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上杉謙信の一撃を軍配で止めた武田信玄!その腕力がヤバかった!?

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みんながよく知る歴史の名シーン…実際にはどのような状況だったのかを科学的に検証する!謙信の一撃を軍配で受け止めた信玄の腕力とは?斎藤道三が驚愕した織田信長の長すぎる槍とは?戦国最強と名高い鉄砲の意外な弱点とは?中国大返しに水攻めなど秀吉伝説を科学的に分析してみたら…

 

 科学でツッコむ日本史~あの名場面の真実は!?~

武田信玄と上杉謙信の一騎打ち

時は戦国時代。天下を狙う2人のライバルがいた。上杉謙信と武田信玄、2人の戦いで最も有名なのが川中島の戦い。戦国時代で1、2を争うこの戦いで、ある逸話が残っている。

それは、馬に乗った謙信が武田の陣に突入!信玄と一騎打ちに。そこで謙信の振り下ろす刀を、信玄が軍配で受け止めたというのだ。映画でも描かれる戦国時代を代表する名シーン。実際にはどのような状況だったのか?

科学的に分析すると、まず上杉謙信が持っていた刀(典厩割国宗)は、一般的な刀より30cmも長く、重さは推定1.7kg。また馬に乗った状態で斬っているため、普通に斬るよりも威力があったと推測される。

ちなみに戦国時代に武将が乗っていた馬は、サラブレッドではなく日本の馬(木曽馬)。武将を乗せてのトップスピードは時速30kmと言われている。だが一騎打ちの現場は、武田軍の陣営の中。今回は半分の時速15kmで、物理の法則に当てはめて衝撃力を計算する。

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これが衝撃力を求める物理の公式だ。刀の重さは1.7kg、馬の速度は時速15km、達人の刀の速度は重心位置で時速65km。衝撃吸収距離とは、インパクトから実際に衝撃を止めるまでの距離のこと。今回は5cmに設定。

そこから導き出される衝撃力は、なんと840kg。あくまで理論上の数値だが、これはプロボクサーのパンチの3倍の威力。刀でもろに受ければ当然、人の体はひとたまりもない。

こんな衝撃、軍配なんかで受け止められるはずがないと誰もが思うだろう。だが信玄が持っていた軍配は、鉄でできていたので受け止めたとしても不可能ではないと言われている。だが重要なのは、信玄の腕力!謙信の一撃を受け止めたということは、ごく短い時間だが、片手で840kgの物を持ち上げられるということ。両腕ならおよそ1.7tだ。

つまり川中島の戦いの逸話から浮かび上がる武田信玄像は、ベンチプレス1.7tを持ち上げられる男だということ。人気ゲーム、戦国BASARAのキャラ設定もあながち間違っていないのかもしれない(笑)。これはあくまで、文献を元に計算してみたもので、真実はわからない。だが誰も不可能と断定することもできない。これこそ日本史のロマンなのだ。

㊟この計算式の鍵は、衝撃吸収距離。今回は謙信の刀が軍配に当たってから、信玄がそれを受け止める距離を5cmで計算しているが、仮に10cmだった場合は半分の420kgになる。この距離が長ければ長いほど、威力は弱まっていくので絶対に不可能という数字ではなくなっていく。

信長の長槍の真実

日本人なら誰もが知る織田信長。その信長が「美濃のマムシ」と呼ばれ恐れられていた斎藤道三と初めて会った時のこと。当時「たわけ」とバカにされていた信長は、型破りな格好で兵を引き連れ、待ち合わせの正徳寺へ向かっていた。

その様子を陰に隠れてこっそりと見ていた道三は、信長の足軽隊が持っていた槍のあまりの長さに恐れおののき、本来は討ち取るつもりだったはずが、逆に味方することに決めたという名シーンだ。果たして信長の長槍とは?

戦国時代の槍の材料は竹。槍と言えば1本の硬く重たい木からできているイメージだが、細く長く木を削り出すのは難しくコストもかかる。しかも硬い方が逆に折れやすくなるため竹が使われたのだ。

重さは約2kg。女性でも十分に扱える重さになっている。これは戦国時代の足軽部隊に女性も混じっていたため。一級資料の『雑兵物語』には、劣勢になっても女性の方が粘り強く戦ったと記されているのだ。

槍は突くのではなく、主に叩いて使われた。理由は突いた時に先端がしなり、目標を的確に捉えることが難しいうえ、鎧を貫通するほどの威力も出せないため。最期にトドメを指す時だけ、短く持って急所を突いていたと考えられている。

信長の長槍は、通称「三間半槍」と呼ばれる。一般的な槍の長さは3~4m、対して信長の長槍はなんと6m以上。およそビルの3階に到達する長さだ。果たしてこの槍で叩いた威力とは?

6mの高さから槍を振り下ろした際、落下速度にしなりが加わりインパクト直前のスピードは時速90km、槍の重さは2.5kg。今回の衝撃吸収距離は、槍のしなりを考慮して20cmと設定。まともに当たれば、その衝撃は計算上およそ1.3t。これは一瞬とはいえ軽自動車2台が、乗りかかってきた威力だ。

だが信長以降、この槍が広まったという資料は見つかっていない。一発の威力はすごいが、持ち運びや操作性に難があったのだろう。

戦国最強の武器は鉄砲 or 弓矢

鉄砲と言えば「長篠の合戦」で信長の鉄砲隊が、戦国最強と言われた武田の騎馬隊を粉砕したエピソードをはじめとし、当時最強の武器だと名高いが…。

実は当時の鉄砲の弾は、まっすぐ飛ばなかった。現在の銃の銃身には、ライフリングと呼ばれるらせん状の溝が掘られている。弾丸が発射される際、この溝の影響で回転がかけられ、まっすぐ飛ぶ仕組みだ。

一方で、戦国時代の鉄砲にはこの溝が掘られておらず、銃弾もきれいな球体のため無回転で飛んでいたと考えられる。そのため、発射してから約70mは勢いでまっすぐ飛ぶが、それより先は空気抵抗によってサッカーの無回転シュートのように、どこに飛ぶかわからない武器だったのだ。

対する戦国時代の飛び道具と言えば、弓矢。鉄砲ほどの威力はないが、長距離用の弓ならば最大射程400mと十分な飛距離で鉄砲(500m)と比べてもそこまで遜色はない。しかも100mほどの距離ならば、狙った所に飛ばせるだけでなく連射性も圧倒的に高いため実際、戦国時代最強の武器は弓矢だったと言っても過言ではないのだ。

ヒーローの定番!峰打ちの真実

時代劇やアニメに出てくる峰打ち。実際に存在したのだろうか?

日本刀は、刃の部分は衝撃に対して非常に強く作られているが、実は峰に衝撃が加わるとすぐに折れてしまう。これは、刀の形に秘密がある。

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日本刀の断面は、独特の鎬造りという手法が使われている。この鎬造りと反りを入れたことで、圧倒的に斬りやすくなったのだが…。鎬造りは逆方向からの衝撃に弱いだけでなく、峰打ちすると反りが仇となり衝撃が1点に集中するため、驚くほど簡単に折れてしまう。

また、本来相手を殺さないための峰打ちだが、忘れてならないのが達人が刀を振るスピード。刀の先端は時速130kmにおよび、しかも生身は衝撃吸収距離がほぼなく、すぐ骨に達してしまう。例え刃が付いてなかろうが、頭や首に当たれば死に至る。それでなくても骨折は免れない。

中国大返し

1582年6月2日「本能寺の変」で信長が、明智光秀によって討たれる。この時、秀吉は京都からおよそ200km離れた毛利氏の備中高松城を攻めている真っ最中だった。だが翌日にその情報を掴んだ秀吉は、すぐさま毛利と和睦を結び、速やかに京都へ出発している。

なんと秀吉は出発してからわずか1週間後、京都の山崎で明智勢を倒し信長の後継者として天下統一を成し遂げた。およそ2万人の兵が、200kmの道のりを1週間で走破した逸話、これが秀吉の伝説の1つとして名高い「中国大返し」だ。

 200kmを7日で移動したとすると、1日あたり30kmしか移動していない。1日8時間移動したとしても時速4kmぐらいの計算になる(時速4kmは人の歩く平均速度)。全力で走ってきたというわけではない?そんなに大したことではなかったのか?

実は「中国大返し」で大活躍したのが石田三成。当時、軍の編成には小荷駄隊という食料や武器を運ぶ後方支援部隊が存在し、三成はこれを取り仕切っていた。この小荷駄隊の重要な役割は食料の調達。2万人の兵が200km移動するにあたり、三成は軍より先行し、行く先々で食料の準備をさせ兵のコンディションを保ったという。

この2万人の食事、言葉にすれば簡単だが1日あたりおにぎり1つだったとして、7日分だと14万個必要。お米に換算してなんと56000合。米俵で140俵だ。この三成の支えなくして、秀吉が天下人に上り詰めることはありえなかった。

凄かったのは、移動速度ではなく移動しながらの食料調達だったのだ。 2万人の食事を移動しながら用意するということは、現代の訓練された軍隊でも難しいという分析もある。人数を盛っていた可能はあるかもしれないが伝説に相応しいエピソードだ。

備中高松城の水攻め

後に堀を中央に配置し、水の都・大阪を作りあげた秀吉は土木工事の達人だった。戦でそのセンスが存分に発揮されたのが水攻め。敵の城の周りに堤防工事をしたうえで、川から水を流して湖を作り、城を孤立させ餓死させるという恐ろしい戦術だ。

中でも有名なのが「中国大返し」の時に攻めていた備中高松城の水攻め。堤防は長さ2.8km、幅16.2m、高さ7.2mと文献どおりならば巨大なサイズだ。これをなんと2週間で作り上げたという。

この水攻めに使われた資材を運ぶには10tトラックが6万台必要。一般的な10tトラックは、全長12m。6万台なら長さは、なんと720km。大阪から一列に並べると熊本城まで渋滞してしまう長さだ。資材調達能力はもちろん、現場の地形を見て驚くほどの早さで作り上げてしまう秀吉の土木建築センス。まさに戦国一の出世頭と呼ばれ、天下を取るに相応しい才能だったに違いない。

自然の地形を利用すると最小限の力で実現できたとも言われており、多少盛られているのは、歴史書のあるあるなのかもしれない。