きは、古来より神の意思を問うために行われてきた大切な神事。慶応4年9月7日、春嶽が考えた3つの元号から天皇がくじを引いた。
「新しい元号は『明治』じゃ」
こうして決められた明治は、天下が明るい方向に向かって治まるという意味。新しい時代へ向かう日本にぴったりだった。後にも先にもくじ引きによって新元号が決定されたのはこの時だけだという。
元号が昭和に決まったわけ
「知らないことばっかりだ」
「でしょ?私もお邪魔していいですか?」
「平成ちゃんはね、こう見えて店一番の歴女なのよ。ちょっとぐらい歴史に詳しくなくちゃ相手してもらえないかもよ」
「じゃあ私から質問です。もし正解したらこの後アフターに付き合っちゃいますよ」
「(゜ロ゜)やるやる!やります!」
「昭和は始め昭和になる予定じゃありませんでした。それがなぜ昭和に決まったのか分かりますか?」
大正時代末期、大正天皇の容態悪化に伴い、政府が新元号の決定に動いていた。その裏で各新聞社は新元号をスクープしようとしていた。
「おい、みんな!今度はなんとしてもうちが第一報を伝えるぞ!」
中でも闘志を燃やしていたのが毎日新聞の前身、東京日日新聞。「大正」の発表をスクープした朝日新聞に対し、新元号のスクープは社の至上命題だったのだ。激化する各社の取材合戦、朝から晩まで新元号の選定担当者への張り込みが何日も続いた。
「編集長!やりました!新元号がわかりました!」
「よくやった!これで積年の恨みが晴らせるぞ!」
念願の新元号を毎日新聞の記者が入手。そして大正天皇の崩御からわずか数時間後、毎日新聞はいち早く新元号を報じた。
見出しには「元号は『光文』」、3つの案から光文に決まるだろうと書かれている。世紀のスクープに湧き上がる毎日新聞、肩を落とす他の新聞社の記者たち。しかし、実際に政府が発表した新元号は「昭和」だった。
「そんなバカな!」
「どういうことだ…」
悔しい思いを噛み締めながら数時間後の号外で「昭和」決定の一報を報じるしかなかった。世紀のスクープが一転、世紀の大誤報。社内は責任をめぐり大紛糾、当時の社長が辞意を表明する事態にまで発展した。
「なぜ光文ではなく昭和になったのだ?」
「落ち込んでるヒマがあったらその理由を調べろ」
納得のいかない毎日新聞は、その後も光文事件に対して取材を続けた。その結果、浮かび上がったのは…
「マスコミに光文が先に出てしまったことは、いかにもまずかろう」
「情報が漏洩した以上、別の元号にするより他はない」
政府の思惑…。国家機密が漏洩したことに慌てた政府が、急遽「昭和」に変更したというものだった。しかし、毎日新聞が誤報をうったという事実は消せないまま…。それから64年、昭和天皇の崩御により「平成」に改元。その速報をどこよりも早く出したのは毎日新聞だった。小渕氏の記者会見より30分早い速報!先輩記者の汚名を返上するため60年越しに果たしたリベンジだった。
「平成ちゃんいじわるしないの。初心者には難しすぎるでしょ」
「ホントですよ、わかるわけないでしょ」
「じゃあ、次来る時には私の名前、なんで平成になったのかちゃんと予習してきてください」
「ちゃんと正解したらアフターしてくれる?」
「正解したら…ね♡」
「よし!帰って予習だ!」
平成を作った男たち
小渕氏の「平成」会見で始まった平成。しかし、この元号は誰が考え、どういう理由できまったのか?昭和63年9月20日、昭和天皇の容態が急変。この日を境に新元号制定への動きが加速していく。首相官邸に極秘裏に集められたのは、小渕官房長官をリーダーとする新元号制定チーム。ここで重大な決定が伝えられた。
「新元号を用いるのは即位の翌日からにしましょう」
「新元号の制定にはそんなに時間がないということか」
元号制定までに時間がないこと、それは天皇陛下の容態がかなり悪いことを意味していた。
「的場くん(内閣内政審議室長(当時)的場順三)。悪いが君には九州に行ってもらいたい。」
「わかりました」
的場順三は小渕氏から密命を受けた。それは専門家に新元号の候補案を練ってもらうこと。ただし、天皇陛下の存命中に準備していることが公になれば批判は避けられない。部下を連れずひっそりと直談判した。依頼したのは日本を代表する3人の文学者や歴史学者。(九州大学名誉教授・目加田 誠氏、日本文学者・古市 貞次氏、東京大学名誉教授・山本 達郎氏)
「元号を考案していただくにあたっていくつかの条件がございます。まずは漢字2文字であること。書きやすく読みやすいことです」
的場は条件をつけて候補案が集まるのを待った。専門家から届いた候補案は10案以上、そこから的場は地名や企業名と重複していなかなどを精査、3案にまで絞った。そして昭和64年1月7日午前6時33分、昭和天皇崩御。
ただちに8人の有意識者が集められた。ひとりひとりに配られたのは白い封筒、中には3つの新元号案。
「正化、修文、平成ですか…」
正化の出典は「易経」。明るさが正しいことについてこそ、天下の万物を成育させることができるという意味。
修文の出典は「書経」。武をやめて文化を収めるという意味。
平成の出典は「史記」と「書経」。国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味だった。どれを元号にするか…しかし発表まであまり時間はなかった。
「明治はM、大正はT、昭和はSと略されます。だとすると正化・修文もSなので昭和と同じになり混乱するのではないでしょうか」
「私もそう思います。平成ならHなので問題ないのでは?」
1時間に及んだ審議の結果、満場一致で「平成」に決まった。政府はこれを直ちに天皇陛下へ上奏、新元号が「平成」に正式決定した。そしてあの歴史的な記者会見が行われた。
3人の学者の内、平成という元号を考えたのは東洋史学者の山本達郎氏。彼は死ぬまで自分が考案したことを友人はおろか家族にさえ決して明かさなかったという。
しかし、頭文字によって平成に決まったというのは、あまりにも初期段階の問題でもあり、政府の中で評判がよかった平成を選ばせるために頭文字がSの候補を故意に入れたという説もあるが定かではない。