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ドイツ第四帝国の台頭!?消えたナチス親衛隊たちの消息に迫る!

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ヒトラーの準軍事組織として恐れられた親衛隊の幹部たちは、第二次世界大戦において最も悪評の高い戦争犯罪者となった。終戦後、裁判にかけられた者もいるが、多くはドイツからの逃亡に成功している。

恐怖のナチ党員の足跡をたどり、ドイツからオーストリア、イタリア、また彼らの多くが身を隠し、帝国再建の構想を練っていたとされるパラグアイに迫る!

 

 第四帝国の台頭

秘密組織オデッサ

敗戦でナチスは崩壊し、ヒトラー自慢の準軍事組織SSと呼ばれる親衛隊で権勢を振ったエリートたちは一転して追われる身となった。だが彼らを追うことは至難の業で、その多くが逃走に成功している。

オデッサと呼ばれる元親衛隊の組織が暗躍し、彼らを法の裁きから逃れさせたと多くの人が信じている。オデッサは、親衛隊員の逃亡に手を貸し、ヒトラーの構想を実現しようとしていた強力な組織だった。

彼らは自分たちこそが、インド、ヨーロッパ民族の祖と言われたアーリア人の子孫だと主張し、アーリア人による独裁国家・第四帝国を作り上げ世界征服を目論んでいた。

オデッサの存在を最初に暴いたのは、ナチスの戦犯追及で有名なサイモン・ヴィーゼンタールだった。第二次世界大戦直後、アメリカとイギリスの組織はナチスの捜索に力を入れていたが、それは次第に先細っていった。そのためヴィーゼンタールのようなナチスハンターは、西側がナチスの戦犯を追い続けるように力を尽くしたのだ。

ヴィーゼンタールはオデッサの存在を信じており、その情報は元親衛隊から得たものだったという。オデッサについて記された文献はほとんどない。そして、ドイツ官僚の大多数は、政府が出資する組織の存在は否定している。

だが確かな事実がある。終戦直後に戦犯として告訴されたナチ党員は15万人。だが裁判にかけられたのは、約3万人にすぎず有罪になった人数はさらに少ない。親衛隊の将校ヨーゼフ・メンゲレ、ヒトラーの側近マルティン・ボルマンなどが裁かれることはなかったのだ。ほとんどは、姿を消し消息は途絶えたままだ。

 ヨーロッパからの逃走ルート

逃亡した親衛隊員の中で最も悪名高いのは、ヨーゼフ・メンゲレ医師だろう。アウシュヴィッツで死の天使と恐れられたメンゲレが、人体実験で殺した人数は計り知れない。終戦から数十年後、南アメリカでメンゲレを写した写真がある。どうやって逃げおおせたのだろうか。

オーストリアのインスブルックには、オデッサの存在を明記した貴重なファイルが残されている。そこには、ブレンナー峠を越境させてイタリアへと逃がした案内人について書かれている。この文書は、1964年から保管されていると文書に明記されている。

これは、ヴィーゼンタールがオデッサについて公表した3年前になる。つまり、オーストリア政府はヴィーゼンタールより先にオデッサの調査を開始していたことになる。文書の最後には、逃走に使われたルートが記されており、列車でジェノバ、船でアルゼンチンへと逃走したことがわかるという。

ブレンナー峠を越えての逃避行の終点地は、イタリアの街ブレンナーバードだ。教会の関係者が、国境を超えた親衛隊の将校たちをここで出迎えたという。教会とホテルが建っており、親衛隊たちに偽名や偽造の身分証明書などを提供した司祭たちがいたと思われる。鉄道も通っており、ここから列車でジェノバへ行き、大西洋を渡って南アメリカで新たな人生を始めたのだろう。

メゾンルージュでの秘密会議

オデッサ設立の証拠と思われるメゾンルージュレポートという文書がある。2000年に機密扱いを解かれたこの文書には、1944年8月10日の秘密会議の内容が記されている。フランス、ストラスブールのホテル・メゾンルージュで開かれたドイツ産業界を牽引する面々と親衛隊のリーダーたちの会議を記録した文書だ。

ドイツが戦争に負けると考えた将校たちが、将来をどうするかについて話し合ったようだ。その目的は、ナチスの復活だったという。そこで問題となったのが、金の準備だった。そこで銀行の役員や実業家に働きかけ、海外に拠点を作らせ資金を移したのだ。

文書には、水資源の傍に会社を設立する計画が細部に渡って記されている。そこにナチスの高官が潜み、水資源の研究を装いながら秘密裏に都市開発を行い権力を取り戻そうというものだった。事実、親衛隊の将校が少なくとも一人、その役職に就いていた。アドルフ・アイヒマンだ。ドイツから脱出し、アルゼンチンの水力発電会社に勤務していた。

この会議の際にオデッサが誕生したという者もいるが、実際に行われたのかを怪しむ意見もあり、論議は以前から続いている。だが、ナチスが支持者の助けを得て世界中に拡散したことは、多くの歴史家が認めている。

カトリック教会の司祭の中にも手を貸した者がいるという。書類を偽造し、指名手配されたナチスをヨーロッパから逃がした司祭がいた。その場合、ナチスの逃亡先の多くは南アメリカだった。

歴史研究家によると、ナチスの逃亡に手を貸した司祭たちは、共産主義の台頭を懸念していたようだ。30年代から40年代にかけて、教会は共産主義が浸透してくるのを恐れていた。同じ悪でもナチスの方がマシだと言うわけだ。

パラグアイに残された証拠

マルティン・ボルマンはヒトラーの右腕だった。ボルマンはヒトラーの個人秘書を長らく務め、その取次ぎ役として権力を握った。ボルマンの進言は、ヒトラーの政策ともなったが、それが行き過ぎた感もありヒトラーを失墜させた原因だとも言われている。ボルマンは、その権力を使い欲しいものは全て手に入れたという。

ロシア軍が国境を越えて侵攻する中、ボルマンはベルリン脱出を図った。1944年5月1日のことだった。だが、親衛隊の下士官だったアルトゥール・アクスマンが、ボルマンはロシア軍の一斉射撃により死亡したと証言する。このためボルマンは、ベルリンで死亡したという意見が多数派だ。

だがアクスマンは嘘をついていると主張する者もいる。連合軍は死体を探したが、発見できずに終わったのだ。ボルマンが欠席のままニュルンベルクで裁かれた際、アクスマンが証言した。だがアクスマンは7回も証言を変えたため信ぴょう性は低いと思われた。

その直後、ボルマンはメンゲレと一緒に南アメリカに逃げたという説が浮上し、目撃情報も寄せられた。1972年ベルリンで建設作業員が、地面を掘ったところ2体の人骨が見つかった。発見現場は、アクスマンがボルマンの死体を見たという場所から10メートルほどしか離れていなかった。

ドイツ政府は、それをボルマンの遺体と主張。1998年に行ったDNA鑑定の結果がその裏付けとなった。だが法医学解剖の結果、隠蔽の証拠が見つかる。確かに遺体はボルマンのものだったが、それは埋め直したものだった。

その人骨は、ボルマンがベルリンから逃亡したという事実を隠すため、パラグアイで掘り起こされベルリンに埋められたという。ボルマンの頭蓋骨だけが赤い泥にまみれていて、同じ場所から出た他の骨はきれいで赤い泥がついた痕跡はなかったのだ。

この赤い泥は、ベルリンにはないがボルマンが逃げ込んだとされる地域、パラグアイのイタという地域にある泥と似ている。矛盾はそれだけではない。骨は完全ではなく睡骨が足らなかった。さらに生前のカルテに書かれていない歯に治療の跡があったのだ。

ボルマンは、パラグアイに潜伏し1959年に死んだという証言がある。パラグアイの法務省には、テラーファイルと呼ばれる文書が保管されている。かつて独裁政治を敷いたドイツ系でナチス支持者のアルフレド・ストロエスネル大統領による拷問、誘拐、汚職といった事について詳しく書かれた文書だ。

ストロエスネルの庇護の元、何百人もの親衛隊員がパラグアイに入国したと思われる。1961年8月24日付けの書類には、ボルマンは首都アスンシオンで胃がんを発病し、1959年メンゲレがドン・フリッツという偽名で治療に来たと書かれている。だが症状は手の施しようがなかった。

4月に諜報部員からボルマンが1959年に胃がんで亡くなったことを伝える手紙が届いている。ボルマンは、パラグアイのイタにある墓地に埋葬された。真実であれば衝撃的だ。

1900年ドイツからの移民が、オエナウの街を作った。そのため住民の多くが祖国とナチスに親近感を抱いていた。メンゲレやボルマンにとって理想的な隠れ家になり得た場所なのだ。パラグアイ南部の田舎で、偶然通ることなどなく目指して来なければたどり着けない場所だった。

ナチス逃亡の影で暗躍する教会

アドルフ・アイヒマンは、ホロコーストの立案者だと言われている。ユダヤ人問題の最終解決の責任者で何百万に及ぶ人々を強制収容所に送った。だが1950年リカルド・クレメントという偽名でパスポートの交付を赤十字社から受け逃亡する。パスポートの保証人は、ジェノバにある教会の司祭だった。

アイヒマンが教会を訪ねると教会の神父が、赤十字社に彼を連れて行きパスポートを与えた。神父の単独行動ではなく、ローマカトリック教会の司教たちまで絡んでいるという。キリスト教会は、少なくともナチスの逃亡を助ける組織を知っていたのだ。

さらにパスポートに記されたアイヒマンの泊まるホテルの横には、サンカルロ教会が建っていた。ブレンナー峠と同じ構図なのだ。ナチス逃亡のやり口がここまで似ている以上、教会が関わっていたことは間違いないだろう。

ではオデッサの真の姿とはなんだったのか?

逃亡する親衛隊員たちを教会が助け、ドイツの実業家が逃亡資金を調達していた。1つのグループだけが単独行動していたのではなく、歯車が噛み合うような協力関係があり、その中心にオデッサがあったのだ。この組織が今も存在するのか、教会との関係はまだ続いているのか、ドイツの実業家たちの子孫はその計画を受け継いだのか。真実は闇の中だ。