新一万円札の肖像・渋沢栄一。日本資本主義の父と呼ばれ、数々の金言を残している偉人だが、そのお堅いイメージとは異なる意外な顔とはいったい…?
新一万円札の肖像・渋沢栄一
渋沢栄一が残した名言
渋沢栄一は、現在のみずほ銀行である第一国立銀行をはじめ、東京ガス、りそな銀行、キリンビール、日本郵船、帝国ホテル、東京急行電鉄、王子ホールディングス、日本取引所グループなど生涯におよそ500の企業設立に貢献。
日本資本主義の父と言われた人物。 さらに、数多くの名言を残した事でも有名だ。
『目的には理想が伴わねばならない。その理想を実現するのが人の務めである』
『商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ』
など現在書店では「渋沢栄一の名言本コーナー」が設置されるほど。
「論語と算盤」という本では、「儒教」というのは、古代中国に起こった孔子の思想に基づく教えで、教とついていても神を信仰するのではなく、人としてのあり方を唱えたもので倫理学に近い考え方。
金儲けのために何をしても良いという考え方は間違いで、算盤(そろばん)を片手に持っていても良いのだが、もう片方には論語を持ち、人間として正しいことをしながらビジネスをやっていくことの大切さを説いた。
しかし、そんな渋沢も男、年老いてもなお、精力旺盛だった。
会社倒産の危機に愛人宅で…
時は明治41年。当時68歳だった渋沢は、自宅近くに愛人を囲っていた。 愛人を持つこと自体は珍しい時代ではなかったが、そんな当時でも驚くべき事態が起きてしまう。 なんと、68歳にして愛人との間に子供が生まれたのだ。
この時、飛び出した名言が
「いやぁ、お恥ずかしい。若気の至りでつい…」
しかし!さらにスキャンダラスな名言が飛び出す!
それは明治31年ごろのこと。札幌麦酒株式会社(現在のサッポロビール)の専務取締役・植村澄三郎は、社内のトラブルに直面。 取締役会長である渋沢にどうしても連絡をとる必要があり、渋沢を捜したのだが…八方手を尽くしても居所がつかめない。とその時、 植村が勘を働かせて向かった先は、日本橋にある渋沢の愛人宅。
植村「会社が大変なんです。会長は来ていませんか?」
すると奥から渋沢本人としか思えない声で、こんな言葉が聞こえてきたと言う。
「かようなところに、渋沢のおるべき道理はありません。御用がおありなら明朝、宅のほうをおたずねください。と申し上げなさい」
植村「か、会長…」
特産品の発展に貢献
日本経済の発展に大きく貢献した渋沢栄一。 しかし、彼が遺した功績は会社設立だけではなかった。 実は、渋沢栄一のお陰である特産品が大発展を遂げた。
渋沢は元々、江戸幕府に仕えていた幕臣だった。 大政奉還後、15代将軍慶喜は駿府(静岡県)に蟄居した。 それまで武士として給料をもらっていた人たちにしてみれば、世の中がガラっと変わってどうやって生きるべきかわからない。
その中で駿府について行った幕臣たちは、お茶作りを始めることした。その茶農家への資金援助をするシステムを渋沢は静岡で作ったのだ。
渋沢は1869年、銀行と商社の機能を併せ持った「静岡商法会所」を設立。 資金繰りが苦しかった茶農家に貸し付けを行い、現在も続く特産品・静岡茶発展の礎を築いたのだ。