嘘か本当か分からない話 信じるか信じないかはあなた次第。嘘か本当か分からない話を紹介 2020-01-18T18:00:00+09:00 ambiguousnews Hatena::Blog hatenablog://blog/13355765958053680696 【麒麟がくる】明かされる明智光秀の意外な事実!大河前に要チェック!? hatenablog://entry/26006613498808912 2020-01-18T18:00:00+09:00 2020-03-18T19:03:13+09:00 戦国時代の超有名人・明智光秀。実は、織田信長に仕える前にどこで何をしていたのか、ほとんど謎だった。しかし、最近新しい資料が次々に発見され意外な事実が判明した!明智光秀の実像に迫る! <p><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20200117/20200117170447.png" alt="f:id:ambiguousnews:20200117170447p:plain" title="f:id:ambiguousnews:20200117170447p:plain" class="hatena-fotolife" itemprop="image" /></p> <p>戦国時代の超有名人・明智光秀。実は、織田信長に仕える前にどこで何をしていたのか、ほとんど謎だった。しかし、最近新しい資料が次々に発見され意外な事実が判明した!明智光秀の実像に迫る!</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#あらためて知りたい明智光秀"> あらためて知りたい!明智光秀</a><ul> <li><a href="#織田信長の家臣になるまで"> 織田信長の家臣になるまで</a><ul> <li><a href="#針薬方の発見">針薬方の発見</a></li> <li><a href="#朝倉家で医術を学んだ10年間">朝倉家で医術を学んだ10年間</a></li> <li><a href="#足利家の家臣となる">足利家の家臣となる</a></li> </ul> </li> <li><a href="#織田家-第一の家臣">織田家 第一の家臣</a><ul> <li><a href="#延暦寺焼き打ち">延暦寺焼き打ち</a></li> <li><a href="#丹波攻めの試練">丹波攻めの試練</a></li> <li><a href="#東大寺と興福寺の争い">東大寺と興福寺の争い</a></li> <li><a href="#信長随一の家臣に">信長随一の家臣に</a></li> </ul> </li> <li><a href="#本能寺の変はなぜ起きたのか"> 本能寺の変はなぜ起きたのか</a><ul> <li><a href="#四国政策">四国政策</a></li> <li><a href="#信長の変心">信長の変心</a></li> <li><a href="#本能寺の変へ">本能寺の変へ</a></li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h3 id="あらためて知りたい明智光秀"> あらためて知りたい!明智光秀</h3> <p>今年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀。「本能寺の変」で日本史上でも屈指の有名武将だ。しかし、その人生は謎だらけ。生まれた年や出身地など、前半生のことはほとんどわかっていなかった。</p> <p>ところが最近、とある古記録が脚光を浴び、若い頃の意外な職業が判明した。それは「医者」。しかもこの事実は、光秀のその後の人生に大きな影響を及ぼしていた。最新研究から、明智光秀の実像がよみがえる!</p> <h4 id="織田信長の家臣になるまで"> 織田信長の家臣になるまで</h4> <p>光秀の出生は、1528年というのが有力になっている。その場合、6歳年下の織田信長の家臣となったのは、光秀が44歳の頃(1571年頃)。すると本能寺の変を起こしたのは、55歳の時となる。</p> <p>人生の前半については、江戸時代の軍記ものに戦国大名・斎藤道三や朝倉義景に仕えたなどとあるが、同じ時代の資料で裏付けられているわけではない。つまり、信長に仕える前にどこで何をしていたのか、わかるものはほとんどなかった。</p> <h5 id="針薬方の発見">針薬方の発見</h5> <p>しかし最近、光秀の謎の前半生に迫る手がかりが見つかった。</p> <p><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20200117/20200117134524.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20200117134524j:plain" title="f:id:ambiguousnews:20200117134524j:plain" class="hatena-fotolife" itemprop="image" /></p> <p>滋賀県高島市にあった田中城に光秀はいたことがわかったのだ。この時、光秀は39歳。信長に仕える5年ほど前になる。近年、熊本の旧家で医術本である「針薬方」が見つかった。これには、金瘡(きんそう)と呼ばれた戦いでの傷の治療法などが記されている。この「針薬方」には、</p> <p>「明智十兵衛尉 高島田中籠城の時に口伝した」</p> <p>と書かれている。つまり、この医術書は明智光秀が田中城籠城のさなかに口伝えで教えたものであり、光秀は武士でありながら医者としての知識があったことが判明したのだ。</p> <p>光秀の籠城には、当時の政治情勢が関係している。この前年、室町幕府13代将軍・足利義輝が、家臣の三好三人衆に殺害されてしまう。すると義輝の弟・義昭は、近江から諸国の武士に自分を助けるように呼びかけた。</p> <p>光秀は、これに応じて義昭の拠点の1つ田中城に入ったと思われる。この時、医術を口伝えで光秀から教わった武士が義昭の側近で、そこから光秀のことが義昭に伝わったと考えられる。</p> <h5 id="朝倉家で医術を学んだ10年間">朝倉家で医術を学んだ10年間</h5> <p><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20200117/20200117140251.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20200117140251j:plain" title="f:id:ambiguousnews:20200117140251j:plain" class="hatena-fotolife" itemprop="image" /></p> <p>福井県坂井市にある称念寺。鎌倉時代に開かれた時宗のお寺だ。「遊行三十一祖京畿御修行記」は、「針薬方」の少し後に成立した記録。ここに光秀が、越前の大名・朝倉義景を頼って称念寺の門前に10年住んだとある。</p> <p>つまり、光秀は田中城籠城の前後になる30代の頃にここに住んでいたことになる。朝倉義景の城下町である一乗谷には、医術を取り入れることに熱心だった朝倉義景の痕跡が多く残されている。</p> <p>医者の屋敷跡からは、薬さじや薬の材料を細かくする薬研など多くの遺物が見つかっており、一乗谷の医術が進んでいたことを伺わせる。光秀は、朝倉家の医術を教わっていたのだろう。</p> <p>「針薬方」には妊婦に対する処方が多く記されており、光秀は産婦人科医として働いていたのではないかと思われる。</p> <p>光秀について最新研究でわかったことをまとめると、</p> <ul> <li>30代前半、越前の称念寺門前に居住</li> <li>医者として生計を立てる</li> <li>40歳直前に田中城で籠城</li> <li>足利義昭の側近に「針薬方」を伝える</li> </ul> <h5 id="足利家の家臣となる">足利家の家臣となる</h5> <p>1568年、田中城での働きが認められたのか光秀は、義昭のもとに招かれる。こうして家臣となった光秀は、義昭のために尽力する。</p> <p>5ヶ月後、義昭は織田信長の助けで京に入る。そして翌年、光秀は大きく出世するきっかけをつかむ。かつて将軍・義輝を殺害した三好三人衆が、再び京へ乱入したのだ。義昭が襲撃された時、光秀は味方が駆けつける2日間、将軍御所を守りきった。</p> <p>このことが評価されたのか、直後に光秀は側近の1人へと抜擢される。木下藤吉郎秀吉らと都とその周辺で起きる様々な問題を処理する行政官のような重要な仕事を任される。文字に明るく、米の計量など計量能力の高さから光秀が選ばれたと考えられる。</p> <p>この時、光秀43歳。いよいよ戦国の荒波に乗り出していく。</p> <h4 id="織田家-第一の家臣">織田家 第一の家臣</h4> <p>天下の将軍の家来、室町幕府の一員となり領地も得た光秀は城の主にもなった。滋賀県大津市の宇佐山に光秀が任された城があった。当時の城には珍しく、石垣を持つ堅固な造り。織田信長が琵琶湖やその北の抑えに置いた城で、京を守る要衝の1つだった。</p> <p>宇佐山城のすぐ近くには、比叡山延暦寺があり、光秀の人生はこの後「天下布武」を掲げる信長の戦いに大きく影響されていくことになる。</p> <h5 id="延暦寺焼き打ち">延暦寺焼き打ち</h5> <p>1571年延暦寺焼き打ち。織田信長が堂塔伽藍を焼き払った。僧侶だけでなく、女性や子供まで殺害。その数は4000人にも及んだ。これまで、光秀は焼き打ちに消極的だったとされてきた。</p> <p>ところが、事件の直前に光秀が出した手紙には…。</p> <p>「延暦寺に味方する仰木の者たちは必ずなで斬りにします」</p> <p>と書かれている。「なで斬り」とは皆殺しのこと。これは信長使う「根切」によく似ているという。つまり、信長と光秀の思考の一致を物語っている貴重な事例なのだ。</p> <p>京都盆地の北西にある愛宕山。ここに光秀が心の拠り所とした愛宕神社がある。当時、ここには祈願すれば戦いに勝てるという「将軍地蔵」が置かれていた。愛宕の神は、軍神として16世紀から武士の間で信仰を集めていた。</p> <p>光秀は、延暦寺の僧侶たちを殺しても愛宕の神の罰は当たらないのではないかと考えていたようだ。そのため僧侶殺しという一昔前だったら仏罰が当たるようなことでも、容易に成し遂げられたのではないかと考えられる。</p> <p>焼き打ちの後、光秀は信長から志賀郡を与えられる。義昭からもらった領地の数十倍だった。この頃から光秀は、信長も主君と仰ぐようになる。</p> <p>必要とあらば手段を選ばずやり遂げる。家臣は家柄ではなく実力で評価する。信長の合理的な考えに光秀は惹かれていったと考えられる。そして2年後、光秀は大きな決断を迫られる。</p> <p>将軍・義昭が信長と対立。この時、光秀は義昭と決別、信長のみを主君とすることに決める。室町幕府は、身分秩序を大事にするので義昭は、もともとの身分が高い武士、家柄の高い武士を優遇するということになる。光秀にしてみれば、義昭に使えていても限界あり、そんなに高い地位にまで出世できないということがあった。</p> <p>だが、信長であれば実力を示し、実績を残せば出世できる可能性があった。それが光秀に信長を選ばせた背景にあったと考えられる。</p> <h5 id="丹波攻めの試練">丹波攻めの試練</h5> <p>1575年、光秀は丹波攻めを任される。丹波は山がちでたくさんの小領主がいる治めにくい土地で、足利義昭に味方し、信長に敵対する者も多くいた。</p> <p>光秀は丹波の奥深く黒井城まで攻め入ったが、丹波中央部の大勢力で当初、信長の味方だった波多野秀治が裏切り、退路を絶たれる窮地からなんとか退却したものの、間もなく病にかかってしまう。京の名医・曲直瀬道三の治療を受けることになるが病は重く、回復まで2ヶ月を要した。</p> <p>この頃、光秀を支えた人物として頻繁に登場する人物がいた。光秀の妹で信長の側室だった御ツマキ殿だ。当時、側室など信長に仕えた女性たちは、さまざまな訴えを信長に取り次ぐ役目も務めていた。</p> <h5 id="東大寺と興福寺の争い">東大寺と興福寺の争い</h5> <p>ある時、御ツマキ殿は奈良・興福寺から訴えを寄せられた。内容は東大寺との争いごとだった。信長は、この裁きを光秀に任せた。その記録が「松雲公採集遺編類纂」に残っている。</p> <p>「戒和上(かいわじょう)」という宗教上の重要な役目をめぐる奈良の2大寺院の対立だ。実は、この役目もともとは東大寺のものだった。しかし、130年前に興福寺に移っていた。それを取り戻そうと東大寺は、古文書などの証拠を揃えていた。</p> <p>一方、興福寺の文書は年号も判もなく、文字も抜けていて信用しがたいものだった。東大寺の有利は明らかだったが、信長は双方に「近年の有姿」申し付けよと命令した。</p> <p>近年の有姿を申し付けるとは、現在の状況を重んじるということ。古い証文など、前例を大切にする当時としては、珍しい考え方だった。</p> <p>信長の方針を知った光秀は、興福寺を勝ちとした。これは、端的に歴史の否定を意味しており、織田政権はこれまでの歴史を否定した上で新しい秩序を作っていく政権であることを示したものと言える。</p> <p>妹の力添えもあり、信長と緊密な関係を築き出世街道を突き進む光秀だった。</p> <h5 id="信長随一の家臣に">信長随一の家臣に</h5> <p>光秀は、2年前に裏切られた波多野秀明の討伐に向かうことになる。ここで光秀は、敵の城を完全封鎖するという、かつてない徹底した城囲いの攻城戦を繰り広げる。もともと文官である光秀は、戦争に強いわけではなかった。そこで考えついたのが、敵を逃がさず、兵糧などを遮断して戦わずに勝つという方法だった。</p> <p>こうして、光秀は丹波を平定。となりの丹後まで攻略し、戦いでも信長の期待に応えた。信長の革新に共鳴し、奮闘する光秀。52歳にして織田家随一の重臣となった。</p> <h4 id="本能寺の変はなぜ起きたのか"> 本能寺の変はなぜ起きたのか</h4> <h5 id="四国政策">四国政策</h5> <p>当時、光秀は信長と土佐の大名・長宗我部元親との間を取り持っていた。その結果、信長は、自分の「信」の字を元親の息子に与えた。これは同盟の証で、信長は元親を四国の支配者と認めたと考えられる。</p> <p>ところが、本能寺の変の1年前。突然信長は、四国、阿波の国の武将・三好康長と接近。康長に領地を返すよう元親に要求したのだ。それで一番困ったのは、織田家において長宗我部との交渉窓口となっていた光秀だった。</p> <p>窮地に立たされた光秀に追い打ちをかける出来事が…。妹・御ツマキ殿が病に倒れたのだ。妹を亡くし、光秀はとても力を落としたと記録は伝えている。</p> <p>それでも光秀は、長宗我部に対する説得を続けた。妹の死の後に送った手紙には</p> <p>「信長様に従うのが元親殿の御ため」</p> <p>必死の思いが伝わってくる。</p> <h5 id="信長の変心">信長の変心</h5> <p>ところが、今度は織田家の内部で光秀を脅かす変化が起こりつつあった。この時、織田軍は、信長の一族や直臣衆を中心に厚遇するような傾向を見せ始めていた。自分の息子や娘に光秀たちが苦労して統治した土地を与えはじめたのだ。</p> <p>これまで家臣を家柄ではなく、実力で評価してきた信長の変心。こうした中、3月には信長が天下を嫡男・信忠に譲ると表明。さらに5月に長宗我部元親を攻めるという衝撃的な決定をする。</p> <p>総大将は信長の三男・信孝。讃岐は信孝、阿波は三好康長、残りは追って決める。四国に対する方針は一変した。光秀は四国攻めから外され、毛利を攻めていた羽柴秀吉の援軍を命じられる。</p> <p>信長が光秀を用済みだと切り捨てたのかどうかは、わからないが光秀がそう感じてもおかしくない状況だった。</p> <h5 id="本能寺の変へ">本能寺の変へ</h5> <p>5月27日(本能寺の変4日前)、光秀は愛宕神社に参拝する。1582年6月1日、丹波・亀山城、軍議中の光秀のもとに情報がもたらされる。</p> <p>「失礼つかまつる!本日、上様、信忠様は御馬廻りと共に京にご滞在との由」</p> <p>「あい、わかった。ご両所のご座所はいずこか?」</p> <p>「上様は本能寺、信忠様は妙覚寺にてそうろう」</p> <p>もたらされたのは、信長と後継者の信忠が僅かな供回りで京にいるとの情報だった。この時点で、他の有力家臣は皆、遠く離れた地で戦っていた。光秀は決断する。</p> <p>「これより、信長を討つ!」</p> <p>そして、家臣たちと共に天下人となる計画を立てたと記録は伝えている。</p> <p>天下を取るには、信長だけではなく嫡男・信忠も同時に討たなければならない。だがこの2人を同時に討つことなど、そもそも無理な話。誰も仕組んでないのに、おあつらえ向きな状況がお膳立てされて、謀反のチャンスが与えられるなど、当時の人の感覚からすれば、もはや人間のできることではない。</p> <p>神がやった天の配剤であると思ったことだろう。だからこそ、光秀は決断した。</p> <p> </p> <p>この日、信長は49年の生涯を閉じた。そして、わずか11日後、光秀も非業の最期を遂げる。天下の主にはなれなかったのだ。 </p> ambiguousnews 脳は簡単に騙される!?ブラックマーケティングを回避しよう hatenablog://entry/26006613476169806 2019-12-04T19:00:00+09:00 2019-12-04T19:07:14+09:00 スマホゲームに課金してしまう2つの感情は「もったいない」と「???」。ついブームに乗って買ってしまうのは「脳が???しようとするから」。アイドルやホストにのめりこんでしまう原因の脳内物質「オキシトシン」とは? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20191204185247p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20191204/20191204185247.png" alt="f:id:ambiguousnews:20191204185247p:plain" /></p> <p>スマホゲームに課金してしまう2つの感情は「もったいない」と「???」。ついブームに乗って買ってしまうのは「脳が???しようとするから」。アイドルやホストにのめりこんでしまう原因の脳内物質「オキシトシン」とは?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#ブラックマーケティング"> ブラックマーケティング</a></li> <li><a href="#脳を刺激する巧みな仕掛け">脳を刺激する巧みな仕掛け</a><ul> <li><a href="#スマートフォンのゲームアプリに課金">スマートフォンのゲームアプリに課金</a></li> <li><a href="#女性を悩ませるセロトニンの囁き">女性を悩ませるセロトニンの囁き</a></li> <li><a href="#ブームに乗るのは脳がするから">ブームに乗るのは脳が???するから</a></li> <li><a href="#オキシトシンの温もり">オキシトシンの温もり</a></li> </ul> </li> <li><a href="#進化するSF商法の実態"> 進化するSF商法の実態</a><ul> <li><a href="#催眠商法SF商法">催眠商法(SF商法)</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="ブラックマーケティング"> ブラックマーケティング</h3> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20191204165248p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20191204/20191204165248.png" alt="f:id:ambiguousnews:20191204165248p:plain" /></p> <p>あなたにはこんな経験ありませんか?連休中に旅行に行こうかとホテルの予約サイトを見ている時、そのホテルの閲覧人数が増えたのを見て、泊まる気もない宿をついつい予約してしまった。いわゆる衝動買い。</p> <p>この時、人は無意識の内にある物質を巧みに操られている。それは、セロトニンとアドレナリン。セロトニンは精神を安定される働きを持つ。一方、アドレナリンは興奮や怒りの元になる物質。</p> <p>セロトニンは日常生活でアドレナリンが増えすぎないよう抑える役目も担っている。通常の買い物をする時は、セロトニンの働きで精神の安定や冷静さを保てているのだが…。</p> <p>先ほどのように、泊まる気はなくとも他人も見ているというメッセージがあることで、無意識に焦りや不安といったストレス感情が発生。するとそのストレスが原因で、脳内のセロトニンが減少し結果、セロトニンによって抑えられていたアドレナリンがどんどん増えていき、興奮状態になってしまう。</p> <p>精神の安定が崩れ、興奮状態に陥った脳はやる気満々な状態になり、買うという決断のスイッチを入りやすくしてしまうのだ。他にもタイムセールや期間限定といった謳い文句など、無意識の内に不安や焦りを煽りセロトニンを減らす商法が世の中には数多くある。</p> <p>こうした脳のメカニズムを利用したニューロマーケティングと呼ばれる販売手法や広告宣伝は、多くの企業で注目されている。だが一方で、これを悪用して詐欺や犯罪行為が行われることも…。</p> <h3 id="脳を刺激する巧みな仕掛け">脳を刺激する巧みな仕掛け</h3> <h4 id="スマートフォンのゲームアプリに課金">スマートフォンのゲームアプリに課金</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20191204174110j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20191204/20191204174110.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20191204174110j:plain" /></p> <p>スマホゲームの昨年の売上は1兆2000億円。基本的に無料で遊べるからと気軽に始める人も多い。多くのスマホゲームには、抽選でアイテムを入手するガチャと呼ばれるシステムがある。通常ゲームを始めるユーザーは、何度かこのガチャを無料でできるようになっている。</p> <p>この無料ガチャで周りの友人がレアなものを引いていると、自分も引かなくてはという気持ちに陥り、最初に少額の課金をしてしまう。それでもレアなものが引けないと、先に課金したお金が「もったいない」と思い、さらに課金を繰り返してしまうのだ。</p> <p>さらにスマホゲームは、不特定多数のユーザー同士がゲームの中で繋がっており、ゲーム中は誰かに見られているということを常に意識している。そうした中で、魅力の乏しいキャラクターでは「みっともない」という心理が働いてしまう。逆に言えば、よく見られたいという意識だ。</p> <p>大金を課金した末にレアなものを引き当てた時、脳にはドーパミンが分泌されている。ドーパミンとは、快楽や喜び、爽快感などをもたらす脳内物質。ギャンブルのような報酬を期待される行為によって多く分泌されるが、リスクや出て欲しいと念じた努力が大きいほど、その快楽感が増していく。</p> <p>スマホゲームは、それらを巧みに利用しているのだ。</p> <h4 id="女性を悩ませるセロトニンの囁き">女性を悩ませるセロトニンの囁き</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20191204174222j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20191204/20191204174222.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20191204174222j:plain" /></p> <p>子供を持つママたちの井戸端会議で繰り広げられる会話。今度、うちの子(1歳)に英会話を習わす。水泳スクールに通わすのが流行っている。など手遅れになったら遅いという子供の教育に熱心な親が多い。</p> <p>これは、女性のあることを利用しているからだと言われている。少子化が進む一方で幼児教育系ビジネスが市場を拡大させている。</p> <p>人気のある習い事ベスト3は、</p> <ol> <li>水泳</li> <li>英会話</li> <li>ピアノ</li> </ol> <p>そして子供の教育に熱心なのは、父親よりも母親であることが多い。これは脳におけるセロトニンの量が関係している。人は焦りや不安といったストレスを感じると、セロトニンが減少し精神の安定を保てなくなる。</p> <p>そしてこのセロトニンを作る能力は、男性より女性の方が低いという研究がアメリカ・科学アカデミーの論文で発表された。つまり、男性より女性の方が不安を感じやすいのだ。</p> <p>さらに女性には女性特有の事情がある。セロトニンの量と月経は連動していて、月経前はセロトニンが減る。街に溢れる幼児教育の広告には、母親や女性に向けたものが多い。</p> <p>世の中には、女性のセロトニンの量を利用した商売もあるのだ。</p> <h4 id="ブームに乗るのは脳がするから">ブームに乗るのは脳が???するから</h4> <p>タピオカに限らず、大多数の人が同じ物事を指示していると私たちは深く考えず、周囲と同じ行動を取ってしまう傾向がある。これにも脳が大きく関係している。</p> <p>なぜこんなことが起きるのかというと、脳がサボろうとするからだ。</p> <p>何かを考えたり選択する時、脳は膨大なエネルギーを使う。しかし、脳は基本的に怠け者で隙があればサボろうとする。できるだけ消費エネルギーを少なくする選択をするのだ。</p> <p>自分で決めずに誰かが決めてくれるのであれば、じっくり吟味することを誰かに委ねてその選択を受け入れようとしてしまう。これは脳の欠陥であるかもしれない。</p> <p>世の中のブームは、脳の欠陥を利用しているのだ。</p> <h4 id="オキシトシンの温もり">オキシトシンの温もり</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20191204174339p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20191204/20191204174339.png" alt="f:id:ambiguousnews:20191204174339p:plain" /></p> <p>アイドルグループの同じCDを1人の消費者が何枚も買う。そのほとんどが握手券や投票権目当て。そこに大きく関わっているのが、オキシトシン。</p> <p>オキシトシンは、人との繋がりや愛情を感じた時に分泌される。特に女性が出産や授乳の時に大量に分泌し、それによって親子の絆が深まると言われている。</p> <p>今はSNSの普及で「いいね」など、より身近にスキンシップを感じることができる。するとオキシトシンが分泌される。好きな人をもっと好きになったり、繋がりたい共有したいという思いが強くなるのだ。</p> <p>その極めつけが握手会だ。オキシトシンは、ボディタッチした時に大量に分泌される。握手会でオキシトシンが分泌されて、よりそのアイドルを応援したいという気持ちになるのだ。</p> <p>さらにアイドルの女の子たちも勉強している。ただ手を握るだけでなく、両手で手を包み込むように握り大きく振る。これだけで、より多くのオキシトシンが分泌される。</p> <p>さらにオキシトシン以外にも投票するという行為。これは自分の応援するアイドルが勝つか負けるかというギャンブル性を持っており、大量にドーパミンが分泌されるのだ。</p> <p>こうした仕掛けによって、ファンの脳は快楽の回路を繰り返し刺激されている。みんな知らないうちにお金を使わされているのだ。</p> <h3 id="進化するSF商法の実態"> 進化するSF商法の実態</h3> <p>脳のメカニズムを利用した悪徳商法は、年々巧妙化し後を絶たない。それは、あたなのすぐそばにも…</p> <h4 id="催眠商法SF商法">催眠商法(SF商法)</h4> <p>これは実話に基づいた恐ろしい物語である。</p> <p>ある日、祖母の部屋に見慣れない健康食品が大量に置かれていた。これを飲んでいれば健康でいられると70万円もするものを買ったのだという。しかも、家族の通帳からお金を引き出してだ。</p> <p>これはSF商法(催眠商法)と言われており、短期間の間に人を集め日用品などをタダ同然で配り、雰囲気を盛り上げた後、高額な商品を提示。会場の雰囲気で催眠状態となった来場者に高額な商品を購入させる手法だ。</p> <p>数十年前からある手口なのだが、近年より巧妙化しているという。知らない間に祖母はその手口に嵌められていたのだ。</p> <p>それは半年前、一枚の広告チラシからはじまった。そこには卵1パック10円など破格の商品が並べられていた。これは、典型的なSF商法の手口の1つ。一昔前は景品をプレゼントなど、無料の商品を餌に人を集めていたが、最近では格安を売りにし、より警戒心を和らげる手法が多いという。</p> <p>さっそく祖母は会場へ向かった。</p> <p>「今日はみなさんラッキーですよ!この卵、1パック10円!欲しい人!」</p> <p>「はーい」「はーい」「はーい」</p> <p>「今日だけ特別ですよ!」</p> <p>「次はこちら!食パン10円!欲しい人!」</p> <p>「はーい」「はーい」「はーい」</p> <p>「半年間、毎日ここでやってますので来てください」</p> <p>昔は短期間で行われていたが、最近では数ヶ月と長期間にわたって販売会が開催されているという。より深く信頼感を植え付けるのだ。</p> <p>こうして通っているうちに販売員とも顔見知りになり、仲良くなる。販売員は客1人1人に声をかけ、手を握るなどスキンシップを図り優しく相談にも乗る。この時に分泌されるのがオキシトシン。そう、アイドルにハマる男たちと同じ状態になるのだ。</p> <p>オキシトシンの影響は、女性の方が大きい。SF商法のターゲットのほとんどが、実は女性なのだ。こうして、オキシトシンにより信頼感を植えつけられた祖母は、毎日のように通うようになった。</p> <p>そして半年間が過ぎた頃、販売員たちは動き出す。</p> <p>「今日も卵が10円ですよ!食パンも10円!でも食パンは数が少ないので、ジャンケンです。隣の人とジャンケンしてください」</p> <p>この時、祖母の脳内では焦りや不安からセロトニンが減少し、アドレナリンが増加、興奮状態に。さらにジャンケンというギャンブルを行ったことにより、ドーパミンも放出。この時を見計らい、販売員は一気に攻勢をかける!</p> <p>「今日は本当に特別です。すごい商品をご用意しました。こちら飲むだけで病気知らずという健康食品…」</p> <p>本来ならこのような謳い文句に騙されない人でも、アドレナリン、ドーパミンが大量に放出されオキシトシンによって販売員との絆を感じている状態に陥ると、驚くほど従順になってしまう。そして…</p> <p>「通常100万円のところ、なんと今回は…70万円でご提供いたします!数に限りがありますので早い者勝ちです!」</p> <p>こうして祖母は70万円という高額な商品を何の疑いもなく、大喜びで購入してしまった。人間は様々な仕掛けで無意識のうちに、脳が乗っ取られた状態になってしまうもの。くれぐれもご注意を!</p> ambiguousnews 見てはいけない都市伝説!信じるも信じないもあなた次第です! hatenablog://entry/26006613462944335 2019-11-08T18:00:00+09:00 2019-11-08T18:14:10+09:00 ナゼだか知らないけど皆が知っている都市伝説。そこには極めて拡散されやすい巧みな仕掛けがあった!現代に生きる最強の怪異をご紹介!! <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20191108172522p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20191108/20191108172522.png" alt="f:id:ambiguousnews:20191108172522p:plain" /></p> <p>ナゼだか知らないけど皆が知っている都市伝説。そこには極めて拡散されやすい巧みな仕掛けがあった!現代に生きる最強の怪異をご紹介!!</p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#都市伝説-最恐の怪異セレクション"> 都市伝説 最恐の怪異セレクション</a><ul> <li><a href="#都市伝説が拡散されるメカニズムとは">都市伝説が拡散されるメカニズムとは?</a></li> <li><a href="#メリーさん">メリーさん</a></li> <li><a href="#奇妙なLINE">奇妙なLINE</a></li> <li><a href="#カシマさん">カシマさん</a></li> <li><a href="#傘の女">傘の女</a></li> <li><a href="#ひきこさん">ひきこさん</a></li> </ul> </li> </ul> <p> </p> <h3 id="都市伝説-最恐の怪異セレクション"> 都市伝説 最恐の怪異セレクション</h3> <h4 id="都市伝説が拡散されるメカニズムとは">都市伝説が拡散されるメカニズムとは?</h4> <p>あなたはこんな話をご存知だろうか?1970年代に広まった『トイレの花子さん』。放課後のトイレの個室をノックして「花子さん、遊びましょ」と話しかけると「はぁい」と返事が帰ってきて、扉を開けると中に引きずり込まれるという怖いお話。世に言う都市伝説に潜む怪異現象だ。</p> <p>しかし、誰も見たことがないのに誰もが知っているのはなぜなのか?この夏、アメリカのマサチューセッツ工科大学の研究チームがこんなデータを発表した。</p> <p><strong>デマは真実より6倍のスピードで広がる</strong></p> <p>これはTwitterに投稿された約12万件の情報を調べたもの。そのデマ情報も書き込みを分析すると特に多かったのが、恐怖や嫌悪など表現だったという。それは今に始まったことではない。</p> <p>これは大正時代にあった本当の話。ある女性の元に同じ文章の手紙を他の人に送れば、幸せになるという『幸福の手紙』が届くのだが、さほど話題にならなかった。ところがしばらくすると、今度は同じ文章の手紙を他の人に送らないと不幸になるという『不幸の手紙』が届いた。</p> <p>内容が恐怖を伴うものに変化したことで、瞬く間に拡散し大ブームとなった。さらに携帯電話の普及によって流行したチェーンメール。拡散しないと不幸になるという内容は、まさに不幸の手紙と同じだったのだ。</p> <p>つまり、都市伝説最大の武器は、時代に応じて設定やツールが進化すること。そしてネット社会となった今、都市伝説の中の怪異はまた蠢き始めている。</p> <h4 id="メリーさん">メリーさん</h4> <p>この都市伝説は1990年代、人々を恐怖に落し入れた。</p> <p>母親に買ってもらった人形をメリーさんと名づけて大切にしていた女の子。だが、女の子の家族は引っ越すことになり、汚れて古くなった人形は捨てることになった。引越し先では新しい友達もでき、やがてメリーさんのことはすっかり忘れてしまった。</p> <p>そんなある日のこと。両親が外出し1人で家にいた時、電話がかかってきた。</p> <p>「私メリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの」</p> <p>女性はすぐに捨てた人形を思い出したが、誰かのイタズラだと思い電話を切った。すると…また電話が鳴った。</p> <p>「私メリーさん。今、駅前にいるの」</p> <p>気持ち悪がってすぐに電話を切る女性。するとまた電話が鳴って…</p> <p>「私メリーさん。今、あなたの家の前にいるの」</p> <p>怖くなった女性は、慌てて玄関に向かい鍵がかかっているのを確認した。そして安心したその時、背後から声が…</p> <p>「私メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」</p> <p>振り向いた女性は…</p> <p>この話の凄いところは、徐々に恐怖が迫ってくるということを電話というツールを使って巧みに表現しているところ。実は、メリーさんは実在していた。1927年日米両国間の親善を目的にしてアメリカから全国の幼稚園や小学校に青い目の人形が寄贈された。</p> <p>この人形にはそれぞれ名前がつけられていて、メリーという名の人形が多かったという。ところが、太平洋戦争で敵国のものとされた西洋人形は、そのほとんどが燃やされてしまったのだ。この話が都市伝説メリーさんのルーツと考えられている。</p> <h4 id="奇妙なLINE">奇妙なLINE</h4> <p> 今年、高校生になった男がある不思議な体験をする。帰宅した男のスマホにLINEの通知がくる。</p> <p>「今なにしているの?サオリ」</p> <p>サオリって誰だっけ?誰の友達だったっけ?と思いながらLINEを返す男。気さくで面白い彼女のメッセージに次第に仲良くなっていった男。次第に、その子が誰なのかどうしても気になった男は、同じグループの子に聞いてみることにした。</p> <p>「ねぇ、サオリって誰の友達?」</p> <p>「サオリ?私は知らないけど…」</p> <p>「私も知らないわよ」</p> <p>「Σ(゚◇゚;)マジデッ!?みんなのLINEグループにも僕たちのやり取りがいってるよね?」</p> <p>「来てないよ×2」</p> <p>「そんなはずないよっ」</p> <p>LINEのチャットを見直す男。するとやり取りが全部消えていた。</p> <p>「それってLINEわらしじゃない!?」</p> <p>「゚(´・ω`・)エッ?LINEわらし?」</p> <p>その後、メッセージが届くことはなかった。</p> <p>この都市伝説は、いつの間にか現れて消える座敷わらしがルーツになっている。だが座敷わらしよりもリアルかもしれない。どこの誰かも分からない人と繋がってしまう、現代のSNS社会の怖さが反映されているのだ。</p> <h4 id="カシマさん">カシマさん</h4> <p>オカルトブーム全盛だった70年代から数々の都市伝説に影響を与えていると言われている。この話を聞くと3日以内に…</p> <p>とある学校の教室で雑談する女の子たち。</p> <p>「ねぇ、知ってる?友達の友達から聞いた話なんだけどね。」</p> <p>「なになに?どんな話?」</p> <p>「夜寝ていると足のないカシマさんっていう女性の幽霊が現れて、こう聞いてくるんだって『足はいるか?』」</p> <p>「そ、それで?」</p> <p>「この時、『いらない』って答えると足を取られてしまうけど、『カシマさん』って三回唱えると助かるらしいよ」</p> <p>「何?その話」</p> <p>「この話を聞くと…3日以内に出るそうだから助かる方法を忘れないように」</p> <p>「そんな話、なんで聞かせるのよ!」</p> <p>その夜だった。寝ている女の子の前にカシマさんが現れた。</p> <p>「手はいるか?足はいるか?」</p> <p>女の子は恐怖でなにも答えることができなかった…。その女の子は翌朝、手足が引きちぎられて死んでいたという。</p> <p>このカシマさんがすごいのは、様々なバリエーションが増えたこと。名前も仮死魔霊子や仮死魔幽子になったり、校庭を走ってくる下半身のないテケテケという幽霊の本名だったり、あの有名な口裂け女の本名もカシマという説がある。</p> <h4 id="傘の女">傘の女</h4> <p>トンネルが舞台となった都市伝説も多い。</p> <p>墓場に近く人通りの少ないとあるトンネル。雨の日、傘をささずにこのトンネルを通りかかると、傘をさし白い服を着た髪の長い女が現れる。すると…</p> <p>「よかったら家まで送っていきましょうか?」</p> <p>断れば何も起こらない。しかし、誘い乗ってトンネルに入ると2人の姿は次第に薄れ、やがて消えてしまう。そして二度とトンネルから出てくることはないという。</p> <p>この話が凄いのは、恐怖の要素が凝縮されていること。墓地の側、トンネル、雨、傘、髪の長い女とどれも怖い設定になっている。しかも、話が短くて覚えやすいので拡散が早い 都市伝説なのだ。</p> <h4 id="ひきこさん">ひきこさん</h4> <p>ある夜のこと、少女が1人で歩いていると前から女が人形のようなものを引きずりながら近づいてきた。そして少女の前で立ち止まり</p> <p>「私の顔が醜いか?」</p> <p>恐怖で声も出なかった。女が引きずっていたのは、子供の死体。少女は悲鳴をあげて逃げ出したが捕まってしまう。女は少女の体を掴むとそのまま地面に叩きつけて引きずって行った。実はこの女、森妃姫子といって元は優等生だった。</p> <p>妃姫子は優等生で先生たちのお気に入りだった。ところが、そのせいで妃姫子はいじめの対象になってしまう。ランドセルに虫を入れられたり、持ち物を壊されたり、いじめ行為はエスカレート。ついには妃姫子への暴力がはじまった。</p> <p>その結果、妃姫子は顔にひどい傷を負い学校にも行けなくなってしまう。すると家に引きこもる妃姫子に両親からの虐待がはじまる。ついには食事すらまともに与えられない日々が続いた。</p> <p>そして数年の月日が経ち、成長した妃姫子は両親を殺害してしまう。彼女はいつの頃からか子供たちを襲うようになったのだ。</p> <p>ストーリーがよくできていて、森妃姫子を逆に読むと妃姫子森(ひきこもり)となる。この話は、現代の社会問題が背景になっているのだ。</p> <p> </p> <p>都市伝説はあなたのすぐ側に!</p> ambiguousnews ラテラルシンキングで常識をぶち破れ!実例でわかる簡単解説! hatenablog://entry/26006613422199746 2019-09-05T19:30:00+09:00 2019-09-05T19:34:00+09:00 7個のみかんを3人の子供に公平に分けるにはどうしますか? 常識や経験、データを基に筋道をたてて考えていく「ロジカルシンキング」。問題解決やアイデアを生み出すために非常に有効だが、現代において、それだけでは解決できない状況が増えている。そこで常識にとらわれず柔軟に考える「ラテラルシンキング」が今、注目を集めている。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190905185106p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190905/20190905185106.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190905185106p:plain" /></p> <p>7個のみかんを3人の子供に公平に分けるにはどうしますか?</p> <p>常識や経験、データを基に筋道をたてて考えていく「ロジカルシンキング」。問題解決やアイデアを生み出すために非常に有効だが、現代において、それだけでは解決できない状況が増えている。そこで常識にとらわれず柔軟に考える「ラテラルシンキング」が今、注目を集めている。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#常識をぶち破る力ラテラルシンキング"> 常識をぶち破る力!ラテラルシンキング</a><ul> <li><a href="#イノベーションを起こせ">イノベーションを起こせ!</a></li> <li><a href="#ラテラルシンキングで難題解決">ラテラルシンキングで難題解決!?</a></li> <li><a href="#ビジネス成功へのヒント">ビジネス成功へのヒント</a></li> <li><a href="#ラテラルシンキングクイズ">ラテラルシンキングクイズ!</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="常識をぶち破る力ラテラルシンキング"> 常識をぶち破る力!ラテラルシンキング</h3> <h4 id="イノベーションを起こせ">イノベーションを起こせ!</h4> <p>今、1つの考え方が注目を集めている。おやつのみかんが7つ。これを公平に3人の子供に分けるならあなたはどうしますか?</p> <p>個数を計算したり、重さを測って三等分する。こうした常識や経験を基に解決策を導き出す考え方を「ロジカルシンキング」と呼ぶ。しかし、一見公平に見えるこの分け方も味の違いなど本当に公平になるとは限らない。ではどうすればよいのか?</p> <p><strong>ジュースにしてから三等分にする!</strong></p> <p>私たちはつい、そのまま分けなければならないと考えてしまいがち。加工してはいけないという決まりはない。ジュースにしてから三等分するというのは、立派なアイデアなのだ。</p> <p>このように常識にとらわれずに柔軟に考える思考法は「ラテラルシンキング」と呼ばれている。今、このラテラルシンキングが、ビジネス業界や自治体からイノベーションを起こす切り札として注目を集めているのだ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190905164625j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190905/20190905164625.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190905164625j:plain" /></p> <p>例えば、石川県羽咋市。その東側に位置する神子原集落は、深刻な若者離れが進行し廃村寸前だった。なんとか町おこしをしようと市の職員が希望を託したのが、神子原で採れるお米。</p> <p>神子原(みこはら)という地名から、神の子が住む高原で採れるお米と連想し、かつて類を見ないローマ法王へのお米の献上を画策。なんとこれが受け入れられ、神子原米はたちまち話題になった。</p> <p>だが、ラテラルシンキングの真価が発揮されるのは、ここからだった。狙い通りニュースを見た人から大量の注文が舞い込むと、市職員だった高野氏は常識外れの行動を取った。彼は電話口で「神子原米は売り切れてしまいました。デパートだったら、もしかしたらまだあるかもしれませんね」と答えたのだ。この時点で、神子原米はデパートと契約はしていなかったのにだ。</p> <p>その結果、デパートに神子原米の問い合わせが殺到。デパートは、すごい人気だと認識し、神子原米を取り扱わないと!と思ってしまったのだ。いきなり無名の神子原米をデパートで取り扱ってもらおうとしても、到底相手にはしてもらえない。だが、お客からの問い合わせが相次げば、取り扱ってみようとなる。</p> <p>実際は取引きしていないデパートへ問い合わせするように仕向けるこの方法、一見ずるく思えるが、これにより神子原米はデパートに並ぶ高級米に。集落復活の象徴となったのだ。</p> <h4 id="ラテラルシンキングで難題解決">ラテラルシンキングで難題解決!?</h4> <p>1.チラシ配りをしているが、通行人が受け取ってくれない。今更、デザインを変更する時間も、おまけをつける予算もない。一体どうすれば受け取ってもらえるのか?</p> <p>解決法</p> <p>「お一人様、3枚まででお願いします」</p> <p>チラシを受け取ってもらうために重要なのは、受け取りたいと思うように魅力的に見せること。このように1人3枚までと限定し、希少で価値のあるものと思わせるような声かけをするだけで、通行人の興味を引き受け取ってもらうことができるのだ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190905171133j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190905/20190905171133.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190905171133j:plain" /></p> <p>2.カーブミラーや標識を設置しても、一向に事故が減らない魔のカーブ。一体どうすれば事故は減るのか?</p> <p>解決法</p> <p>中央線をなくす!</p> <p>この手法は、京都や愛知でも実践された交通事故対策。中央線やガードレールを撤去することで、ドライバーは危険な道と認識しスピードを出さなくなる。大規模な工事を行わず、たったこれだけで事故が減ったという報告が数多く上がっているのだ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190905172049j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190905/20190905172049.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190905172049j:plain" /></p> <p>3.講演会などでよく見かけるガラッと空いてしまった最前列。これを埋めるためにはどうすればよいのか?</p> <p>解決法</p> <p>最前列の椅子を片付ける</p> <p>最前列に座らないなら、最前列を変えてしまえばよかったのだ。</p> <p> </p> <p>4.「ご馳走するからご飯でもどう?」「嬉しい!せっかくなんで友達も一緒にいいですか?」男性が好きな女性を食事に誘ったが、3人の友達を連れてきた。しかもこんな時に限って男性は財布を忘れて、所持金はわずか5000円。こんな時、4人の女性にケチと思われずにピンチを乗り越える方法とは?</p> <p>解決法</p> <p>「君たちだけでお茶でも飲んで」とお金を渡す。</p> <p>この場合、夕食という前提をお茶に変えてしまえば5000円の価値は変化し解決する。お茶に対して5000円分もご馳走すれば、女性4人を満足させ、むしろ太っ腹と思わせられるのだ。</p> <h4 id="ビジネス成功へのヒント">ビジネス成功へのヒント</h4> <p>パン屋を開店した実業家の男がラテラルシンキングでお客を獲得していくお話です。オープンしたばかりで、まだ全くお客が入らないお店。男が依頼したラテラルコンサルタントは、どのように繁盛させていくのだろうか?</p> <p>店の外に出してあった看板に間違いがあると、1人の男が店に入ってきた。店主は、お礼を述べてサービスするからパンを見ていってくださいと告げた。早速、看板を直しに行こうとする男をラテラルコンサルタントが引き止めた。</p> <p>看板を出す最大の目的は、正しい情報を伝えることではなく、客に来てもらうこと。客が店内に入り、実際にパンを買って帰れば看板は役目を果たしている。必ずしも間違っているからと言って、直すのが正解とは限らないのだ。</p> <p>さらにお客を呼び込もうとチラシを手作りする男。それを見てラテラルコンサルは、もっと効果的な方法があるという。それは、ランチ前のOLを狙ってパンの詰め合わせを無料で大量に配ること。</p> <p>すると次の日には、店が女性客でいっぱいに。前日、パンを受け取った女性の行動。それは、ランチと言えども女性1人だけでは食べきれず、同僚に配っていたのだ。するとパンの味を知ってもらえるのはもちろん、お店の存在が口コミでどんどん広まっていく一石二鳥のPRとなった。</p> <p>実はこれ、ある有名ドーナツ店が新しい店舗をオープンした時に実際に仕掛けた手法。SNSでも無料配布は話題になり多くの客が押し寄せた。順調に売上を伸ばしていくパン屋。しかしある問題が…</p> <p>地域に強盗が増えていてセキュリティを強化したいのだが、お金もかかるからと男は悩んでいた。そんな男に、ラテラルコンサルが取った方法とは?</p> <p>制服でやって来た警察官に無料でサービスする。これは強盗の発生件数が多いアメリカのファーストフード店などで実際に行われている。こうすることでお店に警察官が頻繁に出入りし、そのイメージによって強盗犯の標的になるのを未然に防ぐことができる。お店にとっては、セキュリティ設備を強化するよりも経費がかからず、警察官もうれしいというWIN-WINな戦略なのだ。</p> <p>OLに口コミが広がり、安心安全な店として繁盛していった男のパン屋。だが男はさらに売上を伸ばす方法を模索していた。そこでコンサルが出した方法は、人気パン屋の隣に移転することだった。</p> <p>わざわざ人気店の隣を勧めたコンサルの狙い。それは、売り切れだったり、大行列だった場合、となりにパン屋さんがあるとお客さんはついつい入ってしまうもの。人気店の集客力を逆に利用するため、あえて激戦区に参入するお店は多いのだ。</p> <p>こうしてパン屋を成功させた男。ラテラルシンキングを使ってビジネスを行う事例が数多く上がっている。</p> <h4 id="ラテラルシンキングクイズ">ラテラルシンキングクイズ!</h4> <p>ここまでラテラルシンキングの色んな例をご紹介しました。そんなあなたならラテラルシンキングでクイズも簡単に解けてしまう?ぜひ、挑戦してみてください。</p> <p>Q.髪を乾かすこと・芝を刈ること・文字を書くことができるものは?</p> <p> </p> <p> </p> <p>A.ドライヤー・芝刈り機・ペン</p> <p>誰も1つで全部とは言っていない。勝手に共通するものと思ってしまった方いませんか?</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190905180553j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190905/20190905180553.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190905180553j:plain" /></p> <p>Q.新幹線の自動改札機です。開発の際、切符を複数枚処理するため運賃計算に時間がかかり、人が通過する時に扉の開閉が間に合わないという問題が起こりました。しかし、ある工夫をすることで、この問題は解決しました。その工夫とはなんでしょう?</p> <p> </p> <p> </p> <p>A.自動改札機を長くした。</p> <p>あえて人が歩く距離を長くしたことで、計算時間を稼ぎ問題を解決した。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190905181737j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190905/20190905181737.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190905181737j:plain" /></p> <p>Q.ある航空会社は、搭乗手続きの遅れにより飛行機が遅延してしまうという問題を抱えていた。早めの手続きをという声かけをしても効果なし。経費削減のためお金がかけられない状況だった。しかし、ある工夫をしたところ乗客が早く集まるようになりました。ある工夫とはなんでしょう?</p> <p> </p> <p> </p> <p>A.座席を早いもの順にした</p> <p>搭乗手続きを終えた人から自由に席を選べるようにした。すると少しでも良い席に座りたいため、みんな早めに搭乗手続きを済ませ、出発の遅れはなくなったそうだ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190905181836j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190905/20190905181836.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190905181836j:plain" /></p> <p>次の問題が解けた人は、すぐに起業しても大丈夫?ラテラル度100の問題です。</p> <p>Q.栃木県の山間部にある那珂川町。温泉は、塩分濃度が高く、美容・健康に効果があるが、観光客は来ず過疎が深刻に。そこでとある会社が町おこしをしようとあるビジネスを始めたところ、これが大成功した。一体何をしたのでしょう?</p> <p> </p> <p> </p> <p>A.トラフグの養殖</p> <p>塩分濃度の高い温泉水を海水魚の養殖に使えないかと考えビジネスを起こした。さらに海水魚の中でも高値で取引きされるトラフグを養殖し、見事に町おこしを成功させた。</p> ambiguousnews 【崖の上のポニョ】グランマンマーレの驚きの正体!宮崎監督の女性観も顕に! hatenablog://entry/26006613407657621 2019-08-28T18:00:00+09:00 2019-11-25T15:40:19+09:00 今年の夏休みもジブリ作品が毎週放送されて楽しめました。その中でも「崖の上のポニョ」についてお馴染みの岡田斗司夫さんが面白い解説をされていたので、またご紹介します。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828170901p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828170901.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190828170901p:plain" /></p> <p>今年の夏休みもジブリ作品が毎週放送されて楽しめました。その中でも「崖の上のポニョ」についてお馴染みの岡田斗司夫さんが面白い解説をされていたので、またご紹介します。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#本当は怖くてエロい崖の上のポニョ"> 本当は怖くてエロい「崖の上のポニョ」</a><ul> <li><a href="#光る波の正体">光る波の正体</a></li> <li><a href="#変幻自在な体のサイズ">変幻自在な体のサイズ</a></li> <li><a href="#グランマンマーレの正体">グランマンマーレの正体</a></li> <li><a href="#大人と子供男と女">大人と子供。男と女</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="本当は怖くてエロい崖の上のポニョ"> 本当は怖くてエロい「崖の上のポニョ」</h3> <h4 id="光る波の正体">光る波の正体</h4> <p>【画像】<span style="color: #373a3c; font-family: メイリオ, Meiryo, 'Hiragino Kaku Gothic Pro', 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 游ゴシック体, 'Yu Gothic', YuGothic, 'MS Pゴシック', Helvetica, sans-serif; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; background-color: #f9f9f9; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">© 2008 Studio Ghibli・NDHDMT</span></p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828142202j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828142202.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828142202j:plain" /></p> <p>ポニョの母親でフジモトの妻であるグランマンマーレ。公式設定では海なる母とされており、海全体の女神のような存在です。初登場は、主人公・宗介の父である耕一が乗る小金井丸の下を通るシーン。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828143022j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828143022.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828143022j:plain" /></p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828143032j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828143032.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828143032j:plain" /></p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828143043j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828143043.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828143043j:plain" /></p> <p>このシーンをコマ送りでよく見ると、グランマンマーレが海面すれすれを背泳ぎで泳いでいるのがわかる。赤く光って見えるのはグランマンマーレがつけているネックレスなので、光る波の正体はグランマンマーレのおっぱいなのである。このように宮崎監督は、この作品で描きたいものを描いているのだという。</p> <h4 id="変幻自在な体のサイズ">変幻自在な体のサイズ</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828144000j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828144000.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828144000j:plain" /></p> <p>フジモトから事態がどういう状況なのかという報告を聞くグランマンマーレ。旦那を尻に敷くタイプの彼女は、旦那からの報告を巨大な体で聞いています。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828144150j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828144150.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828144150j:plain" /></p> <p>だが、ポニョが人間になりたいと言っているという報告を聞くと人間のサイズになり、フジモトの手を握ってをポニョが人間になることを説得します。それまでは、大きなサイズで距離感を保っていたのに、説得に入る時は人間のサイズになって手を握る。夫を色仕掛けで説得する様子は、女性のたくましさと怖さを感じます。</p> <p>この人間のサイズに変化するシーンは、よくできているといいます。振り返ったグランマンマーレは、フジモトには見えていない右側の顔から小さくなっていきます。そしてフジモトと正対した時には、人間大の顔になっています。しかし、首から下はまだ大きいままで、作画崩れを起こしたかのように見える。</p> <p>このようにすごく丁寧にグランマンマーレの化け物性を描いている。夫には違和感を感じさせないように変身しているが、観客にはその違和感を見せているのだ。</p> <h4 id="グランマンマーレの正体">グランマンマーレの正体</h4> <p>作品の後半で、ポニョと宗介についてグランマンマーレと宗介の母親であるリサが話し合っているシーンがある。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828145743j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828145743.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828145743j:plain" /></p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828145753j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828145753.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828145753j:plain" /></p> <p>ケアハウスのお婆さんたちに呼ばれて、こっちへ向かうリサ。まず、グランマンマーレのサイズがリサよりもかなり大きく描かれていて威圧感が感じ取れます。そして問題の謎の花壇。</p> <p>呼ばれたリサは、この花壇を避けて移動します。コンテで確認しても、この位置に花壇があって、「リサ花壇を避けてななめに歩く」と書いてあるのだという。なぜ、こんなめんどくさいことをしているのだろうか?</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828150319j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828150319.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828150319j:plain" /></p> <p>この花壇は、ポニョと宗介が到着してグランマンマーレと会うシーンにも描かれている。左から歩いてくるグランマンマーレは、花壇の終わりでピタっと立ち止まる。グランマンマーレは、観客に足元を絶対に見せないのだ。</p> <p>なぜ足元を見せないのか?そもそもなぜ、海中で体を大きくしたり小さくしたりできるのか?さらになぜ光っているのか?実は、グランマンマーレの正体はチョウチンアンコウなのだ。チョウチンアンコウの化け物で、大きさが1キロメートルほどあるらしい。</p> <p>崖の上のポニョは、このチョウチンアンコウと人間の異種交配の話なのだ。</p> <p>つまり、花壇の下には本体に繋がる触手があると思われる。リサはこの触手を踏まないようにわざわざ花壇を避けて歩かなければならなかったのだ。映画を見ている観客には、これがわからないように描かれている。観客は、宗介がいかに薄気味悪い生物と契約しているのかが、わからないのだ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828151122j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828151122.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828151122j:plain" /></p> <p> チョウチンアンコウは皆さんご存知でしょう。深海魚で頭の誘引突起から発光液を噴出する。つまり、グランマンマーレの女性の形をした部分はチョウチンアンコウの誘引突起で、その下には1kmもある巨大な本体があるのだ。</p> <p>チョウチンアンコウは、光の届かない深海で誘引突起を光らせて餌を集めて食べる。同じようにグランマンマーレは、誘引突起を美しい女性にして人間の男たちをおびき寄せて異種交配をするという生き物なのだ。</p> <p>宮崎監督は、グランマンマーレにはフジモトだけでなく何人も夫がいると語っている。つまり、貪欲で多淫症、色んな男と交配するのが好きな生物なのだ。では他の男はどこにいるのか?フジモトと同じように世界のどこかの海でグランマンマーレがやって来るのを待っているのか?それはおそらく違うという。</p> <p>チョウチンアンコウの生殖活動は特殊で、広い深海でオスとメスが出会うことが奇跡に近いため、メスを見つけたオスはメスに噛み付いて離れることはない。メスに比べて極端に小さいオスは、メスに噛み付くとメスの皮膚と融合。血管まで繋がりやがて目が消滅、内蔵も退化して消えてしまう。精巣だけとなったオスは、子孫を残すとメスに吸収されて完全に同化してしまう。</p> <p>このようなチョウチンアンコウをわざわざグランマンマーレの本体にしたということは、フジモト以外の男は全てグランマンマーレの体内に吸収されてしまったと思われる。ではなぜフジモトだけが吸収されていないのか?</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190828153913j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190828/20190828153913.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190828153913j:plain" /></p> <p>フジモトは、海底二万里に登場するノーチラス号の船員で、その生き残りという設定がある。フジモトは、船の中で「生命の水」を抽出している。その一番古い壺には1871と記されいる。これは、海底二万里が出版された1870年に基づいている。</p> <p>ノンフィクションという体裁で出版された海底二万里。ちょうどその頃にあったノーチラス号の沈没事故で、フジモトはグランマンマーレに助けられ、「生命の水」を抽出し始めたという設定だと思われる。</p> <p>このようにフジモトだけは、グランマンマーレの役に立ったため、同化吸収されずに済んだ。グランマンマーレはフジモトにとって愛しい妻であると同時に、役に立たなくなったら吸収されてしまうような恐ろしい存在でもあるのだ。</p> <h4 id="大人と子供男と女">大人と子供。男と女</h4> <p>グランマンマーレと宗介が交わした「ポニョをずっと守っていくという」契約はなぜされたのか?宮崎監督は、これに対して宗介は子供だからだと答えている。大人にはそんな約束はできない。もし約束してもそんな約束は守れない。大人だから。</p> <p>宗介は子供だから、一生ポニョを好きで守っていくなんていう約束ができるのだ。子供だから、そんな約束を守ろうとしてしまう。だから宗介の一生は、これからは大変ですよと宮崎監督は笑ったという。</p> <p>こんな終わり方をする作品を宮崎監督は、ハッピーエンドだとなぜ言うのか?宮崎監督にとって全ての女性はグランマンマーレと同じなのだという。全ての女性は、怖くて得体が知れない。強くて美しくて男はかなわない。一度好きになってしまったら、死ぬまで振り回される。それが女性であるということをこの作品で見せている。</p> <p>例えば、宗介の母親であるリサとグランマンマーレが話している内容は、一切観客にはわからない。このシーンは非常に不自然で、ここまで何も教えないのであればカットしてしまえば良いのだと思える。だが結構な長さをコンテで指定している。つまり、何を話しているのか観客に想像して欲しいのだ。</p> <p>ラストシーンで、宗介たちの街は大津波で水没してしまう。だがなぜか、みんな生きており平和なままなのだ。さらにリサの夫が乗る小金井丸まで港に戻ってくる。もちろん、小金井丸が戻ってこれたのもグランマンマーレのおかげだ。</p> <p>では、観客にさえ聞かせられないリサとグランマンマーレの会話が何だったのかというと、おそらくそれは「夫を返すから、あなたの息子を差し出しなさい」というやり取りだったと思われる。</p> <p>リサという女性は、息子である宗介の晩御飯より夫との喧嘩の方が重要なのだ。子供を乗せいているのに無茶な運転をするのが好きで、自分の子供にママではなく名前で呼ばせる女性なのだ。リサは宮崎アニメの中では、珍しく母性ではなくオンナの部分を強調して描かれているキャラクターなのだ。</p> <p>そんなリサにとって、誰にも聞かれていない内緒話として「夫を返してあげるから、息子を私にちょうだい。でも安心して息子はあなたから取り上げない。あなたの息子と私の娘があなたの家でずっと暮らすのでいいから」と提案されたことは案外いい話だったのかもしれない。</p> <p>女が内緒話をしている時、必ず男に不幸が起きる。というこの世の真実だけは伝えたい。そのためにあのような不自然なシーンになっているのだという。別にグランマンマーレだけが、怖くて強くて美しい訳ではない。リサもポニョも女性は、強くて怖くて美しいこれがテーマになっている。</p> <p>女性は強くて怖くて美しい。フジモトはグランマンマーレにぞっこんで惚れ込んでいて頭が上がらない。だから体を壊すまで働いて、やがて捨てられるか吸収されてしまうんだろうという運命を知っている。だからフジモト(大人の男たち)の目の下にはいつもクマがあるのだ。そんな運命をまだ知らない宗介(子供)は、健気で元気だという話になっている。</p> ambiguousnews 栄華を極めたバブル時代!信じられない現象の数々はもはや伝説級!? hatenablog://entry/26006613399758416 2019-08-19T19:00:00+09:00 2019-08-19T19:20:13+09:00 ドラマで教師役の陣内孝則が推定家賃70万円の一軒家でひとり暮らしをしていた時代。日本が浮かれまくっていたバブル時代をディープに紐解く。大人たちの楽園ディスコ、伝説のモンスタークラブ&学生サークル一晩5000万円荒稼ぎ!最強ステータス、2LDK17億円マンション、4億円超えのゴルフ場会員券など <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190819180636p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190819/20190819180636.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190819180636p:plain" /></p> <p>ドラマで教師役の陣内孝則が推定家賃70万円の一軒家でひとり暮らしをしていた時代。日本が浮かれまくっていたバブル時代をディープに紐解く。大人たちの楽園ディスコ、伝説のモンスタークラブ&学生サークル一晩5000万円荒稼ぎ!最強ステータス、2LDK17億円マンション、4億円超えのゴルフ場会員券など</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#日本が浮かれまくっていたバブル時代"> 日本が浮かれまくっていたバブル時代</a><ul> <li><a href="#日本経済が最も虚ろに輝いていた時代">日本経済が最も虚ろに輝いていた時代</a></li> </ul> </li> <li><a href="#ステータス有頂天から見る日本経済の虚ろな輝き">ステータス有頂天から見る日本経済の虚ろな輝き</a><ul> <li><a href="#ゴルフ場会員権">ゴルフ場会員権</a></li> <li><a href="#スキー場の熱狂">スキー場の熱狂</a></li> <li><a href="#大学生サークルの台頭">大学生サークルの台頭</a></li> <li><a href="#不動産の高騰">不動産の高騰</a></li> <li><a href="#トレンディドラマの功罪">トレンディドラマの功罪</a></li> </ul> </li> <li><a href="#おとぎ話も出現させた日本経済の虚ろな輝き">おとぎ話も出現させた日本経済の虚ろな輝き</a><ul> <li><a href="#DCブランドTCブランドの乱立">DCブランド、TCブランドの乱立</a></li> <li><a href="#ボディコンシャス全盛">ボディ・コンシャス全盛</a></li> </ul> </li> <li><a href="#恋愛観から見る日本経済の虚ろな輝き"> 恋愛観から見る日本経済の虚ろな輝き</a><ul> <li><a href="#バブル時のモテ男の職業ピラミッド">バブル時のモテ男の職業ピラミッド</a></li> <li><a href="#恋愛マニュアルの登場">恋愛マニュアルの登場</a></li> <li><a href="#モテ車の登場">モテ車の登場</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="日本が浮かれまくっていたバブル時代"> 日本が浮かれまくっていたバブル時代</h3> <h4 id="日本経済が最も虚ろに輝いていた時代">日本経済が最も虚ろに輝いていた時代</h4> <p>10代、20代の若者もバブルという言葉を聞いたことがあるだろう。1986年~1991年の4年3ヶ月、日本は超がつくほどの好景気に沸いた。当時のジャパンマネーはアメリカさえも震撼させた。</p> <p>三菱地所は、約2200億円でマンハッタンのロックフェラーセンターを買収。SONYが約4800億円でコロンビア映画を、松下電器も約7800億円でユニバーサル映画を買収した。有り余る資金力を持った大企業は、リクルート対策にも前代未聞の手法を繰り出す。4Sと呼ばれた囲い込みだ。</p> <p>優秀な人材を確保するために寿司(Sushi)やステーキ(Steak)で学生を誘い出し、これにサウナ(Sauna)やソープランド(Soap)を加え、食欲と性欲の両面から攻める極道ばりの接待で学生たちを手懐けた。</p> <p>嘘だ!と思われるかもしれないが、これは日本を代表する一流企業の一部が実際に行った戦略なのだ。ジュリアナの話はもう聞き飽きた。日本を飲み込んだ狂った季節の実像をご紹介します。</p> <h3 id="ステータス有頂天から見る日本経済の虚ろな輝き">ステータス有頂天から見る日本経済の虚ろな輝き</h3> <h4 id="ゴルフ場会員権">ゴルフ場会員権</h4> <p>1987年、国民の余暇活動の充実や地域振興をうながそうとする法律が施行された。娯楽推進法とも言える「リゾート法」だ。これを受けてリゾートマンションやテーマパーク、ゴルフ場などが続けざまに建設された。</p> <p>注目すべきは、ゴルフを巡る珍現象だ。バブルで懐が潤った突発性成金たちがこぞって欲しがったのが「ゴルフ場会員権」。尾崎将司の後ろ髪に心酔した中年たちは、それまで高嶺の花だった会員権に触手を伸ばす。</p> <p>その価格は見る間に高騰した。政界の重鎮ご用達しだった小金井カントリー倶楽部では、それまで1000万円だった会員権が、なんと4億5000万円にまで跳ね上がったのだ。参考までに主要カントリー倶楽部におけるバブル期の会員権価格を見てみよう。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190819145633j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190819/20190819145633.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190819145633j:plain" /></p> <p>当時、1億7000万円だった有名カントリー倶楽部は、現在65万円と99.6%OFFとなっている。バブルがいかに荒唐無稽な時代だったかがよくわかる。</p> <h4 id="スキー場の熱狂">スキー場の熱狂</h4> <p>ゴルフ場の会員権を手を入れて中高年が有頂天になったバブル期。若者たちを洗脳した集団がいる。その名はホイチョイ・プロダクション。ホイチョイが世に送った映画「私をスキーに連れてって」は、見る者を夢物語に誘って大ヒット!</p> <p>ゲレンデで出会った男女が恋に落ちるというラブロマンスの定石を踏みつつ、シンクロ率の高いパラレル、トヨタ・セリカによるクレイジードライブなど、ヒットとリアリティは必ずしもイコールではないことを証明した。</p> <p>それでも幻想を掻き立てられた若者たちは、これぞステータスと意気込んだのである。週休2日制の導入が広がり始めていたことも手伝って、週末のバスツアーでゲレンデを目指す若者たちが激増した。</p> <p>映画に洗脳された若者たちの受け皿となるべく、西武グループは苗場のスキー場にホテルを増設。さらに全国8か所に同様のホテルを展開した。後を追って、JR東日本がガーラ湯沢を、東武鉄道が会津高原だいくらスキー場、驚いたことに日本船舶振興会、松下電器グループ、ヤマハ、中京テレビといった異業種までも続々とスキー場経営に参入したのだ。</p> <p>バブルの狂乱が生んだスキー場は、シーズン中どこも凄まじい混雑に陥った。リフト待ち3時間は当たり前。ゲレンデに流れる松任谷由実の美声でさえ、極寒に震える客の耳には届かなかった。</p> <p>しかし、そこでくじけないのがバブルの雄。スキー場が混んでいるなら近場に造ってしまえと総工費400億円をかけて人工スキー場をオープンさせた。かの有名なSSAWS(ザウス)である。だがその栄光は一瞬だった。わずか数年で閉館、淡雪の如く消えていった。</p> <h4 id="大学生サークルの台頭">大学生サークルの台頭</h4> <p>スキーブームに最も勢いづいたのが、大学生である。有頂天になりきれなかった彼らが自らステータスを手に入れようとしたのは、ある意味で自然な成り行きと言っていい。大学生は自分たちの独立国家を求めて、テニス合宿、スキーツアーなどを主催するサークルを立ち上げた。</p> <p>そんな中、某有名大学の学生が六本木のディスコで遊ぶことを目的に、他の大学のサークルと合同である学生団体を立ち上げた。それが20もの大学サークルが集まったインターカレッジ組織「STROPS(ストラプス)」だ。</p> <p>彼らは、六本木のクラブ3店舗を借り切ってディスコパーティーを開催し、大成功を収める。彼らの力を目の当たりにした某有名メーカーが直ちに反応。学生たちに協賛金を提供することでパーティーはさらにゴージャスになったのだ。</p> <p>London Clubbing Partyは、実に13店のディスコを会場に開かれた。ゲーム大会やミスコンも開かれ約5000人の動員に成功する。会場では、某有名メーカーのサンプル商品が気前よく配られた。追い風に乗った大学生たちは、EPIC、GALA、KIAIなど次々と新たな団体を設立。パーティーの規模はどんどんと巨大化していった。最高ではGALAが35店舗を貸切、約1万5000人を動員した。</p> <p>チケットが1枚3500円だったので、1回のパーティーで5000万円以上のお金が動いていたことになる。だがイベントサークルの運営で手に入るステータスには、やはり限界があったと言わざるを得ない。</p> <h4 id="不動産の高騰">不動産の高騰</h4> <p>バブルのただ中には、途方もない夢に踊った世界がある。それが不動産だ!当時のマンション価格を見てみると、小田急線代々木上原駅から徒歩5分で築年数10年73.98㎡で3億9800万円。JR品川駅から徒歩5分、築年数7年、121.32㎡で出張ビジネスマンに最適9億5800万円。JR田町駅、慶応大の学生さんにおすすめです。11億8000万円。</p> <p>思わず絶句する価格の物件が、当時は飛ぶように売れていたのだ。当時は、金余りの時代と言われており、運用難に困った資金が銀行に大量にあった。そのため、銀行はその資金を貸したくて仕方なかったのだ。これが得体の知れない投資家や過去になんの実績もないような企業が、不動産を買い漁る行為につながった。</p> <h4 id="トレンディドラマの功罪">トレンディドラマの功罪</h4> <p>さすがに一般市民とは縁遠い高額物件だったのにも関わらず、さも当たり前に住めるかのように地方の視聴者を勘違いさせてしまった罪深い番組が送り出される。それが「トレンディドラマ」だ。</p> <p>フジテレビが製作したトレンディドラマ「愛し合ってるかい!」の設定を例に取ろう。主人公の高校教師・陣内孝則は、こんな部屋に暮らしていた。夜ごと同僚たちと囲炉裏を囲んでの会食。ここは、渋谷区代々木上原辺りの一軒家と思われる。当時の推定家賃は70万円程度だった。</p> <p>同じ月9の枠で放送された「東京ラブストーリー」も例外ではななかった。当時の大学生の現実に近いとされた江口洋介の部屋は、ざっと50㎡ほどのワンルーム。しかも西新宿の高層ビル郡を間近に見渡せる立地である。コンクリート打ちっぱなしの壁に、黒を基調とした家具が並び、差し色に観葉植物の緑が効いていた。テレビにコンポ、コードレスフォンと当時最新の黒い家電を揃え、バブルの王道が完成する。</p> <p>当時の若者たちがトレンディドラマをマネようとしたことは言うまでもない。だが某おしゃれ雑誌を見ると現実は厳しかったようだ。バブルとは現実との乖離を忘れさせ、人を有頂天にさせた虚ろな時代だったのだ。</p> <h3 id="おとぎ話も出現させた日本経済の虚ろな輝き">おとぎ話も出現させた日本経済の虚ろな輝き</h3> <h4 id="DCブランドTCブランドの乱立">DCブランド、TCブランドの乱立</h4> <p>バブルとはおとぎ話の時代でもあった。「眠れる森の美女」ならぬ眠らぬバブル女子がシンデレラを演じた舞台は六本木だ。女性たちは、ワンレングスのお姫様に変身し、アッシーの馬車でユーロビートの舞踏会に繰り出した。</p> <p>背徳感を覚え、踊り明かした真夜中の12時。風営法の鐘を聞いても家に帰らず次の店に流れた点と、ハッピーエンドが待っていなかった点だけが、本家シンデレラとは少し違う。</p> <p>おとぎの国に足を踏み入れるには、それなりのファッションも必要だった。その通行手形は、「デザイナーズ・アンド・キャラクターズブランド(D&Cブランド)」。服装による差別が厳然と幅を利かせ、ファッション次第では、入店を断られる店も少なくなかった。</p> <p>当時、すでに確立されていたDCブランドは、日本のデザイナーが立ち上げた高級ブランドの総称である。そこに存在した一様の定義は、都市部でしか購入できず、例え売れ筋でも決められた数しか販売しないことで高いプレミア感を誇っていた。</p> <p>TAKEO KIKUCHI、Men's Bigi、JUN MEN、MEN'S MELROSE、NICOLE、JUNKO KOSHINOなどがその代表格と言えよう。この時期、メンズだけでも玉石混交100以上のブランドが乱立、果たしてDCと言えるのか線引きさえも困難を極めた。</p> <p>その混乱に乗じてあの足袋メーカー福助までも業界に参入。ダウンアンダーバイ・ケン・ドーンなる雰囲気ブランドを立ち上げる珍事が起きている。一方でDCブランドの中には、服飾と全く畑違いのマーケットに打って出る者もいた。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190819160737p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190819/20190819160737.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190819160737p:plain" /></p> <p>VIVAYOUがHONDAと組んだ原チャリ。MICHIKO LONDONが不二ラッテクスと組んだコンドーム。山本寛斎は、鯉のぼり、雛人形、寝具セットなど意外性なコラボ商品が話題になった。中でも特に異彩を放った商品を知る人は少ないだろう。それがJUNの生たまご。JUNグループ傘下の養鶏所で採れた卵が25個入りで1000円。当時の一般的な卵の倍の価格であった。これをスクランブルエッグで食べることが、ハイセンスを気取ったマヌカン達のトレンドだった。</p> <p>怒涛のようなDCブランドの拡大は、新たな潮流を生む。その主役はタレントたちだった。自らをブランド化しセルフプロデュースに励んだタレントたち。DCのDをタレントのTに変えたTCブランドの誕生だ。</p> <p>松本伊代のハロー。あまりにも凡庸なブランド名が災いしたか、もはやネット検索にも引っ掛からない。アグネス・チャンのディア・アグネスは、親子のペアファッションがテーマだった。しかし、親愛なるアグネスというネーミングには首を傾げざるを得ない。</p> <p>乱立したDCブランド、タレントたちが励んだTCブランドも一部を除けば、おとぎの国に咲いた徒花だったのだ。だがDCブランドを追いかけたTCブランドが更なるムーブメントを産み落とす。</p> <p>芸能界の名だたる大物たちが、次々にタレントショップをオープンさせたのだ。原宿や嵐山といった観光地に軒を連ねたタレントショップに、修学旅行のウブな少年少女が列を成した。この機に乗じて、島崎俊郎、桑野信義、井森美幸、ケント・ギルバートと言った数多のタレントも店を出している。</p> <h4 id="ボディコンシャス全盛">ボディ・コンシャス全盛</h4> <p>ここに来て1人の女性がファッションの流れを大きく変えることになる。その人物の名は「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」。来日時、彼女が見せつけたセンスは、DCブランドのビッグシルエットを蹴散らし、お嬢様&セクシー路線の幕開けを後押しした。</p> <p>バブルファッションの象徴とも言える「ボディ・コンシャス」。シリアスなニュースをボディ・コンシャスで伝える女子アナ。今見ると滑稽だが、バブルではスタンダードだった。</p> <p>ボディ・コンシャスに身を固めた女子たちがアフター5に目指したおとぎの国は「宮殿ディスコ」だった。バブル突入前夜の1984年、麻布十番に出現した「マハラジャ」には、スペシャル感が横溢していた。男女に料金格差を設けたり、メンバーズカードを発行したり、大理石のお立ち台やVIPルームなどのゴージャスさが、ボディ・コンシャスたちを恍惚とさせたことは言うまでもない。</p> <p>だがバブリーなディスコシーンに激震が走ったのは1989年のこと。クラブ「GOLD」の誕生だ。芝浦の倉庫を全面改装し、7階建てのGOLDはクラブという呼称に市民権を与える先駆けとなった。</p> <p>男と女を熱狂させたGOLDを人はモンスタークラブと呼んだ。各階ごとにそれぞれのコンセプトがあってワクワクするような大人の遊び場だった。ミックジャガー、デヴィット・ボウイ、マドンナ、現アメリカ大統領トランプなどが普通に遊びに来ていたという。</p> <p>1Fエントランスは、光と闇が織り成すサイバー・パンキッシュな空間で否応なく非日常へと誘う。2Fには、巨大なBARラウンジと100人を楽に収容するダンスフロア。3Fと4Fには、キャパ2500人のメインフロアが待ち受ける。ここまでは、従来のディスコのスケールアップに過ぎない。</p> <p>真骨頂はVIP限定の上層階にある。Love&amp;Sexと名付けられた5Fは、薄闇に広がる洞窟</p> <p>のようなスペースに点々とラブソファーが配置されていた。出会って間もない男女は壁の窪みで肌を寄せ合い薄っぺらな愛を語り合ったのだ。</p> <p>6Fには京都のお茶屋を完全再現した会員制ラウンジyoshiwara。こちらの内装は全て京都から運び込まれたという徹底ぶり。そこに20人が入れる露天風呂ジャグジーを備え、東京タワーの夜景を堪能することができた。</p> <p>最上階URASHIMAでは、夜ごとキックボクシングを始めとする格闘技が催され、観戦するVIPたちは湧き上がるアドレナリンに我を忘れたという。一般客とVIPを分かつ5Fから上への外階段は、天国への階段と呼ばれた。そこでは一定の距離を保ちつつも、男女が危うい姿勢で体を交わしていたことを言い添えておく。</p> <p>官能を解き放て!バブルのおとぎの国は、ニッポンのプチルネッサンスだったのか…。</p> <h3 id="恋愛観から見る日本経済の虚ろな輝き"> 恋愛観から見る日本経済の虚ろな輝き</h3> <h4 id="バブル時のモテ男の職業ピラミッド">バブル時のモテ男の職業ピラミッド</h4> <p>バブルとは恋愛観を変えた時代だった。だがそこには、上り階段がいつの間にか下り階段に変容するエッシャーのだまし絵の如き錯覚があったことを忘れてはならない。離婚率の推移を調査したデータによれば、バブル期を境に離婚する夫婦が急増していることがわかる。金の切れ目が縁の切れ目と言えばそれまでだが、この時期におけるモテ男の職業ピラミッドに目を向けると…。</p> <p>底辺にいたのは公務員。今でこそ引く手数多だが、当時は地に足が着いた職業ほど下に見られていた。安定とはカッコ悪いことだったのだ。続いて財力に恵まれないサラリーマン、その上にあぶく銭を手に入れた金持ち大学生が位置していた。</p> <p>当然ながらスポーツ選手や芸能人は不動。彼らを抑えてピラミッドの頂点に君臨したヤツらがいる。それが、ヤンエグと空間プロデューサー。ヤンエグは、ヤングエグゼクティブ、成功した青年実業家や一流企業のサラリーマンを指す。</p> <p>モテ度でヤンエグと張り合った空間プロデューサーは、文字通り空間をプロデュースするという甚だざっくりとした職業だった。その作品は、例えば熱帯の樹木をうっそうと茂らせ、まるでアマゾンで食事しているかのような体験ができるジャングルレストラン。</p> <p>女性は熱帯魚に欲情する?と言った都市伝説に乗っかったアクアリウムバーなど、今ひとつ説得力を欠くものばかり。それでも空間プロデューサーに理由なき才能を感じ身を捧げた女性がいたのである。しかしながらそれはごく一部。バブルとは女性たちを精神的に勢い付けた時代でもあった。</p> <h4 id="恋愛マニュアルの登場">恋愛マニュアルの登場</h4> <p>1986年男女雇用機会均等法の施行は、女性たちの転職とスキルアップを堂々と後押しすることになる。アッシーやメッシーの出現が物語るように、男子が女子の下僕と化したのもバブルの横顔の1つだろう。どうしたらバブル女子を口説き落とせるのか?迷える子羊たちに差し伸べられた救いの手が「恋愛マニュアル」だ。</p> <p>10代から20代の男子が熟読していた雑誌「Hot-Dog PRESS」は部数激増の秘密兵器として恋愛マニュアルを頻繁に特集し、男子のバイブルと呼ばれた。紹介された幾多のテクニックを複合して、童貞たちに推奨された当時最強デートマニュアルがこれだ!</p> <ol> <li>憧れの彼女はイタ飯ブーム発祥の地、西麻布のアルポルトに誘い、この頃はまだ珍しかった塩分たっぷりのペペロンチーノを勧める</li> <li>空間プロデューサーが腕を振るう富裕感満載のバーで、塩分で乾いた喉にはこれが一番と甘いカルーアミルクで彼女を酔わせる</li> <li>そして囁く。うちにウーパールーパー見に来ないと部屋に誘う</li> </ol> <p>バブル女子はこれでイチコロと言われた。</p> <p>男性誌のマニュアルが迷走する一方、女性誌の恋愛特集は遥かに先を走っていた。リードしていたのは「an・an」。その内容は、「感度を高めてセックス上手になる」、「セックスはホルモンのバランスを保つ最高のエステティック」などファッション誌の殻を破り1冊丸々SEX特集を打ち出し女性も積極的にSEXを楽しもうと主張した。</p> <p>こと恋愛を巡っては、女性上位時代が現実になりつつあったのだ。だが恋愛マニュアルそのものを一刀両断した権化が現れる。モテ指南界のテロリスト「北方謙三」だ。童貞のバイブル「Hot-Dog PRESS」の連載で北方は不敵にもこう書いた。</p> <p>「女であろうと男であろうととにかく殴る!」</p> <p>「男が問われるのはペニスの大きさではない!金玉の大きさだ!」</p> <p>「ソープに行け!」</p> <p>これにはバブルで浮き足立った男女も震え上がった。</p> <p>ところで時代時代には旬の顔というものがある。最もわかりやすい顔と言えば芸能人だろう。そこでバブル期における芸能界モテ男の変遷を進化論的に振り返ってみる。</p> <p>岩城滉一は、ワイルドな風貌と不良ぽっさでバブル初期にもてはやされた。そこにインテリの匂いを纏った進化系・三上博史が登場する。続いて現れたのがインテリ臭にセクシーさをまぶし「目を閉じておいでよ」と指示したKONTA、だがカレッジスタイルが広まるとモテ男の座はテニスルックの石黒賢に奪われる。バブル末期になるとロン毛の江口洋介が出現。次なる渋カジへの橋渡しとなった。</p> <h4 id="モテ車の登場">モテ車の登場</h4> <p>バブルと恋愛を語る時、欠かすことができなかったものがある。それは「モテ車」だ。バブル女子たちは車で男たちを値踏みした。車至上主義がはびこれば、車のない男など見向きもされない。</p> <p>バブル時にデビューした人気車種は、セルシオ、シーマ、NSX、GTO、コスモなどメーカーが威信をかけたハイスペックなものだ。その中でも最強と謳われたモテ三銃士が存在する。</p> <p>それがソアラ、シルビア、プレリュードだ。とりわけソアラの人気は別格だった。スタイリッシュなデザインとラグジュアリーな乗り心地でバブル女子を虜にした。女子大生などドアを開けて誘っただけで、飛び乗ってきたことから女子大生ホイホイとも呼ばれた。</p> <p>さらにモテ車の風潮は、折からのグルメブームと結びつく。ボディ・コンシャスを助手席に乗せ、車を横付けできる店が注目を集めた。代表格は、白金台の「ブルーポイント」、三宿の「ボエム」、外苑前の「セラン」、天現寺の「ペーパームーン」など。</p> <p> </p> <p>今、振り返れば全ては泡沫の夢。シンデレラを乗せた馬車が本当はカボチャだったように、所詮はバブルの魔法が成せる業。誰もが浮き足立った荒唐無稽なあの時代は、もう二度と戻らない。</p> ambiguousnews 【天空の城ラピュタ】ラピュタ文明は地球外生命体から授かっていた!? hatenablog://entry/26006613387245174 2019-08-08T13:00:00+09:00 2019-11-25T15:40:56+09:00 前回の続きです。岡田斗司夫さんによる天空の城ラピュタ解説。金曜ロードショーで放映される前に知っていれば、違った見方ができて面白いのではないでしょうか <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190805134410p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190805/20190805134410.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190805134410p:plain" /></p> <p>前回の続きです。岡田斗司夫さんによる天空の城ラピュタ解説。金曜ロードショーで放映される前に知っていれば、違った見方ができて面白いのではないでしょうか</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#ラピュタ6つの魅力">ラピュタ6つの魅力</a><ul> <li><a href="#不思議なエロス"> 不思議なエロス</a></li> <li><a href="#SFとしてのラピュタ"> SFとしてのラピュタ</a></li> <li><a href="#タイガーモス号は実現可能">タイガーモス号は実現可能?</a></li> <li><a href="#フラップターは半分SF">フラップターは半分SF</a></li> <li><a href="#ロボット兵はSFなのか">ロボット兵はSFなのか?</a></li> <li><a href="#飛行石">飛行石</a></li> <li><a href="#ふしぎの海のナディアとの関連">ふしぎの海のナディアとの関連</a></li> <li><a href="#ラピュタ本体"> ラピュタ本体</a></li> <li><a href="#宮崎監督の捨てた設定">宮崎監督の捨てた設定</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="ラピュタ6つの魅力">ラピュタ6つの魅力</h3> <ol> <ol> <li>不思議なエロス</li> <li>矛盾した文明批判</li> <li>説明されないキャラクター</li> <li>謎の産業革命</li> <li>男の成長物語</li> <li>人間・宮崎駿 </li> </ol> </ol> <h4 id="不思議なエロス"> 不思議なエロス</h4> <p>前回の記事で書いているのでこちらをご覧下さい。</p> <p>  </p> <p><iframe class="embed-card embed-blogcard" style="display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" title="【天空の城ラピュタ】シータは女の武器を使うしたたかな女だった!? - 嘘か本当か分からない話" src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fwww.ssas.tokyo%2Fentry%2F2019%2F08%2F05%2F140000" frameborder="0" scrolling="no"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://www.ssas.tokyo/entry/2019/08/05/140000">www.ssas.tokyo</a></cite></p> <p> </p> <h4 id="SFとしてのラピュタ"> SFとしてのラピュタ</h4> <p>「2001年未来の旅」を書いたSF作家アーサー・C・クラークの「未来のプロフィル」というノンフィクション本がある。この中に“クラークの三原則”というものが出てくる。クラークは、未来予測というものに一貫した法則を見出して、それを提唱している。</p> <p> ダ・ヴィンチ、アルキメデス、ガリレオという千年ほど時代の違う人物を連れてきて、現代のヘリコプターや自動車を見せたらどうなるか?彼らはおそらく、すぐに原理を理解して全く悩むことはないだろうとクラークは書いている。</p> <p>なぜなら、ガソリンエンジンにしても飛行機にしても、それらに使われている物理的な概念は彼らが生きていた当時の理論の延長線上にあるので、理解することはそんなに難しくない。</p> <p>だが、コンピューターやテレビ、原子炉を見せたらどうなるか?彼らは、電子や電流という先進的な思考の枠組みは持っていない。これらについては理解できないか、理解するまでに時間がかかるだろうとクラークは書いている。</p> <p>クラークは、その最も簡単な例は原子爆弾だと書いている。原子爆弾というのは、極端に言えばウランの塊2つをくっつけたら爆発するというだけのものだ。だがこれを19世紀末の科学者たちに言ったら、呆れた顔で私たちが知っているよりも遥かに詳しい物理の法則や化学反応などを解説しながら、2つの金属をひっつけただけで熱エネルギーが発生するというのは、どんなにありえないことか説明してくれるだろう。</p> <p>核反応というのは、それぐらい知らない時代の人にとっては思考のフレーム外のことなのだ。だからクラークは、よくわかないはずだと書いているのだ。クラークはそういったことをまとめて3つの未来予測に関する法則を打ち立てた。</p> <ol> <li>高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている</li> <li>可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである</li> <li>十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない</li> </ol> <p>天空の城ラピュタはSFだが、SF作品の中でもこの3番目の理論を上手く使っている。具体的に言えば、ドーラたちが使うメカは、あの時代でも先進的な技術によって作られている。でもそれはパズーが見ても理解できるもの、説明可能なもの。だがラピュタ文明によって作られたメカは説明不可能なものが多い。</p> <p>この2つを対比させることで、技術レベルの違うメカを対比させている。石炭による蒸気機関、石油による内燃機関、ラピュタの超科学、さらにラピュタの超科学は2つの層に分かれており、宮崎監督はすごく奥深くて面白いSF的な世界を作り上げている。</p> <h4 id="タイガーモス号は実現可能">タイガーモス号は実現可能?</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804190500j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804190500.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804190500j:plain" /></p> <p>タイガーモス号は、ドーラたちが自分たちの基地にしている全長40メートルくらいの飛行船だ。船体後部に付いているプロペラは、四重反転プロペラという複雑な機構だ。ラピュタの世界の大型機械のほとんどが、石炭による蒸気機関であるのに対して、タイガーモス号はガソリンエンジンを積んでいて4つのプロペラがそれぞれ反対側に回るという複雑な機構になっている。</p> <p>左右についているプロペラは、推進機構のように見えるがそうではない。この大きなプロペラは、上下に傾けることによって垂直上昇したり、急激な方向転換を可能にするという設定になっている。</p> <p>これらのプロペラを1つの動力で動かしているので、動力伝達機構がかなり複雑になっている。これらは、イギリス産業革命時代の工場と同様で、動力機を中心として、その動力を伝達する伝導機構および作業機から構成されていた。</p> <p>ラピュタの世界のメカは歯車がついているイメージが強いが、よく見ると動力伝達のためのプーリーやベルトが描き込まれている。プロペラの操作は、全てエンジンルームで行われている。そのためドーラがいるブリッジでは、伝声管で命令しているだけなのだ。命令はブリッジでやって、操作は現場で行うというスタイルは19世紀末にしてみれば最先端の思想なのだ。</p> <h4 id="フラップターは半分SF">フラップターは半分SF</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804192814j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804192814.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804192814j:plain" /></p> <p><span style="color: #373a3c; font-family: メイリオ, Meiryo, 'Hiragino Kaku Gothic Pro', 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 游ゴシック体, 'Yu Gothic', YuGothic, 'MS Pゴシック', Helvetica, sans-serif; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; background-color: #ffffff; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">【画像】© 1986 Studio Ghibli</span></p> <p>こうして見るとタイガーモス号は、ぎりぎり冒険モノレベルでSFではない。ではドーラたちが乗るフラップターはどうなんだろうか?フラップターという羽ばたき飛行機は、人工筋肉を電気で動かし、羽を振動させて飛んでいる。</p> <p>手回しでエンジンをスタートさせている描写があるため、レトロな印象があるが発電機で電気を生み出して動力にするという思想は、産業革命当時にしてかなり新しいものだた。</p> <p>磁力と回転で電気を発生させる(フレミング右手の法則)発電機と磁力と電流で力を発生させる(フレミング左手の法則)モーターの関係を知らなかったドーラの元愛人(フラップター製作者)は、エンジンで発電機を動かして電気の力で人工筋肉を作動させて動かそうというふうに考えた。</p> <p>このフラップターも人工筋肉はSFとは言え、歯車やシャフトで出来ているメカなので私たち現代人でも理解はできる半分SFな存在なのだ。</p> <h4 id="ロボット兵はSFなのか">ロボット兵はSFなのか?</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804194215j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804194215.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804194215j:plain" /></p> <p>ラピュタのロボット兵については、完全にSFになっている。作品の中でムスカが「我々にはあの材料が、粘土なのか金属なのかもわからない」と言うシーンがある。それくらい全く何かわからないモノとして出てくる。</p> <p>宮崎監督の設定によると、伸縮自在の素材で柔らかくも固くもなれる形状記憶セラミックとなっている。分解も修理も不可能で、千年経っても動いていて動力源が何なのかも不明。外見からは動力を積んでいるように見えないが、ロケットを噴射して空を飛ぶこともできる。</p> <p>だが、ゴリアテの大砲でも壊せたことからラピュタ文明のメカの中では下等な方なのだという。ラピュタ文明は前期と後期があり、前期は飛行石のような完全に謎な文明。後期は、世界を武力支配するようになったムスカが思い描いた文明。ロボット兵は、この後期文明の産物だと考えられる。</p> <p>シータがロボット兵に助けを求めた時、動きだしたロボット兵のちぎれた腕の内部ではコードのようなものがウネウネと動いていた。だがちぎれて離れた方の腕の内部は、反応しなかった。中央に動力部があり、動力がつながっていない部分は動かないというのは、私たちが理解しているメカの範疇だ。</p> <p>つまり、微かには理解可能なテクノロジーというのが、ラピュタに出てくるロボット兵なのだ。</p> <h4 id="飛行石">飛行石</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804195900j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804195900.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804195900j:plain" /></p> <p>ラピュタに出てくる本当に理解できないSF的テクノロジーというのが飛行石だ。この飛行石は、クラークの言う第3法則「魔法としか思えない機能」を持っている。まず、ラピュタの王位継承者の命令しか受け付けない。次に反重力のような現象を起こすことができるが、そのエネルギー源は不明。</p> <p>ロボット兵との一番の違いは、組み立てられないということ。飛行石には組み立てられた形跡が一切ないのだ。ロボット兵は、墜落して壊れたものが分解されている状態で映されているので、組み立てた痕跡がかろうじてわかる。</p> <p>だが飛行石はバラせない1つの透明な結晶で、仕掛けがわからないというか1つの塊なのだ。ラピュタの方角を示す光線が出るのだが、発行源が何なのかもわからない。これは宮崎監督が、科学に無知だからというわけではなくクラークの第3法則を知り尽くしているからこそ、ラピュタの科学力の段階差を少しづつ見せるための表現だという。</p> <p>この飛行石は、音声に反応するため音声認証機能があるのだろう。王位継承者かどうかもわかるため遺伝子認証みたいな機能もあるだろう。そこまではいいとしても、反重力に使われたエネルギーというのは説明がつかない。</p> <p>1000メートルくらいから落下するシータの体を浮かせるには、膨大なエネルギーが必要であり、それを5グラム程度の石から得ようとしたら核反応くらいしかない。それくらいのエネルギー効率なのだ。</p> <p>ラピュタが樹木に覆われているのは、宮崎監督の趣味であると同時に飛行石には「植物を育てる」という力があるため。宮崎監督も「宇宙の聖なる根源であるから。シータが生きてこられたのも飛行石によって畑がよく実ったからだ」と言っている。</p> <p>植物がよく育つ、ポムじいさんが「エネルギーを持っているがすぐに揮発してしまう。凄い技術だが人が持ってはいけないもの」と言ったことから、飛行石は原子力のメタファー(隠喩)として宮崎監督が考えたものではないかという。「青い光を放つ」というのも原子炉で見られるチェレンコフ光を思わせる。</p> <h4 id="ふしぎの海のナディアとの関連">ふしぎの海のナディアとの関連</h4> <p>飛行石というのは、ナディアに出てくるブルーウォーターと同じだと放送当時によく言われていた。ナディアの一番最初の設定は、岡田さんが全て担当したという。昔、宮崎監督が書いた「海底世界一周」という企画書があり、これをNHKに渡されて製作を頼まれたという。これ完全にラピュタじゃんと思いながら、NHKに作れと言われてなんとか設定をでっち上げたそうだ。</p> <p>そんな中、古代アトランティスの遺産としてブルーウォーターを作ったという。これはナディアに出てくるバベルの塔などの全ての遺産の機動装置であり、エネルギー源。その正体は物質ではなくプログラムで、その情報があまりにも膨大なために質量すら持ってしまっているという設定。</p> <p>その情報量は、地球が生まれてから現代までの地球空間にある全ての原子の位置情報など全てが入っている。ブルーウォーターは1つあれば、地球やそこに生まれた生命1つ1つまで全てが再現可能という記録装置になっている。</p> <p>ここからがポイントで、ネオアトランティスという敵の親玉ガーゴイルは死ぬまでブルーウォーターが何なのか理解できなかった。ネモ艦長も同様だ。ブルーウォーターをみんなで奪い合うのだが、ブルーウォーターは単に記録装置(レコーダー)なので誰にも使えないのだ。</p> <p>ラピュタのオマージュとして作られたナディアには、もちろん天空の城的なものも登場する。それがバベルの塔という光線兵器と遺跡として出てきた巨大宇宙船レッドノアだ。</p> <p>レッドノアには、恒星間飛行できる機能はない。実は、地上と軌道衛生までの往復シャトルなのだ。バベルの塔は一見すると攻撃兵器のように見えるが、単なる通信用のレーザー。出力があまり大きいため地上に向けて使えば攻撃兵器にもなってしまうだけで、遥か昔にやってきたアトランティス人が本星との通信に使っていた通信機なのだ。</p> <p>ガーゴイルやネモ艦長は、レーダーという機能が理解できずに兵器として使ってしまったのだ。そのせいで、百光年ほど離れた所にあるアトランティス本星へ連絡が行ってしまうことになった。そのため最終回では、私たちを作った古代アトランティス人がやって来るというパターンのアイデアがあったが、それらは当然ボツになった。</p> <p>要約すると、当時開拓されていない海というものに憧れを持っていたという19世紀の話を現代の私たちは楽しめないだろうから、訳のわからない者との出会いみたいな所までつなげていこうというのが、岡田さんの考えた初期設定だったという。</p> <p>これと同じことがラピュタでも起きている可能性がある。ムスカが使用したインドラの矢もバベルの塔と似たようなものではないか?とも思える。</p> <h4 id="ラピュタ本体"> ラピュタ本体</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804205659j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804205659.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804205659j:plain" /></p> <p>冒頭に出てくるラピュタは、下にプロペラがついている。これを見てがっかりした人たちもいただろうが、実際に現れたラピュタは違った風貌だった。これは、言い伝えとしてラピュタの話を聞いている当時の人たちは、プロペラで飛んでいるということくらいしか思いつかない。という意味だったのだ。</p> <p>同じようにムスカもラピュタにどのような機能があるのかはわかるのだが、それが何のためにあるのか?というところまではわからない。これは攻撃兵器だ、これで世界を支配していたに違いない!と発想してしまうところが面白いという。</p> <p>このラピュタのイメージは、ブリューゲルの描いた「バベルの塔」だ。ラピュタは神殿の下が四階層になっており、第1層が天帝の界、第2層が騎士の界、第3層がエデンの園、第4層が人民、そして下界という構造になっている。</p> <p>ラピュタは元々地上に建っていたもので、それを浮かせたという設定。完全に忘れさられた前期ラピュタ文明の人たちは、神に会おうとして神に近づくために空中に城を浮かべた。つまり旧約聖書にあるバベルの塔の代わりになる。</p> <p>ところが後期ラピュタ文明では、神に会えないことがわかり地上を恐怖で支配するようになった。これがムスカの知っているラピュタだ。ラピュタの神殿というのは、宗教的なものではなく、ラピュタ人が神を迎える場所。おそらくラピュタ人にテクノロジーをさずけた人々というのがいて、それは宇宙に住んでいる人々なんだろう。</p> <p>彼らからテクノロジーを教わったけど、中心の理論というのは理解できなかった。だからラピュタの中には飛行石のような再現不可能なオーバーテクノロジーとロボット兵のようなラピュタ文明での教育があれば理解できるような2つの科学が存在している。</p> <h4 id="宮崎監督の捨てた設定">宮崎監督の捨てた設定</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804211825j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804211825.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804211825j:plain" /></p> <p>宮崎監督が設定資料で消したメモがある。</p> <p>「天より現人神降臨したまいし時、神の秘跡として宙に浮かびあがった古き町。今、世界を統べる聖都として空に君臨している」</p> <p>つまり、2つの時代が存在しているのだ。ある時、天から現実の人物が降りてきて神である証拠として空に町を浮かべてくれた。でもその町は今、世界を統べる聖都として空に君臨している。</p> <p>この設定を一度は書いたものの、映画の中で見せるのをやめたのでペンで消している。なので見せるのはやめたけど、設定としてはラピュタの中に二重文明は存在しているのだ。</p> <p>宮崎監督がラピュタの中で使わなかった設定として、空からやって来た人がラピュタという文明を与えた。しかし、その人たちはもういなくなってしまったので、ラピュタの人たちは世界を支配することにした。ということが文章として残っているわけだ。</p> <p> </p> <p>無料放送はここまででした。結構、お腹いっぱいになりました。でもこの地球外生命体が人に知識を与えたって考え方は、ゼカリア・シッチンと同じですね。ラピュタにそこまで深い設定があったなんて面白いですね。</p> ambiguousnews 【天空の城ラピュタ】シータは女の武器を使うしたたかな女だった!? hatenablog://entry/26006613386566637 2019-08-05T14:00:00+09:00 2019-11-25T15:41:24+09:00 今年の夏もまた、ジブリ作品の放送が始まりますね。そこで今回は「天空の城ラピュタ」について岡田斗司夫さんが語っているのをまとめてみました。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190805132514p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190805/20190805132514.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190805132514p:plain" /></p> <p>今年の夏もまた、ジブリ作品の放送が始まりますね。そこで今回は「天空の城ラピュタ」について岡田斗司夫さんが語っているのをまとめてみました。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#本当はエロい天空の城ラピュタ"> 本当はエロい?天空の城ラピュタ</a><ul> <li><a href="#天空の城ラピュタという作品">天空の城ラピュタという作品</a></li> </ul> </li> <li><a href="#ラピュタ6つの魅力">ラピュタ6つの魅力</a><ul> <li><a href="#不思議なエロス"> 不思議なエロス</a></li> <li><a href="#女性の凄さを描く">女性の凄さを描く</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="本当はエロい天空の城ラピュタ"> 本当はエロい?天空の城ラピュタ</h3> <h4 id="天空の城ラピュタという作品">天空の城ラピュタという作品</h4> <p>天空の城ラピュタという作品は、ルパン三世カリオストロの城と同じ構成になっている。悪漢の下から1人で逃げ出したお姫様が、男に救われる。だが、悪漢たちにお姫様を奪還されて男は一度、お姫さまを諦めてしまう。</p> <p>だがその後に仲間たちとお姫様を取り戻すために戦い、すでに滅んでしまった都市を発見する。このように2つの作品の構造は非常に似ている。これは、宮崎監督がスティーブンソンの「宝島」のような古典児童文学作品を作りたかったからで、宮崎作品はこの「宝島」のメインプロットの応用で出来ているという。プロットとは、出来事の原因と結果でストーリーラインとも呼ばれる。</p> <p>そのため、宝島における海賊シルバーはこの作品では誰なのだろうか?と考えると宮崎作品は理解しやすくなる。宮崎監督が天才が主人公であるアニメ作品に対して否定的なのは、このためだ。ラピュタはアンチガンダム、アンチルパンを掲げて作ることになったのだが、普通の男の子が主人公では、話が動かなかったという。</p> <p>敵は、軍隊を顎でこき使う情報部のキレ者ムスカ。それに対抗するのは、歴戦の女海賊ドーラ。そんな戦いの中に女の子を守るという動機だけで12、3歳くらいの男の子が入ってきても勝てるはずがないのだ。ここから宮崎監督の苦悩が始まった。</p> <p>初期案を見た鈴木プロデューサーと高畑監督は、これはムスカが主人公の物語なのか?幼い時から親にラピュタの物語を聞かされていたムスカは、家とラピュタ人の再興を目指してラピュタ王家の血を引いている女の子を見つけ出し誘拐する。</p> <p>その女の子に嫌われてしまったムスカは、女の子の気を惹こうと色んなことをするのだが、若い男の子に女の子を奪われたりしてしまう。そんなこんなで栄光を取り戻したと思ったら、最後に女の子に裏切られて全てを失ってしまう。</p> <p>そういう内容のいい映画だけど、どうするの?と言われてしまう。つまり、なんでもないような普通の男の子を主役にするのは、かなり無理があるということなのだ。その結果、物語では王家のお姫様と普通の男の子が滅びの呪文「バルス!」を唱え、言わば心中してしまうという展開になってしまった。</p> <p>ナウシカや宇宙戦艦ヤマトのラストで行われた自殺行為と同じパターンになってしまったのだ。ではなぜ、そのようになってしまったのかを考えていこう。</p> <h3 id="ラピュタ6つの魅力">ラピュタ6つの魅力</h3> <ol> <li>不思議なエロス</li> <li>矛盾した文明批判</li> <li>説明されないキャラクター</li> <li>謎の産業革命</li> <li>男の成長物語</li> <li>人間・宮崎駿 </li> </ol> <h4 id="不思議なエロス"> 不思議なエロス</h4> <p>ラピュタにエロいシーンなんてあった?と思うかもしれませんが、実はあるのだ。それは、タイガーモス号から切り離されたパズーとシータが乗った凧がなんとかラピュタにたどり着いたシーン。 </p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804171157j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804171157.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804171157j:plain" /></p> <p><span style="color: #373a3c; font-family: メイリオ, Meiryo, 'Hiragino Kaku Gothic Pro', 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 游ゴシック体, 'Yu Gothic', YuGothic, 'MS Pゴシック', Helvetica, sans-serif; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; background-color: #ffffff; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">【画像】© 1986 Studio Ghibli</span></p> <p>なんかとラピュタにたどり着いた2人は、大喜びして転げまわる。紐で繋がれた2人は、顔を見合わせて普通ならキスするのではないですか?と雑誌の編集者に聞かれた宮崎監督は、「いや、もうやってるでしょ」と答えている。</p> <p>そんなことをいちいち描かなくても、映画の中できちんと表現しているという。宮崎監督は、アニメーターに凧の中でシータに抱きつかれているパズーの表情は、女の子に後ろから抱きつかれて胸を背中で感じている。だから気丈に振舞わなければならないと思って余裕を見せる男の顔なのだと説明して書き直させたという。</p> <p>宇宙戦艦ヤマトのように観客に向かって2人が抱き合い、当人同士は顔を俯けているようなものではダメだと答えている。宮崎監督は、安直なことを何よりも嫌う人間なのだ。</p> <p>エロいことはちゃんとやっている。それをわからないのは見ている方の責任だ。自分は、エロをそのままやるようなバカなことはしないというのが、宮崎監督の主張なのだ。ラピュタのテーマについて「自然に還れ」「人は土を離れて生きていけない」などと言われているが、それは登場人物の言葉であって映画のテーマではないのだ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804173130j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804173130.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804173130j:plain" /></p> <p>最初のシーンでシータが空から降りてきて、それをパズーが受け止めるシーン。シータがふわっと降りてきて、パズーに受け止められると肉体化して重くなる。この時、シータの胸は、かなり小さい感じに描かれている。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804174013j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804174013.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804174013j:plain" /></p> <p>シータが自分のことは忘れてと告げパズーと別れた後、「我を助けよ」というおまじないを唱えた直後に胸の飛行石が光出します。この時、胸の膨らみがはっきりとわかるように影が落ちる様子をわざわざ作画にしている。</p> <p>エロいことを考えたら見ている方が悪いという罪悪感を感じさせるような描き方は、やはりうまく、これが宮崎監督のやり口なのだとか。シータにわざとダブダブの服を着せて、飛行石の力で服が激しく揺れる。この時、二の腕から肩まで見せることによってシータが下着を着けていないのかもしれないと思わせている。</p> <p>これはエロいシーンだとは見て欲しくない、でも見ている人にはドキドキしてもらいたいと思っているからだという。こういうエロい描写は、必ずゾクゾクするような怖いシーンでやるのだという。</p> <p>冒頭にシータの乗る飛行船に海賊のドーラたちがやって来て、それに気がついたシータが窓から逃げるシーンでも、下から風が吹きあげてきてシータのスカートが巻き上がり太もものあたりまで見える。これも、シータが生きるか死ぬかのシーンのため、エロく見えない。</p> <p>見えている方が「パンツが見えそうだ」と思う、罪悪感を感じる。これこそが、罪悪感がエロいという考え方なのだ。「これはエロいシーンではありません」という壁を作ることで、それを乗り越えてまでエロく見てしまう見る側の気持ちを利用してエロいシーンを作っているのだ。そのため、エロいシーンというのは必ずゾクゾクするような怖いシーンで出てくる。</p> <h4 id="女性の凄さを描く">女性の凄さを描く</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190804175703j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190804/20190804175703.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190804175703j:plain" /></p> <p>空から降りてきた時と、ラピュタに着いた時のシータの胸の大きさは明らかに違います。それは、シータがもう女というものを利用しているよね、ということを表している。宮崎監督は、エロだけではなく「女性の凄さ」というものをちゃんと描く作家なのだ。</p> <p>タイガーモスの中で料理をするシーンでは、シータがかわいいと次々に現れたドーラの息子たちを結果、全員こき使う。ここで重要なのは、男たち全員が台所で手伝い始めたことをシータがどう思っているのかということ。</p> <p>宮崎監督は、この時のシータの表情を見せていない。普通のアニメならば、男たちをこき使っちゃった(。・ ω&lt;)ゞてへぺろ♡な表情や、本当に何も感じていない天然キャラというような表情が描かれる。</p> <p>だが、このシーンではシータの後ろ姿しか見せていない。すると見ている方は、シータは男たちにモテているのをわかっている上で、男たちをこき使っているんだなと暗にわかる。だが仕事をパズーに頼むことはない。なぜなら自分が惚れているから。つまりシータは、自分が好きになった男はこき使わずに、勝手に自分のことを好きになったどうでもいい男たちをこき使うということをやっているのだ。</p> <p>その辺の宮崎監督の女性に対する本音というのは、カリオストロの城にも現れている。カリオストロ伯爵がクラリスに向かって「さすが血は争えんな。もう男を操ることを覚えたか」と言うシーン。見ている方は、伯爵深読みしすぎ、クラリスはそんな娘じゃないと思うのだが、その言葉を全く否定しないクラリス。</p> <p>それを含めて「これ何回目のことなの?」とついつい考えてしまう。登場シーンで勇ましく車を運転するクラリスと、中盤以降のルパンの前で泣いているだけのクラリスでは辻褄が合わないのだ。つまり、クラリスはルパンが来たから弱い女の子になった。</p> <p>裏を返せば、ルパンが来るまでは強い女の子だったのだ。さらにルパンが去る時に「泥棒をやめて一緒に暮らしましょう」ではなく、「私もあなたについて行って一緒に泥棒します」と言うのだ。そういう意味では、クラリスはわりと“したたかな女”という部分もあるのだ。</p> <p>もちろん、シータが男たちを利用していると断言することはできない。だが、宮崎監督は、ここでシータの表情を見せないことによって「女って凄いよね」ということを表現している。ドーラのしたたかさはよく語られるが、そのドーラから「あの娘は将来、私みたいになるよ」と言われたシータが本当はどんな女の子なのか?</p> <p>劇中のシータは、あくまで観客の男の子たちが胸を焦がして憧れるような存在だから、わざわざそんなことは描かない。でも後ろ姿を描くという意地悪はしているのだ。これが宮崎駿の作劇法というかエロスに対する考え方なのだ。</p> <p> </p> <p>2、3は有料放送でした(´・ω・`)ショボーン。4以降の放送は、1つの記事にするとボリュームがありすぎたので2つの記事に分けました。次回はSFの観点から見たラピュタ。ナディアとの関連などについてなど</p> ambiguousnews 明智光秀が大河ドラマになった理由!?実は正義の人だった説 hatenablog://entry/26006613379339073 2019-07-29T17:00:00+09:00 2019-07-29T17:00:01+09:00 主君・織田信長を裏切ったとされる謀反人・明智光秀。しかし、最近彼への評価に変化が!明智光秀とはどのような人物だったのか?そしてなぜ、謀反を起こしたのだろうか? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190729163433p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190729/20190729163433.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190729163433p:plain" /></p> <p>主君・織田信長を裏切ったとされる謀反人・明智光秀。しかし、最近彼への評価に変化が!明智光秀とはどのような人物だったのか?そしてなぜ、謀反を起こしたのだろうか?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#明智光秀の人気が急上昇"> 明智光秀の人気が急上昇!</a></li> <li><a href="#明智光秀はなぜ裏切ったのか">明智光秀は、なぜ裏切ったのか?</a><ul> <li><a href="#個人的な恨み">個人的な恨み</a></li> <li><a href="#信長と光秀の関係">信長と光秀の関係</a></li> <li><a href="#長宗我部との交渉"> 長宗我部との交渉</a></li> <li><a href="#信長の暴走">信長の暴走</a></li> <li><a href="#信長を討った理由">信長を討った理由</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="明智光秀の人気が急上昇"> 明智光秀の人気が急上昇!</h3> <p>1582年6月2日、戦国史上最大の事件が起こった。本能寺の変だ。言わずと知れた戦国武将・織田信長。この日、ある部下の謀反によって自害に追い込まれた。それは、天下統一が目前にまで迫っていた矢先のことだった。これまで仕えた信長を裏切った歴史に残る謀反人。それが明智光秀だ。</p> <p>本能寺の変について歴史教科書にはこう書かれている。</p> <p>「信長は、家臣の明智光秀の反乱にあい、京都の本能寺で自害した」</p> <p>主君を裏切った明智光秀の人物像についてポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、当時の日本文化を記した日本史の中でこう綴っている。</p> <p>「彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で独裁的。戦争においては謀略を得意とする」</p> <p>裏切り、謀略、残酷、独裁的…そんな言葉で明智光秀を表す。日本の歴史上、最悪の裏切り者というイメージを持つ方も少なくないだろう。しかし、近年その評価が大きく変わり始めている。</p> <p>小説、漫画、ゲームでは、有能な知識人、文化人として描かれているなど、信長の天下を支えた影のリーダーとして。さらに2020年のNHK大河ドラマでは、明智光秀が主人公に!今、その好感度は急上昇している。</p> <p>裏切り者の明智光秀が正義の人に!なぜ評価が変わってきているのか?</p> <h3 id="明智光秀はなぜ裏切ったのか">明智光秀は、なぜ裏切ったのか?</h3> <h4 id="個人的な恨み">個人的な恨み</h4> <p>明智光秀が主君・織田信長を裏切った理由は諸説ある。その1つが個人的な恨みによるもの。例えば、こんな話。</p> <p>ある日、徳川家康を接待する場が設けられた時のこと。この時、接待役を任されていたのが明智光秀だった。京の町中で調達した食材を使い、料理を用意したのだが…。出された魚が腐っており、信長は激怒。明智光秀は接待役を解任されてしまう。</p> <p>面前で激しく怒られ降格まで言い渡されたことに根を持っていたという説や、軍法会議で意見したことに腹を立てた信長に、面前で何度も蹴り飛ばされた。さらにこんな冗談のみたいな逸話も。</p> <p>ある日、信長との約束事を破ってしまった光秀。ここでも激怒した信長が、光秀の頭を何度も殴りつけた。実は、髪が薄いことを気にしていた明智光秀は、常に付け髪をしていた。その付け髪が殴られたはずみで落ちてしまったのだ。それを見た信長に金柑頭と罵倒され、この仕打ちを深く恨んだという説。</p> <p>信長に尽くす中で募った積年の恨みが爆発!個人的な恨みによる謀反。これが近年まで明智光秀が裏切った理由の根底となってきたが、信長と光秀の間には信頼関係があったとわかってきている。果たして2人の関係はどういったものだったのか?</p> <h4 id="信長と光秀の関係">信長と光秀の関係</h4> <p>武将・明智光秀は織田信長の家臣として仕えてきたが、実は当初、室町幕府15代将軍・足利義昭の家臣としても仕えていた。つまり2人の主君を持つ身だった。ところがその後、信長と将軍・義昭の関係が悪化。どちらか一方に付くことを迫れた明智光秀は、戦国の動乱を秩序あるものにできるのは信長だけだと幕府を辞める。その後、信長と敵対した足利義昭は京を追放されてしまう。</p> <p>信長の下、政治や戦などで手腕を発揮し光秀は実績を残していく。その功績の1つが、現在の京都府と兵庫県にまたがる地域。当時、難攻不落と言われていた丹波の国を攻略したことだった。これにより丹波一国の領主となった明智光秀は、水害に悩まされていた城下町に河川の改修工事を進めた。さらに商業地区での税の免除などを積極的に行い、戦禍に巻き込まれた町の復興に尽力していった。</p> <p>そんな光秀を誰よりも可愛がっていたのが、織田信長だった。明智光秀の能力を買い、信頼していた信長は、何かにつけて光秀を用いたと言われている。ついには織田家ナンバー2の地位となった明智光秀。それほど織田信長からの評価は高かったのだ。</p> <p>一方、明智光秀も信長が戦国の動乱を治めてくれると信じ、忠義を貫いていた。その心を表すように、光秀が定めた家法にはこう綴られている。</p> <p>「自分は石ころのような身分から信長様にお引き立て頂き、過分の御恩を頂いた。一族家臣は、子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない」</p> <p>信頼し合う君主と部下。それが2人の関係だったのだ。それではなぜ、明智光秀は織田信長を裏切ることになったのか?</p> <h4 id="長宗我部との交渉"> 長宗我部との交渉</h4> <p>この頃、四国では土佐に本拠を置く長宗我部元親が勢力を拡大していた。そこで長宗我部と同盟を組みたいと考えた信長は、光秀を交渉役に抜擢した。光秀は、四国全土を攻め落とせば、そのまま長宗我部の領土にしていいという信長の言葉を伝え交渉していた。</p> <p>織田家の後ろ盾を手にした長宗我部は、その後も勢力を拡大。ところが、四国全土を手中に収めようとしたその矢先、約束したにも関わらず信長は突然、その領地を渡せと言い始めたのだ。</p> <p>それを聞いた長宗我部は激怒。その前で何も言えない光秀。命令を聞かない長宗我部に対して信長は、四国全土を攻め落とすことを決定。最初から、四国全土の征服を目論んでいた信長の狙いに気がついた光秀。これで交渉役を勤めていた光秀の面目は丸潰れになった。</p> <p>光秀は、天下を取るために手段を選ばない信長のやり方に疑問を抱くようになる。</p> <h4 id="信長の暴走">信長の暴走</h4> <p>そして、光秀自信にも理不尽な命令が下された。信長に自身の領地であった丹波近江をすべて召し上げると告げられたのだ。必死に抵抗する光秀に信長は、お主に与えた領地はお主のものではないと一喝した。</p> <p>信頼から不信感へ。光秀の信長に対する忠義が、徐々に揺らぎはじめていた。さらに信長の暴走は加速していく。国にの行事などを決める『こよみ』は、当時天皇が定めていた。ところが信長は、このこよみにまで口を出すようになったのだ。 そして信長に対する不信感をさらに深める出来事が起きる。</p> <p>山梨に本山を置く寺が、織田軍と敵対する武将を匿っているという情報を得た信長は、その武将を征伐するため引渡しを要求した。ところが、この寺にいた快川紹喜はこれを拒否した。快川紹喜は、天皇から国師という称号を受けたいわば天皇も認める高僧だった。</p> <p>要求を拒否した僧侶に対し、信長が取った行動は焼き討ちだった。信長は息子の信忠に100人を超える僧侶を寺に押し込み、火を放つように命じたのである。それは、明智光秀が謀反を起こすわずか2ヶ月前のことだった。</p> <p>信長の行いは、悪政、横暴としか思えず、天皇を超える存在にでもなるつもりかと恐怖した光秀は、信長の目に余る非道を何とか自分が阻止しなければという想いになった。かくして1582年6月2日、明智光秀率いる軍勢1万3000人が上洛中の信長が宿泊する本能寺を包囲した。</p> <p>全軍が本能寺に突入し、明智軍が瞬く間に寺を制圧した。燃え盛る炎の中で、天下統一を目前に織田信長は自害に追い込まれた。</p> <h4 id="信長を討った理由">信長を討った理由</h4> <p>それは本能寺の変当日、信長家臣宛に書かれた手紙の一部分、そこに謀反に至った明智光秀の心情が綴られていた。</p> <p> 「父子の悪逆は天下の妨げ。討ち果たし候」</p> <p>父子とは信長親子のことを指している。つまり、信長たちの悪行は平和の妨げとなる。だから討ち果たしたと明智光秀自身が明かしているのだ。</p> <p>さらに2017年9月、光秀が反信長派の和歌山の武将・土橋重治に宛てた書状の原本が見つかった。日付は6月12日、本能寺の変からわずか10日後に書かれた、その書状にはこんな内容が…。</p> <p>「上意への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。ご入洛の件につきましては、既に承諾しています」</p> <p>上意とは、光秀が元々仕えていた室町幕府15代将軍・足利義昭のことだと推測できるという。そして入洛とは京へ戻ることを意味する。つまり、信長によって追放された義昭が京に戻ることを光秀が承知したという内容だ。</p> <p>もしかすると、明智光秀は信長が起こした乱世を平穏だった頃の室町時代に戻すべきだと考えていたのかもしれない。本能寺の変の11日後、明智光秀は山崎の戦いで後に豊臣秀吉となる羽柴秀吉に敗れた。</p> <p>その最後に彼はこんな言葉を残している。</p> <p>「謀反人の汚名を着せられようとも、私の心は誰にも分からないであろう。なんと言われようとも構わない。命も名誉も惜しくはない」</p> <p>1582年6月13日、こうしてその生涯に幕を閉じた。</p> <p>裏切り者とされた明智光秀が、正義の人に評価が変わってきている理由、それは日本の未来を見据えて信長の横暴を阻止したという説が提唱されるようになったからだった。</p> ambiguousnews スタンフォード式リーダーシップ術とは?人間関係を円滑に進める方法! hatenablog://entry/26006613376920411 2019-07-24T17:00:00+09:00 2019-07-24T17:00:00+09:00 今、ぐだぐだな会見で部下たちを不安にさせ、モチベーションを低下させた某社の話題でもちきりですが、会社、友人、家族…切っても切り離せない人間関係。そこでの悩みを解決する手段はリーダーシップにあった!スタンフォードで教えられている次世代のリーダーシップとは!? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190724161109p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190724/20190724161109.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190724161109p:plain" /></p> <p>今、ぐだぐだな会見で部下たちを不安にさせ、モチベーションを低下させた某社の話題でもちきりですが、会社、友人、家族…切っても切り離せない人間関係。そこでの悩みを解決する手段はリーダーシップにあった!スタンフォードで教えられている次世代のリーダーシップとは!?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#現代を生き抜くリーダーシップ術"> 現代を生き抜くリーダーシップ術</a><ul> <li><a href="#日常に潜むリーダーシップ術">日常に潜むリーダーシップ術</a></li> <li><a href="#戦隊ヒーローのリーダーレッドの悩み"> 戦隊ヒーローのリーダー・レッドの悩み</a></li> <li><a href="#日本リーダーシップ列伝">日本リーダーシップ列伝</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="現代を生き抜くリーダーシップ術"> 現代を生き抜くリーダーシップ術</h3> <h4 id="日常に潜むリーダーシップ術">日常に潜むリーダーシップ術</h4> <p>今、一冊の本が注目を浴びている。「スタンフォード式最高のリーダーシップ」GoogleやYahoo!の創業者を排出したアメリカの超一流大学スタンフォード。そこで教えられている脳科学、心理学、歴史学に裏打ちされた最新のリーダーシップ論が書かれている。</p> <p>例えば…</p> <p>「おい、鈴木!先週頼んだ発注、どうなった?」</p> <p>「あっ!忘れてました!すいません」</p> <p>「おいおい、今度同じことやったらボーナスカットだぞ!」</p> <p>「はい…二度とわすれません!」</p> <p>すぐにプレッシャーをかけたり、ペナルティをチラつかせて部下を動かすよく見る手法だが…これはリーダーとして絶対にしてはいけない。</p> <p>実際に叱られた部下は、プレッシャーによって失敗を繰り返さないかもしれない。しかし、プレッシャーやペナルティを多用するとそれを見ていた周りが、次は自分かもしれないとミスを恐れ、消極的なモチベーションとなってしまう。その結果、高い確率でチームの成績が下がってしまうことがわかっている。</p> <p>さらに…(テニスサークルで)</p> <p>「今日の試合がんばってたよ。お疲れ様会でまた飲みにいこうや」</p> <p>「はい、ぜひお願いします」</p> <p>「また誘うわ」</p> <p>飲みに行こうと誘ったきり、全く飲みに行かない。その場しのぎの良くしてしまうこの行動もリーダー失格。後輩にとって目上の人の言葉は、どんなに些細なことでも約束ととらえる心理が働く。</p> <p>目上の人が自分の言葉を守らなければ、後輩はこの人は信じてはいけないと不信感を抱くようになる。リーダーは、どんな小さな約束も守ること。そして、軽々しく約束をしないことが求められているのだ。</p> <p>そしてこんなケースも…(PTA会議)</p> <p>「おかしいなぁ、今日会議15時からですよね」</p> <p>「すみません、みなさんお待たせしました。じゃあ、会議始めましょうか」</p> <p>予定時刻に少し遅刻しても、全く気にしない。こんなリーダーもNG!時間という価値は、上司であろうが部下であろうが、誰にでも本来平等なもの。そのため、何度も遅刻し、しかも気にしていない様子だと目下の人は、自分たちのことを軽く扱われているように感じてしまう。</p> <p>さらには役職などが付いていた場合、肩書きにあぐらをかくタイプの人間だという批判を生み出す要因になってしまうのだ。</p> <p>このように職場だけでなく、家庭や友人関係などの日常生活では誰にでもリーダーシップを発揮しなければならない瞬間が訪れる。その時、周りを動かし人間関係を円滑に進める方法!それこそがスタンフォード式リーダーシップなのだ。</p> <h4 id="戦隊ヒーローのリーダーレッドの悩み"> 戦隊ヒーローのリーダー・レッドの悩み</h4> <p>リーダーとしてどのような行動が正しいのか?日常で出会う様々なケースを通してスタンフォード式リーダーシップ術を学んでみよう。</p> <p> 「今年からリーダーになったんだけどさ、チームワークが悪くて今日も敵にボロ負け。これじゃ憧れのゴールド先輩に近づけないよ」</p> <p>「ゴールド先輩?」</p> <p>「レンジャー業界では、史上最高のリーダーって言われているんです」</p> <p>「よかったら私が力を貸しましょうか?私こういう者です」</p> <p>「リーダーシップコンサルティング金野さん?」</p> <p>「人の心を動かして、チームの成果を上げるリーダーのお手伝いをしています」</p> <p>「はぁ…」</p> <p>こうしてレンジャーのコンサルを担当することになった謎の男、金野。さっそく翌日の作戦会議に参加することに。</p> <p>「今日は次の戦いに向けて1人づつ考えてきてもらった作戦案を発表してもらおう。まずは…」</p> <p>「すいません!遅刻しました!」</p> <p>「おい!グリーン!大事な会議に遅刻してくんなよ!」</p> <p>「すいません!」</p> <p>「レッドさん…今のはいけませんねぇ。今のはみんなを笑わせるところです。出来るリーダーは、1人目のプレゼンを盛り上げる!」</p> <p><strong>スタンフォード式リーダーシップ術「場の空気を作り出す」</strong></p> <p>アメリカのある大学で会議の場に様々な種類のサクラを仕込み、最初にプレゼンをさせる実験を行った。その結果、陽気でテンションが高いサクラが最初にプレゼンすると、建設的な意見が多くなり会議時間も短縮された。</p> <p>逆に暗いサクラが最初のプレゼンをすると、会議での意見が少なく時間も長くなることがわかった。特に空気を重要視する日本人はこの傾向が強いため、できるリーダーは場の空気をまず盛り上げることが一番大切。</p> <p>なので、その場の空気は壊さずに盛り上げ、後で個人的に注意するのがリーダーの正しい行動なのだ。</p> <p>「では次に、なぜ我々が敵に勝てないのか、ざっくばらんに話し合いたい。まずは私の意見だが…」</p> <p>「レッドさん…Ask don't tell」</p> <p>「(´・ω`・)エッ?」</p> <p><strong>スタンフォード式リーダーシップ術「語るのではなく質問せよ」</strong></p> <p>目上の人は、リーダーシップを見せようと先に意見を言いがち。だがそれをするとメンバーは、萎縮して本音を話せないことが多い。人間は、自分に関心を寄せてくれた人に対し、お返しのように関心を持つという心理があるため、部下にも積極的に意見を聞くと部下は心を開き、意見が活発に出る建設的な会議になる。</p> <p>これは親子関係でも有効な手段。</p> <p>「どうして宿題忘れちゃったのかな?」</p> <p>「遊んでて忘れちゃった」</p> <p>「次の宿題はちゃんとしようね」</p> <p>「遊ぶ前にちゃんと宿題するね」</p> <p>一方的に叱りつけるのではなく、しっかり子供の意見を聞く。すると心を閉ざさずに子供は自分の意見を話し、問題解決につながりやすい。</p> <p>✽</p> <p>「あれ?もうみんな帰ったのか…」</p> <p>携帯が鳴る。</p> <p>「えっ?ダイナマイト工場が怪人たちに襲われている?まいったなぁ、今からみんなを呼び出すのも悪いし…。よし!ここは1人で戦うか!」</p> <p>「レッドさん…、リーダーは自分1人でやっちゃダメですよ」</p> <p>「(´・ω`・)エッ?」</p> <p><strong>スタンフォード式リーダーシップ術「ひとりで仕事をするな!」</strong></p> <p>「いいよ、これ俺やっとくから」</p> <p>「すいません」</p> <p>「あと、納期がもう時間ないから、この資料も俺が作っとくわ」</p> <p>日本人に多いのが、1人で全部抱えてしまう自己犠牲型のリーダー。一見、部下思いな上司と思われそうだが…。そんなリーダーのいるチームはうまくいかない。</p> <p>このようなリーダーの行動は、部下を信用していない、自分のポジションを奪われたくないという印象を与えてしまい、部下が不信感を持つケースがあることがわかっている。</p> <p>「今回のこのプロジェクト、お前に任せる。責任は俺が取るから」</p> <p>大切なのは、部下に仕事をまかせ、責任は自分が取ること。すると部下のモチベーションは上がり、良い成績を残しやすいという研究結果が出ている。</p> <p>「1人で上げる成果より、みんなで成果を上げるほうが効率が良いですよね」</p> <p>「そうだな…よし!全員呼び出して戦おう!」</p> <p>✽</p> <p>「いやぁ、今日はほんといい戦いができましたね」</p> <p>「私3人も倒しましたよ」</p> <p>「もう少しで勝ったよねぇ」</p> <p>「次こそ勝ちましょう!」</p> <p>「(みんなもやる気が出てきたようだな)よし!みんな!次からは一番多く敵を倒した人にボーナスを出そう!」</p> <p>「レッドさん…人はボーナスでは限界がありますよ」</p> <p>「(´・ω`・)エッ?」</p> <p><strong>スタンフォード式リーダーシップ術「ボーナスを過信してはいけない」</strong></p> <p>ボーナスや特別休暇といった外からの要因で、やる気を出させようとすることを外的モチベーションという。この外的モチベーションは、その時はいいが、当たり前になってくると労働意欲が削がれ仕事の効率が下がりやすいという研究結果が出ている。</p> <p>では部下のやる気を持続させる方法とは…</p> <p>「資料作りは地道な作業。しかし、これがあれば会社のビッグプロジェクトのプレゼンの説得力が格段に上がる。助かるよ。」</p> <p>「はいっ!」</p> <p>部下の頑張りが、全体の利益に繋がっていると伝えること。すると言われた側はモチベーションが上がり、やる気も長期的に持続するのだ。</p> <p>✽</p> <p>ガチャっ</p> <p>「はい!レッドです。あ、本部長!」</p> <p>「本部に優秀なスタッフが入ってきたからレンジャーのメンバーを入れ替えようと思っている。どうだ?」</p> <p>「(チーム全員、仕事ができる方がそりゃいいかぁ)」</p> <p>「レッドさん…チームは全員が優秀でなくてもいいんですよ」</p> <p>「(´・ω`・)エッ?」</p> <p>チームは優秀な人物が多いほど、良い結果を出す!だがそれは大間違い。研究結果により1人1人の能力は平凡でも、次の5つのタイプが集まった時こそ業績が上がることがわかっている。</p> <p>実行力のある人、協力的な人、真面目な人、そして温厚な人、自由な人。全員がエースで4番のスタープレイヤーが揃うよりも、適材適所の個性が集まった方がチームがまとまるのだ。</p> <p>「ありがたいお話ですが、私はこの5人でやっていきます」</p> <p>「このチームはもう大丈夫そうですね」</p> <p>「ありがとうございます。これで少しは憧れのゴールド先輩に近づけたと思います」</p> <p>「レッド…お前はもう俺を超えてるよ」</p> <p>「(´・ω`・)エッ?」</p> <p>「明日からはもう、俺はいらないな、じゃあな」</p> <p>私たちは、みんなリーダーである。究極のチームリーディング術を身につければ、きっとあなたの人生は変わるはずです。</p> <h4 id="日本リーダーシップ列伝">日本リーダーシップ列伝</h4> <p>日本で活躍した誰もが知るリーダーたち。彼らをリーダーたらしめたもの、それはある以外な行動だった。 </p> <p> <strong>偉人に学ぶリーダーシップ「豪腕と謙虚」</strong></p> <p>戦後初の首相・吉田茂。日本国憲法をはじめ、教育基本法、労働基準法など重要な法律を次々に成立させ、現代の日本の礎を築いた。ワンマン宰相とも呼ばれた彼は、その異名のとおり周りの意見を聞かず、重要な案件を独断で決定することも多かった。</p> <p> だが彼は、首相に任命されること5回。これは歴代最多だ。ワンマンと呼ばれながらも多くの人々に支持された理由、それは吉田のあるリーダーシップだった。</p> <p>吉田にはある習慣があった。あるホテルで…</p> <p>「吉田さま、何をされているのですか?」</p> <p>「洗面台を拭いているんだよ」</p> <p>「お待ちください!そんなことは清掃員がやります」</p> <p>「結構ですよ。洗面台の水を拭くためにいちいち担当者を呼んでいたら仕事にならないでしょう」</p> <p>「しかし…」</p> <p>「一流ホテルが一流である証は、従業員の手によってトイレがいつもきれいであることではありませんよ」</p> <p>「えっ…」</p> <p>「自分で拭くのが当たり前だと思う客が、常連であることではないでしょうか?」</p> <p>そう言って吉田は、黙々と洗面台を拭き続けた。彼はワンマンと呼ばれる一方で、政治の場を離れると誰に対しても謙虚な姿勢を忘れなかった。そんな普段の姿を見ていた周りの人間は、吉田に魅了されていた。</p> <p>支持された理由は他にも…。</p> <p>「総理、いよいよ調印式ですね。それでは行きましょう」</p> <p>1951年、吉田内閣は戦後日本の未来を左右する日米安全保障条約の締結に臨もうとしていた。その調印式の直前、吉田は以外な一言を部下に放つ。</p> <p>「君たちはここにいなさい。私1人で行きます」</p> <p>「えっ、なぜですか?」</p> <p>吉田はなぜか、部下の調印式への出席を許さなかった。</p> <p>当時、日米安全保障条約に対して日本の世論は反対派が多数。条約を結んだ後、反対派のデモ運動が過激化することを吉田は懸念していた。直属の部下が調印式に出席すれば、危害が及ぶ可能性がある。そう考えた吉田は、自分1人でそのリスクを背負おうとした。</p> <p>独断で決めたことの責任は、自分が取る。その姿勢を見せ続けたことで、長きに渡り支持されつづけたのだ。</p> <p><strong>偉人に学ぶリーダーシップ「一流の心遣い」</strong></p> <p>関西私鉄の雄・阪急電鉄。その創業者・小林一三。後に活躍する偉大な経営者たちにも影響を与えた彼のリーダーシップとは?</p> <p>「元気にしてるか?」</p> <p>「ええ、お金はありませんがこの通り元気にしてますよ」</p> <p>男の名前は松永安左衛門。電力民営化を実現し、財界で電力の鬼と呼ばれた男だ。だが当時、松永は事業に失敗し極貧生活を送っていた。</p> <p>「どうしたんですか?急に」</p> <p>「いやぁ、退屈してると思ってね。これでも読んだら気が紛れるだろう、いい値段したんだよ」</p> <p>小林が松永に渡したもの。それは、書籍と掛け軸だった。</p> <p>「実は今度、会社を立ち上げようと思ってね。まぁ気が向いたら手伝ってくれ。あ、本は読んだら処分してくれていいよ。掛け軸もね」</p> <p>「(こんな時に本なんて読む気になれるわけないだろう。掛け軸なんてどうすればいいんだ。売ってしまおう…売ってしまう…?)そういうことか!一三さん」</p> <p>お金を渡せば簡単に松永を助けることはできる。だが、それでは彼のプライドを傷つけてしまう。そう考えた小林は、あくまで何気ない行動を装った。</p> <p>この恩を忘れなかった松永は、その後、電気事業が軌道に乗ると阪急王国完成のために協力し続けた。小林が大切にした小さな心遣いによって人は動く。この行動こそ、まさにリーダーシップの真髄なのだ。</p> ambiguousnews ダーウィンの進化論が崩壊!?宇宙人による遺伝子操作説が濃厚! hatenablog://entry/26006613374709060 2019-07-19T18:00:00+09:00 2019-07-19T18:00:10+09:00 最近の考古学の発見により、遠い昔に地球上の生活がどのようなものであったか、これまでとは大きく違う考えが明らかになった。それは、人間に似た知能の高い種と人間が共存していたというのだ。ヒト科の種は一体どのようにして個々に発達していったのであろうか。地球そのものが地球外実験室の役割をしていた可能性がある。人類は、地球外実験の結果にすぎないのか? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190719172039p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190719/20190719172039.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190719172039p:plain" /></p> <p>最近の考古学の発見により、遠い昔に地球上の生活がどのようなものであったか、これまでとは大きく違う考えが明らかになった。それは、人間に似た知能の高い種と人間が共存していたというのだ。ヒト科の種は一体どのようにして個々に発達していったのであろうか。地球そのものが地球外実験室の役割をしていた可能性がある。人類は、地球外実験の結果にすぎないのか?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#ヒューマンプロトタイプ"> ヒューマン・プロトタイプ</a><ul> <li><a href="#アブダクション">アブダクション</a></li> <li><a href="#ホモナレディ">ホモ・ナレディ</a></li> <li><a href="#ダーウィンの進化論"> ダーウィンの進化論</a></li> <li><a href="#世界各地で見つかるヒト科の異種が共存していた証拠">世界各地で見つかるヒト科の異種が共存していた証拠</a></li> <li><a href="#ホモサピエンス以外が絶滅した理由">ホモサピエンス以外が絶滅した理由</a></li> <li><a href="#生き延びた巨人族"> 生き延びた巨人族</a></li> <li><a href="#Rh-の血液型">Rh-の血液型</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="ヒューマンプロトタイプ"> ヒューマン・プロトタイプ</h3> <h4 id="アブダクション">アブダクション</h4> <p>1992年、歴史学の教授デビット・ジェイコブスが「SECRET LIFE」という著書を発表した。ジェイコブスは30年にも渡り、宇宙人による誘拐・アブダクションに遭ったと主張する何百人もの人々を取材し、データを集めてきた。</p> <p>著書の中で、宇宙人が自分たちと人類の混血種を作るため地球を遺伝子実験室として利用しているという結論に至った。世界中でアブダクションに遭った人々の証言は一致しており、アブダクションは現実であるとしている。</p> <p>人間はテーブルに置かれ、男性は精子を、女性は卵子を抽出される。誘拐された人たちの中には、別の部屋で不思議な姿をした人間と宇宙人の混血のような赤ん坊を見せられたという人が大勢いる。</p> <p>ジェイコブスの研究は綿密で、よく整理されているという定評がある。それでもアブダクション現象そのものを否定する声は多い。しかし、宇宙人が人間のDNAに細工を施し、進化の系統を枝分かれさせようとした可能性はないだろうか?</p> <h4 id="ホモナレディ">ホモ・ナレディ</h4> <p>2013年、ある探検家がライジングスターという洞窟の奥深くで人間によく似た化石を発見した。古人類学者によれば、見つかった骨はこれまでに発見された初期人類のどの骨とも異なるという。さらなる研究の結果、この骨は人間のものではないという結論に至った。人類の進化論に新たな疑問が投じられたことになる。</p> <p>この新たな種は、ホモ・ナレディと呼ばれる。ホモ・ナレディはヒト科の動物だが、彼らは原始的な人類と進化した人類の両方の性質を備えている。頭蓋骨の形や歯のサイズといった特徴は、ホモ・ナレディ独特のものだが一方で、足や足首は人間によく似ている。</p> <p>別の特徴もある。彼らの脳はわずか500ccしかなく、現代人の三分の一程度だということだ。肩や胴体は、非常に原始的で初期のヒト科の祖先とよく似た特徴を持っている。最初の人類は、300万~700万年前にアフリカで始まったと言われているが、この洞窟はもっと新しい。さらに彼らの置かれていた状態は、非常に規則正しく何かの儀式が行われていたように見えるという。</p> <h4 id="ダーウィンの進化論"> ダーウィンの進化論</h4> <p>ヒト科の動物の系統図には、現生人類に加えて枝分かれしたが、すでに絶滅している先人たちも含まれる。例えば、ネアンデルタール人、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトスなどの知性を持ち、直立二足歩行のできたヒト科の霊長目だ。そして、長年にわたる研究の結果、科学者たちはこれら複数の種が共存していた時期があると考えている。</p> <p> こうした最近の発見により、1859年に提案されたダーウィンの進化論を再検討する必要が出てきたという意見もある。ダーウィンは「種の起源」という著書の中で、人間の進化論について記している。</p> <p>それによると、ヒトは自然淘汰によって世代ごとに段階的な変化を遂げていき、やがて既存の種が改良されるという。進化論が正しければ、ゆっくりとした安定した進化が見られるはずだ。だが実際は、急速な進化を遂げて突然現れたのが初期人類だと考えられている。</p> <p>人類の進化や人類以前のヒト科の進化は、ダーウィンが提案した通りの道を歩んだわけではないかもしれない。一説によると、かつて地球には知性を持つ全く異なる種のヒト科が存在した可能性があるのだ。そのヒントを探るため、人類の創造について書かれた最も古い物語の1つを見てみる。</p> <p>古代シュメールの文書には、かつてエンキが人類の失敗作を作り、女神ニンフルサグが苦労の末、完璧な人間を作ったと書かれている。彼らの理想とする人間ができるまでに6種類の試作品が作られた。さらにマヤ神話ポポル・ヴフには、三度に渡り人間を作る実験があったと書かれている。</p> <p>神が様々なタイプの人間を作ろうとしたという物語は、マヤ神話のポポル・ヴフだけでなく、古代シュメールの文書やその他の記録にも残されている。遠い過去、地球では本当にそのようなことが起きていたのか?だとすれば、その神とは誰を指すのだろうか?</p> <h4 id="世界各地で見つかるヒト科の異種が共存していた証拠">世界各地で見つかるヒト科の異種が共存していた証拠</h4> <p>2003年インドネシアのフローレス島でホモ・フローレシエンシスの人骨が見つかった。成人でも身長1メートルくらいのヒト科の生物で、人々は彼らをホビットと呼んでいる。彼らが存在した1万6000~8000年前は、現生人類しかいないと考えられていた時期だ。</p> <p>驚きなのは体のサイズで非常に小さく、脳のサイズはチンパンジーと同じくらいで300~400ccくらいしかなかった。だが、現生人類と同じように道具を使っていたのだ。彼らはこの島に流れついたのか?それとも誰かによって連れてこられたのだろうか?孤立した島は、実験皿のような役割を果たしていたのかもしれない。</p> <p>それから数年後、シベリアの洞窟で新たなヒト科の骨が発掘された。彼らは、発見された洞窟の名前にちなんでデニソワ人と名付けられた。過去20年の間の発見によれば、世界における孤立した4つの地域において、4種類の異なるグループが発見されたということになる。</p> <p>ホモ・フローレシエンシスは、フローレスという孤立した島で見つかった。デニソワ人は、シベリアの山奥で見つかった。ネアンデルタール人は、西ヨーロッパで発見された。そして、現生人類はアフリカで進化したとされている。</p> <p>地理的に隔離されることが、どのような影響を及ぼすのかは科学者たちもまだ結論に至っていない。だが、人間や人間以外の種の離島における人口を研究した限り、島という孤立した環境では、ユニークで優れた順応性を持つ種が育まれる可能性が高く、体のサイズにも特徴が現れるという。</p> <p>1972年、スティーヴン・ジェイ・グールドという研究科が一般に言われている進化のモデルに異論を唱える進化論を発表した。彼は断続平衡説と呼ばれる理論の中で、化石の記録を見る限り人の進化は、ダーウィンが提案した段階的なものではなく、突然変異のようなものだったと主張している。</p> <p>しかも、そのような急激な変化は隔離された環境で起こったというのだ。その理論が、今も物議をかもしているのは、グールドがそこに未知なるメカニズムの介入があったと主張するためだ。だがそれがどんなメカニズムだったのかは、彼もまだ発見できていない。</p> <h4 id="ホモサピエンス以外が絶滅した理由">ホモサピエンス以外が絶滅した理由</h4> <p>2011年、スペインの洞窟で宗教儀式で埋められたような体勢をした3人の遺骨が発見された。埋葬されている様子から、その遺骨は人間のものだろうと人類学者たちは判断した。ところが後にそれらは、人間に近い進化を遂げたと言われるネアンデルタール人だと判明した。</p> <p>死体を埋葬するということは、死後に関する何らかの考え方があったということだ。死後の世界が存在するということは、神も存在するはず。これは、かなり複雑な宗教的思想であり、ネアンデルタール人が象徴的存在を理解したり、文化を形成する能力があったことを表している。</p> <p>ネアンデルタール人は、初期の発見を通して粗野で知性に乏しく人間とはかなり異なる石器人という印象がある。背が低くがっちりしていて、脳が大きいのが特徴だ。一方で衣服を身に付け、病人や老人をいたわる知的な者たちだった。</p> <p>2014年、科学者たちは40箇所の異なる採掘現場から得られた資料を分析し、ネアンデルタール人の絶滅した時期を割り出した。結果は4万年前ということだった。つまり、ホモサピエンスとネアンデルタール人は、少なくとも千年は共存していたことになる。ネアンデルタール人はなぜ消えたのだろうか?</p> <p>ネアンデルタール人は遥か昔に絶滅したが、2013年進化遺伝学者たちが一部の人間にネアンデルタール人とデニソワ人の染色体、ゲノムが伝わっていることを発見した。どこかの時点で異種交配があったというのだ。</p> <p>ネアンデルタール人の遺伝子マーカーは、ヨーロッパと中東の一部の地域の人口に集中している。デニソワ人の遺伝子マーカーは、アジア大陸および太平洋諸島、ニューギニア島、オーストラリアのアボリジニに多く発見されている。</p> <p>人間とかつて地球に共存していたとされる他のヒト科の種が絶滅理由は、こうした異種交配を調べることで明らかになるという。複数の異なるヒト科の発展が、それぞれ意図的に隔離された場所で別々に進行していたと想定してみる。あまりに遠く離れた場所に置かれたため、お互いに接触するのは難しかった。それは、異種交配は好ましくないということを意味している。</p> <p>ネアンデルタール人との交配が起これば、実験の根幹にダメージを与えることになるからだ。そこでネアンデルタール人の系統を排除し、地球から完全に消し去らなければならなかったという推論だ。</p> <p>古代の宗教的な資料を見てみると、何千年も前から神々は人間を肉体的にも道徳的にも純粋なものとして創造したいと考えていたようだ。一方で、人間が道を踏みはずなどして神の怒りを買った場合、神が天罰を下すという物語も数多く見られる。これは、私たち人間を純粋な種として存続させるための宇宙人による介入だと考えることもできる。初期人類を一掃して、初めから作り直すという行為もそんな介入の一環と言えるわけだ。</p> <p>約7~4万年前の時期、ホモサピエンスは少なくとも2度に渡るボトルネック現象を体験したと言われている。これは遺伝子的な異変により人口が現象することで、世界中にいたホモサピエンスは、約3000人にまで現象した可能性がある。</p> <p>地球を一掃するため、宇宙人たちは大規模な計画を実行した。例えば、聖書で言われる大洪水を起こしたのだ。大洪水により当時、地球上にいた多くの人口が排除された。宇宙人である神が、何らかの方法で大洪水を起こしたのだ。彼らが自ら遺伝子操作を行い失敗してしまった作品を地球上から一掃して最初からやり直すためにすべてを洗い流したというわけだ。</p> <h4 id="生き延びた巨人族"> 生き延びた巨人族</h4> <p>研究者たちは、様々なアメリカ先住民から集めたDNAデータを分析し、ベーリング海峡を渡った祖先たちの歴史を辿ろうとしていた。その系統は、DNAの構成を示すハプログループで分類される。グループはA~Dまであり、それぞれが2~3万年前に発生した種でアジア大陸の異なる場所からの移住を表してる。</p> <p>だがこの四大系統のいずれにも属さない全く異なるアメリカ先住民の系統が、わずかだが存在することが明らかになった。彼らの祖先は、約3万6000万年前まで遡るがベーリング海峡を渡ってはいないようだ。科学者たちは、これをX系統と呼んでいる。</p> <p>X系統は、アメリカ先住民の約2.5%を占めるほか、北欧や中東の一部の人口にも見られる。他のグループとの共通点はなく、X系統がなぜこれほど異なるのかもわかっていない。1つの種族と他の種族が全く関係ないなどおかしなことだ。</p> <p>X系統と呼ばれる人々のルーツは、未だに謎のままだが、その系統は遠い過去に北アメリカを含めた世界各地に存在したという失われた種族と関係しているかもしれない。X系統の遺伝子は、世界中で報告されている巨人の種族と何らかの関係があるかもしれない。</p> <p>1800年半ば頃からアメリカの人類学者たちは、2~2.5メートル近くもある巨人の骨を発掘していたという記録が残っているのだ。1800年代スミソニアン教会の人類学者たちは、アデナ文化に属するアメリカ先住民部族の埋葬塚で極めて大きな骨を発掘した。</p> <p>聖書には、地球にやって来た見張りの者や神の子たちの話が書かれている。彼らは人間と交わり新たな巨人の種を作った。ネフィリムだ。発掘された巨大な骨は、そんな見張りの者やネフィリムの証拠かもしれない。こうした巨人の中には、宇宙人のDNAが混じっていることも考えられる。</p> <h4 id="Rh-の血液型">Rh-の血液型</h4> <p>フランスとスペインの国境に位置するピレネー山脈。この孤立した地域に暮らすバスク族と呼ばれる人々がいる。彼らは、人類学的にも歴史的にも複雑な境遇を持っている。この少数民族が話す言葉は、世界中の他の言語とあまりに違うのだ。またRh−という血液型の比率が世界一高いという点でも特殊である。</p> <p>バスク族の35%ほどがRh-の血液型で世界で最も珍しいとされる血液型だ。最も変化しにくく、他の血液型と相互作用できないという特性を持っている。人間の血液型は、大きく4つに分けることができる。O型、A型、B型、AB型だ。さらに血液型はRh因子に基づいて細分化される。血液中にRh抗原を持つか、もたないかによって分けられる。</p> <p>Rhという名前は、英名のアカゲザル(rhesus macaque)から来ている。アジア地域に住むサルで、輸血の実験に使われた。輸血される側の反応を見るためだ。その実験からRh因子に+と-の2種類があることが発見された。</p> <p>世界人口の85%はRh+の血液型だとされており、+と-の両方の輸血を受けることができる。しかし、Rh-が+の輸血を受けると命に関わることがある。体が外来抗原を破壊しようとするからだ。また、Rh-の女性がRh+の男性の子供を妊娠すると胎児に危険が及ぶことがある。昔、結婚前に血液型を調べたのはこのためだ。</p> <p>Rh-の血液型を持つ人は、血圧が通常よりも低く脈拍も弱い。そして、背中に余分な脊椎骨がある場合が多い。Rh-の血液型を持つ人は、地球上で異なる種から進化したのかもしれない。外から来た種なのか、遺伝子操作によるものなのか、それとも自然の進化の結果なのか、誰にもわからないが人口の15%を占めるRh-の血液型の人々は外から来た可能性があるということだ。</p> <p> </p> <p>私たち人類の進化は、単なる自然淘汰ではなく宇宙人の介入によるものなのだろうか。人間は今、急速に新たな種へと変化し、ホモサピエンスに取って代わろうとしているのかもしれない。想像してみて欲しい、現在の私たちと同じようにネアンデルタール人は、自分たちがホモサピエンスに取って代わられるとは夢にも思わなかっただろう。</p> <p> 私たち人類は、宇宙人による実験の結果なのだろうか。地球上の孤立したエリアは、実験室として機能しており、そこで生き残った1つの種にだけ存続が許されるのだろうか。それが真実ならば、宇宙人による遺伝子操作は現在も続いている可能性がある。完成したと思える現在の私たちもまた、人類の試作品の1つであり、宇宙人によって導かれた進化の道の先頭を歩いているのかもしれない。その歩は、いずれ私たちが宇宙人の祖先と並ぶ日まで続いていくのだろう。</p> <p> </p> ambiguousnews ナチス驚異の科学力!大戦中にタイムマシンを完成させていた!? hatenablog://entry/17680117127219000192 2019-07-16T18:00:00+09:00 2019-07-16T18:00:02+09:00 第二次世界大戦中、ナチスはトップの科学者を使って驚異の武器を開発させていた。先端科学を取り入れたそれらの武器を使っていれば、戦局が変わっていたかもしれない。ある証言に「ディグロッケ」のコードネームで呼ばれた極秘プロジェクトがあった。鐘の形をしたその装置が空に打ち上げられると、光速まで速度を上げてタイムトラベルができたという。果たして本当に実在したのだろうか? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190716163710p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190716/20190716163710.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190716163710p:plain" /></p> <p>第二次世界大戦中、ナチスはトップの科学者を使って驚異の武器を開発させていた。先端科学を取り入れたそれらの武器を使っていれば、戦局が変わっていたかもしれない。ある証言に「ディグロッケ」のコードネームで呼ばれた極秘プロジェクトがあった。鐘の形をしたその装置が空に打ち上げられると、光速まで速度を上げてタイムトラベルができたという。果たして本当に実在したのだろうか?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#ナチスのタイムマシン"> ナチスのタイムマシン</a><ul> <li><a href="#ナチスの極秘プロジェクト"> ナチスの極秘プロジェクト</a></li> <li><a href="#古代に存在したテクノロジー"> 古代に存在したテクノロジー</a></li> <li><a href="#人類の夢タイムトラベル"> 人類の夢タイムトラベル</a></li> <li><a href="#ケックスバーグ事件">ケックスバーグ事件</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="ナチスのタイムマシン"> ナチスのタイムマシン</h3> <h4 id="ナチスの極秘プロジェクト"> ナチスの極秘プロジェクト</h4> <p>第二次世界大戦中、ドイツ軍が世界最高の技術を誇っていたことはよく知られている。ナチスドイツは当時、誘導ミサイルもジェット機も精密爆撃機も持っていた。ヒトラーはそれらの兵器を用いて連合国を破り、世界を支配する一大帝国を築こうとした。</p> <p>1945年のドイツ降伏後、ペーパークリップ作戦の名の下1600人以上のドイツ人科学者がアメリカに連行された。ドイツ人は、地球外の技術に通じているとの噂があり、アメリカにはそれを取り込みたいという思惑もあったようだ。</p> <p>1997年ポーランドの情報将校からある文書がもたらされた。それにはナチスの極秘プロジェクト「クロノス」の事と、奇妙な釣り鐘型の兵器「ディグロッケ」事が記載されていた。</p> <p>クロノスは、ギリシャ神話に登場するティターン族の時間の神の名前でもある。そのため、クロノスはタイムトラベルに関するプロジェクトでディグロッケは、タイムマシーンの部品ではないかと考えられている。</p> <p> 奇跡の兵器の開発を指示していたのは、ナチスの科学者ハンス・カムラーだった。ナチス親衛隊で最も有力な将校であり、古代の知恵に基づいた最先端プロジェクトの主導者だったのではないかと考えられている。</p> <p>大戦後に発見された報告書には、ドイツ人科学者が反重力技術に関する実験を行っていたと記されていた。水銀を燃料とするエンジンを開発していたようだ。それは、密閉された容器の中で水銀を回転させることにより、浮力を生み出すというものだった。近年目撃されているUFOは、同様の仕組みで重力に逆らって離陸していたと考えられている。</p> <p>終戦とともにディグロッケとその生みの親であるハンス・カムラーは姿を消したそうだ。どちらも時を越えて脱出したのではないかという説が、今もなお消えていない。</p> <h4 id="古代に存在したテクノロジー"> 古代に存在したテクノロジー</h4> <p>ナチスは取り憑かれたように、盛んに古代の宗教文書や遺物を探し研究していた。それらに大きな力があると信じていたからだ。ナチスは、オカルトにも傾倒し、いわゆる黒魔術の研究に熱心に取り組んでいた。その知識は、ドイツの敗戦で失われたが、実は連合国が戦利品として確保したとも言われている。</p> <p>それがヒントになって、現在使われている高度な通信システムや兵器が作られたのかもしれない。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190716161810j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190716/20190716161810.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190716161810j:plain" /></p> <p>ディグロッケの形から、ヒンドゥー教の聖典に登場するヴィマナが思い出される。光る金属できた空を飛ぶ戦車で、即座に止まり、全速力で方向変換ができ、物理の法則に逆らうような飛び方をした。遠くから敵を倒せる強力な武器を備えており、姿を消すこともできたという。サンスクリット語の文献マハーバーラタには、ヴィマナが地球に飛来する様子が描かれていて、それは現代のUFOとそっくりなのだ。</p> <p>現在、主流派の歴史学者はヴィマナを架空のものと考えている。しかし、ヒンドゥー教徒の中には歴史的事実と捉える人もいる。遥か昔に宇宙から地球にやってきた飛行船の技術にナチスが注目したのだろうか?だとしたらどうやって詳細な情報を得たのだろうか?</p> <p>1936年にドイツのシュヴァルツバルトに謎の宇宙船が墜落した。第二次世界大戦が始まる3年前だった。ナチス親衛隊が墜落した宇宙船を回収し、当時ヴェヴェルスブルグ城にあった秘密基地へ運び去った。そして、ナチスの科学者が宇宙船に搭載されていた技術を分析し、模倣したと考えられている。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190716145901j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190716/20190716145901.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190716145901j:plain" /></p> <p>ディグロッケの奇妙な形は、ヴィマナに似ているだけでなく仏教で神秘の力を持つとされる建築物ストゥーパ(卒塔婆)にも似ている。ストゥーパには数千年の歴史があり、初期の埋葬塚が基になったと考えられている。</p> <p>埋葬塚では、遺体をまっすぐ座らせて土をかけていた。ストゥーパは、元は座ったブッダを表したという。その後、何百年も経つうちに基本の円錐形に様々なデザインが加えられ洗練されていった。</p> <p>果たしてナチスドイツは、ヒンドゥー教や仏教に関係する古代のデザインを基にタイムトラベル装置を開発していたのだろうか?そのデザインは、古代に飛来した宇宙人の技術をヒントしたという可能性は?</p> <p>インドネシアにあるボロブドゥール遺跡。ストゥーパをいくつも積み重ねて作られた巨大な寺院だ。ストゥーパの中には、それぞれ仏像が1体づつ収められている。この仏像は手を動かして何かを操縦しているように見える。</p> <p>ストゥーパは、小さな乗り物でブッダがそれに乗って、大きな乗り物に戻ると信じられている。大きな乗り物は少し離れた所にあり、小さな乗り物を操縦して地球へ行き来していたのではないだろうか。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190716150416j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190716/20190716150416.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190716150416j:plain" /></p> <p>メキシコのパレンケ遺跡のレリーフでは、若きパカル王が椅子のようなものに座っていて、両手で何かを操縦している。絵を縦に回転させると、まさにストゥーパの中に座っているブッダと同じ姿になるのだ。</p> <p>さらにインドの寺院を見てみると共通の特徴に気が付く。50年ほど前に作られた新しい寺院でも、二千年前に作られた古い寺院でも同じだ。どの寺院のてっぺんにもヴィマナが作られているのだ。ヴィマナは神話に出てくる飛行船だが、ストゥーパと同じ形をしている。</p> <p>ナチスの科学者の日記から、サンスクリット語の本を研究し影響を受けたことはわかっている。フェルナー・フォン・ブラウンは、サターンロケットの開発者だ。ブラウンは学生時代、ロケットの父と讃えられるヘルマン・オーベルト教授に師事していた。彼らは、ヒンドゥー教の聖典ヴェーダを熱心に研究したという。高齢になったオーベルトは、ストゥーパに似た秘密兵器の開発に取り組んだか?という問いに、確かに取り組んだが完成しなかったと答えたという。</p> <h4 id="人類の夢タイムトラベル"> 人類の夢タイムトラベル</h4> <p>人類は遠い昔から時間旅行を夢見てきた。1905年アインシュタインが、有名な相対性理論を基にタイムトラベルが可能であることを示唆した。それ以来、科学者は過去にも未来にも旅することができるタイムマシンを発明しようとしてきた。</p> <p>一番良い方法は、人工的に時空のトンネル、いわゆるワームホールを作ることではないかと言われている。NASAもワープ航法の開発に取り組んでいる。これは、光の速さを超えることにより未来へ行ける技術だ。</p> <p>アインシュタインの相対性理論では、時間の流れは一定ではなく、重力や速度などの影響を受けるとされている。その結果、時間の遅れが生じるのだ。この現象は、地球に置いた原子時計と、宇宙に出した原子時計を比べれば確認できる。</p> <p>例えば、超高速で飛ぶ宇宙船に乗せた原子時計は、地上に置いた原子時計よりも時間が遅く進むのだ。タイムトラベルが理論上可能だとすると、次なる問題はナチスの科学者がそれを実現できたかどうかだ。</p> <p>大戦中にナチスの科学者が、反重力装置やタイムマシンや先進的な飛行船を完成させていたということはないだろう。もし完成させていたならヒトラーが戦場で使ったに違いないからだ。開発してはいたが、完成させられなかったとしたら?そして、それを戦後アメリカが手に入れたとしたら?だが、今のところその様子はない。</p> <p>ディグロッケは釣り鐘型をしている。真空の宇宙では抵抗は問題にならない。しかし、地球でも活動するのであれば空気力学的な効率が求められる。そこで釣り鐘型の模型を用いて風洞実験を行った。</p> <p>ディグロッケは、ロケットや航空機にように空気力学を考慮した形には見えない。ところが、釣り鐘型のディグロッケは球体型のほぼ2倍の性能を示したのだ。この形が、空気力学的に優れているというのは驚きだ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190716153924j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190716/20190716153924.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190716153924j:plain" /></p> <p>2014年5月、アメリカの航空宇宙会社スペースX社が、新型の友人宇宙船「ドラゴンver.2」を発表した。この最新の宇宙船は、ナチスのディグロッケや古代のストゥーパの形に驚くほど似ている。ディグロッケは、空気力学的なデザインだったのだ。</p> <h4 id="ケックスバーグ事件">ケックスバーグ事件</h4> <p>1965年12月、猛スピードで空を横切る火の玉がミシガン州、オハイオ州、ペンシルバニア州で多くの人に目撃された。さらにそれが谷間に墜落するところを数百人が目撃した。目撃者によれば、やがてアメリカ軍が墜落現場に到着し、謎の物体を素早く運び去ったという。現在まで、軍は墜落事件が起きたことさえ認めていない。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190716154814j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190716/20190716154814.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190716154814j:plain" /></p> <p>目撃者たちの証言を基に作られた、墜落したとされる物体の複製がある。このUFOは、ディグロッケのデザインや図面とそっくりなのだ。当時、物体から1、2メートルの距離まで近づいた目撃者によれば、物体の長さは3~4メートルくらいで、直径は3メートル弱だったという。液体金属をドングリの型に流し込んだようで、継ぎ目や鋲などはなく窓やドアも見当たらなかったそうだ。特に印象に残ったのは下の盛り上がった部分で、表面に文字というより記号のような不思議なマークが入っていたという。</p> <p>このUFOは、誰かが操縦しているかのように様々に動く方向を変え、最後は谷に墜落したという。もしかすると第二次大戦中にナチスが作ったタイムマシンが、1965年にここへ墜落したのかもしれない。</p> <p>大戦末期にナチスが開発していた技術は、仏教やヒンドゥー教の古い文献に基づいたものだったか?さらにナチスは、宇宙人の技術を模倣してタイムトラベル装置を作ろうとしたのだろうか?</p> <p>確かな事実が2つある。ディグロッケ計画の責任者ハンス・カムラーは戦後、姿を消した。そして1965年には、釣り鐘に似た形のUFOを多くの人が目撃している。それは、まるで誰かが操縦しているかのように向きを変えた。この2つの出来事の繋がりは、まだ解明されていない。しかし、いつか必ず革新的な技術が生み出されて、私たちはタイムトラベルができるようになるだろう。</p> ambiguousnews アトランティス大陸は宇宙船だった説!? hatenablog://entry/17680117127217131743 2019-07-12T18:30:00+09:00 2019-07-12T18:30:03+09:00 プラトンが残したアトランティス大陸についての記述は、多くの冒険者や学者たちの想像をかき立てた。本当にアトランティス大陸は太古に実在したのだろうか?それとも単なる伝説なのか?そしてプラトンが伝える通り、アトランティス大陸は消滅してしまったのだろうか?そこには発達した文明が存在していたのか? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190712175703p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190712/20190712175703.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190712175703p:plain" /></p> <p>プラトンが残したアトランティス大陸についての記述は、多くの冒険者や学者たちの想像をかき立てた。本当にアトランティス大陸は太古に実在したのだろうか?それとも単なる伝説なのか?そしてプラトンが伝える通り、アトランティス大陸は消滅してしまったのだろうか?そこには発達した文明が存在していたのか?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#アトランティス大陸"> アトランティス大陸</a><ul> <li><a href="#プラトンの著書">プラトンの著書</a></li> <li><a href="#アトランティスのあった場所">アトランティスのあった場所 </a></li> <li><a href="#アトランティス伝説が生まれた経緯">アトランティス伝説が生まれた経緯</a></li> <li><a href="#神話から繋がるアトランティスの正体">神話から繋がるアトランティスの正体</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="アトランティス大陸"> アトランティス大陸</h3> <h4 id="プラトンの著書">プラトンの著書</h4> <p>アトランティスの伝説は2000年以上前から学者や探検家を魅了してきた。ギリシャの哲学者プラトンが紀元前360年ごろ、ティマイオスとクリティアスという著書にこう記している。</p> <p>アトランティスの首都は優れた建築術と工学技術を駆使して作られ、人民は高度な軍事力を有していた。ところがある日突然、悲惨な1日を迎え島全体が消滅してしまった。</p> <p>さらにアトランティスは、ポセイドンが築いた都市だと記されている。ポセイドンは、ギリシャ神話の海の神だ。現代人にとってギリシャの神は神話上の存在だが、古代ギリシャ人は神々が実際にいると考えていた。</p> <p>地上に降りたポセイドンは、人間の女と結婚し双子の息子を5組もうけ、その息子たちをアトランティスの王にした。こうしてアトランティスには、10の王国が出来上がった。中心となったのは、最初に生まれた息子アトラスが支配する国だった。</p> <p>都市は山を囲むように作られ、山の上にはポセイドンを祀る神殿があった。中央の山を水路で取り囲み、さらにその外側に土手と水路を交互に配して三重にした。それは堀を巡らした中世の城に似ている。三重の水路をつなぐ運河も作られ、巨大なガレー船も通れるほど広かったという。</p> <p>最大の疑問は、アトランティスが実在したのならば一体どこにあって何が起きたのかということだ。アトランティスはヘラクレスの柱の前方にあったと記されている。ギリシャ神話のヘラクレスの柱は、未知なる場所への門を表している。だが、現在ではジブラルタル海峡の両側にある2つの岩山を指すと考えられている。つまり、その岩山の前方とは大西洋になる。</p> <h4 id="アトランティスのあった場所">アトランティスのあった場所 </h4> <p>これまで、数多くの場所が失われた都アトランティスではないか?と言われてきた。その場所は、アイルランド、バハマ、アメリカ大陸、南極と様々だがプラトンの記述は、「ヘラクレスの柱の前方」それだけだった。</p> <p>アトランティスは、ポルトガル・シルベスにあったという説がある。1755年に起きたリスボン大震災は、30メートルの津波が海岸に押し寄せリスボンを破壊した。地質学者が海底を調査したところ、1万1600年ほど前に何らかの天変地異があったことがわかった。プラトンが著書で示した、ソロンの時代の9000年前という年代とほぼ一致している。</p> <p>シルベスは小高い山の上にあり、街に流れる川の海までの距離は約9.25km。アトランティスの運河と一致している。地質調査によれば、街の至る所にかつて水が引かれていたこともわかっており、三重の水路があったというアトランティスに近い。その他にも、1つの山から切り出した石材で街が作られているという珍しい特徴も一致している。</p> <p>この街は、プラトンが示したアトランティスを特定する100ほどの情報の6割を満たしているという。ポルトガルに古代文明の形跡が一切ないことも、アトランティス消滅によって文明そのものが消え去ってしまったためかもしれない。</p> <h4 id="アトランティス伝説が生まれた経緯">アトランティス伝説が生まれた経緯</h4> <p>アトランティスのことを最初に伝えたのは、哲学者プラトンだ。ただしプラトンの記述は、その150年ほど前にエジプトに旅をしたギリシャの偉大な立法家ソロンの話に基づいたものだ。</p> <p>ソロンは、紀元前590年ごろにエジプトの都市サイスへ行き、ムートという女神を祀った神殿を訪れた。そして神殿の柱に刻まれていたアトランティスの伝説、エジプトやギリシャに侵攻した話を聞いた。残念ながらその神殿はまだ見つかっていない。</p> <p>くさび形文字や象形文字の記録も、紀元前2400年以上は遡れない。おそらく大洪水が原因でそれ以前のものは、何もかも破壊され消えてしまったのだろう。ちなみにプラトンも地球全体が破壊されるような大洪水が起きて、すべてが消え失せてしまったと記している。</p> <p>イギリスにあるウェルド・ブランデル角柱という石碑には、歴代のシュメール王の名前が記されている。それによると大洪水前の最初の10人の王が、40万年間も国を統治していた。これはアトランティスの伝説よりも明らかに前の時代だ。</p> <p>初期の王たちは天から降りてきて、それぞれ何万年も統治していた。やがて旧約聖書の創世記やアトランティスの伝説のように都市は、洪水に飲み込まれてしまう。洪水後の王たちは、いずれも人間で何万年も国を統治することはなかった。</p> <p>アトランティスの物語は、プラトンより遥か前の出来事と繋がっている可能性がある。</p> <h4 id="神話から繋がるアトランティスの正体">神話から繋がるアトランティスの正体</h4> <p>アトランティスに高度な技術や知識を誇る文明が栄えていたのならば、その後それはどうなったのか?地震や火山の噴火など自然災害で破壊されたのだろうか?それとも地球の外で何かが起きたのだろうか?</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190712174101j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190712/20190712174101.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190712174101j:plain" /></p> <p>地中海に浮かぶ島、ギリシャのサントリーニ島。元々は大きな島だったが数千年前の火山の噴火で破壊され現在の姿になった。多くの人が、この島こそ幻のアトランティスだと信じている。それは、かつてこの島がほぼ円形の島だったからだ。</p> <p>火山の噴火で破壊された島の南にあるアクロティリの遺跡。およそ3600年前に火山が噴火した際アクロティリは、火山灰に覆われイタリアのポンペイのようにそのままの状態で保存された。</p> <p>アクロティリには、紀元前4000年ごろから人が住んでいた。当時の建物を見る限り高度な文明社会だったようだ。温水と冷水が使える3階建ての建物、4つの言語が話されていた証拠も残っている。サントリーニ島がアトランティスだったのだろうか?</p> <p>天から降り立ったポセイドンが、地元の女と子供を作りアトランティスを築いたというアトランティスの伝説。そのような物語は、ヘルモン山など世界各地の山で生まれている。ギリシャ神話に登場するティタン族の女神アステリアの話もそうだ。ゼウスに言い寄られたアステリアは、逃れるためにウズラに変身し海に飛び込んだ。そして神秘的な島に姿を変えた。天から降りてきたものが島になったという伝説は、アトランティスに繋がっているのではないだろうか。</p> <p>アトランティスは、実は島ではなく空飛ぶ宇宙船だったのではないだろうか。だからアトランティスは、世界中の様々な場所に存在したと伝えられているのだ。一晩の間に消えたのも、証拠が全く見つからないのもそれで説明がつく。</p> <p>おそらく、古代の人々は各地でアトランティス人の示す宇宙の優れた文化と高度な技術に大いに刺激を受けて、それをマネようとしたのだろう。それで宇宙船が着陸した地点に次々と都市が築かれ、宇宙人が神と崇められたのだ。もちろん、この説には常識にとらわれない証拠探しが求められる。</p> ambiguousnews 万葉集はラブソング集!?集録された歌の半分は恋の歌だった! hatenablog://entry/17680117127215275972 2019-07-08T18:00:00+09:00 2019-07-08T18:17:51+09:00 令和になって注目を集める「万葉集」。実は当時のベストヒットソング集!現代のSNSでの男と女の駆け引きのような歌や、フレディ・マーキュリー、レディガガのような歌人が!万葉集を楽しく学びましょう。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190708174741p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190708/20190708174741.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190708174741p:plain" /></p> <p>令和になって注目を集める「万葉集」。実は当時のベストヒットソング集!現代のSNSでの男と女の駆け引きのような歌や、フレディ・マーキュリー、レディガガのような歌人が!万葉集を楽しく学びましょう。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#ラブソングの宝庫男と女の万葉集"> ラブソングの宝庫!男と女の万葉集</a><ul> <li><a href="#万葉集はベストヒットラブソング集"> 万葉集はベストヒットラブソング集</a></li> </ul> </li> <li><a href="#現代に蘇る万葉集"> 現代に蘇る万葉集</a><ul> <li><a href="#万葉集のユーミン">万葉集のユーミン</a></li> <li><a href="#万葉集の中島みゆき">万葉集の中島みゆき</a></li> <li><a href="#万葉集のフレディマーキュリー">万葉集のフレディ・マーキュリー</a></li> <li><a href="#万葉集のレディガガ">万葉集のレディ・ガガ</a></li> </ul> </li> <li><a href="#歌に秘められた男の友情"> 歌に秘められた男の友情</a><ul> <li><a href="#刑事ドラマ風にアレンジしてみた"> 刑事ドラマ風にアレンジしてみた</a></li> </ul> </li> <li><a href="#ラブソングの返事は">ラブソングの返事は…</a><ul> <li><a href="#流罪の男に帰りを待つ女">流罪の男に帰りを待つ女</a></li> <li><a href="#男がなかなか会いに行けない女性に贈った歌">男がなかなか会いに行けない女性に贈った歌</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="ラブソングの宝庫男と女の万葉集"> ラブソングの宝庫!男と女の万葉集</h3> <h4 id="万葉集はベストヒットラブソング集"> 万葉集はベストヒットラブソング集</h4> <p>5月1日新元号「令和」が始まった。飛鳥時代に定められた「大化」から数えて248番目の元号だ。その「令和」という文字の出典は、4500首もの歌から成る「万葉集」。奈良時代、太宰府の長だった大伴旅人が書いた序文から取られた。</p> <p>このことから今、「万葉集」は大いに脚光を浴びている。しかし、その中に収められている歌をどれだけの人が知っているだろうか?歌はそもそも男と女が、自分の気持ちを伝える手段として発展してきたもの。</p> <p>それは、現代人がSNSでメッセージを送るような感覚で、今読んでも共感できる恋の駆け引きが織り込まれている。例えば…</p> <blockquote> <p>あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我立ち濡れぬ 山のしづくに </p> </blockquote> <p>訳)大好きな君が来るのを待っている間に俺、山の雫に濡れちゃったよ</p> <blockquote> <p> 我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに 成らましものを</p> </blockquote> <p>訳)あら、そんなに濡れちゃったの?だったら私、山の雫になりたかったな</p> <p>なんて歌も収められている。さらに当時は現代同様、道ならぬ不倫の恋もあり、歌に残されている。</p> <blockquote> <p>息の緒に 我が息づきし 妹すらを 人妻なりと 聞けば悲しも</p> </blockquote> <p>訳)恋しい恋しいとため息ばっかりついて、あなたを愛してきたのに、人妻だったと聞いて悲しくてなりません。</p> <p>それに対して彼女が返した文面は…</p> <blockquote> <p>我が故に いたくなわびそ 後遂に 逢はじと言ひし こともあらなくに</p> </blockquote> <p>訳)そんなに落ち込まないで、これから先あなたと遭わないと言ったわけじゃないでしょ</p> <p>万葉集の成立は奈良時代。集録された歌のおよそ半分は恋の歌で、いわば当時のベストヒットラブソング集なのだ。</p> <h3 id="現代に蘇る万葉集"> 現代に蘇る万葉集</h3> <p>「万葉集」を彩る歌人たちは、現代のアーティストにも負けない数々のラブソングを作っていた。現代のアーティストたちの歌と照らし合わして、万葉集を紐解く!</p> <h4 id="万葉集のユーミン">万葉集のユーミン</h4> <blockquote> <p>♪あの日にかえりたい</p> <p>暮れかかる都会の空を 思い出はさすらって行くの 光る風 草の波間を かけぬける私が見える</p> </blockquote> <p>ユーミンは、風景と自分が重なるような歌詞が特徴的。そんな歌人が「万葉集」にもいる。万葉集のユーミン、それが皇族で女性歌人の額田王(ぬかたのおおきみ)だ。時の帝。天智天皇のことを想って作った歌がある。それは愛しい人を部屋で待っている時に歌った「万葉集」の中でも斬新なラブソングだ。</p> <blockquote> <p>君待つと 我が恋ひ居れば 我がやどの 簾動かし 秋の風吹く </p> </blockquote> <p> 訳)あなたを待って一人で部屋にいると、家のすだれを動かして、秋の風が吹いてきたの。あなただと思ったのに</p> <p>すだれを動かす秋の風にさえ、彼を感じて心が揺れてしまう。そんな切ない恋心を歌っている。目に映る風景に自分の心を重ねる、現代のユーミンの感性と通じ合う。</p> <h4 id="万葉集の中島みゆき">万葉集の中島みゆき</h4> <p>男に対する女の恨みがこもった歌と言えば、中島みゆきだ。</p> <blockquote> <p>♪化粧</p> <p>バカだね バカだね バカのくせに 愛してもらえるつもりでいたなんて</p> </blockquote> <p>「万葉集」の中で数多くの優れた恋の歌を残しているのが、「万葉集」の中島みゆき、貴族・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)。天皇とも親交があった歌人で、男への恨みとフラれた自分の惨めさを歌っている怨恨歌は、ベストソングの1つと言われている。</p> <blockquote> <p>はじめより 長く言ひつつ 頼めずは かかる思ひに 逢はましものか </p> </blockquote> <p> 訳)あなたが最初から「ずっと愛している」だなんて、頼りにさせるようなことさえ言わなかったら、こんな辛い思いをしなくて済んだのに</p> <p>まさに捨てられた女の心情。中島みゆきのルーツと言える。郎女はこんな歌も残した。</p> <blockquote> <p>来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを </p> </blockquote> <p> 訳)来ると言っても来ない時があるのに、来ないって言っているのを来ると想ってなんて待ちません。来ないって言っているんだから。そんなこと言いながら、でもやっぱりあなたを待っている私ってバカ</p> <h4 id="万葉集のフレディマーキュリー">万葉集のフレディ・マーキュリー</h4> <p>「万葉集」の歌人の中でも屈指のスーパースターと言えるのが柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)。彼の名前は「万葉集」以外にはどこにも記載がなく、その生涯は謎に包まれている。そんなミステリアスなところが、彼にカリスマ性を与え、歌は格調高く、スケールが大きい。例えば…</p> <blockquote> <p>天地と 言ふ名の絶えて あらばこそ 汝と我と 逢ふこと止まめ</p> </blockquote> <p>訳)世界が滅びる日が来たら、僕らは会えなくなるけれど、世界が滅びるその日まで僕らはずっと一緒だよ</p> <p>時を超えて永遠に歌い継がれるそんな力強さが、人麻呂の歌にはある。それはあのフレディ・マーキュリーの歌の世界と同じだ。</p> <blockquote> <p>♪We are the champions</p> <p>We are the champions,my friends</p> <p>And we'll keep on fighting till the end</p> <p>We are the champions</p> <p>We are the champions</p> </blockquote> <p>訳)俺たちはチャンピオンなんだ、友よ。そして俺たちは戦い続けるだろう、最後まで。俺たちはチャンピオンだ、俺たちはチャンピオンだ</p> <h4 id="万葉集のレディガガ">万葉集のレディ・ガガ</h4> <p>「万葉集」の中で最も情熱的で強い女、それが狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)。彼女の夫は、結婚してすぐに流罪になってしまう。別れを惜しんだ二人の間でやり取りされた歌は、「万葉集」に63首も収められている。そして、夫が流罪となるその日、彼女が詠んだ歌がこちら。</p> <blockquote> <p>君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも </p> </blockquote> <p> 訳)あなたが流されていく長い道、その道をたぐり寄せて畳んで焼き滅ぼしてしまう、天の火が欲しい</p> <p>その情熱はまさしくレディ・ガガ。歌を通して世の中の理不尽なあらゆる壁を取り払おうと闘っている彼女の姿と重なる。</p> <blockquote> <p>♪Born this way</p> <p>Don't hide yourself in regret</p> <p>Just love yourself and you're set</p> <p>I'm on the right track,baby</p> <p>I was born this way,born this way  </p> </blockquote> <p> 訳)後悔で自分を隠さないで、ただ自分を愛して立って。正しい道にいる、この道に生まれてきた、この道に生まれたの</p> <h3 id="歌に秘められた男の友情"> 歌に秘められた男の友情</h3> <p>奈良時代に生まれた「万葉集」。中でも素晴らしい歌を残したのが、大伴旅人と山上憶良。そんな2人の間には熱い友情ドラマがあった。</p> <h4 id="刑事ドラマ風にアレンジしてみた"> 刑事ドラマ風にアレンジしてみた</h4> <p>万葉警察署・九州・太宰府</p> <p>家柄も学歴もないノンキャリアでありながら、努力で出世した刑事長・山上憶良。苦労人で人柄もよく、部下たちからも慕われていた。そんな憶良が宴会で詠んだ歌がこれだ。</p> <blockquote> <p>憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむそ</p> </blockquote> <p> 訳)憶良はもうそろそろ帰ることにします。家でまだ小さい子供がぴいぴい泣いているもんで、それに早く帰らないとカミさんが怒るので</p> <p>自分のことを憶良と言ったり、子供はもう大きかったにも関わらずこのような歌を詠んだ。彼は宴会を抜け出す際に、みんなをしらけさせないよう、わざと笑いを取って席を立ったのだ。</p> <p>そんなある日、都から赴任してきた長官の大伴旅人。刑事長の憶良より階級は上、だが年齢は5歳下という微妙な人事だった。ところが、旅人が憶良と飲みに行った先で見せた素顔は…</p> <blockquote> <p>この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ </p> </blockquote> <p> 訳)今飲んでいるこの世が楽しかったら、来世は虫になっても鳥になっても構わないじゃないですか</p> <p>さらに</p> <blockquote> <p> なかなかに 人とあらずは 酒壺に 成りにてしかも 酒に染みなむ</p> </blockquote> <p> 訳)中途半端に人間でいるくらいなら、いっそのこと酒の壺になってしまいたい。酒にどっぷり浸かってしまおう</p> <p>2人は大好きな歌を通じて心を近づけていった。そんな中、旅人の妻が亡くなる。しばらくして憶良は、旅人を酒に誘った。その数日後、憶良から旅人に贈られた歌がある。</p> <blockquote> <p>悔しかも かく知らませば あをによし 国内ことごと 見せましものを</p> </blockquote> <p>訳)悔しい、異郷の地でこんなに儚く妻を亡くすと知っていたら、故郷奈良の山野をくまなく見せておくんだった</p> <p>そして別れの時がやって来た。旅人は昇進し中央へ帰ることとなったのだ。この時、憶良はこんなメッセージを旅人に送っている。</p> <blockquote> <p> 言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも 寂しけめやも 君いまさずして</p> </blockquote> <p> 訳)別れがつらい、お元気でなどと、あれこれ言ったところで後で思い知らされることでしょう。少し寂しいなんてものではない。あたながいらっしゃらないのですから</p> <p>二人の友情は、今も「万葉集」に息づいている。</p> <p>旅人は出世して都に帰るが1年もせずに死んでしまう。憶良は、旅人が都に帰った後に都へ戻ることになったが、旅人はすでに亡くなっており出会うことはなかった。2人が太宰府で出会い、宴会で歌を歌っていなかったら「令和」は生まれていなかっただろう。</p> <h3 id="ラブソングの返事は">ラブソングの返事は…</h3> <p>「万葉集」の時代、異性から歌を贈られた人は、歌で返事をしなければならなかった。そんな2人のやり取りから男と女の内情が透けて見える。</p> <h4 id="流罪の男に帰りを待つ女">流罪の男に帰りを待つ女</h4> <blockquote> <p>我が背子が 帰り来まさむ 時のため 命残さむ 忘れたまふな </p> </blockquote> <p> 訳)あなたが帰っていらっしゃる時のために命を残しておきます。忘れないでください</p> <p>これに対して男が返した返事が、「何年も逢ってないけれど、僕は浮気心なんて持っていないよ」。命をかけて待つという情熱的な女性の歌への返事としては、なんとも温度差を感じるイケてない返事だ。</p> <h4 id="男がなかなか会いに行けない女性に贈った歌">男がなかなか会いに行けない女性に贈った歌</h4> <blockquote> <p>しきたへの 枕動きて 夜も寝じ 思ふ人には 後も逢ふものそ </p> </blockquote> <p> 訳)枕が動くほど何度も寝返りを打って夜も寝られずにいるのだろう。でもお前が思っている人には、後で逢えるものだよ</p> <p>ところが、この歌を受け取った女性は男性がどうせ来ないと気付いていた。そこで書いた返事がこちら。</p> <p>枕が人に何か言うのですか?その枕はもう苔が生えています。</p> <p>実際、女性は男性に対して愛想を尽かしていたので、あなたの言う枕にはもう苔が生えている、使ってないよ。という痛烈なしっぺ返しがされている。</p> ambiguousnews 恐竜が絶滅したのは宇宙人の核兵器のせいだった!? hatenablog://entry/17680117127212191767 2019-07-02T20:00:00+09:00 2019-07-02T20:00:12+09:00 カンボジアのアンコールワットは、世界最大の古代寺院だ。この巨大な石造遺跡の中からは、ステゴザウルスの描写が発見されている。しかし、太古の昔に絶滅したとされる恐竜を、なぜ古代の人々は知っていたのだろうか?そもそも、なぜ恐竜は絶滅したのか?人類が生きるスペースを確保するため、宇宙人が恐竜を抹消したのだろうか? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190702161816p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190702/20190702161816.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190702161816p:plain" /></p> <p>カンボジアのアンコールワットは、世界最大の古代寺院だ。この巨大な石造遺跡の中からは、ステゴザウルスの描写が発見されている。しかし、太古の昔に絶滅したとされる恐竜を、なぜ古代の人々は知っていたのだろうか?そもそも、なぜ恐竜は絶滅したのか?人類が生きるスペースを確保するため、宇宙人が恐竜を抹消したのだろうか?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#恐竜絶滅と宇宙人"> 恐竜絶滅と宇宙人</a><ul> <li><a href="#恐竜の痕跡">恐竜の痕跡</a></li> <li><a href="#チチェンイッツァ">チチェン・イッツァ</a></li> <li><a href="#恐竜と人類が共存した証拠">恐竜と人類が共存した証拠</a></li> <li><a href="#核兵器による恐竜虐殺"> 核兵器による恐竜虐殺</a></li> <li><a href="#恐竜は本当に絶滅したのか">恐竜は本当に絶滅したのか?</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="恐竜絶滅と宇宙人"> 恐竜絶滅と宇宙人</h3> <h4 id="恐竜の痕跡">恐竜の痕跡</h4> <p>1819年にイギリスの石切場で世界で最初の恐竜の化石が発見された。発見者は、古生物学者ウィリアム・バックランドでその恐竜は、メガロザウルスと名付けられた。以来、世界のあらゆる大陸で恐竜は発見されてきた。</p> <p>これまでに1000種類以上が確認されているが、さらに膨大な数の恐竜が存在したことは間違いない。現代において最も大きな陸上の動物はゾウだが、ティタノサウルスと比べればかわいいものだ。この恐竜の体重は、大人のゾウの20倍近くあったと考えられている。体長は35メートルを超え、体重は100tに達すると言われている。</p> <p>かつて地球上の生物は、すべてが大型化していた。恐竜の世界は、私たちの世界とは大きく違っていた。恐竜以外にも様々な動物が生息し、巨大な爬虫類が海を泳ぎ周り、さらに空を飛んでいた。昆虫や哺乳類、両生類がいたが陸の王者として君臨していたのが恐竜だった。</p> <p>恐竜の化石は、200年近くに渡り研究されてきた。この巨大な生物の起源や生態に関しては、新たな発見があるたびに理論が覆されている。近年では、ティラノサウルスは鱗ではなく羽毛で覆われていた可能性が高いと言われている。</p> <p>さらに高い知能からくる習性も確認されている。卵を捕食者から守るために巣を作り、食べ物を運んで子育てをしていたようだ。かつては、恐竜はのろまで知能が低い、体の大きな爬虫類だと考えられていたが、その概念はすっかり変わっている。</p> <p>通説では、恐竜は約1億5000万年の間、地球を制したと言われている。一方、現代の人類であるホモサピエンスが現れてからは、まだ20万年ほどしか経っていたない。こうしたことから、地球の歴史の中で恐竜は飛び抜けて優勢な種だったと言える。1800年代の始め頃なら、地球に100tを超える巨大な生物が存在したなどと言おうものなら、マジメに取り合ってもらえなかっただろう。それが現在では、科学に裏打ちされた事実となったのだ。</p> <h4 id="チチェンイッツァ">チチェン・イッツァ</h4> <p>学会における見解によれば、6500万年前に惑星衝突により天変地異が起こり、そのために地上を支配した恐竜は絶滅したという。隕石は直径15km前後だったと考えられている。衝突によって大地は深くえぐられ、粉塵が空高く巻き上げられて数ヶ月から数年に渡って地球は闇で覆われたと考えられている。</p> <p>太陽光が遮られたことで、光合成を行う植物は枯れ始める。そして、食べ物を失った草食恐竜が次々に死に、それを餌にしていた肉食恐竜も死に追いやられていった。この現象が5~10年ほど続いたと考えられている。だが恐竜が絶滅した理由は、科学で断定されておらず未だに解明されない謎のままだ。</p> <p>この隕石が衝突したユカタン半島に、古代マヤ遺跡チチェン・イッツァがある。チチェン・イッツァは、マヤが神と交信した場所と言われている。メキシコ湾周辺には、膨大な土地があるのにマヤが選んだのが6500年前に何かが天から降ってきた場所ということが、偶然にしては出来過ぎのように思える。神や天と交信するという概念は、つい最近までマヤの人々が持ち続けた信条でもある。</p> <p>マヤ文明圏の地域では、翼竜類をかたどったものが残されているし、壁画に恐竜が描かれていることはよく知られている。地球で人類の進化が始まった遥か昔に、恐竜が滅んだというのが科学会における通説だ。だがなぜ、マヤの人々は恐竜を知っていたのだろうか?</p> <h4 id="恐竜と人類が共存した証拠">恐竜と人類が共存した証拠</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190702124442j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190702/20190702124442.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190702124442j:plain" /></p> <p>神聖なアンコールワットの壁を彩る精巧な石の彫刻の数々。中には、この寺院が建てられた地域に生息した思われる動物の姿も数多く刻まれている。だが、この中に恐竜のような姿をしたものがあり、考古学者たちを悩ませ続けている。</p> <p>この寺院には、円形のモチーフが刻まれているのだが、その内の1つがステゴサウルスのように見えるのだ。骨格ではなく、筋肉や皮膚のある状態でステゴサウルスが描かれており、まるで生きているステゴサウルスを見たのではないかと思えるほどだ。この時代の彫刻家になぜ、このような彫刻が作れたのだろうか?</p> <p>アフリカ・ボツワナ北部のツォディロ・ヒルズで人類最古の宗教儀式の痕跡が見つかった。それは7万年より昔に作られた6メートルに及ぶヘビの彫刻だった。ヘビ神は、世界の至るところで見られる世界最古の信仰形態の1つとして知られている。</p> <p>だが高さが2メートルという頭部の大きさから考えると、これはニシキヘビではなく恐竜を彫ったものとは考えられないだろうか。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190702163940j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190702/20190702163940.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190702163940j:plain" /></p> <p>爬虫類の一種を崇拝していたことを示す芸術品が、古代には数多く存在する。太古の昔、このような生物が地上にいたのだろう。私たちの祖先は何かを目撃したのだ。そして、実際に見たものをありのままに表現しようとしていたのではないだろうか。</p> <p>恐竜と人類が同じ時代を生きた裏付けとなるものが出てくると、科学はいつでもうまく言い逃れをしてきた。だが、考古学的な証拠はそれほど単純に否定できるものではない。初期の人類が、恐竜と遭遇していた可能性はあるのだ。</p> <p>古代人が恐竜の姿を描いているのは、人間と恐竜とがかつて共存していた証拠なのか?正統派の科学者からすれば、絶対に有り得ないことであり、この概念は受け入れられないことだろう。だが、恐竜の足跡と並んで人間の足跡が化石となって残されている謎を、科学は説明できていないことも事実なのだ。</p> <p> ダイナソーバレー州立公園は、テキサス州にある。1930年にここで、アメリカ自然史博物館のローランド・バーグは、川底の石灰岩の地層に恐竜の足跡に並ぶ、明らかに人間のもと思われる足跡を発見した。</p> <p>化石となった足跡は、過去のどこかの地点で恐竜と人類が共存した証拠なのだろうか。ダイナソーバレーで見つかった化石を学会は、決定的な証拠とは言えないと考えている。</p> <p>恐竜の時代は、地層に見られる岩の構造から区分される。三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の3つの時代区分があり、2億5000万年から2億年前が三畳紀、2億年から1億3500万年前がジュラ紀、1億3500万年から6500万年前が白亜紀と呼ばれている。</p> <p>化石の年代を測定するために、最も多く使われる手法が炭素年代測定方だ。有機物に取り込まれた放射能が、還元された比率から年代を推定するものだ。炭素年代測定法は、有機体にしか使用できない。つまり、木材や骨などが対象で石は測定できない。考古学においても石の年代測定をする際には、その下にある有機体を測定した結果から推測するほかにない。そのため、その年代が正しいかどうかはわからないのだ。</p> <p>生物の骨などの場合でも、あまりに古い年代のものになると物体そのものを使って科学的に年代を割り出す方法はない。つまり、恐竜の骨が見つかっても、そこにある堆積物から年代を推測するしかないのだ。</p> <p>炭素年代測定の結果は、専門家が検証する学術雑誌には載らないなど、科学者は全てを明らかにしている訳ではない。近年では、6500万年前に恐竜に何かが起こり、完全に滅んだという見解にも科学的な観点から矛盾が指摘されるようになってきている。</p> <p>恐竜の化石の年代を正しく測定できないのであれば、化石のいくつかは古生物学会で言われる絶滅の時代よりも遥かに後のものかもしれない。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190702134024j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190702/20190702134024.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190702134024j:plain" /></p> <p>ペルー・イカ。1961年にこの街の砂漠で作業していた人たちが、線画が刻まれた安山岩をいくつも発見した。その多くに人と恐竜の姿が描かれている。以来、この地域ではこの謎の石がおよそ5万個ほど発見されている。</p> <p>1966年ペルー人医師のハビエル・カブレラは、後にイカの石と呼ばれるこの石の研究を始める。小石から大きなものまで、カブレラミュージアムには謎の絵が刻まれた石が、2万点以上も保管されている。</p> <p>イカの石には、トリケラトプスやブラキオサウルス、ティラノサウルスといった生物が掘られている。これほど正確に描いているということは、イカの人々が実際に恐竜を見たか、恐竜に関する十分な知識を持っていたとしか思えない。</p> <p>この石を紀元前5世紀から13世紀前半のものと考える一方で、学会では石が捏造されたことを疑う声もある。しかし、これだけ膨大な数が存在するとなると1人の彫刻家が45年間、毎年1000個以上掘り続けなければならない計算になる。イカの石が本物だと立証されても、さらに多くの問題が残る。恐竜に何が起こったのか?乱獲のために絶滅したのだとすれば、誰が何のためにこれを行ったのか?</p> <h4 id="核兵器による恐竜虐殺"> 核兵器による恐竜虐殺</h4> <p>1992年アメリカ連邦議事堂で、地球に衝突する危険のある小惑星を検出するための世界的なネットワーク・スペースガード計画が正式に発足した。2011年の段階でNASAが把握した地球接近小天体の累計は、およそ1万個に達している。</p> <p>数多くの天災の中で、唯一危険を回避できるのが隕石の衝突だ。地震や火山の噴火を防ぐことはできない。だが隕石が地球に衝突することが10~20年前にわかるのならば、理論的には回避が可能だ。宇宙船を飛ばして体当たりさせ、地球に当たらないように隕石の軌道を逸らすのだ。</p> <p>衝突を避けるために人類が、小惑星の軌道を変える技術を持つのであれば、高度な文明を持つ宇宙人が、地球に向けて小惑星を飛ばす技術を開発していた可能性も考えられる。宇宙人が、ユカタン半島めがけて隕石を飛ばした可能性は否定できない。</p> <p>1980年に物理学者のルイス・アルバレスは、6500万年前の薄い地層に高レベルのイリジウムが含まれていることを発見した。この元素は、自然界では生成されない。イリジウムは、隕石や彗星、小惑星と言った天体によって地球にもたらされるという説がある。だが、あるものの副産物としてこの元素が大気中に放出されることもある。それは死の灰を引き起こす核兵器だ。</p> <p>イリジウムが多く含まれた地層は、核兵器がかつて地球を襲った証拠ではないだろうか。恐竜を滅ぼすために意図的に核が使用されたのではないか。発掘された恐竜の骨の中にその痕跡が残されているとも言われている。</p> <p>世界各地で展示されるティラノサウルスの骨格の多くが、鉛入り塗料で覆われていることはほとんど知られていない。特殊な塗料が使われたわけは、骨から高濃度の放射線が検出されたためだ。恐竜が何らかの核兵器の犠牲になっていた痕跡はないのだろうか?</p> <p>その痕跡は、古代インドの文書にある。マハーバーラタなどのインドの文書には、様々なサイズのトカゲのことが書かれていて、建物のように大きなものもいたようだ。この生物は神の怒りによって滅ぼされる。これを単なる神話と言うこともできるが、古代の異星人によって大量虐殺が引き起こされたとも考えられる。</p> <p>インドには、古代のサンスクリット語で書き示された文書が数多く残されている。こうした文書に現在の核兵器に良く似た兵器のことが述べられている。「千の太陽よりも眩しく光った」という表現で、大量破壊兵器のことが綴られている。爆発の後には、静寂が訪れたそうだ。もしこれが核兵器だとすれば、論理的に考えて宇宙からもたらされたとしか考えられない。</p> <h4 id="恐竜は本当に絶滅したのか">恐竜は本当に絶滅したのか?</h4> <p>1861年ドイツで始祖鳥の化石が発見された。始祖鳥は謎の多い生物で、約1億5000年前に生息したと考えられている。骨のある長い尾、鉤爪や歯といった恐竜の特徴が見られるが、体は小型で空を飛んだようだ。鳥と恐竜とに共通する特徴が100以上も見つかっていることは、鳥の起源が恐竜にあるという説を裏付ける有力な仮説となっている。</p> <p>ある仮説では、ティラノサウルスの末裔は、現在のニワトリやダチョウの一種であると言われている。最近では、恐竜は絶滅していないと考えられるようになった。現生鳥類がおよそ1万種いると仮定するなら、1万種の恐竜が生きているということになる。恐竜とよく似た初期の鳥類は、進化の過程をつなぐミッシングリンクとも言えるのだ。</p> <p>古生物学会において始祖鳥は、空を飛んだ最古の鳥類と言われている。だがこれが事実だとしても、現代の鳥のすべてが始祖鳥から進化したことにはならないのではないか?また、恐竜の遺伝子を持つ鳥や爬虫類はどうやって進化を遂げたのだろうか?</p> <p>太古の昔から生き残っていると言われる生物は、ゴキブリやワニ、サメにトカゲなどだ。それらの生物たちは、宇宙人によってDNAが保存され、生物が絶滅し環境が整った後に放たれたのかもしれない。そのため、深海の奥深くや未踏の湖などにまだ人類が見たことがない生物が生きているかもしれないのだ。</p> <p>中生代に生きた巨大な恐竜たちが死に絶えなければ、どうなっていたのか?簡単に予測はできない。だが、恐竜が絶滅しなかったならば、現代の私たちが生きるこの世界は、決して訪れなかっただろう。</p> <p>恐竜は実際には、宇宙人によって計画的に絶滅させられていたのだろうか?大惨事を生き抜いて人ともに暮らし、別の生物へと進化して現在も生きる恐竜はいなのだろうか?その答えはおそらく、地球の至る所に埋まっているのだろう。</p> <p>恐竜に関する事柄を解明することは、ある生物の真実を明かすことに繋がるかもしれない。宇宙に起源を持ち、地球に住まう奇妙な生物…つまり人類である。</p> ambiguousnews アヌンナキは実在した!?金を掘り出すのしんどいから人類創ってみた hatenablog://entry/17680117127208894205 2019-06-26T18:30:00+09:00 2019-06-26T18:30:01+09:00 イラク戦争時に、略奪行為により国立博物館が所蔵する多くの遺物が盗まれ破壊されたが、そのほとんどがシュメール文明のものだった。メソポタミア地域で最初に起こったのがシュメール文明で、くさび形文字によって粘土板に記された文書が多数出土している。進んだ文化が多数見られることでも知られるが、注目すべきはアヌンナキという神が語られた神話だ。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190626174028p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190626/20190626174028.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190626174028p:plain" /></p> <p>イラク戦争時に、略奪行為により国立博物館が所蔵する多くの遺物が盗まれ破壊されたが、そのほとんどがシュメール文明のものだった。メソポタミア地域で最初に起こったのがシュメール文明で、くさび形文字によって粘土板に記された文書が多数出土している。進んだ文化が多数見られることでも知られるが、注目すべきはアヌンナキという神が語られた神話だ。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#アヌンナキの痕跡"> アヌンナキの痕跡</a><ul> <li><a href="#略奪された遺物"> 略奪された遺物</a></li> <li><a href="#シュメール文明">シュメール文明</a></li> <li><a href="#アヌンナキという神の集団">アヌンナキという神の集団</a></li> <li><a href="#エヌマエリシュ">エヌマ・エリシュ</a></li> <li><a href="#人類創造の謎">人類創造の謎</a></li> <li><a href="#天から降臨する神の物語"> 天から降臨する神の物語</a></li> <li><a href="#大洪水の物語"> 大洪水の物語</a></li> <li><a href="#アヌンナキの再来">アヌンナキの再来</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="アヌンナキの痕跡"> アヌンナキの痕跡</h3> <h4 id="略奪された遺物"> 略奪された遺物</h4> <p>2003年4月10日、アメリカ軍がイランの首都バグダッドに侵攻した。このイラクの自由作戦を開始してからわずか3週間後、現地でアメリカ軍は治安回復に努めたが、略奪行為は後を絶たなかった。</p> <p>博物館も侵入され、大量の遺物が失われた。それらは6000年前のシュメールの暮らしを今に伝えてくれる楽器や粘土板だった。粘土板には、神の系図や歴史、それに大洪水の物語がくさび形文字で記されていた。</p> <p>これは単なる盗難事件ではない。犯人たちは統率された動きで、二重にロックされた扉を開けて文明発祥の地から出土した道具や宝飾品など様々な遺物を盗んだ。これは禁断の知識を消し去るための企みだったのかもしれない。</p> <h4 id="シュメール文明">シュメール文明</h4> <p>メソポタミアとはギリシャ語で川の間を意味し、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域を指す。ここには4つの王国が存在した。一番古いのがシュメールで、その次がサルゴン1世によって統一されたアッカド。その後は古代バビロニア、アッシリアと続く。</p> <p>使われる言語や民族の入れ替わりは多少は見られるが、古代のメソポタミアではシュメール人の築いた文明が変わらずに受け継がれていた。メソポタミア南部に発達したシュメール文明は最も古く、人類初の文明と称されることもある。この文明が発生したのは紀元前3000~4000年頃と考えられており、石版や粘土板にくさび形文字を刻んだ文書が残されている。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190626172719p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190626/20190626172719.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190626172719p:plain" /></p> <p>くさび形文字は、シュメール人によって開発された。くさびのようなV字形の組み合わせで文字が成り立っていることからそう呼ばれ、先を尖らせた尖筆で湿った粘土板に押し付けて作られる。その後、粘土板を焼き固めると文書を永久に保存することができた。</p> <p>こうしたくさび形文字を読み解くことは、ほぼ不可能だったが1843年3月にアッシリアの宮殿が発見され、大量の文書が出土した。文字の解読が進み何千年も昔に実在したと言われるだけだった王国の存在が初めて裏付けられた。</p> <p>ポール・エミール・ボッタというフランス人の学者が、イラク北部のコルサバードの地中に巨大な建造物を発見した。中に入るとそこには、神や王の彫像や宝物がいくつも収められていた。そして、あらゆる壁という壁に古代シュメールのくさび形文字が刻まれていたのだ。</p> <p>その後の10年間で、伝説となっていたシュメールの都市ウルが発見された。ウルは旧約聖書に登場するアブラハムの出身地でもある。ウルの発掘現場からは、巨大なジッグラト(古代メソポタミアにおいて、日乾煉瓦を用い数階層に組み上げて建てられた巨大な聖塔である。「 高い所」を意味する言葉である)が現れた。</p> <p>伝説に語られたシュメールの都市が、金で覆われた墓やくさび形文字で記された文書と共に見つかったのだ。遺跡が実際に発見されたことで、神話にすぎないと思われていたことが歴史的な事実であったと証明されたのだ。</p> <p>古代シュメールには、文明に初めて登場した技術や制度が100以上もあった。農業や科学、薬学、数学、王による統治システム、法律や裁判所に裁判官、学校などが6000年前の石器時代直後に作られていたのだ。</p> <h4 id="アヌンナキという神の集団">アヌンナキという神の集団</h4> <p>古代都市ウルは、紀元前2000年頃に対立するエラム人の侵攻により滅亡したとするのが定説だ。だが、粘土板には民族紛争以上に重大な事柄が記されていた。それは、気高き神の子孫アヌンナキという神の集団だ。シュメール人は、この神が天から降りてきたと考えた。</p> <p>メソポタミアの宗教は多神教で、人間のような姿や性格を持つ男女様々な神が信仰されていた。神々は階級に分けられて、ピラミッド形の階層構造に組織されていたが、これは多くの点でメソポタミアの政治システムをなぞっていると思われる。</p> <p>神々の中には、天国に住む位の高い神もいれば、地上や地中に住む位の低い神もいると考えれていたようだ。シュメールの文書によれば、天国に住むアヌンナキという神々は、最も高い位を持つ最高神だった。アヌンナキは何百年という長い年月を生き、この世界のことを深く広く知っていたという。</p> <h4 id="エヌマエリシュ">エヌマ・エリシュ</h4> <p>1849年イラクのニネベで、くさび形文字の文書が大量に発見された。この文書には、地球や人類が創り出された過程や神の様子などが記されていた。その内の7つの粘土板には、エヌマ・エリシュというバビロニアの創世神話が記されていた。</p> <p>粘土板にはマルドゥクという名の神が、キングーという神の血と粘土を混ぜて最初の人間を創ったと書かれている。アヌンナキが創った最初の試作品が、聖書にも取り上げられたアダムだ。注目すべきは、大事な部分が聖書では割愛されていることだ。シュメールの粘土板には、同じ物語が詳細に記録されている。</p> <p>アヌンナキとは、天から降り立った人々を意味する。さらにニネベの文書からは、文明が突如出現したかのような印象を受ける。ニネベから出土した粘土板には、アヌンナキという神の考えが細やかに記されている。</p> <p>アヌンナキは、従順な労働者をどうやって作るか考えた。そこで人科の雌から取り出した遺伝子を使い、試行錯誤を重ねながら望み通りの生物を作り出すことに成功したのだ。見ようによっては、遺伝子工学によって人間のDNAが操作されたことが、この粘土板に記されているともとれる。</p> <p>私たち人間が、何のきかっけもなく素晴らしく高度な思考モデルを身につけたはずがない。きっと何かが背景にあったはずだ。それはアヌンナキという地球外生命体によってもたらされたのかもしれない。</p> <h4 id="人類創造の謎">人類創造の謎</h4> <p>アヌンナキが自らのDNAから人間を創った証拠が、バビロニアの神話と聖書に見られる数々の共通点から導き出せるという。とりわけ内容が重複するのが粘土板に記されたシュメール王朝表にあるという。</p> <p>シュメール王朝表は、古代メソポタミアから出土し、紀元前2100年頃の物と考えられている。ここには140の王の名前が刻まれている。注目すべきは、記された王の全員が驚くほど長生きをしていることだ。中には3万6000年の治世年数が記された王もいる。人間がこれほど長く生きられるはずがないのだが、ほぼ同じことが聖書にも記されている。メトシェラもノアも900年以上生きたということで、驚くほど長命なのだ。人類の寿命を遥かに超えて生きる、人類とよく似た見た目の生物が文明を築いていたことは間違いない。</p> <p>1976年、研究者ゼカリア・シッチンの著書「謎の第12惑星」が出版された。ここにはアヌンナキに関する新たな解釈が示されていた。シッチンは、くさび形文字の記された粘土板を30年に渡って研究し、神と呼ばれた者は実際には地球を訪れた宇宙人で、45万年より昔にメソポタミアに降りたと結論づけた。</p> <p>シッチンが解読した内容によれば、アヌンナキの故郷である惑星ニビルは、大気に穴が空き汚染されるという状況が進んでいた。それを修復するには金が必要で、地球に金を掘りに来ていたという。だが重労働で嫌気がさし、自分たちに代わって働かせるために人を作り出したのだという。</p> <h4 id="天から降臨する神の物語"> 天から降臨する神の物語</h4> <p>メソポタミアの古代都市ウルの発掘調査が進む中で、イギリスの考古学者レオナード・ウーリーは、プアビ女王の遺骨を発見した。公表された内容によれば、この女王の頭蓋骨はかなり大きなもので、エジプトのファラオやペルーで出土したミイラに見られるようなものだったという。女王の大きな頭蓋骨は、人間の起源が宇宙にある証拠なのだろうか。</p> <p>アヌンナキは、長く尖った頭をしていたと推測されている。そこからプアビ女王は、アヌンナキだったか、人間とアヌンナキの混合種だったと考えられている。メソポタミアやその他の地域で出土した頭蓋骨によってアヌンナキが地上を支配したことが裏付けられるのならば、多くの地域に伝えられるアヌンナキとよく似た生物の神話も実話だった可能性がある。</p> <p>天使、中米で信仰された空を飛ぶ蛇の神、北米のアナサジ族が崇めたスターピープル、天界の者が空から地上に舞い降りるという概念は、古代の神話や宗教に数多く見られるものだ。</p> <p>神と呼ばれた者が登場する物語は、古代の人々が地球外生命体と接触した証拠となるのだろうか?そうだとすれば天界の者が、人間との間に子供をもうけたという宗教説話もアヌンナキの神話が実話であったことを裏付けるのではないか。</p> <p>ネフェリムが綴られた旧約聖書にその答えはある。ネフェリムは創世記の6章に登場する。神の子供たちは、人の娘が美しいのを見て、それぞれ選んだ者を妻としネフェリムという超人が誕生する。</p> <p>解釈の中では、ネフェリムを巨人と捉えることが多い。異なる文明で語られるアヌンナキとネフェリムだが、関連性が見られる。アヌンナキは階級を持つ神の集団で、奴隷にするために人を創造する。そしてネフェリムは、人と共に住んだ天界の者の子孫なのだ。</p> <p>ギリシャ神話の中で神々を支配するゼウスにも、混合種の息子がいると言われている。ヘラクレスとペルセウスは、人間の妻との間に生まれた子供だ。聖書の外典であるエノク書には、見張る者が記されている。これは地上に降りた天使のことで、人間との間に子供をもうけている。こうした神話のルーツがアヌンナキの物語にあったのではないだろうか。</p> <p>アヌンナキの物語は、まるでSF小説のようだ。しかし、世界各地に目を向けてみると古代のインドやギリシャ、ローマ、エジプト、マヤなど様々な文明の中に天界から降りた者と人間の間に子供が生まれたことを伝えるよく似た物語が残されているのだ。</p> <h4 id="大洪水の物語"> 大洪水の物語</h4> <p>1931年古代シュメールの都市で発掘が進む中、洪水による体積層が発見された。年代は紀元前2900年頃と見られている。シュメール王朝表によれば、大洪水の前に君臨した最後の王朝の子孫がジウスドラである。</p> <p>この発見により、聖書に記された大洪水が実際に起こっていたかもしれないと考えられるようになった。ノアの方舟の物語は、古代イスラエルが起源ではないかもしれない。より古いシュメールの文書にジウスドラが方舟を作り、家族と生き延びたという話があるのだ。類似した点が数多く見られることから、メソポタミアの伝説を聖書が引用した可能性がある言われるようになった。</p> <p>聖書を編纂した者たちは、宗教的な理由があってこの話を取り上げたのだろう。聖書には、人が罪深くなったために洪水が起こったと記されている。洪水が起きた理由は、宗教原理を説く題材になると見て聖書の中にこの物語を組み込んだと思われる。</p> <p>シュメールの神話では、洪水は自然災害ではなく人間が騒がしくなったために神エンリルが引き起こしたものだとされている。地球に来たアヌンナキには、2人のリーダーがいた。その1人エンリルは、惑星ニビルの王アンの正統な息子だ。もう1人は、エンリルの異母兄弟エンキで、この神の方が年は上だった。2人は地球に派遣された神を統率していたが、人間が増えすぎてしまった。業を煮やすしたエンリルは、人間を全滅させることを決意する。これがノアの大洪水の物語となったのだ。</p> <p>エンキは大洪水を生き延びるために、船を作るようにジウスドラに警告した。旧約聖書でもノアに方舟を作るよう啓示が下る。どちらの物語も事実を語っていたのではないだろうか。</p> <h4 id="アヌンナキの再来">アヌンナキの再来</h4> <p>2012年、人を送り込むことが可能かどうかの調査が火星で始まった。火星は生物学の観点からも興味深い星だ。地球のように生命が生まれる環境が、かつての火星にあったと考えるならば、火星の生物はどの程度進化を遂げていたのか、この星に何が起きたのか、何をきっかけに大気が失われ生命が滅んだのか?火星の反映と滅亡を知ることで地球が生命を宿した過程も明らかになるかもしれない。</p> <p>シッチンは、アヌンナキたちが惑星ニビルから来たと仮説を立てたが、彼らは火星にも立ち寄っていたと語っている。つまりニビルを発って火星に降り、その後地球に向かったというわけだ。これを事実だと考えれば、火星の上にアヌンナキ文明の痕跡が残っていても不思議ではない。地球上に残されたピラミッドや、巨石遺跡、巨大な建造物のようなものが火星で発見される日が来るかも知れない。</p> <p>シッチンによれば、アヌンナキの故郷ニビルは楕円形の軌道を持ち、3450年の周期で地球に接近するという。次にこの現象が起こるのは、2900年だと予測されている。ニビルが接近する時に、アヌンナキが再来するという。この時に人間に審判が下されるとも考えられるのだ。</p> <p> 人類は遠い昔に地球外生命体によって進化させられた。或いは、遺伝子操作によって生み出されていたのだろうか。人類が生まれた過程が、進化論で説明しきれなかった理由はここにあったのか。</p> <p>宇宙人が地球にいたと考えることで、科学と宗教との間に残る長年の確執を断つこともできるのではないか。イラクの博物館で略奪や破壊行為が起こったのも、この概念のためではなかったか?真実と向き合うことを恐れたのかもしれない。</p> ambiguousnews 切り裂きジャックを特定!?世界中で続けられる犯人探しが面白い! hatenablog://entry/17680117127203139247 2019-06-19T20:10:00+09:00 2019-06-19T20:10:04+09:00 切り裂きジャックは英国王族だったのか?それともアメリカの精神異常者?地元の医師?正体が明かされる日は来るのだろうか?史上初の国をまたいだ連続殺人事件解明二向け、事実と作り話を整理しながら、新たな証拠や偽装工作を調査する! <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190619192619p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190619/20190619192619.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190619192619p:plain" /></p> <p>切り裂きジャックは英国王族だったのか?それともアメリカの精神異常者?地元の医師?正体が明かされる日は来るのだろうか?史上初の国をまたいだ連続殺人事件解明二向け、事実と作り話を整理しながら、新たな証拠や偽装工作を調査する!</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#切り裂きジャックの伝説"> 切り裂きジャックの伝説</a><ul> <li><a href="#世界中で大衆文化となった事件">世界中で大衆文化となった事件</a></li> <li><a href="#時代背景">時代背景</a></li> <li><a href="#連続殺人事件の発生">連続殺人事件の発生</a></li> <li><a href="#行き詰まる犯人捜査">行き詰まる犯人捜査</a></li> <li><a href="#浮上したユダヤ系との関わり"> 浮上したユダヤ系との関わり</a></li> <li><a href="#犯人像のプロファイリング">犯人像のプロファイリング</a></li> <li><a href="#DNA検査による犯人の特定">DNA検査による犯人の特定</a></li> <li><a href="#犯人は誰だったのか">犯人は誰だったのか?</a></li> <li><a href="#そして伝説となった">そして伝説となった</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="切り裂きジャックの伝説"> 切り裂きジャックの伝説</h3> <h4 id="世界中で大衆文化となった事件">世界中で大衆文化となった事件</h4> <p>1888年の秋、3ヶ月にわたってホワイトチャペル地区で5人の女性が惨殺された。2つの警察組織が手を尽くし、報道は加熱し市民も通りを巡回した。だが犯人は逃げ延びた。</p> <p>事件から1世紀以上が経つが、切り裂きジャックの正体は今も不明で人々の興味を引く。専門家や犯罪マニアが殺人犯の特定を試み、無数の仮説を展開した。犯人は医者?王族?美容師?病院から逃げた精神障害者?</p> <p>まるで子供たちがブギーマン(民間伝承における幽霊に類似した怪物)の存在を信じるように愛好家たちは、事件を解決することで犯人特定の功労者として歴史に残ろうと躍起になっている。</p> <p>素人探偵たちの名前は、その事件と同様に有名だ。彼らは、ただ切り裂きジャックに魅了されている「リッパロロジスト」と呼ばれる者と犯罪史全般の研究家とに分類される。</p> <p>多くの人が興味を抱く理由は、それが瞬間的な事件だからだという。その一瞬に人々が何をしていたかなど、色々なことが調べられる。誰でも現地に赴き、切り裂きジャックの謎に挑めるのだ。</p> <p>年月を経て切り裂きジャックは、神話の域に達した。イギリスやアメリカだけでなく、世界中で大衆文化になったのだ。だが事件から1世紀以上が経ち、科学技術と法科学が伝説の犯人の正体をついに暴くのか… </p> <h4 id="時代背景">時代背景</h4> <p>切り裂きジャックがいた時代と場所は、1888年の秋のロンドン、イーストエンドのスラム街だ。ロンドン市民だけではなく、アイルランドや帝政ロシアからの逃亡民、虐殺を逃れてきたユダヤ人などである種、ゴミ捨て場のように人で溢れていた。</p> <p>失業率が高く、人口は過密状態。裕福なウエストランドとは大違いだった。ウエストランドから3キロほどの場所に絶望的な貧民街があり、人々が必死に生きていた。人口密度と劣悪な衛生状態で、性感染症や犯罪のせいで死亡率は高かった。治安が悪すぎて警官も危険な通りに入るのは怖がっていたという。</p> <p>イーストエンドの現実は厳しく、多くの女性が売春に走った。女性たちに職はなく、無学でアルコール依存症で男に捨てられ虐げられていたのだ。彼女たちにとって売春は、生き残る手段だった。宿の外は薄暗い通りで、商売の性質上ホワイトチャペル地区で働く娼婦は、連続殺人犯の格好の餌食になった。路上にいて、その職業がら見知らぬ人についていく。暗く、人気のない所へ行くのが彼女たちの仕事の特徴のため連続殺人犯が狙いやすかったのだ。</p> <h4 id="連続殺人事件の発生">連続殺人事件の発生</h4> <p>1888年8月31日未明に切り裂きジャックが、第1の殺人を犯した。43歳のメアリー・アン・“ポリー”・ニコルズだ。その夜稼いだお金をお酒に使ってしまった彼女は、宿主に「すぐ稼いでくる」と告げ店を出て行った。その1時間後、ポリーの遺体が見つかった。発見された通りはバックス・ロウ、ノドを左から右に裂かれ気管と脊髄も断ち切られ、腹部も切り開かれていた。検視を行った警部は、内臓が取られていることに気がつき、この事件の異常性が露呈した。</p> <p>ポリーの死から2週間足らずで次の殺人が発生。アニー・チャップマンが1888年9月8日に変死した。彼女も大酒飲みの40代の娼婦だった。彼女もノドを左から右へ裂かれて内臓が取り去られており、腸の一部が肩に掛けられていた。このことでポリーの殺人と同一犯だと考えられた。</p> <p>凶器の種類や臓器の取り出し方から、犯人は医者などの解剖学を知る人物かと思われた。こうして犯人は、医者だという説が世間に出て脚光を浴びた。新聞はこの機を逃さず、2つの殺人事件の生々しく卑劣な詳細を報じた。人々の恐怖を煽った新聞は、独自に邪悪な男“レザー・エプロン”という容疑者まで生んだ。</p> <p>ラジオやテレビがなかった当時、識字率の上がった市民と衝撃の殺人事件により、新聞が市場を席巻した。これにより国内だけでなく、世界中に事件が伝わり切り裂きジャックは世界的犯罪者となった。</p> <p> 世間に不安が広がり報道が過熱する中、新聞社に犯人を自称する人物から一連の手紙が届いた。その中の“親愛なるボス”という手紙に切り裂きジャックの名はあった。当然、犯人本人からの手紙である可能性は低かった。だが警察はこれを軽視せず、手紙をコピーして配布し筆跡に覚えがある者を募った。だが残念ながら、それらの手紙はイタズラを生み時間と人手が奪われた。</p> <h4 id="行き詰まる犯人捜査">行き詰まる犯人捜査</h4> <p>当時、法科学はなく事件の解決に必須とされる指紋さえ使われるのは数年後。現在では、DNA鑑定、繊維鑑定、血液型鑑定などが使える。だが当時それらはなく、目撃者らしき人に話を聞くしかなかったのだ。</p> <p>路上生活者たちから話を聞くために潜入捜査も行われたが、スラムの住人が協力的とは限らなかった。警察を信用していない人々がほとんどで、名乗り出る者などいなかったのだ。最終的に謝礼金が提示されると約1万4000通の手紙が届き、事態はさらに混乱した。</p> <p>当時は新聞社と警察の関係が希薄な時代で、警察は作戦が漏れることを警戒し、新聞はそんな警察を批判した。新聞記者たちは、記事を公表することで目撃情報が出てくることを期待し、多くの点で警察を助けていると自負していた。</p> <p>しかし、メディアは役に立たないと考えていたロンドン警視庁は、制服警官を増員する。だが慣れない場所で働く警官たちは、役に立たなかった。袋小路や裏通りだらけで、あちこちに抜け道があり、犯人が警官を撒くことくらいわけがなかったからだ。</p> <p>自分たちを守るために事件の影響を案じた地元の商売人が、ホワイトチャペル地区の自警団を設立する。自警団員たちは巡回し、容疑者候補を監視した。だが自警団と容疑者のやり取りは混乱に輪をかけた。そんな厳戒態勢だった現地で、切り裂きジャックは大胆な行動に出る。</p> <h4 id="浮上したユダヤ系との関わり"> 浮上したユダヤ系との関わり</h4> <p>前回の殺人から3週間後2人の女性が殺された。エリザベスとキャサリンが死亡した二重殺人事件だ。エリザベスは午前1時ごろに殺され、それから約1時間後にそこから1キロくらいの場所でキャサリンが殺された。</p> <p>エリザベスの事件では、遺体は切断されていなかった。正確には分かっていないが、馬車の男(死体の発見者)が現れて犯行を邪魔されたと解釈された。犯行途中に馬車の男を聞いた犯人が、見つかるのを恐れて逃げたというのだ。だが後年になって彼女を殺したのは、切り裂きジャックではないという説も上がっている。</p> <p>彼女の死体には、切り裂こうとした形跡もなかったのだ。さらに一般的に連続殺人犯が、犯行現場のすぐ近くで犯行に及ぶことはないという。真の被害者を見極めるのは、犯人を突き止めるのと同じくらい難しい。</p> <p>だが二重殺人の2件目に異議は少ない。1件目の殺人では満たされず、すぐに次の獲物を探したのか?それがキャサリンだった。彼女は恐ろしいほど残忍に切断されていた。だが切断以外にもキャサリンは典型的な被害者像と一致していた。大酒飲みで中年の娼婦だったのだ。</p> <p>この事件までの担当は、ロンドン警視庁だった。だがキャサリンが殺された場所は、ロンドン市警察の管轄だった。こうして2つの警察組織が事件を捜査することになる。共同捜査は人手が多くなるが、流儀や捜査方法に意見の相違が出てライバル意識を刺激した。</p> <p>キャサリン殺害現場近くで、血のついたぼろ布と壁に書かれた文字が発見される。この落書きの内容が物議を醸すことになる。“ユダヤ人は罪なくして非難されはしない”</p> <p>当時、反ユダヤ主義が盛んでユダヤ人住民への暴動が危ぶまれたため、ロンドン警視庁はその情報を恐れた。市民はイギリス人が犯人とは思えず、近所のユダヤ人移民の仕業だと考えた。だが証拠という意味では、一連の殺人や犠牲者に関する言及はなく大したものではなかった。</p> <p>数週間後、自警団代表ジョージ・ラスクに“地獄より”と書かれた手紙と犠牲者のものと思われる腎臓が入った荷物が届いた。新聞各社は、キャサリンの腎臓だと推測した。イタズラとも思えたが、十分な証拠もあり警察は本物の可能性も考えた。だが当時の法科学では、これがキャサリン本人のものだとは証明できなかった。</p> <p>この手紙が届いて間もなく、最後にして最悪の殺人が決行された。5人目の被害者メアリー・ケリーだけが室内で殺されたのだ。切り裂きジャックは最も残忍な犯行に及び、メアリーの皮膚を剥ぎ内臓と体を切り刻んだ。凄惨な現場は、手付かずの状態で写真に納められた。(画像検索で出てきますが凄惨なので見ないほうがいいです)</p> <p>メアリーが最後の犠牲者と言われるが、犯人が殺人をやめた理由は不明だ。さまざまな説がある。逮捕されて精神科に入れられた説。単純にやめたという説。切り裂きジャックの恐怖は、メアリー殺害で幕を閉じたと言われる。事件が終わっても犯人探しは1世紀以上続いてきた。そして今も史上最大の謎の1つだ。</p> <h4 id="犯人像のプロファイリング">犯人像のプロファイリング</h4> <p>切り裂きジャックの凶行から100年後の1988年、FBIのジョン・ダグラスが、FBI行動科学科のロイ・ヘイズルウッドの協力を得て、1つの犯人像を提示した。彼らは事件を調べ、心理学的、行動学的観点から人物像を割り出した。</p> <p>その連続殺人犯は、計画性がなく孤立していて社会不適合者だったという。分析された犯人の母親像は、支配的でアルコール依存症で誰とでも寝るような母親。そんな母親に捨てられたと感じていたなら、切り裂きジャックの娼婦への怒りも合点がいく。</p> <p>ダグラスたちが描いた犯人像で、容疑者が絞れたと思われた。だが100年越しの犯人像に関して疑問を抱く専門家もいる。ダグラスたちが、1888年当時の市民生活に精通しているとは限らないからだ。</p> <p>ダグラスたちが描いた犯人像は、当時のイーストエンドやロンドン市民の大半に当てはまった。極貧で母親が娼婦だったという30歳くらいの白人男性など山のようにいたのだ。これでは犯人の特定などもはや不可能だと言える。</p> <p>だが行動証拠から、犯人の人物像が明らかになる。2006年ロンドン警視庁は、凶悪犯罪の分析にコンピューターを活用。電子顔識別技術と呼ばれるもので、犯人のモンタージュ写真が公開された。</p> <h4 id="DNA検査による犯人の特定">DNA検査による犯人の特定</h4> <p>2014年ラッセル・エドワーズが、真犯人に迫った本を出版した。起業家の彼が犯人に興味を抱いたのは、2001年の映画「フロム・ヘル」の影響だという。ジョニー・デップ演じる警部が、切り裂きジャック事件を追うという内容だ。</p> <p>エドワーズは事件に入れ込み、2007年に被害者キャサリン・エドウズの持ち物だというショールを購入する。ショールから採取したDNAから、アーロン・コスミンスキーが犯人だと著書で発表した。</p> <p>だが問題は、ショールの信頼性だ。キャサリン・エドウズの持ち物リストにはないものだという。多くの人が触れて来たそのショールから採取したDNAに証拠能力があるのか?世界中の専門家たちが彼の主張を否定し、論争は盛り上がりを見せた。</p> <p>だがその本は、切り裂きジャックが今でも立派な産業であることを明らかにした。コスミンスキー犯人説の真偽はともかく、切り裂きジャックへの世界中の関心が健在だと証明したのだ。</p> <h4 id="犯人は誰だったのか">犯人は誰だったのか?</h4> <p>切り裂きジャックの殺人事件以降、信頼性の高いものから、かなり怪しいものまで何百という容疑者が挙げられた。フィンセント・ファン・ゴッホの名も出た。画家のウォルター・シッカートは、日本でも「検屍官」シリーズで有名な米国女流推理作家のパトリシア・コーンウェルが指摘した。ヴィクトリア女王の孫アルバート・ヴィクターも容疑者とされた。</p> <p>フランシス・タンブルティも興味深い容疑者だ。この女性嫌いの偽医者は、女性全般を見下していたが、特に娼婦を毛嫌いしていた。だがリッパロロジストたちは否定的だ。口ひげが立派すぎ、当時にしては背が高く人目を引く容姿をしていたからだ。</p> <p>容疑者全員の共通点は、確たる証拠がないこと。少なくとも1000人の容疑者が聴取された。そして、その中で有力とされる容疑者たちがいた。だが彼らと切り裂きジャックの関連を示す物的証拠はなく、あるのは状況証拠だけだった。</p> <p>1894年犯罪捜査部長だったメルヴィル・マクノートンが容疑者を絞り込む。ホワイトチャペル殺人事件の犠牲者は5人だけだと記録し、容疑者の名前も3人あげた。モンタギュー・ドルイトとマイケル・オストログ、アーロン・コスミンスキーだ。</p> <p>オストログは、詐欺師で変装や偽名で知られ外科医を自称した。マクノートンは彼を“女嫌いの殺人マニア”と記録した。だが当時、オストログはフランスの刑務所にいて犯行は不可能。</p> <p>ドルイトの家族は、彼が犯人だと考えていたらしい。メアリーの事件から数週間後、彼はテムズ川に身を投げ容疑者に浮上した。ドルイトは自殺し、容疑者となった。だが彼は現場と無縁でアバーライン主任警部は、彼を候補から除外した。裏付けが何もなかったためだ。</p> <p>ユダヤ系ポーランド人コスミンスキーは、1880年初頭に家族でロンドンに来た。事件が起きた時は23歳で、その数年後に精神障害の兆候を示していた。彼はホワイトチャペルに住む美容師で、姉にナイフを突きつけ1891年精神科病院に入院する。</p> <p>事件当時、コスミンスキー家は警察の聴取を受けた。彼は“声”に導かれていると話しており、幻聴の症状があった。警察は、コスミンスキーを拘束したが有罪までは証明できなかった。コスミンスキーは家族の元に帰されたが、警察はその後も監視を続けた。だが家族はずる賢く、彼を精神科病院に入院させた。彼を裁判沙汰から遠ざけようとしたのだ。精神障害だと認定されれば、証言能力なしと見なされるからだ。</p> <p>事件から20年後、彼は再び容疑者となる。ロンドン警視庁副総監だったロバート・アンダーソンが本を書いたためだ。1910年、彼は自身のキャリアを振り返る回顧録を出版し、事件について説明している。当時、警察は犯人を把握し数年間、収監していた。その容疑者が貧しいユダヤ系ポーランド人で精神科病院に入ったことを記している。</p> <p>1987年、ドナルド・スワンソンが持っていたアンダーソンの回顧録が出てきた。スワンソンは事件当時、ロンドン警視庁の警部だった。彼はアンダーソンの回顧録の余白に補足情報を書き込んでいた。しかもコスミンスキーと容疑者の実名を出している。つまり、事件を捜査した者もしなかった者もコスミンスキーが有力な容疑者だと知っていたのだ。</p> <p>コスミンスキー説が有力だが、さらに調べると人違いだった恐れが発覚する。1888年12月ユダヤ系ポーランド人が通りをふらついていた。彼は判断能力を失っており、連行されると凶暴化した。病院は名乗らない彼を“デイビッド・コーエン”と記録した。身元不明のユダヤ人の呼称だ。</p> <p>ユダヤ系ポーランド人移民のアーロン・コスミンスキーが、殺人マニアであるデイヴィッド・コーエンだと混同されていたのかもしれない。彼も同じ精神科病院にいたのだ。コーエンはその暴力性から、他の患者から離され拘束衣を着ていた。一方、コスミンスキーは人を殺すとは思えず、精神科病院の記録にも他人を傷つけなかったとある。</p> <p>警察上層部2人の記録に反し、コスミンスキーは1919年に死ぬまで精神科病院にいた。スワンソンが残した1910年のメモには、コスミンスキーは精神科病院に入った後にすぐに死んだとも書かれている。だがこの時、コスミンスキーはまだ生きていた。マクノートンの記録にも別の間違いがあり、候補は1人だけとなる。</p> <p>デイビッド・コーエンだけが“精神を病んだユダヤ系ポーランド人”というアンダーソンの主張と一致するのだ。1988年に事件を調べたジョン・ダグラスも後に、コーエン犯人説を支持した。</p> <h4 id="そして伝説となった">そして伝説となった</h4> <p>切り裂きジャックは、計画性のない連続殺人犯。そういうタイプの連続殺人犯は、標的を攻撃する時に暗闇から現れ強襲する。逃げ道や戦略はなく、遺体を隠すつもりもない細部まで考え抜かれた計画的犯行ではないのだ。</p> <p>切り裂きジャックは、おそらく妄想型統合失調症か何らかの精神障害だったのだろう。社会に適合できなかったと思われ、独身で犯行現場のすぐ近くに住んでいた。ホワイトチャペルの住民なら極貧だったはずで、その地域社会を熟知していた。</p> <p>だがやはり、どの解釈も付随的なもの。調査が進んでも切り裂きジャック熱は健在で、思いもよらない関連ビジネスが存在し、書籍、映画、テレビ番組が続々と出ている。ロンドンの切り裂きジャックツアーは、大衆の飽くなき妄想を満たし続けている。2015年計画ではイーストエンドの女性のための博物館だったものが、切り裂きジャック博物館として開館した。</p> <p>そして2015年、キャサリン殺害現場にあったというショールが、450万ドルで売られると報じられた。切り裂きジャックは事実と作り話が混同される伝説的な事象となったのだ。証拠も情報も一切存在しないから犯人は、絶対に捕まらない。人々は永遠に憶測や妄想で犯人探しができてしまうのだ。</p> <p>残忍性と性的なテーマ、人物像、伝説となる要素が揃っている切り裂きジャックの物語は、時代を超えて今も人々の関心を買っている。</p> ambiguousnews 【京都】奥深い古都の謎と名所!路地を歩いてミステリーを読み解く hatenablog://entry/17680117127199749859 2019-06-13T17:00:00+09:00 2019-06-13T17:00:03+09:00 日本人はもちろん世界中から注目される観光スポット「京都」。大通りから一本入った路地裏には知られざる謎と名所が隠されている! 祇園に石切丸?極限まで自然を再現した庭園。血塗られた仏像!幕末志士の隠れ家、ねじりまんぽ、日本一の花街・島原の贅を尽くした京都の料亭など、皆さんの知らない京都をご紹介! <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613163140p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613163140.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190613163140p:plain" /></p> <p>日本人はもちろん世界中から注目される観光スポット「京都」。大通りから一本入った路地裏には知られざる謎と名所が隠されている!</p> <p>祇園に石切丸?極限まで自然を再現した庭園。血塗られた仏像!幕末志士の隠れ家、ねじりまんぽ、日本一の花街・島原の贅を尽くした京都の料亭など、皆さんの知らない京都をご紹介!</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#京都路地裏ミステリー"> 京都路地裏ミステリー</a><ul> <li><a href="#幕末志士の隠れ家">幕末志士の隠れ家</a></li> <li><a href="#祇園梅小路エリアの路地"> 祇園・梅小路エリアの路地</a><ul> <li><a href="#錦市場ができた訳">錦市場ができた訳</a></li> <li><a href="#井伊美術館">井伊美術館</a></li> <li><a href="#角屋もてなし文化美術館">角屋もてなし文化美術館</a></li> </ul> </li> <li><a href="#南禅寺エリアの路地"> 南禅寺エリアの路地</a><ul> <li><a href="#山県有朋の別荘無鄰菴">山県有朋の別荘・無鄰菴</a></li> <li><a href="#ねじりまんぽ">ねじりまんぽ</a></li> <li><a href="#即成院"> 即成院</a></li> <li><a href="#血の跡に隠されたミステリー">血の跡に隠されたミステリー</a></li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h3 id="京都路地裏ミステリー"> 京都路地裏ミステリー</h3> <h4 id="幕末志士の隠れ家">幕末志士の隠れ家</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613141658j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613141658.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613141658j:plain" /></p> <p>1200年の歴史を誇る京都。古都ならではの名所が世界中の人を魅了し、今や国内外合わせ年間およそ5300万人が訪れている。しかし、誰もが知る名所から少し目をずらせば迷路のような路地が現れる。</p> <p>御池通から鴨川のすぐそばの木屋町通を北に向かうと建物の間に門があり、さらに奥へと細い路地が続いている。その突き当たりには立派な屋敷のような建物が…。家の中には鯉が泳ぎ、廊下の一部を開けると隠し階段が現れた。一体この家は何なのか?</p> <p>実はこの家には、倒幕派の筆頭だった長州藩の桂小五郎が住んでいた。当時、桂は新選組などに命を狙われていた。そんな彼を匿っていたのが、のちに妻となる芸子・幾松だった。実はこの家、長州藩が桂の身を守るために用意した建物で、桂にはこの路地裏で人目につきにくい路地の奥の家が必要だったのだ。</p> <p>あの隠し階段は、鴨川のほとりに脱出できるように作られていて、さらに2人が過ごした部屋の天井は750キロ相当の石が載せられる吊り天井になっており、襲撃された時に返り討ちにするため天井がいつでも落とせるようになっている。</p> <p>今も幕末の動乱を語り続けるこの建物は現在、料理旅館「幾松」として営業。食事だけでも楽しめることができ、利用客は館内の見学が可能となっている。</p> <h4 id="祇園梅小路エリアの路地"> 祇園・梅小路エリアの路地</h4> <h5 id="錦市場ができた訳">錦市場ができた訳</h5> <p>古くから京の台所として知られる錦市場。繁華街にあることから今や多くの観光客が押し寄せている。なぜ錦市場がこの位置にできたのか?読み解く鍵は、市場の反対側の路地の奥にある。</p> <p>錦市場の東側にある路地。その奥にあるのは、およそ400年の歴史がある錦天満宮。境内には、「錦の水」と呼ばれる湧水がある。この地には元々、水温が常に17℃という湧水があった。それは魚や野菜を洗うのはもちろん、食材を保存にも適していたため、この水の周りに市場ができたのだ。</p> <h5 id="井伊美術館">井伊美術館</h5> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613143915j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613143915.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613143915j:plain" /></p> <p>観光客で賑わう花見小路を抜け路地を東に、さらに細い路地を右に曲がる。そこには彦根藩・井伊家の末裔が個人で運営している井伊美術館がある。貴重な物が多いため、建物は防犯上の意味で厳重な造りになっている。</p> <p>この美術館は、刀剣や甲冑の鑑定を請け負っていて、全国から貴重な物が届き展示や保管を依頼されている。井伊直政の物と言われる甲冑や刀剣をキャラクターにした人気のゲームに登場する名刀「石切丸」の兄弟太刀が展示されている。</p> <h5 id="角屋もてなし文化美術館">角屋もてなし文化美術館</h5> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613144857j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613144857.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613144857j:plain" /></p> <p>京都水族館などの人気スポットがある梅小路界隈。そのすぐそばの七条通から北に伸びる1本の細い路地がある。その奥には謎の門が立っている。門をくぐりしばらく行くと角屋という揚屋で、今で言う料亭みたいな建物がある。</p> <p>角屋は江戸の初期に建てられたもので、当時は民間経営最大の宴会場だったという。この辺りは江戸時代、島原と呼ばれた場所で京都最大の花街だった。明治になってから客の足が遠のき衰退した島原もかつては京都一の歓楽街で、角屋のような揚屋がおよそ20軒も建ち並んでいたという。その入口があの大門だったのだ。</p> <p>贅を尽くした当時の料亭とは一体どんなものだったのか?入口には約100畳の台所があり、お膳は最高100人前まで対応できたという。そして客間では、西郷隆盛や坂本龍馬、新選組などが宴に興じた。</p> <p>この角屋がいかに贅を尽したものであるのかは、壁を見ればわかるという。京壁と呼ばれるもので、江戸時代に京都で発展した土壁。耐久性はもちろん、自然の土の色で見た目も美しく仕上げるのが特徴。職人の技が結集している。黄色の土の固め光沢が出るまで磨き上げた黄金の壁や、浅葱色の壁を自然の土の色だけで仕上げている壁などがある。</p> <h4 id="南禅寺エリアの路地"> 南禅寺エリアの路地</h4> <h5 id="山県有朋の別荘無鄰菴">山県有朋の別荘・無鄰菴</h5> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613150940j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613150940.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613150940j:plain" /></p> <p>京都を代表する観光地の1つ南禅寺。その界隈の路地の奥にも謎めいた名所が隠されている。京都市動物園の南側、観光地にも関わらず人通りのない1本の細い路地がある。その奥には、山県有朋の別荘・無鄰菴(むりあん)が建っている。</p> <p>なぜ山県有朋は、ここに別荘を建てたのか?そこには京都にとって大きな意味が隠されている。元長州藩士で、2度も総理大臣を務めた山県有朋。彼は1896年、ここ「無鄰菴」を別荘として造営させた。</p> <p>そんな無鄰菴の見所は庭。この庭園は、山県有朋の指示に基づき作庭されたもの。それまでにない、自然を再現する斬新な庭で近代日本庭園の傑作と言われている。ではなぜ、彼はここにこんな庭を作ったのだろうか?それを読み解く鍵は、この庭を流れる水にある。</p> <p>実はこの庭を流れる水は、琵琶湖疏水から引いているのだ。明治時代に作られた琵琶湖疏水は、琵琶湖から京都に水をもたらし京都の産業を復活させようという大公共事業だった。この疏水造りに伴い、水力発電所を設け工場を誘致。産業を活性化し、またその電気で市電が走るようになり、京都は活力を取り戻したのだ。</p> <p>山県有朋は、その第1疎水が完成した時の総理大臣。彼はこの南禅寺界隈を発展させようと自らが最初に別荘を築き、疎水の水を引き入れたと言われている。この庭の凄いのは、水の音響効果。この庭には、瀬落ちという庭園技術が使われている。川の幅や段差を意図的に変えることで、どこにいても水の音が聞こえ、立つ場所によって音が変化する。</p> <h5 id="ねじりまんぽ">ねじりまんぽ</h5> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613152147j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613152147.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613152147j:plain" /></p> <p>南禅寺の近くに世にも奇妙な路地がある。ねじりまんぽと呼ばれるトンネルで、レンガをわざとねじれるように積んでいる。誰もが違和感を覚える不思議なトンネル。壁のレンガは螺旋状に積まれていて、まるで渦を巻いているかのように見える。なぜこのような構造で建てられたのか、その謎はトンネルの上を見ればわかる。</p> <p>そこにはインクラインと呼ばれる昔、荷物を運んだ船を運ぶ鉄道が通っていた。インクラインとは、明治から昭和初期まで使用された傾斜鉄道のことで、トンネルの耐久性を上げるため、ねじれ構造にしたのだ。</p> <p>ちなみに「まんぽ」とは、鉄道の下を通るトンネルのことで、そこから「ねじりまんぽ」と呼ばれるようになった。</p> <h5 id="即成院"> 即成院</h5> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613153432j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613153432.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613153432j:plain" /></p> <p>東山を通る東大路通からさらに東に伸びる道がある。その道をしばらく進むと皇室とゆかりが深く「御寺」とも呼ばれる泉涌寺の総門にたどり着く。この泉涌寺の参道にはたくさんのお寺があり、様々な謎が隠されている。</p> <p>即成院もそのお寺の1つだ。今から900年以上前に創建されたこのお寺、門に掲げられた極楽浄土とは何を意味するのか?それは本堂にいる仏さまが語っている。創建当時に作られたという阿弥陀如来と二十五菩薩。なぜこれだけの仏像が一緒に安置されているのか?</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613153817j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613153817.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613153817j:plain" /></p> <p>読み解く鍵は菩薩が持っている楽器。実はこれ、人が死ぬ時、極楽から阿弥陀と菩薩が音楽を奏でながら迎えに来る「来迎」の様子を表したもの。その世界観を仏像で立体的に表現しているのは、ここだけと言われている。</p> <p>つまり、この空間が極楽浄土で現世にいながらその世界に入ることができるのだ。この寺にはもう1つ秘密がある。この仏像を作らせたのは、平等院を建てた藤原頼通の息子・橘俊綱。宇治にある平等院鳳凰堂は、極楽浄土を現世に再現したもので屋根の鳳凰がシンボルとなっている。</p> <p>息子の俊綱は、父を同じように極楽の世界を表現するためこの仏像を作らせたのだ。そして即成院の山門の屋根の上にも鳳凰が!しかも平等院がある方向を向いている。</p> <h5 id="血の跡に隠されたミステリー">血の跡に隠されたミステリー</h5> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190613154915j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190613/20190613154915.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190613154915j:plain" /></p> <p>参道の門をくぐり奥へ進んでいくと、鎌倉時代に創建された戒光寺がある。ここのご本尊にはある秘密が隠されている。台座から光背部まで入れると高さ10メートルにもなる釈迦如来像だ。</p> <p>鎌倉時代に作られた京都最大級の丈六釈迦如来像。その優美な姿から仏画から抜け出してきた美しい仏様とも言われている。しかし、よく見ると顎の下にシミのようなものが…これは血の跡と言われている。</p> <p>江戸時代に第108代天皇として即位した後水尾天皇。まだ皇太子だった時に、皇位争いに巻き込まれ寝首をかかれてしまった。ところが、なぜか事なきを得た。するとそれを機に釈迦如来像の首に、それまでなかったシミがついていることが判明。このことから釈迦如来像は皇太子の身代わりになり、シミはその時に流れた血の跡とされるようになったのだ。</p> <p>実はこの仏様は、昔から首から上の病気を治してくれる「身代わりのお釈迦様」と呼ばれており、みんなから愛されている。</p> ambiguousnews 68歳で愛人に子供を産ませた渋沢栄一!若気の至りでつい… hatenablog://entry/17680117127188373201 2019-06-07T17:00:00+09:00 2019-06-07T17:00:01+09:00 新一万円札の肖像・渋沢栄一。日本資本主義の父と呼ばれ、数々の金言を残している偉人だが、そのお堅いイメージとは異なる意外な顔とはいったい…? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190607160548p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190607/20190607160548.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190607160548p:plain" /></p> <p><br /><br /></p> <p>新一万円札の肖像・渋沢栄一。日本資本主義の父と呼ばれ、数々の金言を残している偉人だが、そのお堅いイメージとは異なる意外な顔とはいったい…?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#新一万円札の肖像渋沢栄一">新一万円札の肖像・渋沢栄一</a><ul> <li><a href="#渋沢栄一が残した名言">渋沢栄一が残した名言</a></li> <li><a href="#会社倒産の危機に愛人宅で">会社倒産の危機に愛人宅で…</a></li> <li><a href="#特産品の発展に貢献">特産品の発展に貢献</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="新一万円札の肖像渋沢栄一">新一万円札の肖像・渋沢栄一</h3> <h4 id="渋沢栄一が残した名言">渋沢栄一が残した名言</h4> <p>渋沢栄一は、現在のみずほ銀行である第一国立銀行をはじめ、東京ガス、りそな銀行、キリンビール、日本郵船、帝国ホテル、東京急行電鉄、王子ホールディングス、日本取引所グループなど生涯におよそ500の企業設立に貢献。</p> <p>日本資本主義の父と言われた人物。 さらに、数多くの名言を残した事でも有名だ。</p> <p>『目的には理想が伴わねばならない。その理想を実現するのが人の務めである』</p> <p>『商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ』</p> <p>など現在書店では「渋沢栄一の名言本コーナー」が設置されるほど。</p> <p>「論語と算盤」という本では、「儒教」というのは、古代中国に起こった孔子の思想に基づく教えで、教とついていても神を信仰するのではなく、人としてのあり方を唱えたもので倫理学に近い考え方。</p> <p>金儲けのために何をしても良いという考え方は間違いで、算盤(そろばん)を片手に持っていても良いのだが、もう片方には論語を持ち、人間として正しいことをしながらビジネスをやっていくことの大切さを説いた。</p> <p>しかし、そんな渋沢も男、年老いてもなお、精力旺盛だった。</p> <h4 id="会社倒産の危機に愛人宅で">会社倒産の危機に愛人宅で…</h4> <p>時は明治41年。当時68歳だった渋沢は、自宅近くに愛人を囲っていた。 愛人を持つこと自体は珍しい時代ではなかったが、そんな当時でも驚くべき事態が起きてしまう。 なんと、68歳にして愛人との間に子供が生まれたのだ。</p> <p>この時、飛び出した名言が</p> <p>「いやぁ、お恥ずかしい。若気の至りでつい…」</p> <p>しかし!さらにスキャンダラスな名言が飛び出す!</p> <p>それは明治31年ごろのこと。札幌麦酒株式会社(現在のサッポロビール)の専務取締役・植村澄三郎は、社内のトラブルに直面。 取締役会長である渋沢にどうしても連絡をとる必要があり、渋沢を捜したのだが…八方手を尽くしても居所がつかめない。とその時、 植村が勘を働かせて向かった先は、日本橋にある渋沢の愛人宅。</p> <p>植村「会社が大変なんです。会長は来ていませんか?」</p> <p>すると奥から渋沢本人としか思えない声で、こんな言葉が聞こえてきたと言う。</p> <p>「かようなところに、渋沢のおるべき道理はありません。御用がおありなら明朝、宅のほうをおたずねください。と申し上げなさい」</p> <p>植村「か、会長…」</p> <h4 id="特産品の発展に貢献">特産品の発展に貢献</h4> <p>日本経済の発展に大きく貢献した渋沢栄一。 しかし、彼が遺した功績は会社設立だけではなかった。 実は、渋沢栄一のお陰である特産品が大発展を遂げた。</p> <p>渋沢は元々、江戸幕府に仕えていた幕臣だった。 大政奉還後、15代将軍慶喜は駿府(静岡県)に蟄居した。 それまで武士として給料をもらっていた人たちにしてみれば、世の中がガラっと変わってどうやって生きるべきかわからない。</p> <p>その中で駿府について行った幕臣たちは、お茶作りを始めることした。その茶農家への資金援助をするシステムを渋沢は静岡で作ったのだ。</p> <p>渋沢は1869年、銀行と商社の機能を併せ持った「静岡商法会所」を設立。 資金繰りが苦しかった茶農家に貸し付けを行い、現在も続く特産品・静岡茶発展の礎を築いたのだ。</p> ambiguousnews 清少納言に罵詈雑言を浴びせる紫式部!権力闘争の果てに… hatenablog://entry/17680117127179762556 2019-06-02T17:00:00+09:00 2019-06-02T17:00:01+09:00 平安中期。文化が文化として花開いて来たこの時代。宮中の暮らしを優美に描き出した随筆文学の元祖「枕草子」や、光源氏の愛の遍歴を描いた世界最古の長編小説「源氏物語」など、日本文学史に燦然と輝く傑作が相次いで生まれた。 なぜこの時代に今尚、読み継がれるほどの名作が誕生したのか?そこには、宮中を揺るがした権力争いと女たちの愛憎があった。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190602113401p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190602/20190602113401.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190602113401p:plain" /></p> <p>平安中期。文化が文化として花開いて来たこの時代。宮中の暮らしを優美に描き出した随筆文学の元祖「枕草子」や、光源氏の愛の遍歴を描いた世界最古の長編小説「源氏物語」など、日本文学史に燦然と輝く傑作が相次いで生まれた。</p> <p>なぜこの時代に今尚、読み継がれるほどの名作が誕生したのか?そこには、宮中を揺るがした権力争いと女たちの愛憎があった。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#女流作家対決清少納言-vs-紫式部"> 女流作家対決!清少納言 vs 紫式部</a><ul> <li><a href="#華やかな宮廷を舞台にはじまる文学バトル">華やかな宮廷を舞台にはじまる文学バトル</a></li> <li><a href="#暇を持て余す貴族たちの生活"> 暇を持て余す貴族たちの生活</a></li> <li><a href="#平安文学バトルが開幕">平安文学バトルが開幕!</a></li> <li><a href="#対決の結末は紫式部本領発揮">対決の結末は?紫式部本領発揮!</a></li> <li><a href="#源氏物語の勝因">源氏物語の勝因</a></li> <li><a href="#2人のその後">2人のその後</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="女流作家対決清少納言-vs-紫式部"> 女流作家対決!清少納言 vs 紫式部</h3> <h4 id="華やかな宮廷を舞台にはじまる文学バトル">華やかな宮廷を舞台にはじまる文学バトル</h4> <p>康保3年、著名な歌人の家に生まれた清少納言は、文学の英才教育を受けて育った。正歴4年、時の尊・一条天皇の妃・定子に仕えることになったのも、その高い教養を見込まれてのことだった。</p> <p>当時、妃と彼女に仕える女房たちは、一種の文化サロンを形成していた。聡明な定子と才気あふれる清少納言は、すぐさま意気投合。主従を超えた絆が生まれていた。清少納言は、定子のことを心から尊敬し心酔しており、定子が何を言っても、何を食べても、何をしても、そのことが素晴らしいと思っていた。</p> <p>一条天皇もまた、4歳年上の定子の教養と気品を受け入れており、素晴らしい文学青年であったという。2人の仲は本当に良く、理想の夫婦だと後に清少納言は記している。</p> <p>知的で愛に満ちた宮廷生活。やがて清少納言は、その輝くような日々を書き綴るようになる。これが「枕草子」になる。しかし、幸せな暮らしは長くは続かなった。長徳元年、定子の父であり天皇の補佐役を勤めていた藤原道隆が病に倒れる。</p> <p>後継者を巡る争いの末、実権は道隆の弟である道長へと移行する。そして権力を得た道長は、わずか12歳の自分の娘・彰子を天皇の妻として送り込んだ。これにより、1人の天皇が2人の皇后を持つことになり、前代未聞の異常事態となった。</p> <p>道長の狙いは、摂関政治だった。当時の有力貴族・藤原氏は、娘を天皇に嫁がせ男の子を産ませることに血道を上げていた。そうすれば、自らはやがて天皇の祖父となり後見役の摂政や関白として絶大な権力を振るうことができるからだ。</p> <p>彰子が天皇の子を産むこと。それこそが道長の野望だった。だが、彰子はまだ12歳の子供、権力者である道長の手前、彰子に会いにいく一条天皇だったが退屈を持て余し、すぐに定子の元へ帰っていったという。一条天皇が愛したのは、定子ただ1人だったのだ。</p> <p>長保元年、定子は待望の男の子を産む。天皇の一途な愛は、定子が翌年世を去った後も変わることはなかった。</p> <p>どうすれば天皇を我が娘に振り向かせることができるのか?道長は奇策を講じる。彰子の女房として当時、源氏物語が話題となり始めていた才女・紫式部を迎え入れることにしたのだ。</p> <p>定子の周りに清少納言がいたように、彰子の周りにも知的な女房を雇いれて一条天皇を振り向かせようとしたのだ。清少納言と紫式部はこうしてライバルとなった。2人の背後には、生臭い権力闘争があったのだ。世継ぎを巡る史上空前の文学バトルがはじまる!</p> <h4 id="暇を持て余す貴族たちの生活"> 暇を持て余す貴族たちの生活</h4> <p>天皇の妃と女房たちによって形成されていた後宮サロン。清少納言は、清原元輔という有名な歌人の娘であり、和歌だけでなく漢詩・漢籍の知識も豊富だった。主人となった定子も母親の高階貴子が男も顔負けの漢詩人だったと言われており、2人の文学的な嗜好はピッタリと合っていた。家庭教師的に彰子についた紫式部とは違い、清少納言は定子と共にサロンを盛り上げるような関係だったのだ。</p> <p>定子と彰子は従姉妹同士なのだが、当時の権力闘争というのは藤原氏内部の狭い範囲で行われており、兄弟と親戚の中での足の引っ張り合いだった。次々に兄たちが急死し、道長は棚ぼた式に権力を手に入れた。そんな道長にとって定子の存在は邪魔だったのだ。</p> <p>一条天皇が11歳で元服した時に、初めて入内したのが定子だった。当時の年齢は数え年で、今で言う小学4年生の男の子に中学1年生の妃が来たというカップルだった。年上で知識も豊富な定子に憧れを抱いていた一条天皇。2人は本当にラブラブだったのだ。</p> <p>そんな一条天皇を我が娘に振り向かせなくてはいけない。娘のサロンに天皇に来ていただかなくてはいけない。それが道長の命題だった。</p> <p>当時の貴族サロンは、退屈だったと考えられる。身分が高いが故に不自由な生活を強いられており、現代のような娯楽のない時代、何もやることもなく暇を持て余していた。彰子の周りに学識のある女性を集めたのは、勉強させるというよりは、色んな話をして退屈させないで欲しいという思いがあったため。</p> <p>そこで評判になっていた紫式部を投入してサロンを盛り上げようとした。彰子のサロンは面白いという評判になれば、天皇もやって来てくれるだろうという思惑があった。彰子と天皇が、まず顔合わせできる機会を作るために投入された最終兵器が源氏物語だったのだ。</p> <h4 id="平安文学バトルが開幕">平安文学バトルが開幕!</h4> <p>紫式部が清少納言に並々ならぬ対抗意識を燃やしていたことは、紫式部日記に明らかにある。</p> <p>「清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようでございますね。あそこまで利口ぶって漢字を書き散らしていますけれど、その学識の程度もよく見ればまだまだ足りない点だらけです。」</p> <p>歯に衣着せぬ徹底的な攻撃が続く。紫式部は清少納言の何がそんなに嫌いだったのか?例えば、枕草子のある場面を見てみると。</p> <p>雪がたくさん振った日のこと。定子と女房たちは、戸を閉め切り火鉢の周りでおしゃべりに興じている。ふと定子が聞く。</p> <p>「少納言よ、香炉峰の雪はどんなかしら?」</p> <p>そこで清少納言は、御簾を上げさせ外の雪景色を見せる。すると定子は、にっこり微笑んだ。定子が清少納言に『香炉峰の雪』と言ったのは白居易の漢詩の一節。香炉峰の雪は、簾をかかげて見る。を踏まえてのこと。</p> <p>清少納言は、即座にこれを理解し御簾を上げさせたので定子に称賛されたという一種の自慢話なのである。</p> <p>当時、最先端の知識だった中国の漢詩、漢文、歴史書に彼女たちはこだわっていた。そうした知識をアクセサリーのように見せびらかして使う清少納言に、紫式部はカチンと来ていたのだろう。</p> <p>一方、紫式部は自らの教養を徹底的に隠すタイプだった。紫式部日記には、こんな一節がある。</p> <p>「誰かが男ですら漢文の素養を鼻にかけた人はどうでしょうかねぇ。みな、ぱっとしない方ばかりとお見受けしますよ。というのを聞き止めてからというもの、私は一という字の横棒すら引いておりません。」</p> <p>紫式部は「私は一という字すら知りません」と気取るイヤな女なのだ。一方、清少納言は、それを「あっ、私知ってる!」とすぐに乗り出して言ってしまうような女だった。</p> <p>天真爛漫な清少納言と内に籠る紫式部。2人の正確はまったく相容れないものだった。しかし、それにしても紫式部日記が書かれたのは、定子の死から10年後。とうに宮中から身を引いた清少納言にここまで言う必要があったのか?</p> <p>定子の亡くなった後にも、枕草子は書き続けられており、その中には定子の生前の素晴らしい姿が書かれていた。それを次から次へと清少納言が書いては、貴族社会にバラ撒き、書いてはバラ撒きしていた。</p> <p>そうすることで、貴族社会も一条天皇も定子のことを忘れることができなくなる。定子の生前の姿を永久保存している枕草子は、彰子と紫式部にとっても大きな壁だったのだ。</p> <p>宮廷を去った後も圧倒的な存在感を放ち続ける清少納言に対し、紫式部の戦いがはじまる!</p> <h4 id="対決の結末は紫式部本領発揮">対決の結末は?紫式部本領発揮!</h4> <p>紫式部が、清少納言と定子に打ち勝つための最大の武器、それは源氏物語だった。紫式部は、彰子に仕える4年前の長保3年に夫と死別。源氏物語は、その直後に深い悲しみの中から書き始められている。</p> <p>彰子の父・藤原道長が紫式部をスカウトしたのは、まだ執筆の途上にあった源氏物語が、すでに大変な人気を集めていたからだ。長編小説を書き続けるためには、経済的なパトロンが不可欠だったため、図らずも道長は源氏物語の恩人となったと言えるだろう。</p> <p>日本最初期の系図集「尊卑分脈」に掲載されている紫式部の名前を見ると、道長妾との記述がある。道長は、紫式部のパトロンとなり当時、非常に高価だった紙や舶来の筆などを惜しげもなく買い与え、源氏物語の執筆を全面的にバックパップしたのだ。</p> <p>道長の作戦は成功し、源氏物語は一条天皇を魅了した。この源氏物語には1つ、意外な効用があった。それは彰子と一条天皇の心を繋げたこと。同じ物語を男女で分け合って読むという行為は、お互いの心を知ることになる。同じ本を読んで、それを理解できる知識がある、彰子がもう子供ではないと一条天皇に思わせたのだ。</p> <p>源氏物語が取り持つ縁。寛弘5年、彰子はついに男の子・敦成親王を産む。紫式部が宮仕えを始めてから3年後のことであった。一条天皇は、なお定子との間にもうけた敦康親王を愛していたが、道長一派の説得に押し切られ世継ぎは彰子の子と決まる。</p> <p>道長は権力闘争に勝ち、我が世の春を迎える。彼の勝利は、源氏物語の勝利とも言えるだろう。清少納言は、この知らせをどこかで聞いていただろうか…</p> <h4 id="源氏物語の勝因">源氏物語の勝因</h4> <p>紙が貴重だった時代、源氏物語が広く大勢の人に読まれていたということはないだろう。30名程度の上流貴族たちが特権として読んでいたと考えられる。また、読むというよりは音読されていたのだろう。</p> <p>過去の日々を書いた枕草子と違い、男女間の恋愛の話だった源氏物語。今で言う毎週放送される恋愛ドラマのような感覚で、毎回先がわからず気になってサロンに通ってしまうという引きを持っていた。</p> <p>女性を口説いて回る光源氏に充てられた一条天皇が、唯一口説くことを許された彰子に近づいていったのは自然なことだったのかもしれない。なにしろこの時代の男たちは、とにかく暇だったのだ。</p> <p>光源氏が稀代の女好きとして描かれたのは、それを求められたからだったのかもしれない。紫式部としては、毎回女を口説くという展開には飽き飽きしていたのではないだろうか。</p> <p>それがわかるように、後半は主人公が光源氏の息子になり、地味で内気な男が人生を思い悩むという内容になっている。光源氏の話はサロン文化で求められて書き、後半の宇治十帖で紫式部は自分のために書きたいものを書いた。</p> <p>おもしろ可笑しいだけではなく、1人の人間の苦悩を描いた。このテーマは、現代の作家も常に取り上げるテーマになっている。古典でありながら、現代の物語でもあるのだ。そこに作家としての紫式部の凄みがあるのだという。</p> <p>結果として大ヒット長編ドラマとなった源氏物語は、道長に絶大な権力を与えることになった。道長が権力闘争に勝利したのは、紫式部のおかげだったのかもしれない。</p> <h4 id="2人のその後">2人のその後</h4> <p> 寛弘8年一条天皇が崩御。後継者は彰子の子・敦成親王と決まり、務めを終えた紫式部は入内を去った。彼女はどんな晩年を過ごしたのだろうか?詳しくはわかっていないが、晩年の和歌によると心は非常に穏やかな境地に至っていたようだ。</p> <p>“いづくとも身をやる方の知られねば 憂しと見つつも永らふるかな”</p> <p>辛いとわかりつつも生きながらえていることよ。これからも生きていくという境地に至ったのだとわかる。</p> <p>一方、清少納言の消息もまた謎に包まれている。何時亡くなったのかということもわかっていない。月輪にある定子のお墓を守っていたという話もある。</p> <p>唯一確かなこと。それは枕草子と源氏物語が、今も人々に読み継がれているということだ。藤原道長は、その後も2人の娘を天皇に嫁がせ長く権力の座に留まったが、そこに意外な文学が生まれることはもうなかった。</p> <p>清少納言と紫式部、2人の女だけが千年の時を超え、輝き続けているのだ。</p> ambiguousnews 世界的ベストセラー『聖書』をゆる~く紐解く! hatenablog://entry/17680117127170662010 2019-05-28T17:00:00+09:00 2019-05-28T17:00:06+09:00 結婚式にクリスマス、私たちの身の回りにはキリスト教から来たものが溢れている。日本人にはあまり馴染みのない「聖書」。でも実は、とても面白いエピソードが書かれいているのだ。楽しく優しく聖書を紐解く。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190528153019p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190528/20190528153019.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190528153019p:plain" /></p> <p><br /><br /></p> <p>結婚式にクリスマス、私たちの身の回りにはキリスト教から来たものが溢れている。日本人にはあまり馴染みのない「聖書」。でも実は、とても面白いエピソードが書かれいているのだ。楽しく優しく聖書を紐解く。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#おもしろい聖書"> おもしろい聖書</a><ul> <li><a href="#イエスに纏わる思い込み">イエスに纏わる思い込み</a></li> <li><a href="#禁断の果実はリンゴ"> 禁断の果実はリンゴ?</a></li> <li><a href="#イエスの実像">イエスの実像</a></li> <li><a href="#最後の晩餐">最後の晩餐</a></li> <li><a href="#イースターって何の日">イースターって何の日?</a></li> <li><a href="#平和の象徴鳩">平和の象徴=鳩</a></li> <li><a href="#アイドルは聖書の言葉">アイドルは聖書の言葉?</a></li> <li><a href="#日曜日が休日なのは聖書がきっかけ">日曜日が休日なのは聖書がきっかけ</a></li> <li><a href="#目からウロコは聖書の物語から">「目からウロコ」は聖書の物語から</a></li> <li><a href="#天使には羽がある">天使には羽がある?</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="おもしろい聖書"> おもしろい聖書</h3> <h4 id="イエスに纏わる思い込み">イエスに纏わる思い込み</h4> <p>世界一の発行部数を誇り、一番読まれている本が何だかご存知ですか?それは聖書。日本人にとってあまり馴染みがないが、私たちが知っている物語も数多く書かれている。禁断の果実を食べたアダムとイヴ。ノアの方舟、バベルの塔、さらに結婚する人の半数以上がキリスト教式の結婚式を挙げ、12月はクリスマス一色になる日本。</p> <p>私たちの生活には、キリスト教から来たものが溢れている。しかし、中には勘違いしていることも…。クリスマスはイエス・キリストの誕生日?</p> <p>実は聖書には、12月25日がイエスの誕生日とは一言も書かれていない。正確な誕生日はわかっていない。ではなぜ12月25日が祝われるようになったのか?もともとこの日は、ローマで最大の祭りの日だった。</p> <p>そしてキリスト教がローマの国教になった時、祭りのついでにイエスの生誕を祝うようになったのだ。それゆえ教会では、クリスマスをイエス様の誕生日とは言わず、イエス様の降誕を記念する日という言い方をする所が多い。</p> <p>さらにイエスの名字はなんなのか?イエス・キリストなんだから当然キリスト?</p> <p>だがキリストは名字ではない。キリストの意味は救世主。イエス・キリストは、救世主のイエスという意味なのだ。イエスの時代、名字はなく、イエスという名前は日本での太郎のようなよくある名前で、人々は頭に出身地などをつけて区別していた。イエスはナザレという地で生まれたので、ナザレのイエスと呼ばれていた。</p> <h4 id="禁断の果実はリンゴ"> 禁断の果実はリンゴ?</h4> <p>旧約聖書に書かれているアダムとイヴ。禁断の果実を食べたために楽園を追われ、羞恥心など苦しみを与えられたお話。この時、イヴは果実を2つ食べたので乳房ができ、アダムは1つ食べたので、喉仏ができた。ちなみに英語で喉仏のことをAdam's appleという。</p> <p>しかし、聖書には禁断の果実がリンゴとは書かれていない。ではなぜリンゴと言われるようになったのか?</p> <p>当時使われていたラテン語で、リンゴのことをmalus(マリュス)、そしてこのmalusには邪悪という意味もあった。この2つのキーワードを元に、禁断の果実がリンゴであるという説が定着したのだ。ちなみにリンゴ以外には、ザクロやブドウ、イチジク、ナシなどの説もある。</p> <h4 id="イエスの実像">イエスの実像</h4> <p>イエスを描いた絵画は多く、ほとんどが端正な顔立ち。実写化されてもイケメン俳優が演じることが多い。しかし、聖書にはこのように書かれている。</p> <p>「私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない」</p> <p>そう、どちらかといえばイケメンの真逆?そして体型もガリガリに痩せているイメージだが、実は聖書には…</p> <p>「イエスは周りから『大飯喰らいの大酒飲みだ』と悪口を言われていた」</p> <p>と書かれている。</p> <p>聖書に書かれているイエスの奇跡には、こんなものがある。友人の結婚式で水をワインに変えた。嵐の中、船の上から「静まれ」と命じ嵐を止めた。5つのパンと2匹の魚を増やして5千人に振舞った。18年間病気で腰の曲がっていた人の体をまっすぐにしたなど。</p> <p>そしてイエスは、弟子の1人に裏切られ翌日処刑されることを予言するという奇跡すら起こした。</p> <h4 id="最後の晩餐">最後の晩餐</h4> <p>イエスは処刑される前夜、12人の弟子との夕食で「この中に私を裏切るものがいる」と予言。弟子たちは誰も信じなかったが、実際は弟子のユダが裏切った。</p> <p>最後の晩餐の後、イエスは3人の弟子を連れて近くの森に向かった。そして…</p> <p>「私は明日処刑される。これから最後の祈りを捧げてくる。その間、ここで起きて待っていなさい」</p> <p>そう言い残しイエスは茂みの奥へ祈りに行った。</p> <p>「神よ、私は死にたくありません。どうか私を助けてください」</p> <p>イエスでさえ、死という現実の前に死にたくないと震え、本気で嫌がっていた。こういう人間臭いイエスの様子も、聖書には書かれている。</p> <p>そして祈りを終え、弟子たちの元へ戻ると…弟子たちは寝てしまっていた。今度は起きておくようにと言いつけ、再び祈りに向かうイエス。そして2度目の祈りを終え、弟子たちの元へ戻ると…再び弟子たちは熟睡。これを計3回繰り返し、最後の夜は更けていった…。</p> <h4 id="イースターって何の日">イースターって何の日?</h4> <p>キリスト教徒にとって最も大切な日は、クリスマスではない。それは、日本でも徐々に知られるようになったイースター(復活祭)。実はこのイースターこそが、イエスの起こした最大の奇跡を祝うお祭り。その奇跡とは…</p> <p>イエスの復活!十字架にかけられ死んだはずのイエス。しかしその3日後、嘆き悲しむ弟子たちの前に現れた。そしてイエスはこう言ったという。「おはよう」</p> <p>信者数20億人を誇るキリスト教。この最大の奇跡、復活が行われなければ今のキリスト教はない。その復活を祝うイースターこそが最も大事な日なのだ。</p> <p> イースターは複雑に決められており、春分の日が終わって最初の満月から数えて最初の日曜日になる。大体3月20日~4月20日くらいの間になる。今年は4月21日だった。</p> <h4 id="平和の象徴鳩">平和の象徴=鳩</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190528144944j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190528/20190528144944.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190528144944j:plain" /></p> <p>平和の象徴と呼ばれる鳩。その由来は、聖書の有名な物語の1つ「ノアの方舟」から。堕落した人間に怒った神は、大洪水を起こすことを決意し、真面目な人間ノアだけに伝えた。</p> <p>ノアは巨大な方舟を作ると、そこに様々な動物を乗せ船の中でひたすら洪水が収まるのを待った。そして40日間続いた嵐が止んだ後、ノアは鳩を空に放った。しばらくして鳩が戻ってくると、口にオリーブの若葉をくわえていた。</p> <p>ノアはそのオリーブの葉を見て、洪水が引き乾いた土地があることを知ったのだ。このエピソードから鳩とオリーブの葉は平和の象徴に。国際平和を目的する国連の旗のシンボルにもオリーブの葉が使われている。</p> <p>そのため、オリンピックの開会式や結婚式などのお祝いの式典にも鳩が使われるようになったのだ。</p> <h4 id="アイドルは聖書の言葉">アイドルは聖書の言葉?</h4> <p>実は「アイドル」という言葉の歴史は、旧約聖書から始まる。聖書でいうアイドルとは、神を象った偶像のこと。旧約聖書では、偶像を崇める偶像崇拝が禁じられている。教会などでイエスの像に拝んでいるが、あくまでイエスは神ではなく、神の子。そのため像や絵画になっているが、神そのものを象ったものは存在しない。</p> <p>そして1950年代、アメリカでプレスリーやフランク・シナトラが登場すると「熱狂的な人気を集めるぽっと出の若者」という皮肉を込めた意味でアイドルという言葉が使われるようになった。</p> <p>日本では、「若い人気者」という意味だけが残り、次第に初々しい未完成の愛らしさを持つ人物を表す日本独特の「アイドル」を指すようになった。</p> <h4 id="日曜日が休日なのは聖書がきっかけ">日曜日が休日なのは聖書がきっかけ</h4> <p>旧約聖書には、神は6日間かけて天地を創造し、7日目に休んだと書かれている。当時7日目は土曜日で、このことからユダヤ教では土曜日が安息日として休日になった。日曜日が休日になったのは、イエスが復活した日こそが日曜日だったため。</p> <p>一方、日本では江戸時代、「1」と「6」のつく日が休日だった。すなわち、4日働いて1日休みというサイクルだった。しかし、次第に欧米との交易などで不便が出だしたため、明治に入ると欧米式に日曜日を休日にすることになった。</p> <h4 id="目からウロコは聖書の物語から">「目からウロコ」は聖書の物語から</h4> <p>その昔、キリスト教徒を迫害していたサウロという男がいた。ある日、サウロは神の怒りに触れ突然目が見えなくなった。同じ頃、神に忠実だったアナニヤという男が、こんなお告げを受ける。</p> <p>「アナニヤよ、サウロという者のところへ行き、目を治してやりなさい」</p> <p>そこでアナニヤは、サウロの元へ行き神の言う通りにしたところ、なんとサウロの目からウロコのようなものが落ち、再び目が見えるようになった。そしてサウロは改心し、忠実な使徒になった。</p> <h4 id="天使には羽がある">天使には羽がある?</h4> <p>聖書には天使がたくさん登場するが、どこにも羽が生えているとは書かれていない。</p> ambiguousnews ロンドンで多発する猟奇的殺人!?暗躍するジョン・ハンター hatenablog://entry/17680117127157519769 2019-05-23T18:00:00+09:00 2019-05-23T18:21:08+09:00 理由は知りませんが、GW中に爆売れした『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本。梅毒の正体を知るため、患者の膿を「自分」に塗布!急激な加圧・減圧実験で鼓膜は破れ、歯の詰め物が爆発!!...ほか、常識を覆すマッドな実験が満載。なんて紹介文が帯に書かれて興味津々。 色々ググっていたら、お馴染みの岡田斗司夫さんが動画で評論解説していたのでご紹介します。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190522181544p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190522/20190522181544.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190522181544p:plain" /></p> <p>理由は知りませんが、GW中に爆売れした『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本。梅毒の正体を知るため、患者の膿を「自分」に塗布!急激な加圧・減圧実験で鼓膜は破れ、歯の詰め物が爆発!!...ほか、常識を覆すマッドな実験が満載。なんて紹介文が帯に書かれて興味津々。</p> <p>色々ググっていたら、お馴染みの岡田斗司夫さんが動画で評論解説していたのでご紹介します。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#世にも奇妙な人体実験の歴史"> 世にも奇妙な人体実験の歴史</a><ul> <li><a href="#18世紀の医学界はカオス">18世紀の医学界はカオス</a></li> <li><a href="#颯爽登場ジョンハンター">颯爽登場!ジョン・ハンター</a></li> <li><a href="#兄の偉業の陰に弟の暗躍あり">兄の偉業の陰に弟の暗躍あり!</a></li> <li><a href="#事実は小説よりも奇なり">事実は小説よりも奇なり</a></li> <li><a href="#高まる死体の需要">高まる死体の需要</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="世にも奇妙な人体実験の歴史"> 世にも奇妙な人体実験の歴史</h3> <h4 id="18世紀の医学界はカオス">18世紀の医学界はカオス</h4> <p>18世紀の終りから19世紀というのは、「科学の時代」と言われている。科学の時代に突入したヨーロッパ社会だったが、そんな科学の中で唯一、遅れていたのが医学だった。「ターヘル・アナトミア(解体新書)」が日本で訳されたのが、1774年。</p> <p>これを読んだ杉田玄白は、日本の医学は西洋に比べて大きく遅れていると感じた。だが解体新書の原本は、1722年にドイツで出版されたもので、杉田玄白が訳したのは12年後にオランダで翻訳されて発売されたものだった。</p> <p>ドイツ版からオランダ版へと翻訳された際に誤訳が多かったために、その内容は間違えだらけだったのだ。その頃のヨーロッパというのは、紀元2世紀のローマの時代の医師・ガレノスが提唱した間違った医学を未だに信じていた。</p> <p>ガレノスは、臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成をなした。ところが、ガレノス自身は人体解剖を生涯することはなかった。</p> <p>動物を解剖し、臓器を見てその役割を考えていた。ガレノスは、ギリシャ時代の医学の信奉者でギリシャ時代の医学に合うように自己解釈していた。ギリシャ時代の医学には、「四体液説」というものがあり、人間には4つの液体が流れていると考えられていた。この4種類の液体のバランスの狂いによって、人間は病気になるという考え方だ。</p> <p>ガレノスは、四体液説を元に犬やネズミを解剖して、各臓器の役割を調べて文書を書き残した。そのため、解体新書という文献は、この時代のヨーロッパでは少し変なものだったのだ。</p> <p>当時のヨーロッパでは、解体新書を読んでいる人は多かったのだが、チラチラと読んでそれをガレノスの四体液説に当てはめるという人が多かった。18世紀のヨーロッパの医者のほとんどは、ガレノスの学説をそのまま信じていたので、当時発見された科学的な成果というのは、医学の世界にはまだ降りてきていなかったのだ。</p> <p>そのため、この話の舞台となるイギリスの医者にも、解体新書を訳した杉田玄白ほどの知識を持つ人はほとんどいなかった。その理由は、18世紀の医者の試験がラテン語の面接だけだったためだ。</p> <p>ラテン語で書かれたガレノスの四体液説の本が読めるのか?それを理解できているのか口頭で聞かれて、答えられれば合格というような状態だった。この試験に合格して、何年か修行すれば医者になれたというのだ。</p> <p>この時代の医者というのは、内科医のことを指す。外科医は存在しておらず、床屋外科業界、床屋外科組合と呼ばれていた。床屋のサインポールが赤・白・青でグルグル回っているのは、昔は床屋が医者を兼ねていたためというトリビアは、なんとなく知っているが、それがなぜかは知らない。</p> <p>当時の医者は、患者を触ったりすることはない。そういうことは下賎な人間のすることであって、脈を取るのも下男がやっていた。そういったお付の人の話を聞いて、ガレノスの知識からどういうクスリを出すのかを決めていた。つまり効き目のないクスリを出すことが医者の仕事だったのだ。</p> <p>ガレノスの四体液説と照らし合わせて、ここに体液が溜まりすぎているから悪いと判断し、血管を切って治療する瀉血(しゃけつ)という治療が行われていた。この腕のある部分を切って血を出すという治療をするのが床屋外科という人たちだった。</p> <p>日常的にナイフやカミソリを持ち慣れている床屋さんが、床屋外科組合を作って、そういった治療を行っていた。</p> <p>当時の治療は、まず内科医がクスリを処方する。そのクスリも、浣腸のような下剤、嘔吐させるクスリ、そして水銀(猛毒)の三種類しかなかった。それでダメなら床屋さんが呼ばれて血が抜かれた。それが当時の医療だったのだ。</p> <p>だがこの瀉血という行為は無駄だと、1600年代にはウィリアム・ハーパーという人物が「血液循環説」を唱えていた。血液は心臓から送られて、心臓に戻って来るので、腰が悪いからと言って腰の血を抜いても無駄だと発見し、論文にもしていた。</p> <p>だが、ガレノスの四体液説を信じ込む人々は、異端の本と位置づけ血液循環説から100年後のロンドンでも、多くの医者が悪い部分の血を抜くという治療法で、患者たちの寿命を縮めていた。</p> <p>つまり18世紀は、内科に行ったら毒を処方されるし、外科に行ったら気を失うまで血を抜かれるというカオスな時代だったのだ。そのため、医者にかかっても死ぬだけだと言われ、大体の人は民間療法を試していた。</p> <p>庶民もバカではないので、そのことを感じてきており民間療法に頼った。当時の新聞には、これも治ります。これにも効きます。などという広告がたくさん出ていた。庶民が自己防衛するには、そういった怪しい民間療法のクスリを試してみるしかなかったのだ。</p> <h4 id="颯爽登場ジョンハンター">颯爽登場!ジョン・ハンター</h4> <p>そんな18世紀の医学界を根本的に変えてしまったのが、この本の最初に出てくるジョン・ハンターだ。この本に書かれているハンターが、自分に対して行った人体実験で特に有名なのが性病の実験だった。</p> <p>当時、医者に求められたのは、惚れ薬と性病を治す薬ばかりだった。この頃のヨーロッパは、セックス革命の真っ只中で性病が大流行していた。患者の4人に1人は性病だったそうだ。</p> <p>その時代の性病には、淋病と梅毒の2種類があった。ジョン・ハンターは、淋病は命には影響せず自然に治るが、梅毒というのは放っておいても自然に治らない、治療しないと死に至る病気だと考えていた。</p> <p>それを実証するために、淋病の患者を2つのグループに分け、一方には偽薬をもう一方には当時、一応淋病に効くとされていた薬を与えてみた。すると両方のグループ共、数週間で淋病は治っていった。</p> <p>この結果から、淋病は特に治療しなくても健康に過ごしていれば勝手に治るとハンターは、この実験で確かめたつもりになっていた。</p> <p>さらにハンターはもう1つの仮説を立てていた。淋病というのは性器の病気、それが全身に転移してくと梅毒になるのではないか?と考えた。現在では、淋病と梅毒は全く別の病気として知られているが、当時はそれが全くわからない状態だったので、ハンターはこう考えたわけだ。</p> <p>これを調べるには、健康な人に淋病を感染させて放置し、それを観察すればいい。そしてそんな危険な実験に使えるのは、自分の身体しかないとハンターは考えた。経過観察を毎日毎日するには、自分の身体が一番だと気の短いハンターは思いついてしまったのだ。</p> <p>そこでハンターは、自分の性器をナイフで傷つけて、そこに淋病患者からの菌を毎日塗ったのだ。毎日経過を観察しながら、治療もせずに不健康な生活を続けたハンターについに梅毒の症状が現れる。</p> <p>この時、ハンターは自分が考えた通りだと喜んだらしいが、1人の患者が淋病と梅毒の両方にかかっているという可能性をハンターは全く考えていなかった。ハンターが自分に病気を移植した患者は、淋病と梅毒の両方にかかっていたために、ハンターは淋病と梅毒両方に感染してしまったのだ。</p> <p>当時の医学界には、ペニシリンがまだ存在しておらず、ハンターはこの梅毒に一生苦しんだ。だが、ハンターにとってそれくらいのことは当たり前のことだった。ジョン・ハンターの面白伝説は、まだ序章に過ぎなかった。</p> <h4 id="兄の偉業の陰に弟の暗躍あり">兄の偉業の陰に弟の暗躍あり!</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190522152919j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190522/20190522152919.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190522152919j:plain" /></p> <p>これは臨月直前の子宮の解剖図。ジョン・ハンターの兄で医者のウィリアム・ハンターが発表した図版だ。これは当時の医学界に衝撃を与えた。これまではギリシャ時代の学説から、赤ちゃんは最初から親と同じ格好をしていて成長して大きくなったら生まれてくると考えられていた。</p> <p>ところがウィリアム・ハンターが発表した本の中では、30枚以上の図版が使用され妊娠初期から臨月まで子宮の解剖図が載せられていた。そこで初めて、最初はトカゲのような赤ちゃんが、だんだんと人間の形になっていくということがわかったのだ。</p> <p>この図版がなぜ衝撃的だったというと、妊娠している女性の解剖はほとんど不可能だとされていたためだ。当時、人体解剖は死刑囚の遺体のみが許されていた。ところが妊娠中の女性は死刑にならないという法律があったのだ。</p> <p>当時は死刑にされる罪が60種類ほどあり、何をしても死刑にされた。そのため、死刑にされそうになった女性は看守と関係を持ち、妊娠することで死刑を免れようとしたという。</p> <p>さらに死体の提供数自体が少なかった。キリスト教徒は、最後の審判を信じており、キリストが地上に降りてきて死者を復活させて天国へ連れて行ってくれると考えていた。その時に解剖された死体は、天国に行けないと言われていた。そのため、親族たちは解剖を拒んだ。</p> <p>ではなぜ、ウィリアム・ハンターの論文には、妊娠中の完璧な子宮の解剖図が載せられていたのか?妊娠初期から臨月直前までの女性の死体が偶然手に入った?そんなことはあるはずがない!そこで登場するのがジョン・ハンターなのだ。</p> <p>ジョンが田舎の実家でニートのような生活を送っている頃、兄ウィリアムはロンドンで医者をしており、自宅の一室で人体解剖の教室を毎日開催していた。これが大ヒット!当時のイギリスでは、解剖学というのが珍しく、熱心な学生や現役の医師たちが集まり大繁盛していたという。</p> <p>だが、解剖を行う死体は1週間しかもたない。ウィリアムは新鮮な死体を毎週必要としていたのだ。ちょっとした罪でもすぐに死刑になるイギリスでは、縛り首の執行が見世物になるほど死刑者はおり、死体の確保も難しくはないかと思われた。</p> <p>ところが、ウィリアムの教室以外にも解剖教室はいくつもあり、医者たちや遺族の間で死体は奪い合いになっていた。ウィリアムは、解剖教室のために新鮮な死体を合法的に入手しなければならなかった。</p> <p>だが合法的に無理ならば、非合法な手段で手に入れるしかなかった。いわゆる墓荒らしだ。当時のロンドンでは、墓荒らしが横行していたが、社交界や医学界で成り上がりたいと思っていた野心家のウィリアムは自分の手を汚したくはなかった。</p> <p>そこで目をつけたのが、田舎でニート生活を送るジョンだった。兄から解剖用の死体が欲しいと頼まれたジョンは、その日のうちに怪しげな酒場に直行し墓荒らしの盗賊たちと知り合いになり、死体を手配してもらう。</p> <p>だが死体は毎週必要になるため、いつしかジョンは盗賊たちの仲間になり、いつくかのルールを学び始める。</p> <p>墓荒らしのルール</p> <ul> <li>墓を掘り越すのは貧乏人の墓に限る</li> <li>死体は丸裸にして盗むこと</li> <li>暴いた墓はきちんと埋めなおす</li> <li>墓荒らしには縄張りがある</li> </ul> <p>貧乏人の墓を狙うのは、穴が浅く柩も薄いので掘り出しやすいため。対して金持ちの墓は、穴が深く柩も金属製で労力がかかった。丸裸にする理由は、死体の持ち物を何か1つでも盗むと窃盗罪になるため。死体は誰の所有物でもないということで、盗んでも罪にはならなかった。</p> <p>死体を盗むのは、埋められた日になることが多く、ロンドン郊外の墓のほとんどは中身が空だったという事件が実際にあったという。掘った穴をちゃんと埋め直していたことがわかる。マフィアのような縄張りが存在し、他の島を荒らすと抗争になることからルールは徹底されていた。</p> <p>ジョンは、この墓荒らしの世界に積極的に参加していったので、あっという間に有名になり、当時のロンドンで最大の墓荒らし集団を組織しボスとなった。</p> <p> こうして兄のために死体を用意する組織のリーダーとなったジョンに、ウィリアムは死体の大まかな解体を頼むようになる。それと同時に解剖学についても教え始める。ここでもウィリアムは、思わぬ才能を見せ始める。</p> <p>標本づくりに必要な細かで繊細な仕事で才能を見せるジョン。その手さばきは、ベテラン解剖医を最初から凌駕していたという。自分以上の解剖の天才だったジョンに、ウィリアムは解剖教室の全てを任せてしまいます。</p> <p>ウィリアムは、解剖のような下賎な仕事がしたかったわけではなく内科医を目指していたのだ。解剖教室は金儲けのために開いていただけで、外科医になりたかったわけではなかった。そう、ウィリアム・ハンターが発表した解剖学シンギュラリティ妊婦の経過解剖図版制作は天才的なジョン・ハンターの才能があったためにできたことだったのだ。</p> <h4 id="事実は小説よりも奇なり">事実は小説よりも奇なり</h4> <p>世界的な墓荒らしのリーダーになったジョン・ハンター。 ジョンは、墓をいちいち掘り起こすことをやめて、葬儀屋と結託することを見出す。葬儀が終わった柩の中身を石と入れ替えて死体を確保したのだ。</p> <p>その死体は、葬儀屋で解体し、郵便などで自宅へ送っていたという。時には田舎まで出向き、死体を解体して汽車で送ったという。これが結構な頻度で見つかっており、事件化した。当時のロンドンでは、死体輸送業者の仕業とは思わずバラバラ死体発見のニュースが飛び交い、猟奇殺人者が大量にいる都市として報道されたという。</p> <p>18世紀のロンドンで怪奇小説が流行ったり、イギリスがミステリーの本場になったというのは、当時のジョン・ハンターの死体運搬ルートが、誤解されて新聞で広まったというのが原因だった。</p> <p>弟は死体入手から解剖、解剖教室の運営まで一手に引受け、兄はその知識で有名になり社交界へデビュー。ハンター兄弟は、ロンドンの繁華街にとんでもない家を建てた。表通りには兄が立派な格好し、上流階級の人々をもてなすサロン。裏通りは、毎日死体が搬入され血まみれの弟がウロウロしているという異様な屋敷だった。</p> <p>この変な屋敷は、次第に知られるようになり後にハンター兄弟をモデルにした「ジキル博士とハイド氏」という小説が発売されることになる。心理サスペンスの元祖であり、同時に近代ホラー小説の元祖でもある。</p> <p>心理サスペンスとは、人間は誰しもが異常な犯罪を起こす可能性があるという話。都市の中にすんでいるあなたの隣人が犯罪者かもしれないという近代ホラーサスペンス。つまり名探偵ホームズや名探偵コナンなどの源流は、ジョン・ハンターにあったのだ。</p> <p>ジョン・ハンターがロンドンの街を毎晩、猟奇的な殺人が起こる異常な街だと思わせなければ、こんな小説も生まれなかったし、ミステリーブームも起こらなかっただろう。</p> <h4 id="高まる死体の需要">高まる死体の需要</h4> <p>ある日、偶然にジョンの元に出産目前の女性の死体が運ばれてくる。その女性を解剖してみると、中には完璧な生まれる前の胎児が入っていた。これをウィリアムに見せると、驚いたウィリアムは妊娠の各段階の図解を載せて発表すれば医学界はパニックになると言い始める。</p> <p>だが、妊娠の各段階などという都合の良い死体が手に入るはずがない。ジョンは、自分の窃盗団に妊娠している女性が死んだら、イギリス中でどんなに遠くても取りに行くように指示を出す。</p> <p>さらに対立していた他の窃盗団にも、賞金を出して値段も入手方法も問わず手に入れてくれるように頼んだ。すると徐々にどうやって手に入れたのかわからないような死体が集まりだした。健康だが死んだという妊婦の死体が集まりだしたのだ。</p> <p>妊婦は死刑を執行されるはずがないので、入手経路は明らかにグレー。当時の新聞には、ロンドン・バーカーズという事件がよく報じられていた。解剖用の死体を手に入れるために人を殺している奴らがいたのだ。バークとヘア連続殺人事件を模倣し20人以上を殺したと言われている。おそらくジョンが入手した死体には、こういう事件性のある死体も含まれていただろう。</p> <p>だがこの解剖図が発表されてから医学界は、飛躍的に進歩した。当てにならないギリシャ・ローマ時代の医学書から、医者が現実に目を向けて出産で死ぬリスクが劇的に下がったという。</p> <p>ジョン・ハンターは、ヤギの頭に水牛の角を埋めたり、ニワトリのトサカに人間の歯を移植したり、世界初の人工授精まで成功させている。歯医者の医学を進歩させたのもジョン・ハンターだという。</p> <p>こんなジョン・ハンターに関する記述はたった18ページしかないのだとか。</p> <p>さらに毒ガス、麻薬、ビタミン、サメに噛まれたら人間は死ぬのかどうかなど、えげつない人体実験の話は有料パートでした。面白そうだなぁ。</p> ambiguousnews お好み焼き発祥の地は東京!?お好み焼き屋は男と女の密会場所だった hatenablog://entry/17680117127134434429 2019-05-16T17:00:00+09:00 2019-05-16T18:10:30+09:00 私たちがよく知る日本の文豪たち。彼らが残した偉大な作品には、知られざる食の秘密が隠されている。例えば、夏目漱石が書いた『三四郎』の牛鍋を食べるシーンにこんな一節が… 「学生は皿に盛った肉を手掴みにして、座敷の壁へ叩きつける。」 肉を投げる?いったいなぜ? このように文豪の作品には、教科書に載らない庶民の食文化が隠されている。名作の中に散りばめられた食のミステリーを解き明かす! <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190516161041p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190516/20190516161041.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190516161041p:plain" /></p> <p>私たちがよく知る日本の文豪たち。彼らが残した偉大な作品には、知られざる食の秘密が隠されている。例えば、夏目漱石が書いた『三四郎』の牛鍋を食べるシーンにこんな一節が…</p> <p>「学生は皿に盛った肉を手掴みにして、座敷の壁へ叩きつける。」</p> <p>肉を投げる?いったいなぜ?</p> <p>このように文豪の作品には、教科書に載らない庶民の食文化が隠されている。名作の中に散りばめられた食のミステリーを解き明かす!</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#文学グルメミステリー-あの食べ物に秘められた真実"> 文学グルメミステリー ~あの食べ物に秘められた真実~</a><ul> <li><a href="#牛鍋の肉を壁へ投げつける学生たち">牛鍋の肉を壁へ投げつける学生たち</a></li> <li><a href="#大阪と東京のたこ焼きの違い">大阪と東京のたこ焼きの違い</a></li> <li><a href="#お好み焼きのルーツは東京">お好み焼きのルーツは東京!?</a></li> <li><a href="#アジアの製菓王と呼ばれた男">アジアの製菓王と呼ばれた男</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="文学グルメミステリー-あの食べ物に秘められた真実"> 文学グルメミステリー ~あの食べ物に秘められた真実~</h3> <h4 id="牛鍋の肉を壁へ投げつける学生たち">牛鍋の肉を壁へ投げつける学生たち</h4> <p>『吾輩は猫である』、『こころ』など数多くの傑作を残した夏目漱石。その代表作の1つが『三四郎』。明治末期、東京の大学に進学した三四郎が、自由気ままな都会の女性に出会い恋に落ちる青春物語だ。</p> <p>そこには今では信じられないような奇妙な行動が描かれている。三四郎たち学生が牛鍋を食べるシーンで…</p> <p>「学生は皿に盛った肉を手掴みにして、座敷の壁へ叩きつける。」</p> <p>彼らはなぜ肉を壁に投げつけているのか?</p> <p>江戸時代が終わり明治時代が始まると庶民の生活にある変化が…。それが肉を食べるようになったこと。江戸時代まで日本人の主食は、米と魚だったが明治政府や福沢諭吉などの知識人が、西洋文化を積極的に受け入れようと庶民に肉食を勧めていった。</p> <p>そこに登場したのが牛鍋。その味付けは庶民の心を掴み、牛鍋は瞬く間に人気グルメとなった。そんな中、ある問題が!</p> <p>牛鍋ブームによって牛肉の供給が需要に追いつかなくなっていた。当時、馬肉は牛肉に比べて圧倒的に安く、そこに目をつけた悪質な業者が密かに馬肉を牛肉の中に混入し始めたのだ。</p> <p>この食肉偽装は、全国で横行。警視庁が大規模な摘発に乗り出すも、大正時代までなくなることはなかった。その結果、庶民の間で流行したのがあの行動。</p> <p>「牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという疑惑がある。学生は皿に盛った肉を手掴みにして、座敷の壁へ叩きつける。落ちれば牛肉で、貼り付けば馬肉だという。」</p> <p>壁にぶつけると食肉偽装を見破れるという根拠のない噂が広まり、実際に明治時代の庶民は一種のまじないとして肉を壁に投げつけていたのだ。</p> <h4 id="大阪と東京のたこ焼きの違い">大阪と東京のたこ焼きの違い</h4> <p>昭和を代表する芥川賞作家・開高健。1960年代ベトナム戦争従軍の実体験を元にした『輝ける闇』は、戦争文学の金字塔と言われている。そんな開高が1974年に書いた『新しい天体』は、昭和初期の官僚を主人公にした物語。</p> <p>相対的景気調査官になった官僚が、余った予算でさまざまなグルメを食べ歩き、数字に表れない景気の実態を調べるという不思議な話だ。その景気調査官が、東京銀座のたこ焼き店を訪れるというシーンでこんな一節が…</p> <p>「たこ焼きは一片のタコのほかにサクラエビだの、揚げ玉(天かす)だの、トリ肉のミンチだの、いろいろなものがもったり重いメリケン粉の衣にくるまれた…」</p> <p>関西のたこ焼きは、昆布だしで溶いた小麦粉で生地が作られているため、生地自体に味がしっかりとついている。一方、東京には昆布だし文化が元々存在していなかった。そのためたこ焼きの生地に味をつけようと鶏肉のミンチなどを混ぜ込む店が多かったのだ。</p> <p>ではなぜ東京には昆布だし文化がなかったのか?その答えは小説『暖簾』の中にある。</p> <p>『白い巨塔』、『沈まぬ太陽』など社会派小説で知られる小説家・山崎豊子。彼女の実家は創業170年を超える大阪・南船場の老舗昆布店で、その店をモデルに書いたデビュー作が『暖簾』だ。その暖簾の一節で…</p> <p>「徳川時代から諸国の物産の集積地として、大名の蔵屋敷が棟を並べた大阪へ…(省略)。近江商人が来、木綿類の日用品を蝦夷松前(北海道)へ積み上がり、帰途の空船に昆布を積み下って来た。」</p> <p>江戸時代の大阪は“天下の台所”と呼ばれ、さまざまな食材が集まる日本一の商業地だった。そのため、江戸時代の海上交易は大阪を中心に発達。北海道の名産品昆布も、日本海から瀬戸内海を通り大阪に運ばれるのが主要な交易ルート。</p> <p>北海道-東京ルートができたのはずっと後で、そのため質の良い昆布が東京に出回ることが少なく、東京には昆布だし文化が根付かなかったのだ。</p> <h4 id="お好み焼きのルーツは東京">お好み焼きのルーツは東京!?</h4> <p>ノーベル賞作家・川端康成にも影響を与えた昭和の大文豪・高見順。そんな彼の代表作が昭和14年に発表された『如何なる星の下に』。戦前の昭和、東京浅草を舞台に小説家の男が劇場の踊り子に思いを寄せる小説だ。そこに書かれた一節…</p> <p>「軒並み芸人の家だらけの浅草田島町の一区画のなかに、私の行きつけのお好み焼き屋がある。普通のしもた屋がお好み焼き屋をやっているのが、三軒向かい合っていた。」</p> <p>大阪のお好み焼きが東京にもこの頃、すでに進出していた?</p> <p>だがどれだけ文献や資料を探しても戦前の大阪には、お好み焼きのことを書いた文献は一切出てこない。そもそもお好み焼き屋というのは、男と女の密会の場所だったのだ。</p> <p>お好み焼きのルーツ。それは明治時代の子供たちが、路上で楽しんだある遊びだと言われている。溶いた小麦粉を匙ですくい、鉄板の上で文字や絵を書いて食べる文字焼きというもの。その様子から遊戯料理と呼ばれた。</p> <p>それを見ていた店の店主が、大人の男と女でもあんなふうに好きなものを二人で焼いて食べたら楽しいんじゃないかと考え、大人の男女カップルのために文字焼きを出す店が浅草に現れた。</p> <p>六畳一間、二人きりで好きなものを焼くというシステムが評判を呼び、浅草の踊り子が贔屓の男とこっそりやって来るようになった。高見順もまた、自らの小説で書いた通り、浅草の踊り子とその店へやって来た。</p> <p>好いた者同士が、好きなものを焼いて食べるということから、昭和12年の浅草で高見順が作った言葉、それがお好み焼きのはじまりだと言われている。このお好み焼きが大阪商人の目にとまって、その後大阪にも広がったのだ。</p> <p>大阪のお好み焼きは、昭和21年ぼてぢゅう総本家が出来たのが始まりだと言われている。(諸説あり)</p> <h4 id="アジアの製菓王と呼ばれた男">アジアの製菓王と呼ばれた男</h4> <p>『父の詫び状』を書いたのは戦後の昭和を代表する直木賞作家であり、脚本家の向田邦子だ。その中の「お八つの時間」というエッセイには、昭和10年ごろの子供のおやつが列挙されている。</p> <p>ビスケットやカステラ、チョコにせんべい、今でも子供たちが大好きな大道のお菓子が並ぶ。その中の1つ、キャラメルを見てみるとミルクキャラメル、クリームキャラメル、そして新高キャラメル?</p> <p>突然、聞きなれないキャラメルの名前が登場する。一体このキャラメルの正体は?</p> <p>そこには誰も知らないある男の激動のドラマが込められていた。</p> <p>佐賀で生まれた森平太郎。菓子商を営んでいた彼は、当時日本領になったばかりの台湾で佐賀の菓子を広めようとしていた。そもそも佐賀県は、江戸時代から菓子業が盛ん。外国から輸入され、長崎港に入ってきた砂糖を内地へ運ぶために使われていたのが長崎街道、別名シュガーロード。</p> <p>佐賀はこのシュガーロードの中間地点であったため、砂糖を使った菓子業者が数多く生まれた。森永製菓の森永太一郎、江崎グリコの江崎利一も共に佐賀県出身だ。大きな希望を抱き、台湾へ渡った平太郎。</p> <p>彼が最初に始めたのが、日本の伝統菓子・饅頭作り。平太郎は妻と共にその饅頭を1つ1つ売り歩いていった。砂糖を活かして作った饅頭は、美味しいと評判に。平太郎は、さらに洋菓子の開発へと手をつけていく。</p> <p>平太郎が手がけた洋菓子、それがスイートポテト。日頃からサツマイモをよく食べる台湾の人々に受けスイートポテトは大ヒット。これを機に1905年、台湾で一番高い山、新高山から名前を取り、新高製菓を創業した。</p> <p>いつしか台湾一の製菓メーカーとなっていた新高製菓。次なる夢は、日本一の菓子メーカーになること。しかし、なかなか売上は上がらなかった。新高製菓はキャラメルを日本で売り出そうとしていた。</p> <p>だが当時は、森永製菓の「ミルクキャラメル」、江崎グリコの「グリコ」が市場を独占し、そう簡単には行かなかった。独自路線を見出した平太郎は、台湾の名産バナナを使った「新高バナナキャラメル」を開発。当時の日本では高価だったバナナの味を楽しめるお菓子として一気に売上を伸ばしていった。</p> <p>新高製菓の勢いはとどまることを知らず、日本初のチューインガムや風船ガムを開発。商品は日本だけでなく、中国でも飛ぶように売れ、いつしか平太郎はアジアの製菓王と呼ばれるようになったのだ。</p> <p>その後、新高製菓は順調に事業を拡大していったのだが…。戦争が終わった翌年の1946年、平太郎は死去。時代の波に乗りきれず、新高製菓も1971年廃業となった。森平太郎の夢が詰まった新高製菓。しかし、その味を受け継ぐ者は、もうどこにも存在しない。アジアの菓子王が残した夢の残り香が、向田邦子のエッセイにひっそりと埋め込まれているのみである。</p> ambiguousnews バイキングの神話は遠い昔に宇宙人が地球を訪れたことを示している! hatenablog://entry/17680117127128863860 2019-05-10T18:00:00+09:00 2019-05-14T18:15:26+09:00 古代スカンジナビアのバイキングが崇拝したオーディン、フレイ、トールといった神々は師であり、破壊者だった。しかし、恐れられ謎めいていた彼らは本当に神だったのか?古代スカンジナビア人の文化は、当時の世界では科学的に最も進化していた。彼らは冒険家でもあり、コロンブスの少なくとも500年前に北米にたどり着いていた。強力な神に導かれたのだろうか? <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190510171510p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190510/20190510171510.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190510171510p:plain" /></p> <p>古代スカンジナビアのバイキングが崇拝したオーディン、フレイ、トールといった神々は師であり、破壊者だった。しかし、恐れられ謎めいていた彼らは本当に神だったのか?古代スカンジナビア人の文化は、当時の世界では科学的に最も進化していた。彼らは冒険家でもあり、コロンブスの少なくとも500年前に北米にたどり着いていた。強力な神に導かれたのだろうか?</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#バイキングの神々"> バイキングの神々</a><ul> <li><a href="#バイキング文化">バイキング文化</a></li> <li><a href="#北欧神話"> 北欧神話</a></li> <li><a href="#オーディンは実在した">オーディンは実在した?</a></li> <li><a href="#天空神トールの力">天空神トールの力</a></li> <li><a href="#神々の高性能兵器を作ったドワーフ">神々の高性能兵器を作ったドワーフ </a></li> <li><a href="#ワームホールの存在">ワームホールの存在</a></li> <li><a href="#バイキングの埋葬方法">バイキングの埋葬方法</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="バイキングの神々"> バイキングの神々</h3> <h4 id="バイキング文化">バイキング文化</h4> <p>血に飢えた荒くれ者という印象が強い北欧の海賊バイキングだが、遠征を行ったのは侵略や強奪のためだけでなく交易のための航路を見つけるためでもあった。8~9世紀ごろの北欧社会は、非常に発達していた。</p> <p>安定した農業経済が機能しており、非常に高度な技術も存在した。バイキングと呼ばれるゲルマン系ノルマン人の文明は、8世紀の終わりから11世紀にかけて現在のノルウェーやスウェーデン、デンマークで栄えた。</p> <p>同じく古代に文明が発達したギリシャやローマ、エジプトとは違い文字や記号による記録がほとんど残されていないために判明していることは極わずかだ。バイキングにも数々の王がいたが、人々は権力を持つのは人民だという信念の元、固く結束していた。</p> <p>ヨーロッパの各地でまだ民主主義が確立されていない時代に、初期の議会らしきものがあったと言われている。権力は王ではなく、民衆にあると考えられていたのだ。この地域では人々が集まって法を作り、文化の違いから生じる問題や政治的に重要な事柄を話し合っていた。</p> <p>だが何よりも驚くべきことは、バイキングが進出した範囲の広さだ。大航海時代の何百年も前にバイキングは、スカンジナビア半島から飛び出しヨーロッパ各地から中東地域まで侵略している。</p> <p>東はロシアの川を下り北海やカスピ海にいたり、西はヨーロッパの海岸沿いをつたってジブラルタル海峡を抜け地中海にまでいたった。その上、当時は未知の世界であったはずの大西洋の向こう側まで足を伸ばしている。</p> <p>1960年代にニューファンドランド島で見つかった遺跡により、バイキングはヨーロッパ人として初めて北アメリカ大陸に上陸していたことがわかった。コロンブスの到着より500年も早かったことになる。</p> <p>バイキングの持つ技術の中でも特に進んでいたのが造船技術だった。バイキングの船は、この時代のシンボルともなっている。バイキングの船、ロングシップは技術革新の上に生み出された流線形の船で川でも外洋でも航行できた。軽く、耐久性に優れ柔軟性があるために外洋や嵐にも耐えることができた。</p> <p>彼らは流体力学を深く理解しており、船には合金が使われていたことから金属加工の技術も持っていたと思われる。同時期の文明の中でバイキングの文明だけが秀でているのだ。</p> <p>だが北部の痩せた土地に住んだバイキングの社会や政治、技術がなぜこれほどに進んでいたのかについては答えがでていない。彼らが造った砦や未知の大陸への船旅は、地球外生命体と接触していた証なのか。その答えは、謎に満ちたバイキングの信仰の中にあるという。</p> <h4 id="北欧神話"> 北欧神話</h4> <p> 西暦793年イギリス。ノーザンブリア沖に浮かぶ小島を数百人のバイキングが襲った。この島の修道院に伝わる秘宝を奪いに来たのだ。事件を記した文書によれば、この襲撃に伴って強い旋風が起こり、稲妻が走り火を吹く龍が空を舞ったという。奇妙な現象が見られたのは偶然ではなく、宇宙人がバイキングに力を貸していたからとは考えれないか。</p> <p>神話や人々の信仰の中に手がかりはある。北欧の神々は、ゲルマン諸国やブリテン諸島、アイスランドやグリーンランドで長い間信仰されていた。バイキングの神を語る北欧神話の起源については、ほとんど記録が残っていない。これを知る手がかりとなるのは、数百年後にアイスランドで書かれた歌謡集エッダだけだ。</p> <p>北欧神話の中では、オーディン、フレイ、トールが有名だ。この神たちを中心として脇を数々の神が固めている。神の世界は、人の世界と密接につながっている。北欧神話には、宇宙の概念が非常に詳しく書かれている。ユグドラシルという木が出てくるのだが、命を象徴するこの木を中心として宇宙観が語られている。</p> <p>ここには宇宙が9つの世界から成り立っていて、その内の1つが人間の住む地球であることが示されている。まずアースガルズという世界があり、ここにはオーディンやトールといった神が住んでいる。人間が住む世界はミッドガルズと呼ばれる。2つの世界の外側には、ヨトゥンヘイムという世界がある。ここは巨人の住む世界だ。火と炎の世界であるムスペルヘイム、死体を食らうという怪物ニーズヘッグが住む霧と暗黒の世界ニヴルヘイム、光の妖精が住むアールヴヘイムなどがある。</p> <h4 id="オーディンは実在した">オーディンは実在した?</h4> <p>エッダに綴られた最強の神が住むアースガルズは、美しく平和な世界だ。輝く館が無数に建ち、豊穣な大地に川が煌きながら流れるのだという。オーディンは、天界の一番上に位置するこのアースガルズに住んでいる。この神は、真実を知る水を飲むために片方の目を犠牲にした。そのため大いなる知恵は持っているが、残忍で荒ぶる戦の神とも言われている。</p> <p>また人々にルーン文字を与えて詩の読み方を教えたのは、オーディンだったと言われている。発達した文化的な生活にもつながる様々な事柄は、オーディンがもたらしていたのだ。</p> <p>神話からは神らしからぬ印象を受けるオーディンだが、この神が実在した可能性はないのだろうか?オーディンが飼った二羽の渡り烏の記述に手掛かりがある。この烏は偵察を任せられており、名前は思考と記憶を意味するフギンとムニンといった。日々の行動を決めるのに、オーディンはスパイ衛星で情報を集めていたのかもしれない。</p> <p>朝に飛ばされた烏たちは、夜になって戻ってくるとその日見た出来事をオーディンに報告していたと言われている。学者の間では、思考と記憶を意味する烏は想像上の生物だと言われている。だがこの二羽の烏が、高度なテクノロジー機器を表していた可能性はないのだろうか。</p> <p>神話によれば、オーディンは高鞍と言われる椅子に座りミッドガルズを見下ろした。つまり、地球上空から全てを見ていたと語られている。神話が空想でなく、実在したテクノロジーを語っていたとしたら、オーディンは宇宙船の船長席に座って世界全体を眺めていたのかもしれない。テクノロジーを使う宇宙人を見て、古代人が神だと信じ込んだのだろう。</p> <h4 id="天空神トールの力">天空神トールの力</h4> <p>雷を司る神トールの武器と言えば、ハンマーだ。これで嵐を呼び、巨人と戦ったという。トールはオーディンの息子で天空神の1人。力が強く気性の激しい神で、いつもヤギが引く戦車に乗って天を駆け巡っていたそうだ。</p> <p>オーディンが神々の王なら、トールは人間の守護神だった。スウェーデン語で雷を意味する言葉には、トールが戦車で天を駆けるイメージが込められている。トールの戦車が激しく駆け抜けて火を吹く時、人間の世界では嵐が起こり雷が落ちるという。</p> <p>トールは不思議な道具をいくつか持っており、これによって力を得ていた。その1つが元々強いトールの力を倍増する魔法のベルト・メギンギョルズだ。現在では脳の指示通りに動く義手や義足が実際に作られている。これは小説に登場したエクソスケルトンを実現化したもので、人工神経を備えた機器が脳の信号を受けて作動するため身に付けることで手足が動かせるようになるのだ。</p> <p>トールの魔法のベルトは、このエクソスケルトンに非常に似ている。兵士にこれを装備させればスピードとパワーを向上させることができる。そのため、トールが身につけたというベルトも宇宙人が持つテクノロジー機器だったのかもしれない。</p> <h4 id="神々の高性能兵器を作ったドワーフ">神々の高性能兵器を作ったドワーフ </h4> <p>スウェーデンにかつて存在していたウプサラの神殿には、オーディン、トール、フレイが祀られていた。フレイは、北欧神話の主要な神の1人で豊穣を司る。フレイに纏わる儀式は、繁栄と平和に関するものばかりだ。こうしたことからも、人々がフレイを豊かさや繁栄の象徴として見ていたことがわかる。</p> <p>フレイは天候も操ると言われている。外交にも長けていて、度々起こった神と巨人族の諍いを収めていたのもこの神だ。そして神々の間で一番多く揉め事を起こしていたのがロキという神だ。</p> <p>巨人を親に持つロキだが、神の仲間入りを果たしている。だが世界の終わりには、死者と巨人を率いて神と対立する。ロキははみ出し者のような存在で、神の世界で悪ふざけをしては次々と問題を引き起こした。トラブルを元に神話が展開するので欠かせない神だ。</p> <p>エッダに収められた神話によると、ロキはそれまで起こした数々のイタズラを償うためにフレイに船を贈っている。これがスキーズブラズニルだ。スキーズブラズニルに適う水上の乗り物は存在しなかった。この船は、折りたたんでポケットにしまうこともできたが、組み立てればどんなバイキングの船よりも大きいと言われていた。常に追い風を受けるので帆を調節する必要もなく、瞬く間に目的地に連れて行ってくれた。岸部についても錨を下ろす場所で悩むことはない。折りたたんでポケットに入れられる船は、バイキングの船大工なら誰もが夢みた最高の船だったことだろう。</p> <p>スキーズブラズニルは空想上の乗り物ではなく、古代スカンジナビアの人々が目撃した宇宙船だったのではないかと言われている。その証は、神の一族の道具を作った一族を語る伝説にあるという。</p> <p>北欧神話には、人間のような姿をした背丈の小さな妖精ドワーフが語られていてイーヴァルディの息子たちと呼ばれている。トールやオーディン、その他の神が使ったとされる高性能兵器は、このドワーフたちによって生み出されていた。だがこのドワーフとは、一体何者だったのだろうか?</p> <p>イーヴァルディの息子たちは、小柄な妖精ドワーフだったのか。それとも空想上の生き物だったのか?体が小さかったためにこう呼ばれていただけかもしれない。そして現代では、宇宙人であるグレイ種族は、人より小さいためにドワーフのようだと形容される。高性能兵器を作ったドワーフとは、グレイのことだったとは考えられないだろうか。表現する言葉が見当たらないために、このように呼ばれたのかもしれない。</p> <p>オーディンの槍グングニルもドワーフたちが作ったとされている。グングニルは投げると必ず当たるというハイテク兵器のような武器だった。レーザー誘導方式の巡航ミサイルのように、1度目標を補足すれば狙いを外すことなど決してないのだ。</p> <p>レーザー誘導爆弾や巡航ミサイル、GPS誘導砲弾などの精密誘導兵器は現代が誇る最新兵器だ。これと似た技術をオーディンも持っていたのだろうか。実際のグングニルは、宇宙人によって作られた誘導ミサイルだったのではないだろうか。</p> <p>ではトールが持っていたハンマー・ミョルニルはどうだろうか。このハンマーもドワーフに作らせたもので、恐ろしい破壊力と精度を兼ね揃えており、トールが投げると標的に必ず命中してブーメランのように戻ってくる。トールが、これを振るえば山すらも打ち砕くことができたという。</p> <p>爆発を起こしはしないので、物理的に標的を破壊する物と考えられる。現代で言う運動エネルギー兵器だ。</p> <h4 id="ワームホールの存在">ワームホールの存在</h4> <p>バイキングや北欧の神々は、別の星から来た宇宙人だったのか?</p> <p>ならばどうやって地球に来ていたのだろう。バイキングの伝説に伝わるビフレストという虹の橋に注目してみる。この橋は、人間界と天界を結んでいるという。</p> <p>この橋そのものが、人間と神の間に交流があったということを象徴している。この橋を渡れば神は、自分の世界へ帰ることができるのだという。ビフレストの実態は、ワームホールのようなものだったのではないだろうか。地球にある異次元トンネルの入口から、神の住む世界である別の星へ移動することができたのかもしれない。</p> <h4 id="バイキングの埋葬方法">バイキングの埋葬方法</h4> <p>ノルウェー・トンスベルグ。オスロの南約80kmに位置するこの街には、バイキングの船が使われたオーセベルグ墳丘墓がある。1904年に行われた発掘調査の際には、この船の中から二体の人骨が発見された。年代は9世紀初頭と思われ、初めてバイキングの埋葬儀礼が明らかとなった。</p> <p>スカンジナビア半島全域や、ブリテン諸島、アイスランドにもよく似たバイキングの墓が見つかっており、船の形の墓標が数多く残されている。古代エジプトや中国の人々がそうだったように、バイキングも死者が冥土へ渡れるようにとの思いから船の中に遺体を葬っていたのだろうか?</p> <p>神話によれば、戦で死んだバイキングの戦士は、オーディンの館ヴァルハラに迎えられる。勇ましく生きた者には、報奨として永遠の命が与えられ猛者が集う永遠の宴に加わることが許される。オーディンの壮大な館は、金属の光を放ち、光り輝く外壁に屋根は金で覆われていたという。館の中央部には火が焚かれ、長いテーブルが置かれていた。ここで戦士は宴を開き、宴が終われば戦いを始める。</p> <p>ヴァルハラは、神話に語られた空想上の場所ではなく、宇宙人が乗った宇宙船だったのではないだろうか。死者を船に入れて弔う風習は、神々が大きな金属制の船で天に帰っていったのを真似て死者を天国に送ろうとしていたのだ。</p> <p>考古学的な遺物や当時の文書からは、バイキングが死者を船に入れて埋葬するだけでなく、埋葬用の船を海に浮かべて火を点けたことがわかっている。この儀礼は、死者に敬意を表すために行われていたのか?あるいは古代の祖先が目撃したもの、おそらくは宇宙船が飛び立つ様子を再現したものではなかったのか。</p> <p>ロケットや宇宙船が離着陸する際には、炎や煙が吹き出して大地は揺れ動いたことだろう。これを古代人は目撃していたのだろう。長い年月が経つ内に遺体を荼毘に付すことで、この出来事を再現できると考えるようになったのだろう。</p> <p> </p> <p>破壊力を誇るトールのハンマー、世界を見渡すオーディンの高鞍、地球と天を結ぶ魔法の橋、バイキングの神話は遠い昔に宇宙人が地球を訪れたことを示している。彼らが世界へ進出し始めたのも、宇宙人がきっかけだったとは考えられないか。その答えは、バイキングが眠る墓の中、あるいは古代の石碑に隠されているのだろうか。真実は神が再び戻った時、人類全てに明かされるのかもしれない。</p> ambiguousnews 上杉謙信の一撃を軍配で止めた武田信玄!その腕力がヤバかった!? hatenablog://entry/17680117127103102796 2019-05-02T17:00:00+09:00 2019-05-14T18:15:06+09:00 みんながよく知る歴史の名シーン…実際にはどのような状況だったのかを科学的に検証する!謙信の一撃を軍配で受け止めた信玄の腕力とは?斎藤道三が驚愕した織田信長の長すぎる槍とは?戦国最強と名高い鉄砲の意外な弱点とは?中国大返しに水攻めなど秀吉伝説を科学的に分析してみたら… <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190502160008p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190502/20190502160008.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190502160008p:plain" /></p> <p>みんながよく知る歴史の名シーン…実際にはどのような状況だったのかを科学的に検証する!謙信の一撃を軍配で受け止めた信玄の腕力とは?斎藤道三が驚愕した織田信長の長すぎる槍とは?戦国最強と名高い鉄砲の意外な弱点とは?中国大返しに水攻めなど秀吉伝説を科学的に分析してみたら…</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#科学でツッコむ日本史あの名場面の真実は"> 科学でツッコむ日本史~あの名場面の真実は!?~</a><ul> <li><a href="#武田信玄と上杉謙信の一騎打ち">武田信玄と上杉謙信の一騎打ち</a></li> <li><a href="#信長の長槍の真実">信長の長槍の真実</a></li> <li><a href="#戦国最強の武器は鉄砲-or-弓矢">戦国最強の武器は鉄砲 or 弓矢</a></li> <li><a href="#ヒーローの定番峰打ちの真実">ヒーローの定番!峰打ちの真実</a></li> <li><a href="#中国大返し">中国大返し</a></li> <li><a href="#備中高松城の水攻め">備中高松城の水攻め</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="科学でツッコむ日本史あの名場面の真実は"> 科学でツッコむ日本史~あの名場面の真実は!?~</h3> <h4 id="武田信玄と上杉謙信の一騎打ち">武田信玄と上杉謙信の一騎打ち</h4> <p>時は戦国時代。天下を狙う2人のライバルがいた。上杉謙信と武田信玄、2人の戦いで最も有名なのが川中島の戦い。戦国時代で1、2を争うこの戦いで、ある逸話が残っている。</p> <p>それは、馬に乗った謙信が武田の陣に突入!信玄と一騎打ちに。そこで謙信の振り下ろす刀を、信玄が軍配で受け止めたというのだ。映画でも描かれる戦国時代を代表する名シーン。実際にはどのような状況だったのか?</p> <p>科学的に分析すると、まず上杉謙信が持っていた刀(典厩割国宗)は、一般的な刀より30cmも長く、重さは推定1.7kg。また馬に乗った状態で斬っているため、普通に斬るよりも威力があったと推測される。</p> <p>ちなみに戦国時代に武将が乗っていた馬は、サラブレッドではなく日本の馬(木曽馬)。武将を乗せてのトップスピードは時速30kmと言われている。だが一騎打ちの現場は、武田軍の陣営の中。今回は半分の時速15kmで、物理の法則に当てはめて衝撃力を計算する。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190502135941p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190502/20190502135941.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190502135941p:plain" /></p> <p>これが衝撃力を求める物理の公式だ。刀の重さは1.7kg、馬の速度は時速15km、達人の刀の速度は重心位置で時速65km。衝撃吸収距離とは、インパクトから実際に衝撃を止めるまでの距離のこと。今回は5cmに設定。</p> <p>そこから導き出される衝撃力は、なんと840kg。あくまで理論上の数値だが、これはプロボクサーのパンチの3倍の威力。刀でもろに受ければ当然、人の体はひとたまりもない。</p> <p>こんな衝撃、軍配なんかで受け止められるはずがないと誰もが思うだろう。だが信玄が持っていた軍配は、鉄でできていたので受け止めたとしても不可能ではないと言われている。だが重要なのは、信玄の腕力!謙信の一撃を受け止めたということは、ごく短い時間だが、片手で840kgの物を持ち上げられるということ。両腕ならおよそ1.7tだ。</p> <p>つまり川中島の戦いの逸話から浮かび上がる武田信玄像は、ベンチプレス1.7tを持ち上げられる男だということ。人気ゲーム、戦国BASARAのキャラ設定もあながち間違っていないのかもしれない(笑)。これはあくまで、文献を元に計算してみたもので、真実はわからない。だが誰も不可能と断定することもできない。これこそ日本史のロマンなのだ。</p> <p>㊟この計算式の鍵は、衝撃吸収距離。今回は謙信の刀が軍配に当たってから、信玄がそれを受け止める距離を5cmで計算しているが、仮に10cmだった場合は半分の420kgになる。この距離が長ければ長いほど、威力は弱まっていくので絶対に不可能という数字ではなくなっていく。</p> <h4 id="信長の長槍の真実">信長の長槍の真実</h4> <p>日本人なら誰もが知る織田信長。その信長が「美濃のマムシ」と呼ばれ恐れられていた斎藤道三と初めて会った時のこと。当時「たわけ」とバカにされていた信長は、型破りな格好で兵を引き連れ、待ち合わせの正徳寺へ向かっていた。</p> <p>その様子を陰に隠れてこっそりと見ていた道三は、信長の足軽隊が持っていた槍のあまりの長さに恐れおののき、本来は討ち取るつもりだったはずが、逆に味方することに決めたという名シーンだ。果たして信長の長槍とは?</p> <p>戦国時代の槍の材料は竹。槍と言えば1本の硬く重たい木からできているイメージだが、細く長く木を削り出すのは難しくコストもかかる。しかも硬い方が逆に折れやすくなるため竹が使われたのだ。</p> <p>重さは約2kg。女性でも十分に扱える重さになっている。これは戦国時代の足軽部隊に女性も混じっていたため。一級資料の『雑兵物語』には、劣勢になっても女性の方が粘り強く戦ったと記されているのだ。</p> <p>槍は突くのではなく、主に叩いて使われた。理由は突いた時に先端がしなり、目標を的確に捉えることが難しいうえ、鎧を貫通するほどの威力も出せないため。最期にトドメを指す時だけ、短く持って急所を突いていたと考えられている。</p> <p>信長の長槍は、通称「三間半槍」と呼ばれる。一般的な槍の長さは3~4m、対して信長の長槍はなんと6m以上。およそビルの3階に到達する長さだ。果たしてこの槍で叩いた威力とは?</p> <p>6mの高さから槍を振り下ろした際、落下速度にしなりが加わりインパクト直前のスピードは時速90km、槍の重さは2.5kg。今回の衝撃吸収距離は、槍のしなりを考慮して20cmと設定。まともに当たれば、その衝撃は計算上およそ1.3t。これは一瞬とはいえ軽自動車2台が、乗りかかってきた威力だ。</p> <p>だが信長以降、この槍が広まったという資料は見つかっていない。一発の威力はすごいが、持ち運びや操作性に難があったのだろう。</p> <h4 id="戦国最強の武器は鉄砲-or-弓矢">戦国最強の武器は鉄砲 or 弓矢</h4> <p>鉄砲と言えば「長篠の合戦」で信長の鉄砲隊が、戦国最強と言われた武田の騎馬隊を粉砕したエピソードをはじめとし、当時最強の武器だと名高いが…。</p> <p>実は当時の鉄砲の弾は、まっすぐ飛ばなかった。現在の銃の銃身には、ライフリングと呼ばれるらせん状の溝が掘られている。弾丸が発射される際、この溝の影響で回転がかけられ、まっすぐ飛ぶ仕組みだ。</p> <p>一方で、戦国時代の鉄砲にはこの溝が掘られておらず、銃弾もきれいな球体のため無回転で飛んでいたと考えられる。そのため、発射してから約70mは勢いでまっすぐ飛ぶが、それより先は空気抵抗によってサッカーの無回転シュートのように、どこに飛ぶかわからない武器だったのだ。</p> <p>対する戦国時代の飛び道具と言えば、弓矢。鉄砲ほどの威力はないが、長距離用の弓ならば最大射程400mと十分な飛距離で鉄砲(500m)と比べてもそこまで遜色はない。しかも100mほどの距離ならば、狙った所に飛ばせるだけでなく連射性も圧倒的に高いため実際、戦国時代最強の武器は弓矢だったと言っても過言ではないのだ。</p> <h4 id="ヒーローの定番峰打ちの真実">ヒーローの定番!峰打ちの真実</h4> <p>時代劇やアニメに出てくる峰打ち。実際に存在したのだろうか?</p> <p>日本刀は、刃の部分は衝撃に対して非常に強く作られているが、実は峰に衝撃が加わるとすぐに折れてしまう。これは、刀の形に秘密がある。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190502145226j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190502/20190502145226.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190502145226j:plain" /></p> <p>日本刀の断面は、独特の鎬造りという手法が使われている。この鎬造りと反りを入れたことで、圧倒的に斬りやすくなったのだが…。鎬造りは逆方向からの衝撃に弱いだけでなく、峰打ちすると反りが仇となり衝撃が1点に集中するため、驚くほど簡単に折れてしまう。</p> <p>また、本来相手を殺さないための峰打ちだが、忘れてならないのが達人が刀を振るスピード。刀の先端は時速130kmにおよび、しかも生身は衝撃吸収距離がほぼなく、すぐ骨に達してしまう。例え刃が付いてなかろうが、頭や首に当たれば死に至る。それでなくても骨折は免れない。</p> <h4 id="中国大返し">中国大返し</h4> <p>1582年6月2日「本能寺の変」で信長が、明智光秀によって討たれる。この時、秀吉は京都からおよそ200km離れた毛利氏の備中高松城を攻めている真っ最中だった。だが翌日にその情報を掴んだ秀吉は、すぐさま毛利と和睦を結び、速やかに京都へ出発している。</p> <p>なんと秀吉は出発してからわずか1週間後、京都の山崎で明智勢を倒し信長の後継者として天下統一を成し遂げた。およそ2万人の兵が、200kmの道のりを1週間で走破した逸話、これが秀吉の伝説の1つとして名高い「中国大返し」だ。</p> <p> 200kmを7日で移動したとすると、1日あたり30kmしか移動していない。1日8時間移動したとしても時速4kmぐらいの計算になる(時速4kmは人の歩く平均速度)。全力で走ってきたというわけではない?そんなに大したことではなかったのか?</p> <p>実は「中国大返し」で大活躍したのが石田三成。当時、軍の編成には小荷駄隊という食料や武器を運ぶ後方支援部隊が存在し、三成はこれを取り仕切っていた。この小荷駄隊の重要な役割は食料の調達。2万人の兵が200km移動するにあたり、三成は軍より先行し、行く先々で食料の準備をさせ兵のコンディションを保ったという。</p> <p>この2万人の食事、言葉にすれば簡単だが1日あたりおにぎり1つだったとして、7日分だと14万個必要。お米に換算してなんと56000合。米俵で140俵だ。この三成の支えなくして、秀吉が天下人に上り詰めることはありえなかった。</p> <p>凄かったのは、移動速度ではなく移動しながらの食料調達だったのだ。 2万人の食事を移動しながら用意するということは、現代の訓練された軍隊でも難しいという分析もある。人数を盛っていた可能はあるかもしれないが伝説に相応しいエピソードだ。</p> <h4 id="備中高松城の水攻め">備中高松城の水攻め</h4> <p>後に堀を中央に配置し、水の都・大阪を作りあげた秀吉は土木工事の達人だった。戦でそのセンスが存分に発揮されたのが水攻め。敵の城の周りに堤防工事をしたうえで、川から水を流して湖を作り、城を孤立させ餓死させるという恐ろしい戦術だ。</p> <p>中でも有名なのが「中国大返し」の時に攻めていた備中高松城の水攻め。堤防は長さ2.8km、幅16.2m、高さ7.2mと文献どおりならば巨大なサイズだ。これをなんと2週間で作り上げたという。</p> <p>この水攻めに使われた資材を運ぶには10tトラックが6万台必要。一般的な10tトラックは、全長12m。6万台なら長さは、なんと720km。大阪から一列に並べると熊本城まで渋滞してしまう長さだ。資材調達能力はもちろん、現場の地形を見て驚くほどの早さで作り上げてしまう秀吉の土木建築センス。まさに戦国一の出世頭と呼ばれ、天下を取るに相応しい才能だったに違いない。</p> <p>自然の地形を利用すると最小限の力で実現できたとも言われており、多少盛られているのは、歴史書のあるあるなのかもしれない。</p> ambiguousnews 本当は違う魔王の正体!?明らかになる織田信長の真実! hatenablog://entry/17680117127077056781 2019-04-25T17:00:00+09:00 2019-04-25T17:00:22+09:00 旧態依然とした室町幕府を倒し、新たな時代を切り開いた戦国の革命児…そんな織田信長のイメージが近年、覆されはじめている。主流となりつつあるのは『朝廷や幕府の権威』を守ろうとする、まじめで保守的な織田信長像。 実は最後の室町将軍・足利義昭の政権維持のために懸命に奔走していた。将軍の天下のために戦えば戦うほど、同盟者に裏切られ苦境に陥る信長。マジメすぎた戦国の『魔王』の姿に迫る! <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190425163257p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190425/20190425163257.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190425163257p:plain" /></p> <p>旧態依然とした室町幕府を倒し、新たな時代を切り開いた戦国の革命児…そんな織田信長のイメージが近年、覆されはじめている。主流となりつつあるのは『朝廷や幕府の権威』を守ろうとする、まじめで保守的な織田信長像。</p> <p>実は最後の室町将軍・足利義昭の政権維持のために懸命に奔走していた。将軍の天下のために戦えば戦うほど、同盟者に裏切られ苦境に陥る信長。マジメすぎた戦国の『魔王』の姿に迫る!</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#世にもマジメな魔王織田信長の真実を最新研究が語る"> 世にもマジメな魔王!織田信長の真実を最新研究が語る</a><ul> <li><a href="#室町幕府の復興">室町幕府の復興</a></li> <li><a href="#天下布武の本当の意味">「天下布武」の本当の意味</a></li> <li><a href="#義昭と信長の関係">義昭と信長の関係</a></li> <li><a href="#比叡山焼き打ち">比叡山焼き打ち</a></li> <li><a href="#将軍義昭の不正を正す">将軍義昭の不正を正す</a></li> <li><a href="#魔王と呼ばれた訳">魔王と呼ばれた訳</a></li> <li><a href="#朝廷の権威をよりどころにした天下"> 朝廷の権威をよりどころにした天下</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="世にもマジメな魔王織田信長の真実を最新研究が語る"> 世にもマジメな魔王!織田信長の真実を最新研究が語る</h3> <p> 抜群の人気を誇る信長だが、意外にも謎に包まれた武将と言えるかもしれない。実は信長は、関係する史料が比較的少ない人物だ。例えば、出したり受け取ったりした手紙で残っているのは1500点ほど。秀吉(8000点)や家康(4000点)の半分ほどでしかない。</p> <p>そのため信長のイメージの多くは、江戸時代以降に書かれた創作物から来ている。それが研究にも影響を与えてきた。そんな中、5年ほど前から注目されているのが、直接関係する史料から信長像を見直す動きだ。</p> <h4 id="室町幕府の復興">室町幕府の復興</h4> <p>信長が朱印に刻みスローガンとしてきた「天下布武(てんかふぶ)」。この言葉は、これまで武力による全国統一を意味するとされてきた。乱世に全国統一を宣言するという英雄・信長の野望。ところがこのスローガンが押された書状(名古屋市の熱田神宮所蔵)の内容は、野望とは程遠いものだった。</p> <p>そもそも書状は、朝廷に宛てたもの。さらに内容は、朝廷からの贈り物に感謝しつつ、領地回復という先方の願いを叶えることを約束している。つまりこの手紙は、古くからの権威である朝廷への敬意が表れたもの。そこに押すハンコで、武力による全国統一を宣言するとは、なんだかおかしくないだろうか。</p> <p>通説では、1565(永禄8)年、足利義昭からの書状が信長に届く。義明は、父・義晴と兄・義輝は元将軍という由緒ある家柄の人物。各地を流浪しながら将軍の座を狙って、大名たちに強力を要請していた。</p> <p>この義昭について大正時代の歴史書には、「信長は義昭の自由を奪い実体のない将軍とした」とある。信長が、義昭を利用したというのだ。ところが直接関係する史料からは、信長のこうした姿勢は伺えない。</p> <p>義昭は、信長以外にも強力を求める書状を多くの大名に出している。ところがその要請に本気で応えた形跡があるのは、信長一人なのだ。信長は、義昭に自らの決意を記した返事を送っている。</p> <p>「ご入洛につき記された御内書、謹んで受け取りました。私は、義昭様の命令次第でいつでもお供する覚悟です」</p> <p>史料をそのまま読むと、義昭に尽くそうとする信長の姿が見えてくる。</p> <h4 id="天下布武の本当の意味">「天下布武」の本当の意味</h4> <p>実はあの「天下布武」も「武力での天下統一」を意味しないという説が有力になっている。その根拠は「天下」という言葉の当時の意味だ。この頃、日本に滞在したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、「五畿内の領主が『天下の領主』と呼ばれる」と記している。</p> <p>なんと「天下」は、全国という意味ではなく「五畿内」、つまり京都に近い限られた地域を指す思われる。これを踏まえ「天下布武」とは、「将軍が京にいられるように支える」という信長の決意を表すと考えられる。</p> <p>自分の武力で義昭を京に連れて行き、荒れ果てた都を元の姿に戻す。将軍が安んじて京都にいる状態を実現する、「将軍の天下に武を布く」というスローガンだったのだ。</p> <p>そして、もう1つ信長の史料に多く出てくるスローガンがある。それは「天下静謐(てんかせいひつ)」。室町幕府の正当な将軍が、「天下」つまり京都周辺を昔のように穏やかに治めているという意味だ。それが信長の理想だったと思われる。</p> <h4 id="義昭と信長の関係">義昭と信長の関係</h4> <p>義昭の手紙を受け取ってから3年後、力をつけた信長はいよいよ動き出す。軍勢を岐阜から進め、敵対勢力を蹴散らしながら京へ上った。そして、ひと月あまりで天下を支配していた三好氏を追い払った。</p> <p>その直後、義昭は朝廷から晴れて征夷大将軍に任じられている。この頃の信長と義昭の関係についてある僧侶が残した言葉がある。</p> <p>「義昭様の入洛に織田信長が付き従った」</p> <p>そこから読み取れるのは、上洛の主体はあくまで義昭だったということだ。こうして将軍が3年ぶりに京都に戻ったことで、「天下静謐」という理想に一歩近づいた義昭と信長。義昭は、最大の功労者である信長に心からの感謝の意を示している。</p> <p>「信長殿、わしはそなたを父のように思っている。そなたがいてこその義昭じゃ」</p> <p>ところが、史料によると信長はこんなことを言い出す。</p> <p>「天下布武も相成りましたるうえは、岐阜に立ち返り己の領地を治める身に戻りとう存じます」</p> <p>全国統一の野望どころか、自分の国に戻ると言い始めた。すると…</p> <p>「もはや御父は都におってくれぬのか?子であるわしを見捨てると申すか…」</p> <p>義昭は、信長に傍に居て欲しいと頼んだ。二人が信頼関係で結ばれていたことがわかる。</p> <p>信長が帰国して二ヶ月後、急ぎの報せがもたらされる。三好の軍勢に迫られて危機にひんした義昭を救うため、信長は京へと急いだ。降りしきる雪の中、先頭を駆けていく信長。軍勢が必死で追いかけたと言われる。</p> <p>岐阜から京都までの120kmあまりをわずか一昼夜で駆け抜けた。この事件をきっかけに信長が義昭のために造ったものが、近年発掘されている。それは城。大きさはおよそ400m四方。後に徳川家が築いた二条城と比べても遜色ない大きさだ。二重の堀をすべて石垣で固めた厳重な造りだった。</p> <p>史料から浮かび上がってきた新たな信長像。それは戦国乱世に室町幕府を中心とした秩序を取り戻そうとする、少し意外なものだった。</p> <h4 id="比叡山焼き打ち">比叡山焼き打ち</h4> <p>1571年、信長による比叡山焼き打ち。死者は3000人に上ったと伝わっている。この出来事によって「残忍な独裁者」という信長の悪いイメージが定着した。信長はなぜ焼き打ちを行ったのか?実は、そこにも将軍に忠実に使える信長の意外な姿が浮かび上がる。</p> <p>義昭が上洛した翌年、室町幕府が天下を正しく治めるという目的のため、義昭と信長は本格的に動き始める。信長がまず行ったのが、武力で各地の大名を打ち破ることではなく、義昭の意を受け各地の敵対する大名同士を和睦させることだった。</p> <p>そのために書状を出している。例えば、川中島で何度も死闘を繰り広げた武田信玄と上杉謙信。さらには、九州北部をめぐって争っていた毛利元就と大友宗麟。和睦の呼びかけは全国に渡った。</p> <p>一方、将軍の権威に従わない勢力に対し過激な姿勢を示したのは義昭だった。1570年4月、武藤氏の討伐という義昭の命を受けた信長は若狭の国へ遠征する。武藤氏は、若狭出身の義昭側近と対立関係にあったと思われる。信長は、あくまで義昭の命令で攻撃するのであって、そうではない形での軍事行動はしない。天下静謐を乱すことはやめろと言ったにも関わらず、それに従わないので信長が軍事力を行使して討つという流れだ。</p> <p>ところが、この義昭の指示が思いがけない方向へ波及する。若狭の武将・武藤氏の背後に越前の有力戦国大名・朝倉義景がいたのだ。こうして義昭の命令で始まった戦いは、織田と朝倉の全面対決となった。</p> <p>さらに…浅井長政が謀反を起こす。浅井長政は、信長の妹・お市の夫で同盟の相手。それが朝倉と通じ敵に回ったのだ。信長は、二人の強者に挟み撃ちにされた。信長の生涯最大のピンチと言われた状況、それは自らのせいというより、義昭に従ったため起きたことだったのだ。</p> <p>この時は、なんか生き延びた信長。しかし、その直後、義昭のために生涯消えない汚名を負うことなる。若狭攻めの三ヶ月後、四国に追いやられていた三好の軍勢が、再び都に攻め上がろうとした。この事態を受けて義昭が動いた。</p> <p>義昭は、またも信長の軍勢を中心とする3万とも言われる兵を動かし、三好に備えた。一方の三好も味方を募った。大坂本願寺や延暦寺、浅井朝倉などを自らの陣営に引き入れた。この時、浅井と朝倉が近江から都に向けて進軍、琵琶湖のほとりで織田方の軍勢との戦いが起きた。この事態に信長も救援に向かった。</p> <p>劣勢となった浅井朝倉の連合軍は、近くの寺に逃げ込んだ。信長に焼き打ちされることとなる比叡山延暦寺だ。信長は、延暦寺と粘り強く交渉した。</p> <p>「私たちに強力してくれるなら、かつての延暦寺の領地を回復させましょう。それができぬなら中立を守ってほしい。もしもこのまま、浅井朝倉の味方をするのなら焼き打ちせざるをえない」</p> <p>ところが延暦寺は、一切返答しない。信長は待った。そして1年近く経ったころ…比叡山焼き打ちを決める。天下静謐を保つための苦渋の決断だった。だが、当時の人々は厳しく批判した。こうして天下静謐のために働いた信長は、残忍な征服者のイメージを纏うことになったのだ。</p> <h4 id="将軍義昭の不正を正す">将軍義昭の不正を正す</h4> <p>義昭が、寺社や公家衆の所領を好き勝手に掠め取っているという噂が流れる。</p> <p>「平野神社の領地は義昭のものにされた。それを家来に与えたようだ」(言継卿記)</p> <p>世を正しく治めるべき将軍が、他人の土地を自分のものにしたという噂。マジメに天下静謐を目指す信長にとって許しがたいことだった。信長は、合わせて21か条にも及ぶ、義昭の行動規範を定めた。寺や神社の領地を勝手に奪うことを禁じた。他にも、義昭が理由なく金品を求めることを禁じたり、朝廷へきちんと貢献することなどを求めた。天下静謐のためであれば、義昭に対しても態度を変えないマジメな信長。</p> <p>しかし、次第に義昭は信長を疎ましく感じるようになっていったようだ。さらにその反感は、それまで信長が良好な関係を保っていた各地の勢力にも広がった。同盟関係にあった武田信玄も、信長と袂を分けた。</p> <p>1573年2月、ついに将軍・義昭が、信長の敵対勢力と結ぶことを決める。この時、信長が義昭の側近に送った手紙がある。</p> <p>「義昭様に丁寧にご説明申し上げようと思っています。共に天下を再興することが、私の心からの望みなのです」</p> <p>自分が、義昭に裏切られるとは夢にも思っていなかった信長。しかし、人一倍マジメであったが故に、周囲との距離は離れていく一方だった。</p> <h4 id="魔王と呼ばれた訳">魔王と呼ばれた訳</h4> <p>宣教師ルイス・フロイスによると…。</p> <p>信長のもとに、袂を分かった武田信玄の手紙が届いた。その署名に「天台座主 信玄」とあった。天台座主とは比叡山延暦寺のトップのこと。信玄は、比叡山を焼き打ちした信長を強烈に皮肉ったのだ。</p> <p>これに対して信長は、返信に「第六天の魔王 信長」と署名した。仏道の修行を妨げる神のことだ。売り言葉に買い言葉で返した言葉が、後世恐ろしいイメージにつながるとは、本人も思っていなかったはずだろう。</p> <h4 id="朝廷の権威をよりどころにした天下"> 朝廷の権威をよりどころにした天下</h4> <p>共に天下静謐を目指して5年近く、ついに足利義昭は信長に対して兵を挙げる。信長はやむなく義昭が籠る城に攻めかかった。そして2日後。信長の家臣団の前に連れ出された義昭。家臣たちが覚悟を決めろと凄むなか、信長は義昭の命は奪わずに追放した。</p> <p>この結果240年近く続いた室町幕府は事実上滅亡し、新たな時代が始まる。この時、信長は難しい課題に直面する。将軍を追放した結果、天下静謐のよりどころがなくなってしまったのだ。</p> <p>そこで信長が頼みにしたのは朝廷だった。信長は当時、経済的に苦しかった朝廷のため奔走を始める。天皇家や公家の領地を一から調べ、長い戦乱で奪われた土地があれば、それに代わるものを補償した。</p> <p>信長はこれ以降、朝廷という権威をよりどころに天下静謐を目指すことになる。朝廷は信長の働きを評価し、「右近衛大将」という義昭を上回る高い官職を与えた。信長は「天下」つまり京都周辺の敵対勢力と戦いを続け、さらに7年かけて30近い国を支配下に治めた。</p> <p>ついに戦国の覇者となった信長。それはひたすらに天下静謐を追い求めた結果だったのだ。ところが、この頃から信長に不可解な行動が見られるようになる。全くぶれなかった信長に生じたきしみ。それは、突然の死の1年ほど前のこと。</p> <p>信長が決めた四国攻めだ。そのころ、四国で勢力を広めていたのが、土佐の長宗我部元親。かねてから信長に承認を得て、四国全域へと勢力を広めていた。長宗我部氏は、天下静謐に敵対的なことをしたわけではないのに、信長がそこに介入していったというのには違和感を覚える。</p> <p>5年前に信長の四国攻めをめぐる書状が発見された。信長のある家臣が元親に出したものだ。</p> <p>「元親様のご不満はもっともなこと。どうか穏やかなお気持ちを保ってください」</p> <p>元親を懸命になだめようとしていたのは、信長から元親との仲介を任されていた明智光秀だった。それまで信長を支えてきた光秀。天下静謐と矛盾する行動を強いられた時、一体何を思ったのか。</p> <p>1582年6月2日、信長の命で四国攻めが始まろうとしていたまさにその日。信長は明智光秀の裏切りにあう。天下静謐に誰よりもマジメに向き合った織田信長。四国攻めのその先に、一体どのような天下を思い描いていたのか?永遠の謎となった。</p> <p>織田信長の死から437年、今私たちが思い描く信長像は、史料が示す姿と一致しない。葬儀が行われた大徳寺で、その謎に迫る手がかりが見つかった。信長の肖像画だ。近年、修理が行われ意外な事実が浮かび上がった。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190425154454j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190425/20190425154454.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190425154454j:plain" /></p> <p>表に描かれた信長は、薄い水色と茶色の控えめな衣装を身にまとい、腰には脇差を1本差している。ところが、その下に描かれていたのは、左右で色が違う豪華な衣装、刀は大小2本を差している。さらに赤外線をあてて調べてみると髭の形を変え、威厳を消し去る修正が施されていた。</p> <p>一体、誰がなぜこのように描き変えさせたのか?絵の制作年代などから指示を出したのは、信長の後に天下人となった豊臣秀吉と見られている。もう自分の治世だからということで、地味な作品へと描き直させたのだ。信長に対するコンプレックスの結果だったのかもしれない。</p> <p>これ以降、信長の悪いイメージが形作られていく。江戸時代初めに記された秀吉の伝記。</p> <p>「信長公が家臣に領地を与えるやり方は、帳尻が合わないものだった」</p> <p>200年後の江戸後期には、残忍なイメージが語られるようになった。鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。信長ならばこう詠むだろうと作られた歌が世に広まる。ところが、明治になると信長は一転、英雄になる。</p> <p>朝廷を支えた信長は、天皇中心の国づくりを進めた明治新政府にとって好都合だったのだ。教科書でも信長の忠誠心が強調され、それは太平洋戦争が終わるまで続いた。こうして英雄と悪役を行き来する信長像が形作られたのだ。</p> <p>そして今、私たちは本物の信長像に迫ることができたのだろうか?信長の研究に終わりはない…</p> ambiguousnews ノートルダム大聖堂に残された謎!錬金術師にしか読み解けない秘密の暗号! hatenablog://entry/17680117127041949168 2019-04-18T17:00:00+09:00 2019-04-18T17:00:01+09:00 先日、ノートルダム大聖堂が炎上!というニュースが流れました。名前は知っているけどノートルダム大聖堂って何なんだろう?と思ってザッピングしていたら、岡田斗司夫さんが解説している動画を見つけたので視聴。ちょっと難しかったけどまとめてみました。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190418132207p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190418/20190418132207.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190418132207p:plain" /></p> <p>先日、ノートルダム大聖堂が炎上!というニュースが流れました。名前は知っているけどノートルダム大聖堂って何なんだろう?と思ってザッピングしていたら、岡田斗司夫さんが解説している動画を見つけたので視聴。ちょっと難しかったけどまとめてみました。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#本当は怖いノートルダム"> 本当は怖いノートルダム</a><ul> <li><a href="#ノートルダムの鐘原作">ノートルダムの鐘(原作)</a></li> <li><a href="#ノートルダムの鐘ディズニー">ノートルダムの鐘(ディズニー)</a></li> <li><a href="#原作者ヴィクトルユゴー"> 原作者ヴィクトル・ユゴー</a></li> <li><a href="#ノートルダム寺院は石の書物"> ノートルダム寺院は石の書物</a></li> <li><a href="#フリーメーソンの誕生">フリーメーソンの誕生</a></li> <li><a href="#なぜ錬金術は秘密にされたのか"> なぜ錬金術は秘密にされたのか?</a></li> </ul> </li> <li><a href="#おまけノートルダムドパリのネタバレ">おまけ(ノートルダム・ド・パリのネタバレ)</a></li> </ul> <h3 id="本当は怖いノートルダム"> 本当は怖いノートルダム</h3> <h4 id="ノートルダムの鐘原作">ノートルダムの鐘(原作)</h4> <p>ディズニーによって映画化されていたり、劇団四季によって舞台化もされているノートルダムの鐘。聞いたことはあるけど、どんな物語か詳しくは知らないという方も多いと思う。</p> <p>原作はユゴー作の「ノートルダム・ド・パリ」。結構な長編で読み切るのは、苦痛というくらい面白くないという。これは、当時のフランス人にしかウケない内容になっているためで、現代の私たちには、少々刺激が少ないためだ。</p> <p>原作を読まずに内容を理解するには、「トキメキ夢文庫 ノートルダム・ド・パリ」という本がおすすめで、漫画とイラストで小学6年生までの漢字で読めるようになっている。さらに100分 de 名著の『ノートル゠ダム・ド・パリ』をガイド替わりに使うとよりわかりやすい。</p> <p>後に映画やアニメにされた時には、この原作がメチャクチャに入れ替えられているので、原作を知っておくと面白いと言う。ではどの部分が変えられているのだろうか?</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190417154244j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190417/20190417154244.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190417154244j:plain" /></p> <p>この本の何がいいのかというと、シンプルな登場人物の関係図が出てくるところ。右上が愛の象徴・エスメラルダ。右下がフロローというノートルダム寺院の司教補佐。左下がカジモドというせむし男。左上がイケメンでリア充のフィーバス護衛隊長。このフィーバス隊長には婚約者がいるということは、映画版やディズニーでは全て省かれている。</p> <p>エスメラルダが純粋に愛を捧げる男のゲス男っぷりというのは、本当は描かなければならないのだが、それを描くと映画やミュージカルにならないので全て飛ばしているという。この関係図が冒頭にあることで、凄くわかりやすくなっている。</p> <p>もう1冊の100分 de 名著の方は、ユゴーの作品に対する分析は浅い。だが、当時のパリの情景や、なぜこの作品が書かれたのかという背景はかなり深い。この中ではっきりと書かれているのが、これはアイドルに恋をした2人のオタク青年の話であるということ。中心のテーマは、モテない男の愛は報われないということなのだ。</p> <p>フロロー司祭もカジモドもエスメラルダを愛してしまうのだが、エスメラルダは見た目がいいという理由だけでゲス男であるフィーバス隊長を好きになってしまい、それは最後まで少しも変わらない。</p> <p>ではなぜこんな話を書くのかというと、怪物が美女に恋をしても悲劇しか生まないということなのだという。これをわかりやすく映画にしたのが「ノートルダムのせむし男」になる。さらにこれを方案すると「キングコング」になるという。</p> <p>カジモドがエスメラルダをさらってノートルダムの塔をどんどん登るというのは、キングコングがヒロインをさらってエンパイヤステートビルを登るというシーンでオマージュされている。</p> <h4 id="ノートルダムの鐘ディズニー">ノートルダムの鐘(ディズニー)</h4> <p>1996年ディズニーによってアニメ映画化された。劇団四季のミュージカルもこれが元になっているので、劇団四季のミュージカルを見てユゴーのノートルダム・ド・パリをわかったと思ってはいけない。</p> <p>ディズニーアニメでの最大の変更点は、ハッピーエンドとカジモドにガーゴイル(石像)の友達がいるという点。さらにフィーバス隊長をヒーローにしたため、嫌な奴ではなくなっている。</p> <p>原作では、理性の人であり錬金術師でもあるフロロー。そんなフロローが、ジプシー娘に恋をしてしまうという矛盾がフロローの面白さだったのだが、ディズニー版ではこれをバッサリと切って単なる悪役にしてしまった。</p> <p>カジモドは原作では、体が奇形というだけでなく、鐘を突いているので耳が聞えなくなっている。さらに性格は意地悪だとはっきりと書かれている。そんな見た目も中身もひどい男が、純粋にエスメラルダに恋をしてしまったというのが面白さになっている。</p> <p>だがディズニー版では、それらの設定を全て切り捨て、心の綺麗なモンスターとしている。ラストシーンでは、悪役であるフロローがカジモドとエスメラルダを塔の上から突き落とすのだが、原作ではこれが逆になっている。</p> <p>全体の話は、ピノキオにフランケンシュタインを足したような感じになっているという。ゼベットじいさんに育てられたピノキオが人間になりたいと冒険するのがピノキオだが、ノートルダムの鐘では、錬金術師のフロローに育てられた怪物カジモドが、最後には育ての親であるフロローを殺してしまう。</p> <p>ピノキオとフランケンシュタインの話を合わせたものを、ハッピーエンドのミュージカルにしてしまうという荒業で仕上げてしまったのがディズニーなのだ。モテない男は報われないという原作をどうにかして、そうではない話にしようと試行錯誤した結果、たどり着いた答えだった。</p> <h4 id="原作者ヴィクトルユゴー"> 原作者ヴィクトル・ユゴー</h4> <p>ノートルダムの鐘を書いた時は、まだ29歳。若い頃から好機に恵まれトントン拍子に出世していく。当時フランスは、時代がどんどん切り替わっていく最中で、王政⇒フランス革命⇒ナポレオン登場⇒王政復古⇒ナポレオン三世⇒共和制と流れていった。ユゴーはだいたいどの権力とも揉めながら、最終的には和解して勲章をもらったりしている。</p> <p>そのため、他国での亡命生活が長かった。代表作のレ・ミゼラブルを書いた時は、イギリスに亡命しており、作品が売れたのか気になったユゴーが出版社に『?』1文字の手紙を送ったというのは有名なエピソード。</p> <p>レ・ミゼラブルはフランス革命を英雄的に書いたもので、ユゴー自身も英雄として国葬された。ユーロになる前の5フランの紙幣に描かれていたほど。国民から尊敬されるフランス文学の父だ。</p> <p>ノートルダムの鐘は、1482年という時代設定で書かれている。これは、ユゴーが作品を書いた350年前になる。ものすごく古い時代劇として書かれたのだ。舞台となったフランスでは、グーテンベルグが聖書を印刷した時代、カトリック教会が神は教会にいると言っていた時代から、聖書の言葉の中にいる、私たちの心の中にいるとなっていった時代になる。</p> <p>その後、ルターによるプロテスタントが始まる。その運動によってノートルダム大聖堂をはじめとするゴシック教会は、破壊されてしまう。さらにフランス革命の後、キリスト教への風当たりが強くなり、ノートルダムは悪の要塞とされ内部を徹底的に破壊された。</p> <p>この頃のユゴーの心情は複雑で、フランス革命の理性が全てということは共に運動していたので信じていた。だが、その後のナポレオン混乱期というのは大嫌いなのだ。古いパリが好きで、合理主義者にノートルダム寺院を破壊されるもやはり嫌だった。</p> <p>当時、フランス政府によりノートルダム寺院破壊は、決定していた。だが、反対者たちの活動により実行は、先伸ばされている状況だった。そんな時に、ノートルダム寺院は必要だとプレゼンするために書かれたのがノートルダム・ド・パリだった。</p> <p>フランス国民にフランス革命の合理主義をちゃんと説明した上で、ノートルダム寺院は必要だと説明しなければならなかった。そのために登場人物であるフロローの口を借りて、ノートルダム寺院を石の書物と言わせたのだ。</p> <p>紙の書物というのは、誰にでもわかる言葉で書いてある。それは印刷ができて複製ができ、パリに住んでいなくても世界中のどこでも読める。ネットがあれば本なんて無くてもいいという風潮と似ている。</p> <p>ユゴーは、そうではなくてパリに住んでノートルダム寺院を見なければわからないこともあると主張したのだ。ではユゴーが残そうとした石の書物とはなんだったのだろうか?</p> <h4 id="ノートルダム寺院は石の書物"> ノートルダム寺院は石の書物</h4> <p> <img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190417174353j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190417/20190417174353.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190417174353j:plain" /></p> <p> 特徴的な形をしていて上から見ると十字架の形をしている。これが建物でなく、書物であったというのがユゴーの考え方だ。20世紀フランス最大のヘルメス学者として知られるフルカネリ(偽名)は自身の著書で、ノートルダム寺院やヨーロッパ各地のゴシック寺院に掘られているレリーフは、一見キリスト教の聖人やエピソード集に見える。だがそこには、錬金術師だけにわかる記号や方程式が隠されていると書いている。これを神秘主義、別名ヘルメス主義と呼ぶ。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190417175225j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190417/20190417175225.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190417175225j:plain" /></p> <p>寺院の入口に掲げられたレリーフには、聖母マリアが掘られている。なぜ聖母マリアだと言えるのかというと、女性が王座に座っているため。もともとノートルダムという寺院そのものが、聖母マリア教会なのだ。</p> <p>ノートル(我々の)ダム(女性)という意味で、ノートルダムは聖母マリアを指している。ノートルダム寺院はキリストを形の上で祀っているが、キリスト教寺院ではない。左手に持っている杓は世界の統治権を表しており、マリアが現実世界の王として君臨しているのを意味している。</p> <p>右手には2冊の本を持っている。1冊は開かれており、もう1冊はベルトで封印されている。開かれている本は、顕教を表しており、閉じられた本は密教を表している。開かれいる本は、誰にでも開かれている聖書であってキリスト教。閉じられている本は、一部の人にしか見せられないとされている錬金術、ヘルメス主義のようなものを表している。</p> <p>つまり、キリスト教とその背後に隠されている錬金術というものを、このレリーフは表している。この建物のレリーフは、すべてこのような二重構造で意味が秘められているというのを宣言するレリーフになっている。</p> <p>マリアの前にある九段のはしごは、黄金を錬金する時に必要な九つの化学反応の段階と錬金術師が持たなければならない9種類の忍耐を表すと言われている。</p> <p>このようにキリスト教的に解釈しようとすると、まるでわからないが、錬金術的に解釈するとはっきりスッキリとするのだ。</p> <p> <img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190417181819j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190417/20190417181819.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190417181819j:plain" /></p> <p> これは女性がグリフォン(鷲)を抱いているレリーフ。グリフォンは、鷲の頭と胸を持ち、その他はライオンという想像上の生き物だ。この生物は、モンスターというのが一般的な通説だが、錬金術的には違う。</p> <p>鷲というのは、気体や風を表しており大気現象を意味する。錬金術としては「昇華」を表す。昇華というのは、個体が液体を経ずに気体化すること。高音に熱せられた水銀が、不純物を取り除く昇華作用の過程を「鷲」と錬金術師たちは呼んでいた。</p> <p>ライオンは、あらゆる獣の王=金属の王である金を表し、金の製錬には水銀が必要だということをグリフォンで表しているという。ノートルダム寺院はこのようなレリーフで溢れている。</p> <h4 id="フリーメーソンの誕生">フリーメーソンの誕生</h4> <p>フランスにルネサンスの嵐が吹き荒れた時代。それは秘密主義ゴシックの終わりの時代でもあった。つまり、神秘主義が終わって理性主義が始まったのだ。このルネサンスのことをフルカネリは、安っぽいイタリア人の合理主義と言い放っている。</p> <p>「ルネサンスと呼ばれる物事の表面しか見ないバカ共の思想」</p> <p>フルカネリは、理性主義をそういうふうに捉えていた。ルネサンスが蔓延り、フランス革命で世界が科学の時代を迎えた時に、イギリスでフリーメーソンが生まれた。</p> <p>フリーメーソンは、14世紀ごろの石工の集まりだった。だがルネサンスにより石建築が減少、レンガなどに代替えされて石工の組合は小さくなっていった。それが17世紀ぐらいになり、建築や石屋とは関係なく貴族や知識人を入れようという雰囲気が高まり、変質してしまった。</p> <p>この時にフリーメーソンは、職人団体から友愛団体へと鞍替えする。この新しいフリーメーソンは、現在のフリーメーソンに繋がる団体だ。つまり、今のフリーメーソンをどんなに調べても中世の石を掘っていた錬金術のフリーメーソンは、全くわからないのだ。</p> <p>錬金術に関して知ろうとすると、ノートルダム寺院などを建てた初代フリーメーソンを知る必要がある。レリーフを作ったのは、石工たちなので石工たちは錬金術を知っていたのだろう。</p> <p>今のフリーメーソンは、初代から受け継いだ秘密主義を形の上で受け継いでいるだけで、その中身は無い。彼らに錬金術の知識は引き継がれてないのだ。</p> <h4 id="なぜ錬金術は秘密にされたのか"> なぜ錬金術は秘密にされたのか?</h4> <p>錬金術という素晴らしい知識は、ノートルダム寺院をはじめとするゴシック寺院にレリーフとして残された。ではなぜ、このように一般人にはわかりにくく残されたのか?</p> <p>地域を持つ者は、その知識を世界に与えるかどうかの責任を持つ。この考えが、ゴシック時代の錬金術師の末裔たちの考え方になっている。現代の科学者たちの特許主義、発表主義とは全く違うのだ。</p> <p>現代は、良いように解釈すれば得た知識を隠す権利がない。一瞬でも早く発表して、その知識が良く使われるのか、悪く使われるのかは、人類に任せようという性善説で成り立っている。</p> <p>逆に悪く言えば、発見したものをいち早く発表して特許料や栄誉を得たいという人間の功名心が、現代科学を発達させているという側面もある。</p> <p>錬金術師たちは、責任感のある科学者なのだ。自分たちが持っている科学知識は、使い方によっては破壊兵器も作れてしまう。特に水銀は、人を死に至らしめる劇薬であるということを身を持って知っていた。</p> <p>だが彼らは数百年間、それを発表しなかった。責任感のある科学の錬金術と責任感のない科学の論理。私たちは、歴史の結末としての責任感のない科学しか知らない。責任感のある倫理の科学というものは、途絶えてしまったのだ。</p> <p>現代では、人間のコピーを作ってしまってもいいのか?ということは、その都度ごとに議論して決めようという開かれた体制になっている。だがユゴーがいた時代は、フランス革命で宗教に光があたり、宗教で全てが合理的に説明できるようになり、錬金術師たちの考え方は否定された。</p> <p>ユゴーは、それを良しとしながらも、必要とされる責任がある者だけが知識持っていればいいじゃないか、という前時代の考え方が残されているノートルダム寺院の破壊には反対だったのだ。</p> <p>ヘルメス主義から見ると、現代の科学というのは安っぽいイタリア人の合理主義であって、ルネッサンスと呼ばれる表面しか見ないバカ共の思想。錬金術の秘匿性や閉鎖性は、責任感の故だったのだ。</p> <p>面白いことにノートルダム寺院を建てた石工たちが、誰だったのか?誰がこのレリーフを残したのか?などの記録は残っていない。現代の私たちが、自分が何を作ったのかと銘を入れるのとは正反対なのだ。</p> <p>プロテスタントにより、ノートルダム寺院の装飾は削り取られ大聖堂は廃墟と化した。これは歴史的に本当に起きたこと。だがユゴーがノートルダム・ド・パリを書いたおかげで、国民全員に大聖堂復興運動が起こり、1983年、破壊指令から50年経ってフランス政府は、この破壊指令を撤回して全体補修を決定した。</p> <p>現在、パリにあるノートルダム寺院は、ユゴーによって修復された。今回の火災からもきっと人々の強い意思によって修復、再建が行われるはずだ。</p> <p> </p> <p>世界遺産ノートルダム寺院の火災事故に哀悼の意を表します。</p> <p> </p> <h3 id="おまけノートルダムドパリのネタバレ">おまけ(ノートルダム・ド・パリのネタバレ)</h3> <p>ノートルダムの鐘の原作「ノートルダム・ド・パリ」の結末を凄く完結に教えてくれていたので、書いておきます。自分で読みたい、ネタバレは嫌だという方は読まないでください。</p> <p> </p> <p>この作品は、恋愛問題という合理主義では救えない人間たちの業を、1人の女を取り合う3人の男で描いている。</p> <p>エスメラルダが死刑になりかけている時に、エスメラルダが愛したイケメンでリア充だけど中身はカラッポのフィーバス隊長は、彼女を見捨ててしまう。</p> <p>エスメラルダは、カジモドが見ている前で絞首刑台に吊るされた。この時に、フロローは思い通りにならない女など死んだ方が良いと思い、心の中では悲しみながらも笑みを浮かべてしまう。</p> <p>この笑みを浮かべたフロローを許せなかったカジモドは、フロローを塔から突き落として殺してしまう。</p> <p>その後、幸せになったのは、イケメンのゲス男だけだった。だがユゴーは、フィーバスは結婚という悪の報いを受けたと書いている。ユゴーの結婚生活が、どのようなものだったか想像できる(笑)。</p> <p>カジモドは、その後の詳細は不明だったが、後にエスメラルダの墓が掘り起こされた時にエスメラルダを抱きしめるように、体が奇形の骨が発見される。だがその骨は、掘り起こそうとした手が触れた瞬間に粉々になってしまった。</p> <p>という少しロマンチックな終わり方で救いを出している。</p> <p>ユゴーが書こうとしたのは、近代合理主義の中で消えていく錬金術というもう1つの科学のあり方、責任感を持った科学だった。合理主義では、恋愛という不合理なものは救えないという主張をしたのだ。</p> ambiguousnews 男にはモテるけど同性から嫌われる女!ヤワラちゃんの正体に迫る! hatenablog://entry/17680117127021273364 2019-04-12T18:00:00+09:00 2019-04-12T18:41:15+09:00 国民的女子柔道マンガ「YAWARA!」。そのヒロインである猪熊柔は、天才柔道家である祖父・滋悟郎によって幼少の頃から英才教育を受けていた女子高生。第1話目から最強の天才であるが、本人は普通の女の子になりたいと思っている。 バブルの世相に浸かろうとする俗っぽい柔は、全編を通して女性人気がなかったという。そこには見え隠れする柔の本性があった。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190412153413p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190412/20190412153413.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190412153413p:plain" /></p> <p>国民的女子柔道マンガ「YAWARA!」。そのヒロインである猪熊柔は、天才柔道家である祖父・滋悟郎によって幼少の頃から英才教育を受けていた女子高生。第1話目から最強の天才であるが、本人は普通の女の子になりたいと思っている。</p> <p>バブルの世相に浸かろうとする俗っぽい柔は、全編を通して女性人気がなかったという。そこには見え隠れする柔の本性があった。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#猪熊柔ヤワラちゃんは女性に人気がない"> 猪熊柔(ヤワラちゃん)は女性に人気がない</a><ul> <li><a href="#YAWARA連載の経緯">YAWARA!連載の経緯</a></li> <li><a href="#主要な登場人物">主要な登場人物</a></li> <li><a href="#三葉女子短大時代">三葉女子短大時代</a></li> <li><a href="#父親が本格的に登場">父親が本格的に登場</a></li> <li><a href="#バルセロナ五輪"> バルセロナ五輪</a></li> <li><a href="#告白シーンの真相に迫る">告白シーンの真相に迫る!</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="猪熊柔ヤワラちゃんは女性に人気がない"> 猪熊柔(ヤワラちゃん)は女性に人気がない</h3> <h4 id="YAWARA連載の経緯">YAWARA!連載の経緯</h4> <p>出版社からラブコメ漫画を書いて欲しいと依頼されたのが発端。優柔不断な主人公の恋物語は描きたくなかった浦沢先生は、後の「MONSTER」に通じるような医療ミステリーの話を担当編集者と打ち合わせていたという。</p> <p>この編集者は、スポーツの話題になると楽しそうに話すのに、本題の医療の話がはじまるとつまらなそうに聞いていたのだとか。そこで浦沢先生は、そんなにスポーツが好きなら(当時マイナースポーツだった)女子柔道漫画でもやります?と提案すると編集者の目の色が変わったという。</p> <p>5分ぐらいで思いついた設定をその場で提案。</p> <p>「ヤワラとかいう名前の主人公が、おじいちゃんのスパルタでやたら強くて、金持ちの嫌なライバルがいるんですよ。主人公は実力を隠しているのにやたら追い回す記者とかがいるんですよ」</p> <p>などと言いながら、キャラクターやタイトルもささっと描いて渡したという。</p> <p>浦沢先生は、ご自身で「YAWARA!」は「巨人の星」のパクリだと公言されており、誰でも思いつく設定だったので、毎日本屋で女子柔道漫画が始まってないかチェックしていたという。</p> <h4 id="主要な登場人物">主要な登場人物</h4> <p>猪熊滋悟郎。柔の祖父で過去に全日本柔道選手権5連覇を成し遂げた伝説の柔道家。金メダルと国民栄誉賞を取らせるために日夜、柔を鍛える。モデルは嘉納治五郎、フォルムは浦沢先生のおじいさんで、星一徹が老けたというイメージ。</p> <p>松田 耕作。スポーツ新聞の記者。街中で柔の巴投げを目撃して以来、柔に惚れ込む。お調子者でややがさつ、だが書く記事は熱い。これは「ローマの休日」からのパロディで、新聞記者の松田が、お姫様的な柔をバイクに乗せているシーンが多く描かれている。</p> <p>本阿弥さやか。柔のライバル。派手好きでプライドが高く、目立ちたがり。並外れた運動神経で各スポーツを制覇し、女子柔道に乗り込んできた。モデルは、花形満。努力の人。柔とはロードランナーとコヨーテのような関係性で、自分を相手にしていない柔をどうにかやっつけようと努力を繰り返す。</p> <p>風祭進之介。さやかの柔道のコーチ。イケメンで柔をめぐって松田と争い合う。柔はかなりの時期まで、風祭に好意を寄せており、浦沢先生も「この娘、アホですよね」とバッサリと突き放している。</p> <h4 id="三葉女子短大時代">三葉女子短大時代</h4> <p> 女子大生になった柔に柔道と関わらさなければならないと、とりあえずメンバーを配置したらしい。だがこのキャラたちが、勝手に動き出して勝手に面白くなっていくという体験を初めてしたという。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190411182359j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190411/20190411182359.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190411182359j:plain" /></p> <p>あの猪熊柔に「手のひらに“人”という字を書いて、飲み込んでください」というアドバイスを送るキョンキョン。最高にかわいいキョンキョンだが、それに対して「何言ってるの?この娘?」みたいな表情をしている柔。</p> <p>浦沢先生によると、この娘はそういう娘。自分が、みんなとは住む世界が違うとわかっているという。大谷翔平が、少年野球をするみたいな感じだとか。</p> <p>完全版を出版するにあたり、作品を通しで読み返した浦沢先生は、キョンキョンの卒業試合で涙したという。チームワークものは嫌いという浦沢先生も、いいのを描いたなぁと思ったと語っている。だけどもう2度とチームワークものを描くことはないと言い切っている。</p> <p>当時の漫画界の常識を破った事件が、富士子の妊娠。編集部的にも、そんなのアリ?とザワつきがあった。だが、逆にそういうことをするのが革命だという気もあったという。</p> <h4 id="父親が本格的に登場">父親が本格的に登場</h4> <p>さやかのコーチとして柔の父親・虎滋郎が登場する。これは、「巨人の星」で言う一徹が飛雄馬の敵チームの監督になるというもので、「あしたのジョー」の丹下段平が、青びょうたんとバカにされていた青山をコーチし、ジョーを苦しめたのと同じ構図で梶原一騎先生の手法を真似たという。</p> <p>虎滋郎の与えた秘策、寝技地獄を柔に仕掛けるさやか。当時、田村亮子vs江崎史子の試合を見ていた浦沢先生は、田村が寝技も強かったことにゾッとしたという。これにより、柔が寝技も強いということになったらしい。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190411184942j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190411/20190411184942.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190411184942j:plain" /></p> <p>生放送の解説で来ていた滋悟郎が、祝賀会の寿司屋に、にぎれと叫ぶシーン。この後、柔は父親を投げ飛ばした因縁の技・巴投げでさやかに勝利する。TVアニメはここで最終回だった。</p> <h4 id="バルセロナ五輪"> バルセロナ五輪</h4> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190412160550j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190412/20190412160550.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190412160550j:plain" /></p> <p>虎滋郎が育てていたフランス代表のマルソーとの決勝で柔が勝利し、父親と再会する。</p> <p>実は、バルセロナ五輪前の祝賀会でふぐの毒で死んじゃうというシーンを考えていたらしいが、編集部に反対されて没になった。その話は、次回作の「Happy!」で採用された。</p> <p> そこで、生き残るのだったらマルソーという選手を出して、しつこくもう1回挑戦してくるという事にしようとなったいう。 </p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190412160107j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190412/20190412160107.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190412160107j:plain" /></p> <p>松田の新人カメラマンとして登場した邦子。松田に対して片想いしている。キャラクターのモデルは、浦沢先生が喫茶店で向かいに座っていた女性。その場でスケッチして描き残したらしい。作中では、柔の優柔不断な行動に激怒するも、松田との恋の橋渡しをしている。</p> <p>邦子の松田へのまっすぐな想いに共感する女性たち。対して柔は、松田が自分に好意を持っているのを確信しながらも煮え切らない、思わせぶりな態度を取ってみたり、拒否してみたり、とにかく凄く嫌な女なのだ。</p> <p> 連載中には面白い事も起こっている。ソ連代表だったテレシコワ。バルセロナオリンピック無差別級準決勝で柔と対決する。ソ連が崩壊し、国家プロジェクトとしての選手育成がなくなりガタガタの状態で登場するのだ。冷徹なキャラだったテレシコワに血が通った瞬間だった。実際に起きた世界情勢が物語になって面白かったという。</p> <h4 id="告白シーンの真相に迫る">告白シーンの真相に迫る!</h4> <p> <img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190412161111j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190412/20190412161111.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190412161111j:plain" /></p> <p>国民栄誉賞授賞式で松田が柔を連れ去るシーンは、ローマの休日のラストシーンのオマージュになっている。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190412161212j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190412/20190412161212.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190412161212j:plain" /></p> <p>ラストで「ずっと好きだった!!」と言っているのは誰なのか?</p> <p>アニメでは柔が言っているのだが、浦沢先生によるとこれは松田が言っているという。実際に柔はずっと松田が好きだった訳ではなく、フワフワしたイケメン好きの夢見る少女だったわけで…。</p> <p>柔は松田に出会わなかったら、絶対に不幸になっていたと浦沢先生は語っている。ラストシーンの「あたしも…」というのも、なんとなく勢いに押されて言っちゃっただけなのではとも思える描写で、柔の俗っぽさが出ている。</p> <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190412161308j:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190412/20190412161308.jpg" alt="f:id:ambiguousnews:20190412161308j:plain" /></p> <p>浦沢先生もちっちゃい声で「あたしも…」って言っていて、「あたしも?」ぐらいのニュアンスだという。「ずっと好きだった」は男言葉で、絶対に松田が言っていると断言した。</p> <p>柔は純粋で、ある意味女のコらしいところが男受けするのだが、反対にチヤホヤされて周りの男を振り回す様は、女性には憎悪の対象になったのかもしれない。</p> ambiguousnews 俺たちに明日はない!ボニーとクライドの愛と殺人の物語 hatenablog://entry/17680117127007577310 2019-04-03T19:30:00+09:00 2019-04-03T19:30:02+09:00 逃亡する2人の愛と殺人の物語。行く先々で殺人を繰り返すカップルの逃避行を描いた映画「ナチュラル・ボーン・キラーズ」。それを地で行くカップルがボニー&クライドだった。死後、何十年にも渡りボニーとクライドの生き様は映画、書籍、音楽などで美化されてきた。 <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190403191055p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190403/20190403191055.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190403191055p:plain" /></p> <p>逃亡する2人の愛と殺人の物語。行く先々で殺人を繰り返すカップルの逃避行を描いた映画「ナチュラル・ボーン・キラーズ」。それを地で行くカップルがボニー&クライドだった。死後、何十年にも渡りボニーとクライドの生き様は映画、書籍、音楽などで美化されてきた。</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#ボニークライドの愛と死の物語"> ボニー&クライドの愛と死の物語</a><ul> <li><a href="#2人の生い立ち">2人の生い立ち</a></li> <li><a href="#2人の出会い">2人の出会い</a></li> <li><a href="#アメリカ大恐慌時代">アメリカ大恐慌時代</a></li> <li><a href="#クライドの殺人"> クライドの殺人</a></li> <li><a href="#22ヶ月の逃亡生活">22ヶ月の逃亡生活</a></li> <li><a href="#2人の最期">2人の最期</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="ボニークライドの愛と死の物語"> ボニー&クライドの愛と死の物語</h3> <h4 id="2人の生い立ち">2人の生い立ち</h4> <p>クライドは、1909年3月にテキサス州テリコで、バウロ夫妻の6番目の子供として誕生した。1920年代アメリカは好況に沸いたが、田舎では窮状が続いていた。貧農だった父ヘンリーは、クライドが12歳の時に農業を辞め一家でダラスに移り住み、ガソリンスタンドを始めた。</p> <p>身長170cmほどで痩せており、あどけない顔をしていたクライドは16歳で学校に行かなくなった。兄バックに倣い、犯罪に手を染め始めたのだ。始まりは、盗品の七面鳥を売ろうとした小さな犯罪だった。兄バックは1週間投獄されたが、クライドは免れた。</p> <p>クライドはこの件に懲りることなく、小さな盗みを重ね、車も盗むようになる。1929年10月には、複数の強盗に関与し警察で有名人になっていた。警察から隠れていたこの時期にクライドは、運命の女性ボニー・パーカーに出会う。</p> <p>ボニーは、1910年10月1日生まれで兄と妹がいた。父ヘンリーは、ボニーが4歳の時に死亡し、母エンマはダラス郊外のセメント・シティへ引っ越した。西ダラスでは貧困が広がり、欲しいものは奪い取るという環境でボニーは育った。</p> <p>ボニーは高校へ通っており、優しく人気があったという。ウェイトレスとして働き、16歳でロイ・ソーントンと結婚する。ロイの素行は悪く暴力をふるい、大酒飲みで家を空けることが多かった。ついには、銀行強盗で捕まりイースタム刑務所農場へ送られた。</p> <h4 id="2人の出会い">2人の出会い</h4> <p>1930年1月、ボニーはまた危険な男と知り合う。それが真の恋人となるクライド・バロウだった。当時、クライドは20歳、ボニーは19歳、ボニーが友人の看病に行ったことで2人は出会った。</p> <p>だが2週間後にクライドは、逮捕されてしまう。5件の車の窃盗で懲役2年、2件の強盗で12年の執行猶予となっていた。だが入所後すぐにクライドは、脱獄を考え始める。恋するボニーは、それを喜んで手伝った。</p> <p>ボニーが持ち込んだ32口径のコルトで脱獄したクライドだったが、2週間もしないうちにミネソタ州で再逮捕される。テキサス州に戻され、懲役14年となる。収監先のハンツヴィル刑務所には、ラルフ・フルツがいた。囚人仲間となった2人は、イースタム刑務所農場へ送られる。</p> <p>イースタムは、別の惑星と言えるほどの場所で、看守たちは囚人たちを殴り虐待していた。囚人を撃ち殺しても問題にならないこの場所は、未熟なクライドにとって想像を絶する場所だっただろう。</p> <p>過去にイースタムを脱走していたフルツは、看守たちに目をつけられ銃で気を失うほど殴りつけられた。それを見ていたクライドは、拳を握り、首に青筋を立てて看守たちを睨んでいたという。看守たちの注意はフルツからクライドに移り、フルツは殴り殺されるのを免れた。</p> <p>その直後、クライドは刑務所を脱出することを公言し、仲間を集めて刑務所を襲い看守を残らず撃ち殺すと宣言した。わずか3年後、クライドはこの報復計画を実行に移すことになる。</p> <h4 id="アメリカ大恐慌時代">アメリカ大恐慌時代</h4> <p>早期釈放を求める母親たちの根回しが待てなくなったクライドは、刑務作業を逃れるために囚人仲間に足の指2本を切り落とさせた。だが皮肉なことに母親たちの恩赦を求めた働きかけにより、その2週間後にクライドは松葉杖で刑務所を出ることになった。</p> <p>ダラスに戻ったクライドだったが、明るく陽気だったその人格は刑務所の生き地獄で破壊されていた。さらにクライドは苦境に立たされる。大恐慌真っ只中だった時代に働き始めたクライドだったが、事があるごとに警察が職場にやって来て尋問され、そのたびにクライドは職を失った。働き口は少なく、遂にクライドは働くことを諦めることになる。</p> <p>大恐慌でアメリカは打撃を受けていた。4人に1人が失業者だったのだ。路上生活者が増え、労働者は移動し、至るところが大混乱だった。富裕層と貧困層の格差は大きく、農民たちは農場を失った。銀行、鉄道、重工業など大企業に対し、人々は反発し憤っていた。</p> <p>大恐慌で犯罪の潮流も変わって行った。禁酒法時代に成功したアル・カポネの組織とは違う新たなタイプの犯罪者が生まれ始める。中西部や南西部のクライドたちアウトローは、銀行などを襲ったため、ロビン・フッドだったとも言えるだろう。</p> <p>当時、同時代のアウトローとしては、ジョン・デリンジャーの方が有名だった。プリティーボーイ・フロイドやマシンガン・ケリーなど国中にならず者が蔓延っていた。大衆は、実生活でも映画でも悪党たちに夢中になっていた。政府はギャング映画の人気を警戒し、アメリカ映画の検閲制度が生まれた背景となった。</p> <p>悪名高いボニー&クライドだが、決して有能ではなかった。移動しながら強盗し、金がなくなると手近な場所を襲った。10ドルや20ドルのために命を懸け、奪う金は少なかったのだ。</p> <p>クライドは自身を義賊だと考えていた。罪なき人は殺さないようにして、撃つ相手は主に警官で、警官ですら逃げるために利用し無傷で開放することも多かった。自身の犯罪を英雄的に見せたのだ。</p> <p>大衆が虚構と本物のギャングに憧れたのは、大恐慌時代の空虚感のせいだと言える。だがボニー&クライドは、情熱的な恋によって唯一無二の存在となる。魅力的で恐れ知らずの恋人たちが、ルールや慣習を破り、あらゆる権力に反抗する様子は、伝説的で人々を惹きつけた。</p> <h4 id="クライドの殺人"> クライドの殺人</h4> <p>1932年3月、ボニー&クライドは盗んだ車で初めて一緒に旅に出る。フルツも同行していた。この時、ボニーは初めて強盗を手伝うが失敗し、警察に捕まってしまう。ボニーは2ヶ月間拘置され、フルツはまた服役、クライドは逃げた。</p> <p>クライドが次に組んだのが、囚人仲間のレイモンド・ハミルトン。2人は繁盛していたジョン・ブッチャーの店を襲うことにするが、想定外の事態が発生し店主を撃ち殺してしまう。この時、店主婦人は2人組の強盗としか分かっておらず、状況証拠しかなかった。だがクライドは、もうダメだと思い死刑になると思い込んでしまう。</p> <p>1932年6月、ボニーは証拠不十分で解放される。クライドの元へ急いだボニーだったが、クライドの首には250ドルの賞金が懸けられていた。クライドは新聞の一面を飾り、その犯罪も凶悪さを増して行った。</p> <p>ハミルトンと2人で包装会社を襲い、オクラホマ州に逃走。1932年8月5日の夜、ダンス会場で酒を飲みながら強盗の標的を探していたクライドたちは、保安官たちに飲酒を注意され(禁酒法時代だったため)、意味もなく保安官助手を殺し保安官に重症を負わせた。</p> <p>クライドたちは車で逃げたが、銃撃戦となり合計3台の車を乗り継ぎ逃走。最後は徒歩で逃げ出した。これが決定的となり、この後クライドは、徹底的に追われることになる。</p> <h4 id="22ヶ月の逃亡生活">22ヶ月の逃亡生活</h4> <p>逃走生活は悲惨だった。金が必要になり、より一層強盗に精を出した。逃走中もクライドは家族と連絡を取り、帰郷していた。ハミルトンも家族に会いに帰っていたが、ミシガン州にいる時に逮捕されイースタムで264年の懲役刑となった。</p> <p>クライドがリーダーの「バロウ・ギャング」は南西部では既に悪名をはせていた。国中に名が知られるのは、1933年3月にバック・バロウが出所した後だ。改心したバックと妻ブランチは、ボニーとクライドと一緒に生活し自首を勧めるはずだった。</p> <p>だが、事件が起きてしまう。クライドと昔馴染みだったジョーンズの2人は、強盗の下見から帰ってきたところを警察に踏み入られてしまう。近所の人が、彼らを酒の密造者と疑い通報したのだ。</p> <p>この時、ハリマン巡査とマッギニス刑事は相手が誰なのか知る由もなかった。クライドとジョーンズは、2人をショットガンで殺害、ボニーも自動ライフルを構え撃ち始めた。激しい銃撃戦で、バックも控えていた警官も発砲した。</p> <p>混乱の中、クライドはブランチ以外の3人を車に乗せ逃走。警官は1人が死亡、1人が瀕死だった。ボニー&クライドは、何度も警察を出し抜いたが、この時発見された写真が強烈な印象を残した。新聞は鮮烈な写真を載せ、ギャングの勝利と報道したため大衆の関心を惹き、より刺激的な物語を求めた。</p> <p>兄バックの改心は続かなかった。この凶行で運命が決定した。終わりの始まりは1933年6月8日ウエリントンで訪れる。バックたちに会うため車で移動中だったボニー、クライド、ジョーンズは、川を渡る時、橋が壊れていると気がつかず車が落下。何度か跳ねて車は炎上し、炎がボニーを襲った。ボニーは骨に達するほどの大やけどを足に負い、そのケガは完治しなかった。</p> <p>3人はアーカンソー州でバックたちと合流し、大怪我のボニーを連れて移動を続けた。クライドは長距離の運転を苦にせず、警察無線がなかった時代、州境を越えれば刑事訴追されてないということを知っていた。強盗した後で車で逃げ切るという作戦は、この時代現実的だったのだ。</p> <p>1933年7月、クライドたちは、プラット・シティの宿に落ち着く。だが警察に通報があり、すぐに完全包囲された。銃撃戦が始まるとクライドは、マシンガンを片手に車を運転し警察の包囲網を突破して逃げ切った。この時、兄バックは頭を打たれて瀕死の状態になってしまう。</p> <p>だが4日後、警察に発見されて追い詰められる。ボニー、クライド、ジョーンズは逃げたが、バックとブランチは捕らえられて瀕死のバックは入院した。だがそのまま息を引き取る。ブランチは10年間服役した。</p> <p>ジョーンズはクライドたちと別れ、その後すぐに捕まった。刑を軽くするために、彼は仲間を売る。自分は無理やり引きずり込まれたと主張したのだ。</p> <p>「クライドに何度も命を脅かされた。クライドは自分勝手で平気で人を殺す。だから私は逃げ出したのです。殺されないために」</p> <p>1934年1月16日、クライドはハミルトンを助け出し、イースタム刑務所襲撃という夢を叶えた。看守1人が殺され、残りの看守たちは逃げ出した。ハミルトン他4人が脱獄、その1人メスヴィンの救出がボニー&クライドによって致命的な過ちとなる。</p> <h4 id="2人の最期">2人の最期</h4> <p>殺人や強盗を重ねてもボニーとクライドは、大胆に家族と密会を重ねていた。テキサス・ハイウェイ・パトロールの隊員2人がそれを発見し、バイクで彼らを追った結果、殺される。ボニー&クライドの残忍な殺人に、南西部の全警察官、全保安官が激怒した。昼夜を問わず捜索し、2人を見つけ出すと誓ったのだ。</p> <p>1934.年5月23日の朝、2人はルイジアナ州でメスヴィン家の近くを車で走っていた。そこには、レンジャーと保安官たちが待ち伏せていた。メスヴィンの農場を頼って来たクライドたちを、メスヴィンの父親が息子のために売ったのだ。</p> <p>メスヴィンの父親が、車の故障に見せかけてスピードを落とすと、クライドもスピードを落とした。そこに保安官たちが一斉に銃撃、2人は射殺された。人の死体には慣れていた保安官もボニーの体は、弾丸でボロボロでゾッとしたという。</p> <p>無法者の死体を見ようと小さな町に大勢が群がった。無秩序状態となった町では2人の物の簒奪が横行し、クライドの耳を持って行こうとした者までいたという。強く結ばれた2人だったが、葬儀と墓は別々となった。</p> <p>ダラスでは、大量殺人を犯した男の遺体を見るために、あらゆる世代と職業の人々が葬儀に詰めかけた。クライドの埋葬地から4キロほど離れた場所にボニーは埋葬され、そこにはさらに大勢が集まった。</p> <p>ボニーが生前に書いた詩は、最期を正確に予言していた。</p> <p>“2人は賢くも必死でもない。法が勝つと分かっている。銃撃も受けたし、罪の報いは死だとも分かっている。いつか2人は共に倒れ、並んで葬られる。ひと握りの者には悲嘆、警察には安堵。でもボニー&クライドには死”</p> ambiguousnews ドイツ第四帝国の台頭!?消えたナチス親衛隊たちの消息に迫る! hatenablog://entry/17680117127000804106 2019-03-28T18:30:00+09:00 2019-03-28T18:30:01+09:00 ヒトラーの準軍事組織として恐れられた親衛隊の幹部たちは、第二次世界大戦において最も悪評の高い戦争犯罪者となった。終戦後、裁判にかけられた者もいるが、多くはドイツからの逃亡に成功している。 恐怖のナチ党員の足跡をたどり、ドイツからオーストリア、イタリア、また彼らの多くが身を隠し、帝国再建の構想を練っていたとされるパラグアイに迫る! <p><img class="hatena-fotolife" title="f:id:ambiguousnews:20190328173852p:plain" src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ambiguousnews/20190328/20190328173852.png" alt="f:id:ambiguousnews:20190328173852p:plain" /></p> <p>ヒトラーの準軍事組織として恐れられた親衛隊の幹部たちは、第二次世界大戦において最も悪評の高い戦争犯罪者となった。終戦後、裁判にかけられた者もいるが、多くはドイツからの逃亡に成功している。</p> <p>恐怖のナチ党員の足跡をたどり、ドイツからオーストリア、イタリア、また彼らの多くが身を隠し、帝国再建の構想を練っていたとされるパラグアイに迫る!</p> <p> </p> <ul class="table-of-contents"> <li><a href="#第四帝国の台頭"> 第四帝国の台頭</a><ul> <li><a href="#秘密組織オデッサ">秘密組織オデッサ</a></li> <li><a href="#ヨーロッパからの逃走ルート"> ヨーロッパからの逃走ルート</a></li> <li><a href="#メゾンルージュでの秘密会議">メゾンルージュでの秘密会議</a></li> <li><a href="#パラグアイに残された証拠">パラグアイに残された証拠</a></li> <li><a href="#ナチス逃亡の影で暗躍する教会">ナチス逃亡の影で暗躍する教会</a></li> </ul> </li> </ul> <h3 id="第四帝国の台頭"> 第四帝国の台頭</h3> <h4 id="秘密組織オデッサ">秘密組織オデッサ</h4> <p>敗戦でナチスは崩壊し、ヒトラー自慢の準軍事組織SSと呼ばれる親衛隊で権勢を振ったエリートたちは一転して追われる身となった。だが彼らを追うことは至難の業で、その多くが逃走に成功している。</p> <p>オデッサと呼ばれる元親衛隊の組織が暗躍し、彼らを法の裁きから逃れさせたと多くの人が信じている。オデッサは、親衛隊員の逃亡に手を貸し、ヒトラーの構想を実現しようとしていた強力な組織だった。</p> <p>彼らは自分たちこそが、インド、ヨーロッパ民族の祖と言われたアーリア人の子孫だと主張し、アーリア人による独裁国家・第四帝国を作り上げ世界征服を目論んでいた。</p> <p>オデッサの存在を最初に暴いたのは、ナチスの戦犯追及で有名なサイモン・ヴィーゼンタールだった。第二次世界大戦直後、アメリカとイギリスの組織はナチスの捜索に力を入れていたが、それは次第に先細っていった。そのためヴィーゼンタールのようなナチスハンターは、西側がナチスの戦犯を追い続けるように力を尽くしたのだ。</p> <p>ヴィーゼンタールはオデッサの存在を信じており、その情報は元親衛隊から得たものだったという。オデッサについて記された文献はほとんどない。そして、ドイツ官僚の大多数は、政府が出資する組織の存在は否定している。</p> <p>だが確かな事実がある。終戦直後に戦犯として告訴されたナチ党員は15万人。だが裁判にかけられたのは、約3万人にすぎず有罪になった人数はさらに少ない。親衛隊の将校ヨーゼフ・メンゲレ、ヒトラーの側近マルティン・ボルマンなどが裁かれることはなかったのだ。ほとんどは、姿を消し消息は途絶えたままだ。</p> <h4 id="ヨーロッパからの逃走ルート"> ヨーロッパからの逃走ルート</h4> <p>逃亡した親衛隊員の中で最も悪名高いのは、ヨーゼフ・メンゲレ医師だろう。アウシュヴィッツで死の天使と恐れられたメンゲレが、人体実験で殺した人数は計り知れない。終戦から数十年後、南アメリカでメンゲレを写した写真がある。どうやって逃げおおせたのだろうか。</p> <p>オーストリアのインスブルックには、オデッサの存在を明記した貴重なファイルが残されている。そこには、ブレンナー峠を越境させてイタリアへと逃がした案内人について書かれている。この文書は、1964年から保管されていると文書に明記されている。</p> <p>これは、ヴィーゼンタールがオデッサについて公表した3年前になる。つまり、オーストリア政府はヴィーゼンタールより先にオデッサの調査を開始していたことになる。文書の最後には、逃走に使われたルートが記されており、列車でジェノバ、船でアルゼンチンへと逃走したことがわかるという。</p> <p>ブレンナー峠を越えての逃避行の終点地は、イタリアの街ブレンナーバードだ。教会の関係者が、国境を超えた親衛隊の将校たちをここで出迎えたという。教会とホテルが建っており、親衛隊たちに偽名や偽造の身分証明書などを提供した司祭たちがいたと思われる。鉄道も通っており、ここから列車でジェノバへ行き、大西洋を渡って南アメリカで新たな人生を始めたのだろう。</p> <h4 id="メゾンルージュでの秘密会議">メゾンルージュでの秘密会議</h4> <p>オデッサ設立の証拠と思われるメゾンルージュレポートという文書がある。2000年に機密扱いを解かれたこの文書には、1944年8月10日の秘密会議の内容が記されている。フランス、ストラスブールのホテル・メゾンルージュで開かれたドイツ産業界を牽引する面々と親衛隊のリーダーたちの会議を記録した文書だ。</p> <p>ドイツが戦争に負けると考えた将校たちが、将来をどうするかについて話し合ったようだ。その目的は、ナチスの復活だったという。そこで問題となったのが、金の準備だった。そこで銀行の役員や実業家に働きかけ、海外に拠点を作らせ資金を移したのだ。</p> <p>文書には、水資源の傍に会社を設立する計画が細部に渡って記されている。そこにナチスの高官が潜み、水資源の研究を装いながら秘密裏に都市開発を行い権力を取り戻そうというものだった。事実、親衛隊の将校が少なくとも一人、その役職に就いていた。アドルフ・アイヒマンだ。ドイツから脱出し、アルゼンチンの水力発電会社に勤務していた。</p> <p>この会議の際にオデッサが誕生したという者もいるが、実際に行われたのかを怪しむ意見もあり、論議は以前から続いている。だが、ナチスが支持者の助けを得て世界中に拡散したことは、多くの歴史家が認めている。</p> <p>カトリック教会の司祭の中にも手を貸した者がいるという。書類を偽造し、指名手配されたナチスをヨーロッパから逃がした司祭がいた。その場合、ナチスの逃亡先の多くは南アメリカだった。</p> <p>歴史研究家によると、ナチスの逃亡に手を貸した司祭たちは、共産主義の台頭を懸念していたようだ。30年代から40年代にかけて、教会は共産主義が浸透してくるのを恐れていた。同じ悪でもナチスの方がマシだと言うわけだ。</p> <h4 id="パラグアイに残された証拠">パラグアイに残された証拠</h4> <p>マルティン・ボルマンはヒトラーの右腕だった。ボルマンはヒトラーの個人秘書を長らく務め、その取次ぎ役として権力を握った。ボルマンの進言は、ヒトラーの政策ともなったが、それが行き過ぎた感もありヒトラーを失墜させた原因だとも言われている。ボルマンは、その権力を使い欲しいものは全て手に入れたという。</p> <p>ロシア軍が国境を越えて侵攻する中、ボルマンはベルリン脱出を図った。1944年5月1日のことだった。だが、親衛隊の下士官だったアルトゥール・アクスマンが、ボルマンはロシア軍の一斉射撃により死亡したと証言する。このためボルマンは、ベルリンで死亡したという意見が多数派だ。</p> <p>だがアクスマンは嘘をついていると主張する者もいる。連合軍は死体を探したが、発見できずに終わったのだ。ボルマンが欠席のままニュルンベルクで裁かれた際、アクスマンが証言した。だがアクスマンは7回も証言を変えたため信ぴょう性は低いと思われた。</p> <p>その直後、ボルマンはメンゲレと一緒に南アメリカに逃げたという説が浮上し、目撃情報も寄せられた。1972年ベルリンで建設作業員が、地面を掘ったところ2体の人骨が見つかった。発見現場は、アクスマンがボルマンの死体を見たという場所から10メートルほどしか離れていなかった。</p> <p>ドイツ政府は、それをボルマンの遺体と主張。1998年に行ったDNA鑑定の結果がその裏付けとなった。だが法医学解剖の結果、隠蔽の証拠が見つかる。確かに遺体はボルマンのものだったが、それは埋め直したものだった。</p> <p>その人骨は、ボルマンがベルリンから逃亡したという事実を隠すため、パラグアイで掘り起こされベルリンに埋められたという。ボルマンの頭蓋骨だけが赤い泥にまみれていて、同じ場所から出た他の骨はきれいで赤い泥がついた痕跡はなかったのだ。</p> <p>この赤い泥は、ベルリンにはないがボルマンが逃げ込んだとされる地域、パラグアイのイタという地域にある泥と似ている。矛盾はそれだけではない。骨は完全ではなく睡骨が足らなかった。さらに生前のカルテに書かれていない歯に治療の跡があったのだ。</p> <p>ボルマンは、パラグアイに潜伏し1959年に死んだという証言がある。パラグアイの法務省には、テラーファイルと呼ばれる文書が保管されている。かつて独裁政治を敷いたドイツ系でナチス支持者のアルフレド・ストロエスネル大統領による拷問、誘拐、汚職といった事について詳しく書かれた文書だ。</p> <p>ストロエスネルの庇護の元、何百人もの親衛隊員がパラグアイに入国したと思われる。1961年8月24日付けの書類には、ボルマンは首都アスンシオンで胃がんを発病し、1959年メンゲレがドン・フリッツという偽名で治療に来たと書かれている。だが症状は手の施しようがなかった。</p> <p>4月に諜報部員からボルマンが1959年に胃がんで亡くなったことを伝える手紙が届いている。ボルマンは、パラグアイのイタにある墓地に埋葬された。真実であれば衝撃的だ。</p> <p>1900年ドイツからの移民が、オエナウの街を作った。そのため住民の多くが祖国とナチスに親近感を抱いていた。メンゲレやボルマンにとって理想的な隠れ家になり得た場所なのだ。パラグアイ南部の田舎で、偶然通ることなどなく目指して来なければたどり着けない場所だった。</p> <h4 id="ナチス逃亡の影で暗躍する教会">ナチス逃亡の影で暗躍する教会</h4> <p>アドルフ・アイヒマンは、ホロコーストの立案者だと言われている。ユダヤ人問題の最終解決の責任者で何百万に及ぶ人々を強制収容所に送った。だが1950年リカルド・クレメントという偽名でパスポートの交付を赤十字社から受け逃亡する。パスポートの保証人は、ジェノバにある教会の司祭だった。</p> <p>アイヒマンが教会を訪ねると教会の神父が、赤十字社に彼を連れて行きパスポートを与えた。神父の単独行動ではなく、ローマカトリック教会の司教たちまで絡んでいるという。キリスト教会は、少なくともナチスの逃亡を助ける組織を知っていたのだ。</p> <p>さらにパスポートに記されたアイヒマンの泊まるホテルの横には、サンカルロ教会が建っていた。ブレンナー峠と同じ構図なのだ。ナチス逃亡のやり口がここまで似ている以上、教会が関わっていたことは間違いないだろう。</p> <p>ではオデッサの真の姿とはなんだったのか?</p> <p>逃亡する親衛隊員たちを教会が助け、ドイツの実業家が逃亡資金を調達していた。1つのグループだけが単独行動していたのではなく、歯車が噛み合うような協力関係があり、その中心にオデッサがあったのだ。この組織が今も存在するのか、教会との関係はまだ続いているのか、ドイツの実業家たちの子孫はその計画を受け継いだのか。真実は闇の中だ。</p> ambiguousnews