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隠され続ける宇宙人との遭遇!宗教、政府の思惑とは!?【UFO遭遇事件】

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1980年、イギリスで3人の若い兵士が奇妙な光の正体を調べるために森の中へ送られた。彼らは宇宙船を見たと言われている。それに触れた1人は、2進コードの羅列をテレパシーで受け取り、後に書き起こし解説したという。軍は3人に対し、この件の口外を禁じた。なぜ、このようなUFOとの遭遇は秘密にされ続けたのか?

 

UFO遭遇と隠蔽

未確認飛行物体の出現

1973年10月、ネブラスカ州のオファット空軍基地。アメリカと旧ソ連は冷戦状態にあり、世界は不穏な空気に包まれていた。突然レーダー上に現れた物体によって、基地は非常体制状態に入った。

当時、極秘の防衛計画に参加していたのが、巡査部長のケン・ストーチだった。コンピューターからアラーム音が鳴り響き、画面上には緊急警戒警報の文字が表示されていた。5機の未確認飛行物体が、北西部の上空に現れたのだ。

統合参謀本部では、これはロシアからの先制攻撃で潜水艦から弾道ミサイルが発射されたと考えられた。この未確認飛行物体は、2分とかからずにカナダを通過すると従来の物理学では説明のつかない方法で機動変更を行ったという。

5機はベーリング海を超えて旧ソ連へと向かっていった。当時のニクソン大統領は、直通回線を使って、飛行物体がアメリカの物ではないことをクレムリンに伝えたという。

両国とも正体不明の飛行物体が、宇宙人の物だと認識していたのではないだろうか?事件の翌日、CIAと空軍の調査官は認定工作に着手する。緊急警備に関する書類にサインを求められたストーチは、この事件の事を30年の間は口外してはならないという条項に従い沈黙を守ったという。

世界の2大強国を巻き込んだこの事件は、各国の政府が認識しつつも隠蔽した何百ともしれないUFO目撃事件の1つだと考えられる。この事件は、古くから地球外生命体が人類と接触しようとしてきたことを裏付ける新たな証なのではないだろうか。

ロサンゼルスUFO空襲事件

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1942年2月25日、カルフォルニアで深夜に爆風が起こり空は赤く照らし出された。これが有名なロサンゼルス空襲事件だ。世界中に出回ったこの写真では、サーチライトが何かを映し出している。

事件の目撃者たちの証言によれば、これは菱形をした物体だったそうだ。陸軍が2000発近い対空砲弾を打ち込んだが手応えはなく、機体はシールドで包まれているようだったという。

大量の砲弾が発射され市民にも犠牲が出たが、夜が明けるとこの乗り物の痕跡は何1つ残っていなかった。この物体が宇宙から来たことが、このことからもわかる。

5年後の1947年7月には、ニューメキシコ州ロズウェルの郊外でUFOが墜落したと言われている。その後も数々のUFO目撃事件が続いたために、市民の間から未確認飛行物体の正体について説明を求める声が上がる。

しかし、政府はこれに応じようとはせず、国家安全保障法を成立させただけだった。ロズウェル事件の数週間後には、トルーマン大統領が署名し国家安全保障法が成立している。この法律は、アメリカ国民からの問い合わせがあったとしても、政府は国の安全に関わる事柄に関して回答する義務はないと定めたものだった。

ワシントンUFO乱舞事件

1952年7月19日、ワシントンD.C.の上空に複数の未確認飛行物体が出現したことを、ワシントンナショナル空港とアンドリュース空軍基地の管制塔レーダーが捉えた。ジェット機が緊急発進したが、見つけることはできず基地に戻ると再びこの物体が姿を現した。この事件は世界中で報道されている。

この未確認飛行物体は、2週続けて週末に現れた。多くの人が同じ光景を目撃したのだ。物体は街の中心部を通過しているが、これはホワイトハウスの庭に着陸するにも等しい行為だ。

異星人が人類と接触するにあたり、アメリカの首都を選んだのには理由があったはずだ。これまでにも、ホワイトハウスや連邦議事堂をかすめて飛ぶUFOが数多く目撃されているが、これは対話を希望するというメッセージだったのではないだろうか。

ワシントンD.C.での目撃事件から数日後、空軍は公式会見を行い事件と宇宙人との関連を否定した。

「現時点で我々は、ある結論に達しました。目撃された未確認飛行物体の動きに意図的な要素は何ら見受けられません。我が国にとって脅威となるものでは断じてないことをご報告いたします。」

1952年、空軍はプロジェクトブルーブックの名で増え続けるUFO事件の研究機関を立ち上げた。これは単に真実を隠そうとする政府の企みだったのだろうか。

だが1969年にこのプロジェクトは突如閉鎖された。地球外生命体との接触を否定し続けた政府も、大衆の目はごまかせなかったということなのだろうか。あるいは、政府は繰り返し報道されてきた情報よりも多くの情報を掴んでいたのだろうか。

アクエンアテン王と宇宙人

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地球外生命体が人間と接触していたことは、数千年前から記録に残されていたのではないだろうか。エジプトのナイル川東岸沿いには、太古の昔に建てられたカルナック神殿群の遺跡が残されている。

古代エジプトの社会では、ファラオは現人神(あらひとがみ)であり、あらゆる人間を超越した完全な存在だと考えられていた。この宗教と結びついた権力構造が千年以上も続いた後、1人のファラオが王位に就きすべてを変えたと言われている。それがアクエンアテン王だ。

アクエンアテンは宇宙から来たと言われ、この王の治世によって多神崇拝の時代が終りを告げる。アクエンアテンは古い神々を捨て、太陽神のみを崇拝した。王と交信し命を与えたとも言われるこの神の名がアテンだ。

アクエンアテンの治世は短いものだったが、この時代のエジプト文化は異才を放っている。アクエンアテンは、神と交信できるという考えに取り憑かれていた。この王の創造には、非常に独創的な表現が使われたことが知られている。

王の像だけでなく、この時代の像はどれも奇妙な姿をしており、長く伸びた頭、不格好な体に細い脚が特徴だ。アクエンアテンの治世に起こったことを考えると、この王は宇宙人と交信していたのではないかと思えてくる。

アクエンアテン王の妻ネフェルティティや子供たちも同じように長い頭で表現された。ファラオとその家族がこのように表現されたのは、特別な理由があったからではないだろうか。おそらく、王やその他の人々はこうした長い頭を持つ神を見ていたのだろう。同じ頭の形にすることで神に近づくことができると考えたのだ。

太陽神アテンは宇宙人だったのだろうか、あるいはアクエンアテン自身が遠い星から来た宇宙人だったのか。アクエンアテンがアテン神から与えられた啓示が、この王が統治したエジプト社会に絶大な影響を与えていたのではないだろうか。

アクエンアテンの治世は17年間続いたが王の死後、太陽神のために建てられた壮麗な都市は一部が打ち壊され、奇妙な姿でかたどられた王の肖像は破壊された。王に啓示を与えたと言われる太陽神アテンは、事実上記録から抹消された。アクエンアテンが宇宙人と交流していたことは、王の死後エジプト王朝でも隠蔽されていたのだろうか。

カトリック教会の隠蔽

1600年2月17日ローマで、天文学者であり哲学者だったジョルダーノ・ブルーノは異端の嫌疑により投獄されてここで命を終えた。彼の罪状の1つが、地球は世界の中心ではなく宇宙のいたる所に生命は存在すると主張したことだった。

ブルーノは宇宙人の存在を信じていた。バチカンはこの類のことを巧みに隠すことで知られているが、これは二千年近くに渡って続いた教会支配のほんの一面にすぎない。ブルーノの下には宇宙人が訪れていたのはないだろうか。また同じ宇宙人がブルーノ以外の科学者たち、コペルニクスやガリレオにも啓示を与えており、これを知ったバチカンが危機感を募らせていたとは考えられないだろうか。

ルネサンス期には、ガリレオやコペルニクスといった科学者は教会から破門されており、当時の教会は情報の統制に躍起になっていた。科学上の大発見もなんとかして闇に葬ろうとしていたのだ。

ブルーノの主張には、宇宙が無限の世界から成り立っていることや、そこに知的生命体がいることが含まれいたという。この概念は、当時の宗教を支える基本理念に反するものだった。人は宇宙の中心に住み、頂点に君臨する生物だと考えられていたためだ。

ブルーノの説にヨーロッパ中の科学者はいきり立った。そして遂にバチカンから逮捕の命が下る。8年に渡って地下牢に監禁されようが、異端審問にかけられようが、ブルーノは信念を曲げなかった。そしてカトリック教会に背いた罪により火炙りの計に処せられた。

だがバチカンは、ブルーノが異星人から啓示を与えられたことを知っていたのではないだろうか。人間より遥かに優れ、バチカンの支配下に収まることのない異星人が存在する事実を認めたくなかったのかもしれない。

ブルーノが執筆した書物をカトリック教会は数十年に渡って禁書とした。葬り去られた書物の中には、バチカンが消し去りたかったブルーノへの啓示が含まれていたと考えられている。だが、宇宙人から受け取った知識は今も大衆には伏せられている。つまり教会は今も尚、脅威を感じているということだろうか。

ファティマの奇跡

1917年3人の子供が啓示を授かったが、一部の神学者はこれを聖女マリアの降臨と見ている。ファティマで聖女マリアを見たと子供達が言い出したために、現場であった羊の放牧場に7万人もの人々が駆けつける騒ぎとなった。

なんとそこに回転する銀の円盤が現れたという。カトリック教会はこの事件も、子供達に起こった奇跡も長い間、事実とは認めなかった。

子供達には3つの啓示が与えられたが、教皇は3番目の啓示を公表することを禁じた。これは地球外生命体に関するものではなかったかと言われている。なぜ公表しなかったのか、なぜ教皇がそれを行ったのか、その理由はわからない。

宇宙の使者が訪れたと言われる事件は数多く存在するが、ファティマの奇跡もその1つだという。ジャンヌ・ダルクが聞いた神の声や、ルルドでベルナデッタ・スビルーが見た聖母マリア、さらに旧約聖書に記された数え切れないほどの啓示も宇宙人によるものだという。おそらくバチカンは、自らが認める以上に異星人のことを知っているのだろうが、宇宙に生命が存在すると信じることは、全能の神を疑うことになると考えているのだろう。

マウント・グラハム国際天文台では、カトリック教会が巨大な望遠鏡を使用して夜毎、天を見上げている。天文台はもう一つローマにもあるという。彼らは何を見つけようとしているのだろうか。

カトリック教会は宇宙人を監視して、その存在が科学と政府によって認められる日に備えているのではないだろうか。天文台近くにあるサンフランシスコ ピークスという山は、先住民のホピやズニの聖地で天空の人々が降り立ち、帰っていった場所と言われている。バチカンがそのすぐそばに天文台を建てたことは一考に値する。

2008年にバチカンは、宇宙人が存在する可能性を認め、神の教えと矛盾しないと発表し世界を驚かせた。バチカンが何の根拠もなく、このような声明を出したとは考えられない。発表の背景には、計算し尽くされた思惑が存在するはずだ。事実を見据えれば、宇宙人が地球を訪れていることや、バチカンがそれを知っていることは明らかだ。

レンデルシャムの森事件

1980年12月27日、日付が変わって間もなくイギリスのサフォーク州にあったアメリカ空軍基地のレーダーが未確認飛行物体をとらえた。物体はレンデルシャムの森に降りた。この時は、航空機の墜落と考えられていた。

3名のパトロール兵が森に向かうと、そこで真っ黒い直径3mの三角形の飛行物体を発見した。物体は赤い光と青い光を発していたという。3人の中にいたジェームズ・ペニストン軍曹とジョン・バローズ上等空兵はこう語っている。

「物体に近づくとそれは自分の頭上で爆発して青い物質と光に変わり、自分もその中に吸い寄せられた。気づいた時には草原にいて何が起こったのかもわからなかった。」

ペニストンは、物体の側面に奇妙な象形文字のような刻印があることに気がついた。手で触れると突然、頭の中に数字が洪水のように流れ込んできたという。

2人は腕時計を身につけていたが、事件が終わって見てみると実際の時間より45分遅れていたという。時間が失われたことは、指揮官に言われるまで気づかなかった。その間、3人の無線は繋がらなかったという。

次の日、ペニストンは何かに駆り立てられるように数列を手帳に書き留めていった。なんとそれは、12ページも及んだという。ペニストンとバローズは、上官からレンデルシャムの森で目撃したことを記録するように命じられた。

しかしこの時、謎の物体が宇宙船だと取られるようなことは書いてはならないという圧力があったことを2人とも認めている。その後、二晩に渡りこの基地の兵が、やはり謎の物体を目撃している。しかし、副司令官のチャールズ・ホルトが記した極秘の報告書の他は、記録は何も残されてはいない。

2010年になってペニストンが書き記した2進コードの解読が行われ、その内容の一部が明らかになった。それはメッセージになっており、「人類の探求、惑星の発展のため続く」となっていたという。地理座標のようなものもあり、それがアイルランドの西岸沖を指すこともわかった。このメッセージは、異星人が人類を調査し私たちを助けるためにやって来たことを伝えるものだと解釈することができるという。

事件にはどんな謎が隠されているのだろうか。アメリカとイギリスの両国の軍部が、隠さなければならないほど重要な事とはなんだったのだろうか。また目撃者がほとんど名乗り出ないのはなぜなのか。

いつの日か宇宙からの来訪者に関する真実が、明かされる日が来るのだろうか。もし宇宙人が存在するなら、世界中の政府や宗教はなぜ存在を否定し続けるのだろう。人間は自らの過去を紐解く衝動に駆られるもので、おそらくそれは過去の探求によってのみ未来に限りなく近づけるからではないだろうか。