古代遺跡ギョベクリ・テペは現代の考古学者が考える人類史に相反している。この巨石遺跡が建造されたのは1万2千年以上前。ストーンヘンジの6500年前、世界最古として知られるメソポタミア文明の5000年前にあたる。
一般的な考古学者らは、当時人々は狩りと採集によって生活していたと考える。そのような時代にどうしてこのように大規模なものを作り上げることができたのだろうか?
ギョベクリ・テペ
遺跡の発見
1994年10月トルコで畑を耕していた羊飼いが、地面から突き出ている奇妙な形の石に気づいた。周りを掘ってみると、さらに大きな物体の一部に見えたという。彼が地元の博物館に連絡したところ、すぐにドイツ考古学研究所のクラウス・シュミットのチームがやって来て発掘調査が行われた。
シュミットらの発掘チームが本格的に調べ始めると、複雑な彫刻が施された巨石の柱が何本も発掘された。重さ20tに至るものもあったという。考古学者たちの見積もりによれば50人で作業した場合、石灰岩の採掘場から遺跡のある丘の上まで1本の柱を運ぶだけで1週間かかり、柱の彫刻を完成させるのに300時間以上かかるという。
そのペースだと、これまでに発掘された5箇所のストーンサークルを完成させるのに丸1年かかる。このような場所が作られた理由はわかっていない。しかし、人々が暮らしたような形跡がないため、集落ではないのは明らかだ。シュミットは、これらの建物を墓地ではないかと柱の下や周辺を調べたが、これまで人骨は出ていない。畑の痕跡もなく、あるのは野生動物の骨のみ。考古学では、この謎の多い建造物を儀式の場所だと考えるが、これは全くの推測だ。
新石器時代の遺物らしきものが出土したことから、シュミットは堆積物の層を炭素年代測定法で調査した。その結果、この遺跡が1万2千年前に建設されたことが判明したのである。ということは、人類最古の文明であるメソポタミア文明よりも5000年以上古いことになる。さらにギョベクリ・テペが建設された時代は、通説によれば人類が狩猟・採集生活をしていた頃なのだ。
もし、現在認められている人類史が正しければ、原始的な狩猟・採集民が高度な巨石建造物を建てることができたのだろうか?ギョベクリ・テペを作ったのは、狩猟・採集民ではなく世界規模の大災害でほぼ壊滅した、失われた文明の生存者たちだと考えられないか。その根拠として、大災害を裏付ける証拠が見つかっていることが挙げられる。近年では、多くの科学者たちが紀元前10万8千年頃から紀元前1万年頃まで続いた最終氷河期の終わりに大災害が起きたと見ているのだ。
失われた文明
ギョベクリ・テペから約480キロ離れたカッパドキア地域の一部にあるデリンクユに失われた文明の証拠が存在する。その広大な地下都市は、地下13階におよび2万人が生活していたとも言われる。科学的な方法での年代の測定はできていないが、先史時代に避難場所として使われたという説もある。
初期のキリスト教徒が使っていたのは間違いないのだが、先史時代に活動があった痕跡も残っている。考古学者たちが、旧石器時代に遡る道具の跡を発見しているのだ。これは最終氷河期に当てはまる。ということは、私たちの祖先は大災害と氷河期を逃れて、この地下都市に避難していた可能性がある。
同じトルコの中央アナトリア地区でも同じような地下都市が発見されている。この地下網の規模は45万平方メートルを越え、オリンピック用プール370杯分以上の岩が掘り出されたと推察されている。だが、この地域にはその掘り出された岩が残っていない。この謎の洞窟網は、今も発掘調査中で一般公開されていない。
この洞窟に何万もの人々がいたことを示す証拠があるだけでなく、通気口や井戸など地下に長期間暮らすための設備も発見されている。この洞窟が発見された際、迫害を逃れた初期のキリスト教徒が使っていたことを示唆する遺物が見つかった。それに基づき約1500年前の遺跡だと推定されたが、新たな証拠によってさらに前に遡る可能性が出てきたのだ。
この洞窟が1万2千年前に作られたとしたら、推定されているギョベクリ・テペの建造時期と一致する。誰が地下道を築いたのか?なぜ地下へと追いやられたのか?その手がかりは、洞窟の岩ではなく古代ペルシャの宗教文書の中にあるという。
古代神話
ゾロアスター教は、世界でもとりわけ古い宗教で約3500年前、預言者のゾロアスターが古代のイランで創設したと言われている。この宗教の最高神はアフラ・マズダー、翼のついた円盤の中に鎮座した姿で描かれることが多い。
聖典アヴェスターの1つヴェンディダードには、アフラ・マズダーがイマという名の若い王に迫り来る大災害を警告したことが記されている。「巨大なヘビが空から降りてくる」と告げたとされている。これは彗星や隕石の落下を表しているように聞こえる。この災害の後にかつてない冬が訪れると知らせたのだ。
大惨事に先立ちイマ王は、来るべき大寒波を生き抜くため地下に避難場所を作るよう人々に指示した。洞窟が完成するとイマ王は、人類の代表としてそこに2000人を避難させ、様々な植物の種、動物のつがいを入れたという。彼らは150年もの間そこで過ごし、冬が終わると荒れ果てた地上に出て一から文明を再構築したという。
まるで地下倉庫の形をしたノアの方舟だ。同じ物語があるということは、古代の人々が実際に起きた出来事を記録したように思える。ノアの方舟とゾロアスター教の神話は同じものを表しているのだろうか?ノアが作ったものが、大きな船だったと誤って解釈されたのか。だがそれらの神話が事実だとしたら人類はどのように予知したのか?そのような避難所を作るには時間がかかるだろう。
古代の文書にはっきり書かれているように、大災害が起きることを神々が警告したのだ。そうして、神に選ばれた一部の人々だけが救われることになった。神々は、気候変動を予測できる高度な技術を持っていたのだろう。それ以外に考えられない。
さらにゾロアスター教の神・アフラ・マズダーは翼のついた乗り物で空から降りてきたと考えられている。それはまるで空飛ぶ乗り物だ。ということは、彼は地球外生命体だったのだろう。
石柱に刻まれる生物たち
2017年ギョベクリ・テペ。これまで20年以上に渡って発掘調査が行われ69本もの巨大な石柱が掘り出された。その内の三分の一以上に精巧な彫刻が施されている。様々な哺乳類、爬虫類、昆虫、鳥などをかたどったものだ。だが、この土地に生息しない生物も含まれている。例えば、鴨やアルマジロ、猪などだ。
大洪水の後、ノアの方舟はギョベクリ・テペからそれほど離れていないトルコ東部のアララト山にたどり着いたと考えられている。ギョベクリ・テペの石柱は、ノアの方舟の動物たちを記録しているかのようにも見える。もしかしたら、ノアとその子孫たちが大洪水の後に文明を再構築した場所がギョベクリ・テペなのかもしれない。
ギョベクリ・テペで発掘された円形の巨石建造物は5つあり、それぞれの中心に2本の巨大な石柱が立っている。中心の柱は重さ20t高さ5メートルもあり、周りを取り囲むT字型の柱よりも明らかに目立つ。
それらの柱は人のような姿に見える。腕のようなレリーフが前に向かって伸びていて、腕の先には長い指がついている。衣服を着ていて、シンボルがついたベルトもつけている。顔は描かれていない。柱のT字型の先端が頭部を表現していて、まるでハンマーの頭のように見える。
謎めいたこの柱の彫刻と非常によく似たものが、地球の裏側で見られる。イースター島のモアイ像だ。さらにボリビアのティアワナコ遺跡にも全く同じような姿勢の石像があり、おへその辺りに手が置かれている。同じような姿勢の彫刻柱は、世界の他の地域にも存在する。イタリア、コロンビア、フランス、ロシア、モンゴル…。ギョベクリ・テペは単独ではなく世界規模の文化の一部で先史時代に失われた文明の遺跡なのかもしれない。
ギョベクリ・テペや他の地域で発見された石像は、大災害が起きる前に存在した宇宙人の種を石に記録したものなのだろうか。そうだとしたら、そのような彫刻がある遺跡は大洪水として知られる出来事の後、生き残った人々が文明を再構築した場所だったのか…。
地球外との繋がり
トルコ・シャンルウルファの歴史博物館にギョベクリ・テペから発掘されたトーテムポールが展示されている。1万年から1万2千年前の物と推定されており、この柱には3つの像が縦に連なって彫刻されている。
このトーテムポールが興味深いのは、地球外生命体のようなものが描かれていることだ。その像が掴んでいる別の像には、人間に似た特徴がある。もしかしたらこれは、原始的な人間なのかもしれない。そして2つ目の像は、出産しているように見えて生まれてきた赤ん坊には、明らかに人間の顔がある。これはつまり、繁殖実験によって現世人類が生み出されたことを示しているのではないだろうか。
トーテムポールは、百科事典やタイムカプセルのように情報を保管する役割を果たしている。もし、このトーテムポールが家系図のようなものだとしたら、彼らの祖先が人間ではなかったことを私たちに伝えるために作ったのではないかと思えてくる。
多くの古代文明には、初期の人類と神が接触し交配する物語がある。四世紀に旧約聖書から除外されたエノク書という古文書によれば、遠い過去に天から地球に降りて来た巨人の集団がいたという。
見張りの者と呼ばれる人たちがいて、人類を監視していた。彼らは人類と関わってはいけないという決まりを破り、地上に降りてきたのだ。そして科学技術を紹介した。さらには人間と関わった。人間の女性と結婚して子供が生まれたのだ。そして、その子供たちが堕天使として知られており、その姿は現在の人間に似ていた。唯一の違いは背が高かったことで、その身長は3メートルから5メートルに達したという。神の掟を破り人間と交わったことは、堕落とみなされ神が介入したと伝えられている。彼らを地球から抹消するために、神が大洪水を起こしたのだ。
ギョベクリ・テペの建造者は、1万2千年前に地球で何が起きたのかという重要な情報を残そうとしたのか?そしてその情報には、地球外生命体によって人類が作られたことも含まれるのか…。
白鳥座のデネブを観測していた?
ギョベクリ・テペでの地磁気調査によって明らかになったのは、この遺跡で発掘された5箇所のストーンサークルは、地中に埋まった建造物のごく一部だということだった。その丘には、建造物が幾層にも別れて作られており、さらに16個のストーンサークルが地下に深くに埋まっていることがわかったという。
不可能に思えるような時代に、驚くべき神殿を建てていただけでなく、その建造物を数百年使った後に埋めていたのだ。この建造物を埋めるのに、建てるのと同じくらいの時間と労力を費やしていたと考えられている。
これは、ある特定の星座の配置に合わせるためだったのではないかという。このストーンサークルは、彼らが観測していた星に合わせて作られたようだが、星の位置はゆっくり変化するので、定期的に位置を矯正しなければならなかったのだろう。ギョベクリ・テペでストーンサークルが埋められたり建てられたりしたのは、儀式のためではなく科学的とも言える目的があったからなのかもしれない。
白鳥座の星から神々が地上に降りてきたという話は、世界各地の文化に伝わっている。古代ペルシャのマンダ教においては、アバトゥル・マザニアという神の王座が白鳥座にあったと考えられていた。古代エジプト神話のヌトという天空の女神は、白鳥座から来たと伝えられた。マヤ文明においても太陽神キニチ・アハウが白鳥座から降りてきたと言われた。このように異なる地域の伝説に、白鳥座から来た重要な神が登場するのだ。
ギョベクリ・テペを作った人々は、特定の星座に合わせて建造物を配置して、彼らに知識をさずけた地球外生命体がどこから来たのかを示したのか。
2015年NASAがケプラー宇宙望遠鏡で捉えた興味深い現象を発表した。白鳥座のある星が発している光が不規則な間隔で弱くなっていることがわかったのだ。科学者の中には巨大な建造物が前を通っているからだと主張する者もいる。
これは地球外文明が存在することを示す有力な証拠だ。NASAによるとあるはずのない物体がその星の周りを回っているということなのだ。ギョベクリ・テペの人々が讃えていたと考えられる白鳥座に建造物が見えるということは、こちらを見て!という私たちへのメッセージかもしれない。
NASAの天文学者によると、その現象は約1,400光年先で観測されている。つまり、白鳥座の光が地球に到達するのに1,400年かかる。この星の周りを回って光を弱めている物体は、少なくとも1,400年前の物ということになる。これは地球外の祖先が帰っていった故郷の星を指し示すためにギョベクリ・テペが作られたことを裏付けているのだろうか。
遺跡の保護活動
2015年6月シリア、イスラム過激派組織がコバニを武力制圧した。彼らはこの地域を蹂躙し、歴史的に貴重な遺物を故意に破壊している。さらに様々な遺跡を爆破している。その街から100キロも離れていないトルコのギョベクリ・テペでは、発掘調査を行っていた考古学者たちが戦場から立ち上る煙を見て恐怖を感じていた。
1万2千年前の石の建造物を攻撃から守るために、トルコ政府はギョベクリ・テペの発掘を中止し、非公開にする措置を取った。そして、巨石の柱を木箱で覆い、価値のある出土品を近くの博物館へ移動させている。今後20年で政府は1,500万ドルを費やしギョベクリ・テペの安全を確保する予定だ。
少なくとも8割の建造物が地下に埋もれていることを考えると、ギョベクリ・テペについて学べることはまだ多く残っている。この地域の他の遺跡と同じような運命をたどることになれば、重要な秘密が永遠に消えてしまうだろう。
人類の過去が地球外であることを裏付ける証拠が、ギョベクリ・テペの地下に眠っているのだろうか。1万年以上前に高度な文明が存在した証拠なのだろうか。その答えを見つけるためには、奇妙な彫刻が施された石柱ではなく、星を調べるべきなのかもしれない。何千光年も向こうで輝く星がカギを握っているのだろう。