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アーサー王は実在したのか!?伝説の王とされた人物とは誰だったのか!?

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遥か昔、伝説の英雄がいた。混沌の世に登場した救世主、その名はアーサー王だ。彼は、騎士たちと共に残忍な侵略者から国を守った。その後、王国は黄金期を迎えたと言われている。伝説の英雄は実在したのだろうか?

伝説のあらすじ

 5世紀ごろ、ある国で希望の光が消えようとしていた。暗黒時代の幕開けだ。ブリテン島では争いが激化、野蛮な侵入者の攻撃で国は崩壊寸前。誰もが英雄の登場を待ち望んでいた。その時、現れたと言われるのがブリトン人の王・アーサーだ。

勇猛果敢なアーサーは、人民に慕われ敵には恐れられた。偉大な魔術師マーリンの助けで国の王になり、伝説のキャメロット城を居城とした。傍らには、愛妻グウィネビアと最高の騎士たちがいた。騎士たちは結束して、侵略者や魔女モルガンと戦う。そして神秘に満ちた聖杯を求めて冒険の旅に出るのだ。

時代を超えて愛されるアーサー王伝説。スリル満点な冒険と魔術と恋の物語の人気は衰えない。1500年後の今も、アーサーが実在したのかどうかは、証明できていない。

ブリテンは400年間、ローマ帝国の支配下にあった。だが、故国で内紛が起きたため兵士たちは退却する。ブリトン人は突然、後ろ盾を失ったのだ。長い間ローマに抑圧されていた蛮族は、この混乱につけ込み侵入を始める。ブリトン人は国を守るために、西暦500年ごろアングル人やサクソン人を国へ召集するという思い切った決断をする。

兵士たちは、最初こそ従順だったがブリテンは豊かな国だったので、ほどなくサクソン人は肥沃な土地を奪おうとした。ブリテンの街は次々と侵略者の手に落ちて全滅するかに見えた。だが、5世紀の終わりごろにサクソン人は侵攻をやめて撤退を始める。

この逆転勝利のカギとなったのが、謎に包まれた1人の人物だったと考えられている。そしてその人物は、アーサー王伝説の原型になったと言われている。ではその人物とは一体誰だったのだろうか?

アーサー王伝説の検証

アーサーが最初に登場する文献は、暗黒時代に書かれた詩だ。だが詩の中では、歴史上の人物として登場するだけの端役だった。本格的な登場は、アーサーの時代の約300年後にネンニウスという僧によって書かれた本だった。ネンニウスは800年代前半に記した書物の中で、アーサーを軍の指揮官として描いている。

ブリトン人を率いたアーサーは、12の戦いに参戦し最後にベイドン山の戦いで勝利する。この戦いの後、サクソン人は退却し40年間侵攻しなかった。ネンニウスの書物は、その伝説の裏付けとされた。実際にベイドン山の戦いは、事実だと確認されている。6世紀初めに戦いがあったという記録が残っているのだ。だがアーサー実在の可能性が出たに過ぎない。

アーサーが次に登場するのは、15世紀の書物でマロリー卿の「アーサー王の死」だ。アーサーは、勇敢な王として登場する。円卓の騎士たちは、正義の鏡で聖杯を求めて大冒険の旅に出る。無敵の聖剣エクスカリバーは敵を倒し、マーリンは魔物たちを撃退。だがキャメロット城の栄光は続かずもろくも崩れ去る。

アーサーの妻グウィネビアと腹心の騎士ランスロットが恋に落ち、円卓の騎士の結束は崩壊する。敵の行動は素早く、ブリテンの王座は宿敵モルガンの息子に奪われ、深手を負ったアーサーは、アバロンへ逃れ姿を消す。これが物語の終わりだ。

だがどこまでが真実なのだろうか?実際のところ大半が作り話だ。そもそも重い甲冑をつけた騎士が長い剣を振り回して戦うなど不可能だ。さらに鉄の鎧が登場したのは、アーサーの時代より1000年ほど後なのだ。

5世紀に王が使ったのは、おそらくローマ人の置いていったお下がりだっただろう。ローマ時代のものであれば、革製の鎧だったと思われる。鎖かたびらを重ねた可能性はあるが、巨大な石城も5世紀には存在していない。キャメロット城には、石壁もとがった塔もなかったはずで、5世紀の王の住まいは地味な木造の小屋だったと考えられる。

では彼が身を守るために持っていたという宝剣はどうだろう?よくテレビで見るような幅の広い中世風の剣は15世紀のもので、実際にはもっと短く細かっただろう。アーサーたちの描写は、明らかに脚色されているのだ。

では魔術はどうだろう?暗黒時代には。魔術は敬遠されたはずだ。魔法の石も湖に眠る姫の話も作り話だろう。事実でないなら、どこから生まれたのだろうか?当時の生活にヒントがあるかもしれない。

例えば、石の剣の伝説はどうだろう。アーサーは少年の時に石に刺さった剣を引き抜き、ブリテンの王だと認められる。この話を裏付ける事実はあるのだろうか?答えは、当時の剣の製造法にある。溶かした金属を石型に流し入れて作るという製法だったためだ。冷え固まった剣を石の型から抜き取ったことが伝説化されたのだろう。

湖の姫の話も同様に説明がつくという。アーサーが石から引き抜いた剣が、戦いで砕かれた時、水の精である湖の姫が彼に聖剣エクスカリバーを授ける。この答えは、ローマ時代のケルト人の習慣にある。彼らは葬儀の時に、水の女神への貢ぎ物として宝物を捧げる儀式のために、湖や川に剣を投げ込んだのだ。それを湖から拾い上げたのが原型になったのだろう。

アーサー王の候補となる人物

脚色を取り去ってみると暗黒時代の戦士アーサーの真の姿が見えてくる。西暦500年ごろに生きたと思われるアーサーは、ベイドン山の戦いで軍を指揮して敵を撃退したと言われている。アーサーという名前は記録にないが、この戦いで活躍した人物なら実在する。ローマ人のアンブロシウス・アウレリアヌスだ。

とはいえ、この人物が歴史に登場するのはベイドン山の戦いだけだ。アーサーとの関連もわかっていない。一方、ローマ人だという説を否定する人もいる。彼らがアーサーだと主張するのは、暗黒時代の支配者リオタムスだ。

裏付けとなったのは、リオタムスがフランスへ遠征したという史実だ。侵入軍と戦うローマ皇帝の援軍に加わることが目的だった。彼は大軍を引き連れて皇帝と共に海峡を越え、ゴート族と戦っている。

一見、関係なさそうだがアーサーも実は、外国へ旅をしたようなのだ。しかも行き先は、リオタムスと同じフランスだった。リオタムスの遠征は、裏切られて敗北に終わるが、アーサーにも同様のことが起きている。騎士モードレッドにキャメロット城を任せるが、裏切られてしまう。アーサーはモードレッドに王位を奪われ深手を負うのだ。

残る問題は、名前の相違だ。リオタムスとアーサーは似ていない。だが、記録に残されたリオタムスとは、アイルランドの最高の王という意味の肩書きなのだという。つまり、肩書きが王で名前がアーサーだった可能性がある。だがアーサーならイギリス本国の戦いで名を成したはずだ。

アーサーは、5世紀にブリトン人が支配した都市の統治者だったのではないか?という説がある。当時のブリテンで重要な都市はロンドン、リンカーン、ヨーク、ビロコニウムの4つだった。ロンドンとリンカーン、ヨークはすでに陥落し、ビロコニウムが彼らの最後の砦だった。西暦500年頃、ビロコニウムを統治していたのはオウイン・ファングウィンだ。当時のブリテン人戦士は、自分たちの武勇を示すために“猟犬”や“キツネ”など動物の呼び名を持っていた。オウインの呼び名は“クマ”だった。

ブリテン語と同系のウェールズ語を調べたところ、クマを表すウェールズ語とラテン語を並べると[ARTH]、[URSIS]となり[ARTHUR]の文字が現れるのだ。これを短縮してアーサーとしたのかもしれない。

ローマ人か、最高の王か、クマか?アーサー王の正体については諸説それぞれ説得力がある。しかし、証拠がなければ仮設に過ぎない。現存する書物からは、確証は得られていない。では考古学的観点からはどうだろう。

アーサー王の痕跡

キャドバリー城は伝説のキャメロット城だと言われている。だが、キャドバリーには塔も堀もなく、今では石ひとつ残っていない。城と言っても中世とは違い、土でできた要塞だった。1960年代に行われた発掘では、アーサーの時代に再築された要塞が発見されたという。キャドバリーの遺跡は、アーサーの要塞だった可能性も十分ありそうだ。だがアーサーとの繋がりは不明だ。手がかりは16世紀から伝わる地元の伝説だけで、真実かどうかは謎だ。

アーサーが住んだ城は不明だが、生誕地については有力な説がある。コーンウォールの西岸のティンタジェル城だ。現在は土台の石の跡だけが残されている。だが、ティンタジェルがアーサーの時代の遺跡であると、近年の考古学調査でわかっている。こちらも残念ながら生誕地であるという決定的な証拠はない。

次にアーサーが人生の幕を閉じた墓を検証してみよう。致命傷を負ったアーサーは、リンゴの島、アバロンへ舟で向かったと伝えられている。それが彼の最期だった。ということは墓はアバロンにありそうだ。だが現代のイギリスにそんな地名はない。

だがグラストンベリーという町に手がかりはあった。丘にあるのに、かつての呼称はなぜかアバロン島だった。しかも付近はリンゴの産地として昔から有名だ。面白い一致だが確証とは言えない。だが900年前に決定的な物証が発掘されたという話がある。

1191年グラストンベリーの僧たちが有名な王の墓があると知り、墓を掘り起こしたのだ。そこで木をくりぬいて作った棺らしきものが見つかった。納められていたのは、金髪の女性と頭に傷を負った大柄な男性の骨だった。さらに十字架型の墓標も見つかった。僧によると棺の上にあった鉛の十字架には、「アーサー王の遺体ここアバロンに眠る」と文字が掘られていたそうだ。

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墓の発見は詳細に記録され、十字架のレプリカが出回った。だが、遺骨も棺も十字架も全て紛失してしまう。現在残っているのは、紛失前に作られた複製品だ。その正確性は誰にもわからない。もし本物なら何がわかるだろうか?

刻まれた文は、ラテン語で書かれていた。この墓標の文字から時代を割り出せる。残念なことに十字架のNとCの字体は、アーサーの時代よりずっと後のものだった。つまり、十字架は6世紀のものではなく偽物だったということだ。遺骨もなく、十字架も捏造だった。そもそもアーサー王の墓自体なかったのだ。

アーサー王の正体

確たる物証がない限りは、残る記録から推測するしかない。まずリオタムスについては、肩書きだと解釈する必要性がない。おそらく人の名前だろう。さらにリオタムスはブリトン人ではない上に、フランス遠征したのではなく住んでいたという説もある。リオタムスとアーサーが同一人物なら、記録が残っているはずだ。2人は別人だと考えるのが自然だろう。

アンブロシウスも同様だ。アンブロシウスが活躍したのは5世紀の初頭。つまりベイドン山の戦いが起きた6世紀初めには、少なくとも70歳代だったはずだ。暗黒時代の平均寿命は約35歳、長寿でも40歳だった。つまり、アンブロシウスが生きていた可能性すら低いのだ。

残るはクマと呼ばれたオウインだが、彼にもまた確固たる証拠はない。生きた時代も合致し、名前も問題なさそうだが、彼の名前には疑問が残る。俗称のクマはオウインの息子の呼び名だったのだ。

アーサー王は何者なのか?実在したのか?結局、アーサーの生涯を記録した文献も、彼の存在を示す物証もない。城や聖杯が見つかる可能性はゼロに近いかもしれない。だが永遠の王が復活する可能性は消えはしないのだ。