前回の続きです。岡田斗司夫さんによる天空の城ラピュタ解説。金曜ロードショーで放映される前に知っていれば、違った見方ができて面白いのではないでしょうか
ラピュタ6つの魅力
- 不思議なエロス
- 矛盾した文明批判
- 説明されないキャラクター
- 謎の産業革命
- 男の成長物語
- 人間・宮崎駿
不思議なエロス
前回の記事で書いているのでこちらをご覧下さい。
SFとしてのラピュタ
「2001年未来の旅」を書いたSF作家アーサー・C・クラークの「未来のプロフィル」というノンフィクション本がある。この中に“クラークの三原則”というものが出てくる。クラークは、未来予測というものに一貫した法則を見出して、それを提唱している。
ダ・ヴィンチ、アルキメデス、ガリレオという千年ほど時代の違う人物を連れてきて、現代のヘリコプターや自動車を見せたらどうなるか?彼らはおそらく、すぐに原理を理解して全く悩むことはないだろうとクラークは書いている。
なぜなら、ガソリンエンジンにしても飛行機にしても、それらに使われている物理的な概念は彼らが生きていた当時の理論の延長線上にあるので、理解することはそんなに難しくない。
だが、コンピューターやテレビ、原子炉を見せたらどうなるか?彼らは、電子や電流という先進的な思考の枠組みは持っていない。これらについては理解できないか、理解するまでに時間がかかるだろうとクラークは書いている。
クラークは、その最も簡単な例は原子爆弾だと書いている。原子爆弾というのは、極端に言えばウランの塊2つをくっつけたら爆発するというだけのものだ。だがこれを19世紀末の科学者たちに言ったら、呆れた顔で私たちが知っているよりも遥かに詳しい物理の法則や化学反応などを解説しながら、2つの金属をひっつけただけで熱エネルギーが発生するというのは、どんなにありえないことか説明してくれるだろう。
核反応というのは、それぐらい知らない時代の人にとっては思考のフレーム外のことなのだ。だからクラークは、よくわかないはずだと書いているのだ。クラークはそういったことをまとめて3つの未来予測に関する法則を打ち立てた。
- 高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている
- 可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである
- 十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない
天空の城ラピュタはSFだが、SF作品の中でもこの3番目の理論を上手く使っている。具体的に言えば、ドーラたちが使うメカは、あの時代でも先進的な技術によって作られている。でもそれはパズーが見ても理解できるもの、説明可能なもの。だがラピュタ文明によって作られたメカは説明不可能なものが多い。
この2つを対比させることで、技術レベルの違うメカを対比させている。石炭による蒸気機関、石油による内燃機関、ラピュタの超科学、さらにラピュタの超科学は2つの層に分かれており、宮崎監督はすごく奥深くて面白いSF的な世界を作り上げている。
タイガーモス号は実現可能?
タイガーモス号は、ドーラたちが自分たちの基地にしている全長40メートルくらいの飛行船だ。船体後部に付いているプロペラは、四重反転プロペラという複雑な機構だ。ラピュタの世界の大型機械のほとんどが、石炭による蒸気機関であるのに対して、タイガーモス号はガソリンエンジンを積んでいて4つのプロペラがそれぞれ反対側に回るという複雑な機構になっている。
左右についているプロペラは、推進機構のように見えるがそうではない。この大きなプロペラは、上下に傾けることによって垂直上昇したり、急激な方向転換を可能にするという設定になっている。
これらのプロペラを1つの動力で動かしているので、動力伝達機構がかなり複雑になっている。これらは、イギリス産業革命時代の工場と同様で、動力機を中心として、その動力を伝達する伝導機構および作業機から構成されていた。
ラピュタの世界のメカは歯車がついているイメージが強いが、よく見ると動力伝達のためのプーリーやベルトが描き込まれている。プロペラの操作は、全てエンジンルームで行われている。そのためドーラがいるブリッジでは、伝声管で命令しているだけなのだ。命令はブリッジでやって、操作は現場で行うというスタイルは19世紀末にしてみれば最先端の思想なのだ。
フラップターは半分SF
【画像】© 1986 Studio Ghibli
こうして見るとタイガーモス号は、ぎりぎり冒険モノレベルでSFではない。ではドーラたちが乗るフラップターはどうなんだろうか?フラップターという羽ばたき飛行機は、人工筋肉を電気で動かし、羽を振動させて飛んでいる。
手回しでエンジンをスタートさせている描写があるため、レトロな印象があるが発電機で電気を生み出して動力にするという思想は、産業革命当時にしてかなり新しいものだた。
磁力と回転で電気を発生させる(フレミング右手の法則)発電機と磁力と電流で力を発生させる(フレミング左手の法則)モーターの関係を知らなかったドーラの元愛人(フラップター製作者)は、エンジンで発電機を動かして電気の力で人工筋肉を作動させて動かそうというふうに考えた。
このフラップターも人工筋肉はSFとは言え、歯車やシャフトで出来ているメカなので私たち現代人でも理解はできる半分SFな存在なのだ。
ロボット兵はSFなのか?
ラピュタのロボット兵については、完全にSFになっている。作品の中でムスカが「我々にはあの材料が、粘土なのか金属なのかもわからない」と言うシーンがある。それくらい全く何かわからないモノとして出てくる。
宮崎監督の設定によると、伸縮自在の素材で柔らかくも固くもなれる形状記憶セラミックとなっている。分解も修理も不可能で、千年経っても動いていて動力源が何なのかも不明。外見からは動力を積んでいるように見えないが、ロケットを噴射して空を飛ぶこともできる。
だが、ゴリアテの大砲でも壊せたことからラピュタ文明のメカの中では下等な方なのだという。ラピュタ文明は前期と後期があり、前期は飛行石のような完全に謎な文明。後期は、世界を武力支配するようになったムスカが思い描いた文明。ロボット兵は、この後期文明の産物だと考えられる。
シータがロボット兵に助けを求めた時、動きだしたロボット兵のちぎれた腕の内部ではコードのようなものがウネウネと動いていた。だがちぎれて離れた方の腕の内部は、反応しなかった。中央に動力部があり、動力がつながっていない部分は動かないというのは、私たちが理解しているメカの範疇だ。
つまり、微かには理解可能なテクノロジーというのが、ラピュタに出てくるロボット兵なのだ。
飛行石
ラピュタに出てくる本当に理解できないSF的テクノロジーというのが飛行石だ。この飛行石は、クラークの言う第3法則「魔法としか思えない機能」を持っている。まず、ラピュタの王位継承者の命令しか受け付けない。次に反重力のような現象を起こすことができるが、そのエネルギー源は不明。
ロボット兵との一番の違いは、組み立てられないということ。飛行石には組み立てられた形跡が一切ないのだ。ロボット兵は、墜落して壊れたものが分解されている状態で映されているので、組み立てた痕跡がかろうじてわかる。
だが飛行石はバラせない1つの透明な結晶で、仕掛けがわからないというか1つの塊なのだ。ラピュタの方角を示す光線が出るのだが、発行源が何なのかもわからない。これは宮崎監督が、科学に無知だからというわけではなくクラークの第3法則を知り尽くしているからこそ、ラピュタの科学力の段階差を少しづつ見せるための表現だという。
この飛行石は、音声に反応するため音声認証機能があるのだろう。王位継承者かどうかもわかるため遺伝子認証みたいな機能もあるだろう。そこまではいいとしても、反重力に使われたエネルギーというのは説明がつかない。
1000メートルくらいから落下するシータの体を浮かせるには、膨大なエネルギーが必要であり、それを5グラム程度の石から得ようとしたら核反応くらいしかない。それくらいのエネルギー効率なのだ。
ラピュタが樹木に覆われているのは、宮崎監督の趣味であると同時に飛行石には「植物を育てる」という力があるため。宮崎監督も「宇宙の聖なる根源であるから。シータが生きてこられたのも飛行石によって畑がよく実ったからだ」と言っている。
植物がよく育つ、ポムじいさんが「エネルギーを持っているがすぐに揮発してしまう。凄い技術だが人が持ってはいけないもの」と言ったことから、飛行石は原子力のメタファー(隠喩)として宮崎監督が考えたものではないかという。「青い光を放つ」というのも原子炉で見られるチェレンコフ光を思わせる。
ふしぎの海のナディアとの関連
飛行石というのは、ナディアに出てくるブルーウォーターと同じだと放送当時によく言われていた。ナディアの一番最初の設定は、岡田さんが全て担当したという。昔、宮崎監督が書いた「海底世界一周」という企画書があり、これをNHKに渡されて製作を頼まれたという。これ完全にラピュタじゃんと思いながら、NHKに作れと言われてなんとか設定をでっち上げたそうだ。
そんな中、古代アトランティスの遺産としてブルーウォーターを作ったという。これはナディアに出てくるバベルの塔などの全ての遺産の機動装置であり、エネルギー源。その正体は物質ではなくプログラムで、その情報があまりにも膨大なために質量すら持ってしまっているという設定。
その情報量は、地球が生まれてから現代までの地球空間にある全ての原子の位置情報など全てが入っている。ブルーウォーターは1つあれば、地球やそこに生まれた生命1つ1つまで全てが再現可能という記録装置になっている。
ここからがポイントで、ネオアトランティスという敵の親玉ガーゴイルは死ぬまでブルーウォーターが何なのか理解できなかった。ネモ艦長も同様だ。ブルーウォーターをみんなで奪い合うのだが、ブルーウォーターは単に記録装置(レコーダー)なので誰にも使えないのだ。
ラピュタのオマージュとして作られたナディアには、もちろん天空の城的なものも登場する。それがバベルの塔という光線兵器と遺跡として出てきた巨大宇宙船レッドノアだ。
レッドノアには、恒星間飛行できる機能はない。実は、地上と軌道衛生までの往復シャトルなのだ。バベルの塔は一見すると攻撃兵器のように見えるが、単なる通信用のレーザー。出力があまり大きいため地上に向けて使えば攻撃兵器にもなってしまうだけで、遥か昔にやってきたアトランティス人が本星との通信に使っていた通信機なのだ。
ガーゴイルやネモ艦長は、レーダーという機能が理解できずに兵器として使ってしまったのだ。そのせいで、百光年ほど離れた所にあるアトランティス本星へ連絡が行ってしまうことになった。そのため最終回では、私たちを作った古代アトランティス人がやって来るというパターンのアイデアがあったが、それらは当然ボツになった。
要約すると、当時開拓されていない海というものに憧れを持っていたという19世紀の話を現代の私たちは楽しめないだろうから、訳のわからない者との出会いみたいな所までつなげていこうというのが、岡田さんの考えた初期設定だったという。
これと同じことがラピュタでも起きている可能性がある。ムスカが使用したインドラの矢もバベルの塔と似たようなものではないか?とも思える。
ラピュタ本体
冒頭に出てくるラピュタは、下にプロペラがついている。これを見てがっかりした人たちもいただろうが、実際に現れたラピュタは違った風貌だった。これは、言い伝えとしてラピュタの話を聞いている当時の人たちは、プロペラで飛んでいるということくらいしか思いつかない。という意味だったのだ。
同じようにムスカもラピュタにどのような機能があるのかはわかるのだが、それが何のためにあるのか?というところまではわからない。これは攻撃兵器だ、これで世界を支配していたに違いない!と発想してしまうところが面白いという。
このラピュタのイメージは、ブリューゲルの描いた「バベルの塔」だ。ラピュタは神殿の下が四階層になっており、第1層が天帝の界、第2層が騎士の界、第3層がエデンの園、第4層が人民、そして下界という構造になっている。
ラピュタは元々地上に建っていたもので、それを浮かせたという設定。完全に忘れさられた前期ラピュタ文明の人たちは、神に会おうとして神に近づくために空中に城を浮かべた。つまり旧約聖書にあるバベルの塔の代わりになる。
ところが後期ラピュタ文明では、神に会えないことがわかり地上を恐怖で支配するようになった。これがムスカの知っているラピュタだ。ラピュタの神殿というのは、宗教的なものではなく、ラピュタ人が神を迎える場所。おそらくラピュタ人にテクノロジーをさずけた人々というのがいて、それは宇宙に住んでいる人々なんだろう。
彼らからテクノロジーを教わったけど、中心の理論というのは理解できなかった。だからラピュタの中には飛行石のような再現不可能なオーバーテクノロジーとロボット兵のようなラピュタ文明での教育があれば理解できるような2つの科学が存在している。
宮崎監督の捨てた設定
宮崎監督が設定資料で消したメモがある。
「天より現人神降臨したまいし時、神の秘跡として宙に浮かびあがった古き町。今、世界を統べる聖都として空に君臨している」
つまり、2つの時代が存在しているのだ。ある時、天から現実の人物が降りてきて神である証拠として空に町を浮かべてくれた。でもその町は今、世界を統べる聖都として空に君臨している。
この設定を一度は書いたものの、映画の中で見せるのをやめたのでペンで消している。なので見せるのはやめたけど、設定としてはラピュタの中に二重文明は存在しているのだ。
宮崎監督がラピュタの中で使わなかった設定として、空からやって来た人がラピュタという文明を与えた。しかし、その人たちはもういなくなってしまったので、ラピュタの人たちは世界を支配することにした。ということが文章として残っているわけだ。
無料放送はここまででした。結構、お腹いっぱいになりました。でもこの地球外生命体が人に知識を与えたって考え方は、ゼカリア・シッチンと同じですね。ラピュタにそこまで深い設定があったなんて面白いですね。