今年も様々な愛の形が世間を騒がせましたが、世間が認めなければ認めないほど、愛が燃え上がるのは今も昔も同じこと。 その愛を貫くあまり、悲劇に襲われた偉人の実話です。その偉人の名は、高野長英(たかのちょうえい)。
シーボルトの愛憎劇
高野長英に蘭学を教えいたのは、ドイツ人医師・シーボルト。そのシーボルトにも愛憎劇があった。 長崎・出島で回診中に出会った美女タキと恋に落ち結婚。 二人の子どもを授かったものの、シーボルトはスパイ容疑をかけられ国外追放。 遠い異国で一途にタキを思い続けるシーボルト。 しかし、30年の月日を経て日本に戻ると、タキはその間に2度も再婚していた。
「私の愛したタキはもういない…」
そのシーボルトに師事していた高野長英、彼もまた同じ愛の道を辿ることになるのだ。
新婚生活に訪れた悲劇
時は1838年(天保9年)、シーボルトのもとで蘭学を学んだ後、江戸で町医者を開業していた長英。 長年学問に没頭していたが、35歳の時、芸者だった8歳年下のゆきと結婚。 そして…
「あなた」
「どうした?」
「お腹に赤ちゃんが」
「おお、それはめでたい!」
しかし、そんな幸せは長くは続きません。 長英に辛い運命が待ち受けていたのです。
事件が起こったのは結婚してわずか1年の1839年5月。 当時江戸幕府は、外国との交流を制限。 近づく外国船には砲撃まで加えていた。危機感を抱いた長英は、幕府の対外政策を批判。 『戊戌夢物語』(ぼじゅつゆめものがたり)という本にまとめます。 しかし、幕府への批判的な書物を書いたとして、長英は牢屋へ。 最愛の妻と離れ離れになってしまったのだ。
これが、『蛮社の獄』(ばんしゃのごく)と言われる蘭学者への弾圧事件。長英は最も重い判決、無期懲役となった。しかし、長英はとんでもない行動に出る!
獄中生活が5年続いた1844年(弘化元年)、長英の牢屋が火事に。 実は、この火事を計画した犯人はなんと長英。 当時、牢屋が火事になると緊急措置として、囚人は一時釈放され、3日以内には戻ってこなくてはいけない掟(きまり)があった。 長英はその制度を利用して、脱獄を図ったのだ。妻への愛を貫く長英は脱獄後、さらにとんでもない行動に出た!
まさかの結末!
当時、火事で一時釈放された罪人は3日以内に戻ってくれば、刑をワンランク下げてもらえた。 その代わり戻ってこなければ死罪という掟があった。 そんな中、長英は戻ってこなかった。 一旦は埼玉あたりで匿われていたが、 その時、硝酸のようなもので自分の顔を火傷でわからなくして、別人になりすまし、もう一度江戸に戻ってきた。
火傷によって顔をを変えた長英は、沢三伯(さわさんぱく)と名前も別名を名乗り、江戸で医院を開業。 優秀な長英の書は評判を集めたのだが、文体や表現によって、沢三伯は高野長英の偽名だと気づかれてしまい、役人に踏み込まれて自害したか、役人に殴られてかはわからないが、その日のうちに亡くなった。47歳で壮絶な死を遂げたのだ。