「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活楽にならざり…」この短歌を詠んだのは、石川啄木。学歴がなく、ちゃんとした仕事に就けなかったという。学歴がなくなった理由は本人にあり、カンニングがバレたり、出席日数不足や成績の悪さから退学勧告を受けて中学を退学したからだ。
中学時代に知り合った金田一京助(言語学者)は、お茶が買えなくて水しか飲めなくなるほど、ほとんど全てのお金を啄木に貸して、結局返してもらえず一番の迷惑をかけられたという。
借金生活
啄木が金を借りた理由は、連日連夜の豪遊のため。金がなくなれば友人から借金を繰り返していた。63人の友人から借りた金の総額は、現在の2700万円相当にのぼったとか。頭を下げて借金を重ねた啄木だが、当時の心境を詠んだ短歌がある。
一度でも 我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと
意味は、一度でも私に頭を下げさせた奴らが全員死にますように。迷惑をかけておきながら、みんな死ねばいいだなんて…本当にダメな男。そんな啄木のせいで不遇な生活を強いられていたのが、19歳の時に結婚した妻・節子。働かない啄木に代わって生活費を稼いでいたが、執筆活動のインク代がなくなるほど生活は困窮していた。
しかし啄木に転機が。それは1907年、啄木21歳の時のこと。啄木は北海道の新聞社、小樽日報でその文才を発揮する。給料も月50万円相当まで上がり、生活も楽になると思われたのだが…
お金がない理由
啄木の死(享年26)から数十年後…啄木が残したローマ字で書かれた日記が出版される。それによりプライベートが流出することに。そこには金がない理由が書かれていた。
10人ばかりの女を買った。みつ、まさ、きよ、つゆ、はな、あき…名を忘れたのもある。
啄木が金をつぎ込んだのは遊郭。当時、成功者だけに許されていた女遊びに借金をしてまで通い詰めていたのだ。一説によると、物書きとして大成しない自分を嘆き、女性に癒しを求めていたのだとか。
しかし、なぜローマ字で書かれていたのか?その理由を啄木はこう書き記している。
予は妻を愛している。愛しているからこそ、この日記を読ませたくないのだ
妻に読まれないようにローマ字で書き留めたものの啄木の死後、日記を読んだ友人や家族がローマ字の日記は貴重であると絶賛。図らずも書籍化されてしまったのだ。こうして啄木のダメ男ぶりは、妻だけでなく世の中に広まることになった。