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プマプンク遺跡の謎!宇宙人によって作られた巨石建造物説

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約1万4000年前のものとされるプマプンク遺跡は、地球上で最も古く最も不可解なものだ。この綿密に築かれた当時の建築物を誰が設計し、建造し、そして滅ぼしたのか?何も分かっていない。研究者たちはペルーの遺跡を調査。現場から出た証拠と地元の神話や伝説などから、地球外生命がプマプンクを設計し、さらにそこで暮らしていたということが示される。

 

 プマプンク遺跡

膨大な数の巨石

ボリビア・ラパスの街からおよそ70km西へ向かうと、アンデス山脈の山々に囲まれた謎の古代遺跡プマプンクがある。標高3700mの高原砂漠であるこの場所には、世界最大規模の巨石が残されている。最大の物では長さが8m近く、その重さは100tを超える。

この遺跡は約2000年前に建てられたというのが、学会の見解だ。だが1945年に考古学者のアーサー・ポスナンスキーが、プマプンクはもっと古い物だと提唱した。ポスナンスキーは、ボリビア人の血を引く研究者で何十年も調査を行い、遺跡は星の配置を真似て紀元前1万5000年頃に建てられたと結論付けた。

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プマプンクにある安山岩のブロックは、原始的な石器を使い人力で切り出されたというのが学会の見解だが、複雑な装飾が施されていることから高度な加工技術が使われた可能性を指摘する声もある。

加工されたブロックは、とても正確に切り出されていて完璧な水平と直角を成している。こうしたブロックには、単に正確に直角が作られているだけではなく、高度な技術が必要になるドリルを使ったような穴まで開けれらている。

だが、太古の昔に生きたと思われる原始時代の人々が、なぜこのような高度な加工が行えたのか?プマプンクを作った古代人は、先進技術を使って巨石構造物を作ったのかもしれない。そして、この技術は宇宙人によってもたらされたのではないだろうか。

巨石加工技術の謎

イリノイ州に住む機械技師で工具の制作も行うクリストファー・ダンが、現代のレーザー加工機やダイヤモンドカッターを使い、プマプンクの石の切断試験を行った。顕微鏡を使って太古の昔に切断された面と、現代の技術で切られた2つの断面を比較した。これにより明らかな違いが確認された。

レーザーによる切断面には、その熱によりガラス化作用が起きていた。そしてダイヤモンカッターの切断面には、丸いノコの跡が残っていた。だが古代人が切断した箇所にはそうした跡がなく、全く違う方法で切断されたことがわかった。

何を使ってこれほど正確に石を切り出したのだろうか?石の構造をさらに研究すれば、先進技術が存在した証拠が見つかるのだろうか?その証拠はH型をしたブロックにあるかもしれない。

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H型に切り出された石は、どれも同じ形をしていてプレハブ式工法の建材のようにも見える。規格化した建材をあらかじめ何百と用意する必要があるのだが、正確に同じ形を作り出せる機械を持っていたかのようにも思える。

さらなる謎は、どうやってこの安山岩をここに運んできたのかということだ。正統派の考古学者は、巨石が100km以上離れた場所で切り出されてコロを使って運ばれてきたと結論づけた。

だがこの仮説は、この遺跡がある場所が標高4000m近い高地であることが一切考慮されていない。高い木が育たない境界線とされる高木限界よりも、プマプンクは標高が高いのだ。つまりここには木がない。ということは、切り倒してコロにするための丸太がないということになるのだ。つまり、コロで運んだという仮説は成り立たないのだ。

コロ ... 鉄や木材で作った円柱体で,重いものを運ぶときその下に置き,すべり摩擦を小さなころがり摩擦に変える。古くから使われ, ... 丸太を輪切りにした車輪の中心に軸を取り付け、その上に車台を乗せた荷車が運搬用に使用されるようになった。(コトバンクより)

ではどうやって巨大な石を運んできたのだろうか。ある種の超科学が存在したのかもしれない。空中浮揚や反重力、巨大なクレーンなど古代の異星人の技術が使われたのではないだろうか。

ティワナク遺跡

1549年インカ帝国の首都を探し求めてスペイン人制服者たちは、ボリビアに渡りティワナクの遺跡を発見した。ティワナクは、プマプンクから数百メートルと離れていないが、ここはかつて4万人以上が住んでいた文明の中心地であったと学会では考えられている。

ティワナクはインカの前に存在した大文明だが、スペイン人たちがやって来る遥か昔に消滅していた。この文明は、建築術や政治システム、農業技術、その他にも工芸品作りなどにおいて非常に高い水準にあったことがわかっている。

地元の伝説によれば、ティワナクは隣接するプマプンクに空の神が降りたことを祝うために建てられた巡礼地だったという。この2つの遺跡は建設された時代が違うだけでなく、それぞれ異なる者によって建てられたという。異星人が作ったと思われる古い様式と人が作った新しい様式があるのだ。

人々はティワナクを巡礼地として、プマプンクに集まり、かつてここで起こった重要な事柄を忘れないようにしていた。そしてこの遺跡にまつわる重要な事柄とは、遠い昔に古代の異星人が地球を訪れたことだったのだ。

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1960年代にボリビア政府は、ティワナクの半地下神殿の発掘を行った。正方形をした中庭の壁には、多種多様な特徴を持った何百もの顔が掘られていた。こうした顔の彫刻は、世界に住むあらゆる人種を表しているのだという説がある。その中には宇宙人のグレイそっくりなものまであるのだ。

アヌンナキとの交流

半地下神殿の中央に立つ大きな石像は、創造神ビラコチャを表したものではないと言われている。だが人々は、最高神を自分たちにはない特徴を織り込んで表現している。南アメリカの先住民には見られない立派な髭を貯えているのだ。その姿はシュメール人に似ており、もしかするとシュメールの人々が南アメリカへと渡ってきたのかもしれない。

紀元前4000年ごろに起こった古代シュメールの文明が、約1万3000km離れたティワナクの古代の住人たちと交流していたのだろうか?

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1950年代にチチカカ湖の近くで発見されたスペイン語で『大きな深皿』を意味する名で呼ばれている皿には、シュメールのくさび形文字らしきものが刻まれている。さらに初期の象形文字に似たものまで見られる。この文字は紀元前3000年ごろのものと考えられている。古代シュメール人とティワナク近郊の人々との間に交流があったことが伺える。この皿こそが、プマプンクに宇宙人が関係している証拠だと言われているのだ。

ティワナクやプマプンクにシュメールの文字が残されているという考えは、今は亡きゼカリア・シッチンが提唱した仮説に通じるものがある。シッチンは、アヌンナキと呼ばれた宇宙人種族とシュメールの人々が交流していたと考えていた。アヌンナキがシュメールの地を訪れていたなら、プマプンクに来たとも考えられる。

ティワナクで見つかった刻印は、宇宙人と人々が交流していた証拠だったのか?それは創造神ビラコチャの伝説とその謎の起源を調べることで答えを見つけることができるかもしれない。

プマプンクから20km北上すると南米最大の規模を誇るチチカカ湖がある。この地に伝わる伝説によれば、神ビラコチャはこの湖の底から浮かび上がり、ティワナクに文明をもたらした。次にプマプンクに行き、石から男と女を作り地球の各地を訪れてこの種族を広めたと言われている。

スペイン人の制服者たちは、インカの王を始め、ここに住む人々にプマプンクが何であるのかを訪ねた。すると人々は口を揃えて、これは自分たちでも祖先たちでもない、神々の手によって一夜にして作られたものだと答えたのだ。

プマプンクの歴史が記された最も古い記録を読むと、巨大な石の土台をラッパの音を使って空に飛ばして動かしていたと書かれている。つまり、宙に浮かせて組み立てていたというのだ。

これらの伝説、事実をまとめて仮説を立てるとこうなる。

異星人が地球に来た時、宇宙船は地球周回軌道に留まり、小型の乗り物で着陸したと思われる。地上に降り立った異星人は、その時に持ち込んだ機器を守るために一晩で基地を作り上げた。もちろん、別の銀河系から石を持ち込んだのではなく、地球で見つけた石を使ったのだろう。

やがて異星人たちはどこかに去ってしまい、その場所には基地の壁などが残った。そこへ先住民が来てこの遺跡を発見する。巨石を手で触ると驚くほど滑らかで、驚くほど鋭利な箇所もある、神が作ったに違いないとされ、ここは巡礼地になった。

その後、先住民は神を讃えるための神殿や祭壇を自らの手で立て始めた。そのため、宇宙人よるのものと、人間によるものという異なる2つの建設技術がここでは見られるのだ。

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ティワナク神殿の中央に『太陽の門』と呼ばれる西の門の遺跡が残されている。重さは10t、安山岩の1枚岩からできていて高さは3m、幅4mでプマプンクに通じる入口だったと考えられる。

門の上部には50体ほどの翼を持つ生物を象った見事な彫刻が刻まれ、中央に掘られた創造神ビラコチャを囲んでいる。刻印を解釈すると暦らしきものと判明した。日付は紀元前2万7000年ごろを表しているいう。

翼を持つ生物は、古代に空を飛ぶ人を表現する際に使われていた。天上界や空から降臨した者を表そうとしたのだろう。推測になるが、ここに巨大な宇宙船が降り立ったのだろう。工房的な役割をしたこの宇宙船で巨大な石のブロックの加工を行い、プマプンクが作られたと思われる。

プマプンクに残された残骸の謎

 プマプンクに破壊をもたらした要因は何世紀にも渡って謎のままだ。プマプンクは、数千年前に起こった大規模な洪水の犠牲になったという。かつて隕石がチチカカ湖の南に衝突したことがあり、その際に泥水が2.5mほどの高波となってこの地域一帯を襲ったと考えられている。

実際に証拠も残されている。近年の発掘の際に、元々はブロックだったと思われる安山岩の欠片が土に混入していることが判明した。だが土壌がこのように特殊な構成をしているのは、遠い昔にここで大規模な爆発が起こったためとも考えられる。

可能性の1つとして、プマプンクで人工的な爆発物が爆発して一帯が破壊され建造物が、粉々になってしまったことも考えられる。その後、巨大津波が押し寄せて瓦礫が泥と土に覆われたのだろう。

さらに考えられる可能性としては、建造した異星人たちがここを去る際に自分たちで破壊していったというものだ。

石に精巧な加工を施し、比類のない工学技術を持ち謎の倒壊を遂げた遺跡。プマプンクは、宇宙からの来訪者によって築かれたのだろうか。だとすれば、その目的はなんだったのだろうか。前進基地だったのか、戦場だったのか、あるいは最終目的地だったのか。いつの日か私たちはこの謎を解き明かし、自分たちが何者で、なぜここにいるのかを知る事になるだろう。