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坂本龍馬はテロリスト!?実行犯の目線から見たもう1つの歴史

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坂本龍馬暗殺、大久保利通暗殺、本能寺の変…歴史に名を刻む大事件の数々。教科書ではほんとんど語られない『実行犯』から事件を見てみると新たな真実が浮かび上がる!

 

 実行犯の日本史~事件の裏に見えるもう一つの真実~

坂本龍馬暗殺事件

土佐が生んだ幕末の英雄・坂本龍馬。明治維新の立役者となった彼だが…。その最期は、暴漢による襲撃に遭い悲劇的な死を遂げた。

だがこの事件は、逆の立場から見ると知られざる事実が浮かび上がる。謎多き龍馬暗殺の実行犯として有力視されている桂早之助、この若者はなぜ龍馬殺害に至ったのか?

1841年、今の警察にあたる京都所司代組・同心の家に生まれた早之助は、決して裕福ではなかったが実直に育っていった。

「よいか早之助、我が桂家があるのは幕府のおかげじゃ。強くなって将軍様のお役に立たねばならぬぞ」

「はい、父上!」

代々、幕府に使え京の都の治安を守ることを使命としてきた桂家。その責務を全うするべく、早之助は幼少期から剣術修行に励み、いつしか剣の達人としてその名は知れ渡っていた。

「さすが小太刀の達人だな、早之助」

「うむ、接近戦ではこの小太刀の速さが活きてくる」

「そういえば聞いたか?また尊皇攘夷派の輩に幕府方の人間がやられたらしい」

「また!?」

「土佐藩の坂本龍馬とかいう男が先導しているらしい」

「坂本龍馬…許せん!」

当時京都では、反幕府派の過激な浪人たちによる暗殺事件が頻発。早之助たち幕府派の人間は頭を抱えていた。さらに…

「おい、薩摩と長州が幕府を倒すために手を組んだそうだぞ」

「なに!その二藩は争っているはずではなかったのか」

「なんでも坂本龍馬が仲介に入ったんだとか」

「また坂本龍馬か…」

薩長同盟の締結。これにより倒幕の脅威が現実味を帯びてくる。早之助らにとって幕府がなくなることは、すなわち死を意味していた。

「しかも奴を捕らえるために寺田屋に乗り込んだ伏見奉行所の同心が2人返り討ちで殺られたらしい」

「なんだと!?京の治安を乱す反逆者め!このまま奴の好きにさせるわけにはいかん!」

今で言えば逮捕に向かった警察官2人が、犯人に殺害されたという事件。幕末の英雄も幕府側から見ればクーデーターを企てたテロリストでしかなかった。1867年早之助は、京都の治安を守る「京都見廻組」に抜擢される。浪士や町人、農民などが集まった新選組とは違い、すべて幕臣によって構成されたエリート集団だった。代々、幕府を守り続けてきた桂家の誇り。早之助は治安を維持しようとさらに意志を固めた。

だがその思いも虚しく、江戸幕府は大政奉還。ここから早之助の人生は狂い始める。

「桂家ももう終りじゃ…」

「父上!そんなことはありませぬ。私が何とか…」

「無駄じゃ!わしらに未来はない!」

一ヶ月後、早之助にある指令が下される。

「坂本龍馬を捕縛せよとの命を受けた。場合によっては生死は問わぬ」

「ついに…」

龍馬が近江屋にいると情報を掴んだ幕府は、殺害を命じた。

「誰が行く?」

「場所が屋内であれば、私のこの小太刀で必ずや仕留めてみせます!」

そして事件は起こる。

「なんじゃ!おぬしら!」

「憎き幕府の敵!覚悟!」

幕府のそして自らの運命を変えた元凶、宿敵・坂本龍馬を討った瞬間だった。坂本龍馬を討ったその日、早之助は普段は飲まない酒を楽しんだという。そのわずか2ヶ月後、鳥羽伏見の戦いに幕府軍として参戦した早之助は、銃弾に倒れその短い一生に幕を閉じた。

現在、大阪天王寺区にある心眼寺には早之助の墓がある。戒名・徳元院大誉忠愛義貫居士、江戸幕府への忠愛と義を貫いた英雄に相応しい名がつけられ早之助は祀られている。

※坂本龍馬暗殺には様々な説があり、実行犯としては新選組説、薩摩藩説、京都見廻組説の3つがある。

 忠臣蔵裁判

歴史的に有名なあの事件、実行犯目線で振り返ると意外な事実が見えてくる。

「それではこれより忠臣蔵裁判を開廷します」

歴史に残る事件の判決を当時を振り返りながらもう一度検証するこの法廷。被告人は忠臣蔵でお馴染み大石内蔵助。

「大石内蔵助って、主君の敵を討った忠義のヒーローよね?」

「検察官、大石内蔵助がどんな罪を犯したのか述べてください」

1701年大石の君主・浅野内匠頭は、江戸城内で吉良上野介と争いの末、抜刀。罰として即日、切腹に追い込まれた。しかし、喧嘩両成敗のこの時代、吉良側には何のお咎めもなかった。それに怒った大石は仇討ちのため、部下たちと吉良邸へ討ち入り。吉良を殺害したのであった。

「~よって刑法第199条殺人罪に当たります」

「被告人、今の内容に間違いはありませんか?」

「はい、間違いありません。私は討ち入りを決行し、吉良を殺しました」

「弁護人の意見はいかがですか」

「大石さん、あなたウソをついてますね」

「えっ(;゚Д゚)!」

討ち入りと殺害を認めた大石。しかし、弁護人は供述にウソがあるという。一体なにが…。

「弁護側は証人として大石氏の元部下で四十七士の一人、武林唯七氏を呼びたいと思います。武林さん当時のことを教えてくれませんか?」

「吉良家に討ち入りしたあの日…」

「大石様、くまなく探しましたが吉良はおりません」

「逃げられたか…、残念だが仕方ない皆で自害するか」

討ち入りしたはいいが、肝心の吉良が見つからない。大石はすぐに諦めようとしていた。

「お待ちください!あきらめるには早すぎます!吉良を討たずしては死んでも死にきれませぬ!」

ただ一人、武林だけは主君の仇討ちを諦めていなかった。

「見つけたぞ吉良!殿の仇!」

「吉良を殺害したのは私です。さらに大石様は殿が切腹された直後も…」

「大石様、一刻も早く憎き吉良を討ち取り、殿の御恩に報いましょうぞ!」

「そんなことをしてどうする?」

「なんですと!?」

「殿の弟君を当主にすれば済む話ではないか」

「そんな…」

「大石さんには討ち入りの意志はなかったんですね?」

「はい、その後一周忌が過ぎた頃、御上から弟君が浅野家を継ぐことは、まかりならぬというお達しが下って…」

「こうなってはもう浅野家再興は望めませぬ、さぁ!」

「しょうがないなぁ…討ち入りするしかないか…」

「はい!」

「つまり大石氏は吉良氏を殺してもいなければ、計画も立てていない。本当の実行犯は、ここにいる武林氏だったのです!弁護側からは以上です」

後の歌舞伎や浄瑠璃では、大石がヒーローに描かれたが本当の忠臣は、仇討ちを計画し吉良を討った武林なのかもしれない。

紀尾井町事件裁判

「それではこれより紀尾井町事件裁判を開廷します。被告人・島田一郎前へ」

「知ってる…?聞いたことないわ」

「検察官、島田一郎がどんな罪を犯したのか述べてください」

「1878年島田一郎は、当時内務卿の大久保利通を東京都千代田の紀尾井町で襲撃、殺害した。よって刑法第199条殺人罪に当たります」

維新三傑の一人として知られる大久保利通。初代内務卿を務めるなど明治維新に多大な貢献をしたが、志し半ばで暗殺された。

「被告人、今読み上げた事実に間違いはありませんか?」

「はい、私は…大久保利通を殺害しました」

「弁護人の意見は?」

「弁護側はこの事件の背景には、致し方ない事情があったとして情状酌量を求めたいと思います」

「致し方ない事情…?」

倒幕から数年、元加賀藩士だった島田は信じられない光景を目にする。

「お前なにしているんだ?まさか…?物乞い!?武士としての誇りはどこへ!」

明治政府の市民平等などの政策により、武士の生活は激変!慣れない商売に手を出し生活苦になる者も。

「俺なんかまだマシだ。他の仲間は盗みを働いたり、娘を売ったりして。そうじゃないと生活できないやつもいるそうだ」

「なぜ我ら士族がこのような目に合わねばならんのだ!」

「( ゚Д゚)_σ異議あり!!被告は戊辰戦争で新政府軍として戦っていた。つまり明治維新を成功させた勝利者側だったのでは?」

「確かに戦いには勝ちました」

「よし!俺たち加賀藩士もこれから出世するぞ!」

「おい、加賀の人間が何か言ってるぞ、ハハハハ」

「私だってここから武功を立てていけばいつかは…!」

「無駄だよ、加賀藩の奴が出世なんてできるわけないだろう」

「なぜだ!」

戊辰戦争で加賀藩は、新政府軍として戦い勝利するも、たいした恩恵を受けられないばかりか政府の重要ポストは薩長がほぼ独占。それ以外の藩出身者に出世の道は厳しく、島田をはじめとした全国の士族の多くは、自身の未来に絶望していた。

「それってかわいそうじゃない?」

「全国の士族は、完全に居場所を無くし苦しんでいたのです…。我々の悲痛な叫びに耳を貸さず、士族をないがしろにした大久保が許せなかった!」

1878年5月14日早朝、島田は加賀藩士ら5人の仲間と共に大久保利通の暗殺を実行。そしてその足で赤坂の仮皇居へと向かった。

「只今、大久保参議を殺害して参った。この旨を報告し、相応の処分をほどこされたい」

「なんと…同志の者は他にいるのか?」

「ございます。国民3千万人のうち官吏を除いたほか、皆同志であります」

高らかに自らの行いを申し立てた。事件から二週間後、島田ら6人は死罪となる。だが誰かの手によって彼らの墓は作られ、今もひっそりと祀られている。

時代の激流に飲まれた男の決死の叫びが、静かな法廷に響いた。

※大久保利通襲撃は事前に警察トップ・川路利良も知っていたが、加賀藩士などにできるわけないと暗殺の噂を聞き流し警護をしなかったと言われている。

 真田幸村を討った男

超有名武将の影に埋もれた実行犯の意外なドラマとは!?

1615年大坂の陣で獅子奮迅の活躍を見せた真田幸村。徳川家康を切腹寸前にまで追い詰めたことから日本一の兵(つわもの)と言われている。そんな幸村の最期は…

夏の陣、天王寺・岡山の戦いに敗れ満身創痍の幸村は神社で体を休めていた。

「もはやここまでか…」

「あいや待たれい!槍を合わせたまえ!」

幸村が討たれたことは語られるが、幸村を討った西尾仁左衛門が語られることはない。歴史的大事件に埋もれてしまった無名の下級武士、だがそこには知られざるドラマが隠されている。

仁左衛門は、幸村の首を持ち自陣へと帰った。

「おい仁左衛門、どこへ行っていたのだ?皆、大阪城に攻めておったのだぞ」

「私は逃げた武将を狙っておりました」

多くの武士が大阪城を落とそうと城を目指す中、仁左衛門は落ち延びた高名な武将を討ち取ろうとあえて別行動を取っていた。

「で、戦の守備はどうだった?」

「兜首らしき人物を討ち取ったのですが、それが誰だがわからないのです」

「誰かわからん?そんな兜首など…な、なんと!この首は真田左衛門之助幸村殿ではござらぬか!」

「それは確かですか!?」

「お主、知らずに討ち取っておったのか!」

なんと仁左衛門は、日本一の兵と言われた真田幸村と気づかずに討ち取っていたのだ。仁左衛門は、すぐに家老へと報告。

「なんとお主!あの幸村を!ようやった!褒美を与えるぞ!」

幸村という大黒柱を失った大阪城はあっけなく落城。武功によって仁左衛門は、見事に上級武士として大出世!俸禄は当初のおよそ20倍の3800石(家老レベルの報酬)となる。その後仁左衛門は…

「幸村様、あなたのおかげで私の人生は救われました。どうぞ安らかに」

出世のきっかけとなった幸村への感謝を忘れず、その首を故郷の越前に持ち帰り「真田地蔵」を立て幸村を弔った。この真田地蔵は今も福井市郷土歴史博物館に保存されている。真田幸村の死の裏で、1人の男とその一族の人生が大きく変わっていたのだ。

織田信長を刺した男

「敵は本能寺にあり!」

天下統一間近の織田信長が襲撃された本能寺の変。首謀者の明智光秀は、歴史にその名を轟かせているが…。

「のけのけのけ~、信長を討つのはこのワシじゃ!」

本能寺の変で活躍した男・安田作兵衛。この人物についてはほとんど語られていない。明智三羽烏の一人に数えられた槍の名手・作兵衛、その血の気の多さから素行はひどく悪かったが戦では毎度、抜群の働きをし光秀から相当な信頼を得ていた。

「信長ぁ!ワシと戦え!」

襲撃から逃げる信長に槍で致命傷を与えたと言われている。本来なら歴史に名を残すほどの大手柄だが、主君の光秀はその後、山崎の戦いであっけなく死ぬ。作兵衛も主君と運命を共にあの世へ…とはならなかった。

「ほぉ、信長を槍で突いたというのはお主か!」

「ああ、ワシじゃ」

「今後はワシに仕えるがよい」

「いやいや、先に私が声を掛けたのだ」

「じゃあ、良い条件の方に仕えるとしよう」

死んだ光秀とは対照的に、あの信長に槍を刺した男という武功が評判を呼び、引く手あまたで派手な暮らしをしていた。

「あの信長を槍で一突きよ」

「すごいわぁ」

「おい!もっと酒を持って来い!ワシはあの信長をこの槍で討った男だぞー」

だがこの生活は長くは続かなかった。

「こんな若造に頭を下げられるか!ワシはあの信長を討った男じゃぞ!」

「こやつ殿になんて口を!出てゆけ!」

元来の傲慢な性格が災いし、どこに仕えても長続きせず全国を転々。最後は行き場をなくし自害したと言われている。奇しくもその日は、本能寺の変からちょうど10年後の同じ日だった。信長のおかげで栄華を極めた作兵衛は、信長に囚われ命を落としたのだ。