理由は知りませんが、GW中に爆売れした『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本。梅毒の正体を知るため、患者の膿を「自分」に塗布!急激な加圧・減圧実験で鼓膜は破れ、歯の詰め物が爆発!!...ほか、常識を覆すマッドな実験が満載。なんて紹介文が帯に書かれて興味津々。
色々ググっていたら、お馴染みの岡田斗司夫さんが動画で評論解説していたのでご紹介します。
世にも奇妙な人体実験の歴史
18世紀の医学界はカオス
18世紀の終りから19世紀というのは、「科学の時代」と言われている。科学の時代に突入したヨーロッパ社会だったが、そんな科学の中で唯一、遅れていたのが医学だった。「ターヘル・アナトミア(解体新書)」が日本で訳されたのが、1774年。
これを読んだ杉田玄白は、日本の医学は西洋に比べて大きく遅れていると感じた。だが解体新書の原本は、1722年にドイツで出版されたもので、杉田玄白が訳したのは12年後にオランダで翻訳されて発売されたものだった。
ドイツ版からオランダ版へと翻訳された際に誤訳が多かったために、その内容は間違えだらけだったのだ。その頃のヨーロッパというのは、紀元2世紀のローマの時代の医師・ガレノスが提唱した間違った医学を未だに信じていた。
ガレノスは、臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成をなした。ところが、ガレノス自身は人体解剖を生涯することはなかった。
動物を解剖し、臓器を見てその役割を考えていた。ガレノスは、ギリシャ時代の医学の信奉者でギリシャ時代の医学に合うように自己解釈していた。ギリシャ時代の医学には、「四体液説」というものがあり、人間には4つの液体が流れていると考えられていた。この4種類の液体のバランスの狂いによって、人間は病気になるという考え方だ。
ガレノスは、四体液説を元に犬やネズミを解剖して、各臓器の役割を調べて文書を書き残した。そのため、解体新書という文献は、この時代のヨーロッパでは少し変なものだったのだ。
当時のヨーロッパでは、解体新書を読んでいる人は多かったのだが、チラチラと読んでそれをガレノスの四体液説に当てはめるという人が多かった。18世紀のヨーロッパの医者のほとんどは、ガレノスの学説をそのまま信じていたので、当時発見された科学的な成果というのは、医学の世界にはまだ降りてきていなかったのだ。
そのため、この話の舞台となるイギリスの医者にも、解体新書を訳した杉田玄白ほどの知識を持つ人はほとんどいなかった。その理由は、18世紀の医者の試験がラテン語の面接だけだったためだ。
ラテン語で書かれたガレノスの四体液説の本が読めるのか?それを理解できているのか口頭で聞かれて、答えられれば合格というような状態だった。この試験に合格して、何年か修行すれば医者になれたというのだ。
この時代の医者というのは、内科医のことを指す。外科医は存在しておらず、床屋外科業界、床屋外科組合と呼ばれていた。床屋のサインポールが赤・白・青でグルグル回っているのは、昔は床屋が医者を兼ねていたためというトリビアは、なんとなく知っているが、それがなぜかは知らない。
当時の医者は、患者を触ったりすることはない。そういうことは下賎な人間のすることであって、脈を取るのも下男がやっていた。そういったお付の人の話を聞いて、ガレノスの知識からどういうクスリを出すのかを決めていた。つまり効き目のないクスリを出すことが医者の仕事だったのだ。
ガレノスの四体液説と照らし合わせて、ここに体液が溜まりすぎているから悪いと判断し、血管を切って治療する瀉血(しゃけつ)という治療が行われていた。この腕のある部分を切って血を出すという治療をするのが床屋外科という人たちだった。
日常的にナイフやカミソリを持ち慣れている床屋さんが、床屋外科組合を作って、そういった治療を行っていた。
当時の治療は、まず内科医がクスリを処方する。そのクスリも、浣腸のような下剤、嘔吐させるクスリ、そして水銀(猛毒)の三種類しかなかった。それでダメなら床屋さんが呼ばれて血が抜かれた。それが当時の医療だったのだ。
だがこの瀉血という行為は無駄だと、1600年代にはウィリアム・ハーパーという人物が「血液循環説」を唱えていた。血液は心臓から送られて、心臓に戻って来るので、腰が悪いからと言って腰の血を抜いても無駄だと発見し、論文にもしていた。
だが、ガレノスの四体液説を信じ込む人々は、異端の本と位置づけ血液循環説から100年後のロンドンでも、多くの医者が悪い部分の血を抜くという治療法で、患者たちの寿命を縮めていた。
つまり18世紀は、内科に行ったら毒を処方されるし、外科に行ったら気を失うまで血を抜かれるというカオスな時代だったのだ。そのため、医者にかかっても死ぬだけだと言われ、大体の人は民間療法を試していた。
庶民もバカではないので、そのことを感じてきており民間療法に頼った。当時の新聞には、これも治ります。これにも効きます。などという広告がたくさん出ていた。庶民が自己防衛するには、そういった怪しい民間療法のクスリを試してみるしかなかったのだ。
颯爽登場!ジョン・ハンター
そんな18世紀の医学界を根本的に変えてしまったのが、この本の最初に出てくるジョン・ハンターだ。この本に書かれているハンターが、自分に対して行った人体実験で特に有名なのが性病の実験だった。
当時、医者に求められたのは、惚れ薬と性病を治す薬ばかりだった。この頃のヨーロッパは、セックス革命の真っ只中で性病が大流行していた。患者の4人に1人は性病だったそうだ。
その時代の性病には、淋病と梅毒の2種類があった。ジョン・ハンターは、淋病は命には影響せず自然に治るが、梅毒というのは放っておいても自然に治らない、治療しないと死に至る病気だと考えていた。
それを実証するために、淋病の患者を2つのグループに分け、一方には偽薬をもう一方には当時、一応淋病に効くとされていた薬を与えてみた。すると両方のグループ共、数週間で淋病は治っていった。
この結果から、淋病は特に治療しなくても健康に過ごしていれば勝手に治るとハンターは、この実験で確かめたつもりになっていた。
さらにハンターはもう1つの仮説を立てていた。淋病というのは性器の病気、それが全身に転移してくと梅毒になるのではないか?と考えた。現在では、淋病と梅毒は全く別の病気として知られているが、当時はそれが全くわからない状態だったので、ハンターはこう考えたわけだ。
これを調べるには、健康な人に淋病を感染させて放置し、それを観察すればいい。そしてそんな危険な実験に使えるのは、自分の身体しかないとハンターは考えた。経過観察を毎日毎日するには、自分の身体が一番だと気の短いハンターは思いついてしまったのだ。
そこでハンターは、自分の性器をナイフで傷つけて、そこに淋病患者からの菌を毎日塗ったのだ。毎日経過を観察しながら、治療もせずに不健康な生活を続けたハンターについに梅毒の症状が現れる。
この時、ハンターは自分が考えた通りだと喜んだらしいが、1人の患者が淋病と梅毒の両方にかかっているという可能性をハンターは全く考えていなかった。ハンターが自分に病気を移植した患者は、淋病と梅毒の両方にかかっていたために、ハンターは淋病と梅毒両方に感染してしまったのだ。
当時の医学界には、ペニシリンがまだ存在しておらず、ハンターはこの梅毒に一生苦しんだ。だが、ハンターにとってそれくらいのことは当たり前のことだった。ジョン・ハンターの面白伝説は、まだ序章に過ぎなかった。
兄の偉業の陰に弟の暗躍あり!
これは臨月直前の子宮の解剖図。ジョン・ハンターの兄で医者のウィリアム・ハンターが発表した図版だ。これは当時の医学界に衝撃を与えた。これまではギリシャ時代の学説から、赤ちゃんは最初から親と同じ格好をしていて成長して大きくなったら生まれてくると考えられていた。
ところがウィリアム・ハンターが発表した本の中では、30枚以上の図版が使用され妊娠初期から臨月まで子宮の解剖図が載せられていた。そこで初めて、最初はトカゲのような赤ちゃんが、だんだんと人間の形になっていくということがわかったのだ。
この図版がなぜ衝撃的だったというと、妊娠している女性の解剖はほとんど不可能だとされていたためだ。当時、人体解剖は死刑囚の遺体のみが許されていた。ところが妊娠中の女性は死刑にならないという法律があったのだ。
当時は死刑にされる罪が60種類ほどあり、何をしても死刑にされた。そのため、死刑にされそうになった女性は看守と関係を持ち、妊娠することで死刑を免れようとしたという。
さらに死体の提供数自体が少なかった。キリスト教徒は、最後の審判を信じており、キリストが地上に降りてきて死者を復活させて天国へ連れて行ってくれると考えていた。その時に解剖された死体は、天国に行けないと言われていた。そのため、親族たちは解剖を拒んだ。
ではなぜ、ウィリアム・ハンターの論文には、妊娠中の完璧な子宮の解剖図が載せられていたのか?妊娠初期から臨月直前までの女性の死体が偶然手に入った?そんなことはあるはずがない!そこで登場するのがジョン・ハンターなのだ。
ジョンが田舎の実家でニートのような生活を送っている頃、兄ウィリアムはロンドンで医者をしており、自宅の一室で人体解剖の教室を毎日開催していた。これが大ヒット!当時のイギリスでは、解剖学というのが珍しく、熱心な学生や現役の医師たちが集まり大繁盛していたという。
だが、解剖を行う死体は1週間しかもたない。ウィリアムは新鮮な死体を毎週必要としていたのだ。ちょっとした罪でもすぐに死刑になるイギリスでは、縛り首の執行が見世物になるほど死刑者はおり、死体の確保も難しくはないかと思われた。
ところが、ウィリアムの教室以外にも解剖教室はいくつもあり、医者たちや遺族の間で死体は奪い合いになっていた。ウィリアムは、解剖教室のために新鮮な死体を合法的に入手しなければならなかった。
だが合法的に無理ならば、非合法な手段で手に入れるしかなかった。いわゆる墓荒らしだ。当時のロンドンでは、墓荒らしが横行していたが、社交界や医学界で成り上がりたいと思っていた野心家のウィリアムは自分の手を汚したくはなかった。
そこで目をつけたのが、田舎でニート生活を送るジョンだった。兄から解剖用の死体が欲しいと頼まれたジョンは、その日のうちに怪しげな酒場に直行し墓荒らしの盗賊たちと知り合いになり、死体を手配してもらう。
だが死体は毎週必要になるため、いつしかジョンは盗賊たちの仲間になり、いつくかのルールを学び始める。
墓荒らしのルール
- 墓を掘り越すのは貧乏人の墓に限る
- 死体は丸裸にして盗むこと
- 暴いた墓はきちんと埋めなおす
- 墓荒らしには縄張りがある
貧乏人の墓を狙うのは、穴が浅く柩も薄いので掘り出しやすいため。対して金持ちの墓は、穴が深く柩も金属製で労力がかかった。丸裸にする理由は、死体の持ち物を何か1つでも盗むと窃盗罪になるため。死体は誰の所有物でもないということで、盗んでも罪にはならなかった。
死体を盗むのは、埋められた日になることが多く、ロンドン郊外の墓のほとんどは中身が空だったという事件が実際にあったという。掘った穴をちゃんと埋め直していたことがわかる。マフィアのような縄張りが存在し、他の島を荒らすと抗争になることからルールは徹底されていた。
ジョンは、この墓荒らしの世界に積極的に参加していったので、あっという間に有名になり、当時のロンドンで最大の墓荒らし集団を組織しボスとなった。
こうして兄のために死体を用意する組織のリーダーとなったジョンに、ウィリアムは死体の大まかな解体を頼むようになる。それと同時に解剖学についても教え始める。ここでもウィリアムは、思わぬ才能を見せ始める。
標本づくりに必要な細かで繊細な仕事で才能を見せるジョン。その手さばきは、ベテラン解剖医を最初から凌駕していたという。自分以上の解剖の天才だったジョンに、ウィリアムは解剖教室の全てを任せてしまいます。
ウィリアムは、解剖のような下賎な仕事がしたかったわけではなく内科医を目指していたのだ。解剖教室は金儲けのために開いていただけで、外科医になりたかったわけではなかった。そう、ウィリアム・ハンターが発表した解剖学シンギュラリティ妊婦の経過解剖図版制作は天才的なジョン・ハンターの才能があったためにできたことだったのだ。
事実は小説よりも奇なり
世界的な墓荒らしのリーダーになったジョン・ハンター。 ジョンは、墓をいちいち掘り起こすことをやめて、葬儀屋と結託することを見出す。葬儀が終わった柩の中身を石と入れ替えて死体を確保したのだ。
その死体は、葬儀屋で解体し、郵便などで自宅へ送っていたという。時には田舎まで出向き、死体を解体して汽車で送ったという。これが結構な頻度で見つかっており、事件化した。当時のロンドンでは、死体輸送業者の仕業とは思わずバラバラ死体発見のニュースが飛び交い、猟奇殺人者が大量にいる都市として報道されたという。
18世紀のロンドンで怪奇小説が流行ったり、イギリスがミステリーの本場になったというのは、当時のジョン・ハンターの死体運搬ルートが、誤解されて新聞で広まったというのが原因だった。
弟は死体入手から解剖、解剖教室の運営まで一手に引受け、兄はその知識で有名になり社交界へデビュー。ハンター兄弟は、ロンドンの繁華街にとんでもない家を建てた。表通りには兄が立派な格好し、上流階級の人々をもてなすサロン。裏通りは、毎日死体が搬入され血まみれの弟がウロウロしているという異様な屋敷だった。
この変な屋敷は、次第に知られるようになり後にハンター兄弟をモデルにした「ジキル博士とハイド氏」という小説が発売されることになる。心理サスペンスの元祖であり、同時に近代ホラー小説の元祖でもある。
心理サスペンスとは、人間は誰しもが異常な犯罪を起こす可能性があるという話。都市の中にすんでいるあなたの隣人が犯罪者かもしれないという近代ホラーサスペンス。つまり名探偵ホームズや名探偵コナンなどの源流は、ジョン・ハンターにあったのだ。
ジョン・ハンターがロンドンの街を毎晩、猟奇的な殺人が起こる異常な街だと思わせなければ、こんな小説も生まれなかったし、ミステリーブームも起こらなかっただろう。
高まる死体の需要
ある日、偶然にジョンの元に出産目前の女性の死体が運ばれてくる。その女性を解剖してみると、中には完璧な生まれる前の胎児が入っていた。これをウィリアムに見せると、驚いたウィリアムは妊娠の各段階の図解を載せて発表すれば医学界はパニックになると言い始める。
だが、妊娠の各段階などという都合の良い死体が手に入るはずがない。ジョンは、自分の窃盗団に妊娠している女性が死んだら、イギリス中でどんなに遠くても取りに行くように指示を出す。
さらに対立していた他の窃盗団にも、賞金を出して値段も入手方法も問わず手に入れてくれるように頼んだ。すると徐々にどうやって手に入れたのかわからないような死体が集まりだした。健康だが死んだという妊婦の死体が集まりだしたのだ。
妊婦は死刑を執行されるはずがないので、入手経路は明らかにグレー。当時の新聞には、ロンドン・バーカーズという事件がよく報じられていた。解剖用の死体を手に入れるために人を殺している奴らがいたのだ。バークとヘア連続殺人事件を模倣し20人以上を殺したと言われている。おそらくジョンが入手した死体には、こういう事件性のある死体も含まれていただろう。
だがこの解剖図が発表されてから医学界は、飛躍的に進歩した。当てにならないギリシャ・ローマ時代の医学書から、医者が現実に目を向けて出産で死ぬリスクが劇的に下がったという。
ジョン・ハンターは、ヤギの頭に水牛の角を埋めたり、ニワトリのトサカに人間の歯を移植したり、世界初の人工授精まで成功させている。歯医者の医学を進歩させたのもジョン・ハンターだという。
こんなジョン・ハンターに関する記述はたった18ページしかないのだとか。
さらに毒ガス、麻薬、ビタミン、サメに噛まれたら人間は死ぬのかどうかなど、えげつない人体実験の話は有料パートでした。面白そうだなぁ。