舞姫、高瀬船、山椒大夫など数多くの名作を世に残してきた森鴎外。実は、本職は陸軍軍医として最高位まで昇進した医学博士でもあった。この自他ともに認めるエリートが2人の美女にどのように翻弄されたのか?
森鴎外の女性関係
一人目の美女
1888年(明治21年)陸軍軍医をしていた鴎外のもとをある人物が訪問。現れたのは外国人女性、これが1人目の美女。実は、鴎外は22歳から4年間ドイツ留学を経験。その時、ドイツ人美女エリーゼと恋に落ちたのだが、帰国した鴎外を追いかけてきたのだ。
彼女と結婚してこそ男ではないだろうかと考えた鴎外だったが、周囲から国のお金で留学して恋にうつつを抜かすとはと大避難を受ける。こうして2人は引き離されることに。
気落ちした鴎外のため、親族が勧めたのが同じ軍人の娘だった登志子との結婚。新しい恋愛で前の恋を忘れる、これで鴎外の気持ちが落ち着いたかに見えたのだが…。鴎外は、周りの人たちが震撼するある作品を発表する。
それが「舞姫」だった。「舞姫」はドイツに留学していた日本人エリート官僚とドイツ人少女との恋愛を描いた作品。モデルは当然、自分とエリーゼ。登志子と結婚したにも関わらず、エリーゼをあきらめきれない気持ちを小説にして世に発表してしまったのだ。これにより親族は大騒ぎ。登志子とは2年と経たず離婚してしまう。
2人目の美女
その後、40歳まで独り身でいた鴎外であったが、母の紹介で出会った女性にまたしても翻弄される。鴎外は、18歳も年下の2人目の美女・志げ子に年甲斐もなくゾッコン。心底惚れた鴎外だったが…
なんと嫁姑問題に巻き込まれたのだ。毎朝遅くに起床する志げ子にイラつく姑。しかし、志げ子は志げ子で姑に対して不満を持っていた。鴎外の給料は母が全て管理、志げ子にはわずかな小遣いだけ。ことあるごとに衝突を繰り返し、食事も別々に取るようになっていた。
「もう耐えられません!!私にも考えがあります」
「お前、あの女をなんとかしておくれよ」
板挟み状態でこのままでは離婚の危機!志げ子を今度こそ手放したくない鴎外が取った行動とは…!?
鴎外は、志げ子に姑へのモヤモヤした気持ちを解消させるため小説を書かせたのだ。当時は、ストレス発散のために書かせていたのだが、なんと志げ子は「森志げ」として作家デビュー。自身の結婚生活を書いた小説「波瀾」「あだ花」を発表し女流作家として歴史に名を残した。
しかし、この小説売れるのも当然。実はほとんど鴎外が手直ししたもの。嫁姑のいさかいを必死に収める夫の姿がそこにはあったのだ。