不死身の体で夜をさまよう暗黒のプリンス。命を何度も狙われるが、何世紀も生き続けている化け物。その名は吸血鬼だ。ホラー映画の主役として印象深い吸血鬼は、長い間語り継がれてきた怪物だ。果たして吸血鬼の正体とは?
各地で起きている吸血鬼の事件
2004年1月、ルーマニアのある村で身も凍る儀式が行われた。シャベルを持った男たちが、深夜に墓地へと向かっていた。76歳で亡くなったばかりのペトラ・トーマという男の墓に着くと、闇に紛れて墓を暴きだした。そして秘密の儀式を行ったのだ。
だが21世紀の現在、秘密は隠し通せない。すぐに警察の知るところとなった。父親の墓が荒らされていると娘が警察に通報してきたのだ。警察により、荒らされた墓の中身の確認が行われた。すると遺体の胸は開かれており、心臓が取り出されていたという。
トーマは死後に、家族の夢に現れて家族全員を悩ませ、病気になる家族まで現れたことで、親族はトーマが吸血していると考えたという。そして、墓を暴き遺体を見た男たちは、トーマが吸血鬼だと確信する。遺体の口が血に染まっていたのだという。
そこで、男たちは古くからの儀式にならい、取り出したトーマの心臓を他の親族と燃やしたのだ。そして、心臓の灰を水に混ぜ、病気の親族全員に飲ませた。するとその後、彼らは悪夢と病気から解放されたのだという。吸血鬼伝説など迷信だとルーマニア当局は明言した。しかし、時代錯誤だと言われたも信じる人はいるのだ。
1985年フロリダ州で、おぼつかない足取りの女性が手錠をされた状態で保護された。女性は、ヒッチハイクで身なりの良い男性の車に乗った。すると車内で男性に首を絞められ気を失ったという。そして悪夢が始まった。
気が付くと台所に寝かされていた女性は、腕に注射を刺されて血液を採取される。男は自分は吸血鬼だと名乗ったという。女性は、手錠をつけたまま何とか近くの道路へと逃げ出し保護されたのだ。逃げ切れた彼女は幸運だった。
吸血鬼の仕業と言われる殺人事件は、何件も発生している。1930年ドイツ、吸血鬼ペーター・キュルテンは68人の殺害を自供。20年後、連続殺人犯ジョン・ジョージ・ヘイは被害者の血を飲んだと告白。吸血鬼カルト集団のロッド・フェレルは、友人の両親を殺害。常識を超えた行為の原因は、病んだ精神の他にもあるかもしれない。
吸血鬼ドラキュラのルーツ
古今東西、様々な怪物の話が語り継がれてきた。現在の吸血鬼のイメージを決定づけた小説がある。1897年に出版されたブラム・ストーカー作の「吸血鬼ドラキュラ」だ。人間の血を求めて毎夜さまよう不死の伯爵の物語で、セックスや暴力が詰まったホラー小説だった。
忌み嫌われるドラキュラ伯爵は、一方で魅力も持ち合わせている。血液が神秘的な力を持つという考えは、キリスト教の血液は命の源という思想が由来になっているという。死を超越した存在である吸血鬼は、永遠の命の代名詞とも言える。
では小説の元となったのは何だったのだろうか?
山に囲まれたルーマニアのトランシルバニア。小説の主人公である伯爵が住む地だ。この地を調べると15世紀のドラキュラ公ヴラド・ツェペシュに行き着く。ドラキュラは悪魔という意味だ。血に飢えていたヴラドは、自身の的を串刺しにして城の周りに掲げたという。
ヴラドは当時も今も、他に類を見ないほど残念だったことで有名だ。しかし、15世紀という時代、串刺しのような残忍な処刑法は一般的だった。ヴラドは見せしめとして串刺しの刑を用い、地域の秩序を保ったのだ。当時のオスマン帝国を牽制する意味もあった。帝国のスルタン(君主)は、串刺しを見て進軍を止めたという。ヴラドの残忍さは戦略的なものだったのだ。ヴラドが吸血鬼であった歴史的な記録はない。
18世紀までに、中・東欧では吸血鬼の目撃事例が文書化されていた。農村など結束の固い地域社会では、吸血鬼は急死した者と考えられていた。不死身になった死者は、たびたび肉親を悩ませた。そこで、村人が疑わしい死者の墓を暴いて吸血鬼であることを確認したそうだ。
目撃事例の中の吸血鬼は、伝染病のように次々に人を襲ったという。病気との関連性が吸血鬼の謎を解くカギだろう。
伝染病と吸血鬼
意外にも物的証拠が発見されたのは、東欧ではなくアメリカだった。19世紀後半の墓地を建設業者が発見した。29あった墓の内、28は通常の墓だったが残る1つは変わっていた。死後5年以上経って掘り起こされた墓のようで、脚の骨が胸で交差されていたという。胸の骨は砕け、首がはねられた不思議な遺骨だった。
身元の手がかりは柩にあった“JB”の文字だけだった。脚の骨の位置を変えたり、埋葬後に首をはねる習慣は、死者が出歩かないようにするための昔の北欧やイギリスのものだという。
1892年ニューイングランド、1月にマーシー・ブラウンがロード・アイランド州の墓地に埋葬された。家族で3人目の病死者だった。その後、兄妹のエドウィンも同じ病気で衰弱する。感染を恐れた住民は、伝承を思い出し死んだ家族の1人マーシーが病気の原因だと考えた。仕方なくマーシーの父親は、墓を掘り返した。するとマーシーの遺体に傷みはなく生きているようだったのだ。住民は、彼女の心臓を取り出して燃やし、その灰をエドウィンに飲ませたのだという。しかし、エドウィンはその二ヶ月後に亡くなる。
この話はJBに当てはまるのだろうか?胸の骨が砕けていたことから、誰かが心臓を取り出したと考えられる。だが死後5年では、心臓は腐敗していただろう。だから代わりに脚の骨を交差させ死者を歩けなくしたのだろう。
人々は病気の原因は死者にあるとして、吸血鬼として退治したのだ。ニューイングランドの人々も吸血鬼を病気の原因として信じたのだろう。数百年前の人々には知識などなく、遺体を見たまま描写したと考えられる。何かを食べたかのように体は膨らみ、顔は血だらけで爪も伸びている。遺体が音を発して動いたこともあっただろう。
遺体は腐敗するにつれ、ガスがたまって体が膨らむ。内蔵は腐って血のようになり、圧力がかかって口や鼻から出てくる。現在でも死人の髪やつめが伸びると信じる人がいる。だが実際は伸びてはいない。つめの場合、指の皮がミイラ化し始めるために、つめが指から剥がれたようになる。それでつめが伸びたように見えるのだ。また、柩を開けるとうめき声が聞こえただろう。原因は胸部や腹部に溜まったガスだ。ガスが気管を通って口から出る時に音を発するのだ。そのため、胸部に杭を打つと断末魔の叫びのような音が出たと考えられる。何の知識もない人は震え上がったことだろう。全ての謎は、科学で説明がつく。
吸血鬼は病気のスケープゴートだったのだろう。死者が“生きているとされた証拠”も科学的に説明できた。吸血鬼は存在しない!?本当だろうか?謎の多い吸血鬼は、その名を悪用されることがある。若い女性を監禁した自称吸血鬼の男のケースだ。
吸血鬼事件を振り返る
最初に述べたフロリダで保護された女性は、二日間監禁されて採血され続け、運良く致死量に至る前に逃げ出して助かった。捕まった犯人は、ジョン・クラッチェリー、良い仕事に就き、慕われていた普通の男だった。クラッチェリーは有罪になり、刑務所で死亡した。彼は、吸血鬼の名を利用して性的異常とも言える行為に及んだにすぎないのだ。
ニューイングランドの事件のその後を話そう。物的証拠はないが書物から、この家族は全員が同じ病気で亡くなっているのが判明した。それは肺病、結核だ。患者は食欲をなくし衰弱していく。治療法のない病気だった結核を恐れ吸血鬼の仕業だと考えたのだろう。原因である吸血鬼を退治することが、病気への唯一の対抗手段だったのだ。
ではアメリカで見つかったJBの遺骨を調べれば、ニューイングランドの事件の物証を得られるのではないだろうか。JBの遺骨の分析が行われ、故人は男性で推定死亡年齢は50~60歳だとわかった。彼の肋骨は骨膜が剥離しており、彼が結核だった可能性があるという。おそらくJBは、ニューイングランドの事件と同じで結核で亡くなり死後に掘り起こされたのだろう。
だが、ルーマニアで墓暴きにあったペトラ・トーマの家族は結核にはなっていない。おそらく迷信に端を発した集団ヒステリーだと考えられる。
こうして考えていくとストーカーの小説のモデルは、ヴラドではなく他にいる可能性がある。マーシー・ブラウンだ。ストーカーはニューイングランドの事件記事を保存していたそうだ。事件を知っていたのだ。
やはり、吸血鬼は人間の恐怖から生み出された存在だったのだ。各時代の不安や恐怖を映す鏡のような存在で、人間が恐怖の中に吸血鬼を見出す限り、吸血鬼は形を変えて再び現れるだろう。